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むかしむかし、あるところに。
ひとりの<王様>がいました。
王様はこまっていました。
絵本でまなぶ、やさしい歴史<下> 佐藤 鈴子 著
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「ハァ?ちょっとあんた!これはどういうことなのよ!」
酒気と食べ物の匂いに満ちた酒場特有の陽気な空気の中に女の甲高い声が響き渡る。
酒の入った客たちは、ある者は嘲笑を浮かべ、ある者は不愉快そうに、そしてある者は興味深そうに、宿屋を兼ねているこの酒場の主人に怒鳴りつける銀髪の女を値踏みしていた。
「そう言われましても、ここでのルールでして…」
銀髪の女、シルヴィはバツの悪そうに弁明する宿屋の主人に食って掛かかる。
「なんでティールが居たら泊めて貰えないのよ!そんなのおかしいじゃない!」
ホワイトたちの尽力もあり、シルヴィたちは無事に境界都市シールに入ることができた。
シルヴィたちが路地裏で修道服から普段の服に着替え終えた頃にはすでに夜も更けており、とりあえずは休める拠点を探すことにしたのだった。
そして、街人に尋ねつつも手ごろな宿屋を見つけることは出来た。
しかし、問題はそこからだった。
「だから何度も言ってるじゃないですか、お客さん。この国では、その、亜人族は人間の宿に泊めてはいけない決まりなんですって」
宿屋の主人はティールの耳を見ると、宿の利用を拒否してきたのだ。そして、この調子でシルヴィとの押し問答が続いていた。
「えっ…でもここって人間と亜人族が共存してる国って聞いたけど…?」
シルヴィの後ろでそう呟くハルも驚きを隠せないようだ。同じく控えていたリュイたちもそれぞれ困惑の色を隠せないでいる。
「シルヴィ姉さん、とりあえず落ち着いてくださいっす。最悪、自分が野宿すればいいっすから」
原因であるらしいティール本人も事態を理解出来ていない様子で、シルヴィをなだめる。
「ティール、あんたがそんなことする謂れはないわ!」
「まぁまぁシルヴィ落ち着いて、ほら目立っちゃってるから。ね?」
「そうだぜぇシルヴィ。他の宿も当たってみようぜぇ」
ハルとリュイにそこまで言われてはシルヴィも引き下がるしかない。少し大人げなかっただろうか。
ブランは思案を巡らせているらしく沈黙を守り、その横でアステルが具合が悪そうに彼にもたれかかっている。
「ロゼ早く休みたいの!つかれたの~お腹もすいたの~お風呂にもはいりたいの~~」
ただひとり、新参者の少女だけはマイペースを貫いていた。
「ほら、ロゼ置いてくぜぇ」
駄々をこねるロゼもリュイに促され、皆は出口へと向かう。
シルヴィたちが外に出ると、夜の闇が不自然な淡い光に照らされていた。
シールの街並みはヴァチノに良く似ている。
白く形のそろった家屋は規則正しく並び、舗装された大通りにはガス灯の光が見える。
一つ違う点があるとすれば、ヴァチノとは違い亜人種をよく目にすることだろうか。
「おい、おまえたち。宿を探してんのか?」
外に出た一行をひとりの男が待ち構えていた。
先ほど酒場の端の席に座り、シルヴィたちを興味深げに観察していた鼠色の外套にフードを被った男だ。
顔は暗くてよく見えないが、青色の双眸が怪しげに 輝いているのが印象的だった。
「そうだけど…あんた誰よ?」
「俺のことはどうでもいい。お前らでも泊まれるいい宿を紹介してやるから付いて来な」
口早にそう言うと、シルヴィたちの返事も聞かずにゆっくりと歩きだしてしまった。
「はぁ?明らかに怪しいわよね」
「そうは言っても行く当てもないしなぁ。とりあえず付いていってみようぜぇ」
「そうっすね。泊めてもらえる宿があるなら越したことはないっす」
リュイとティールの言い分ももっともなので、シルヴィも様子を見みることにした。
「万一、荒事になっても師匠がいるしね」
「おい小僧、オレはおめえさんのおもりじゃねぇぞ」
ブランは軽口を叩くハルの頭を小突く。
「イテッ」
それぞれの笑い声が夜の街に響く。
しかし、その拍子にブランに掴まって力なく立っていたアステルが地面に膝を付けた。
「あ、アステル!大丈夫?」
ハルが心配そうにアステルへと駆け寄るが、彼女は小さな声で答えるだけだった。
「あ、あの…ごめんね。わたし具合がわるくて…もう…」
「そっか、じゃぁ僕が負ぶっていくよ。ほら乗って」
顔色もいつに増して真っ白だし、具合が悪いのは本当だろう。
だが、恋する乙女シルヴィとしてはこの展開は面白くない。
「待って。リュイ、あんたが負ぶってあげなさいよ。身体の小さいハルにはきついでしょ」
「おいおいおい、オイラは馬に蹴られるのはごめんだぜぇ」
「へぇ~、じゃぁ、あたしになら蹴られてもいいっていうのね?」
シルヴィの有無をも言わせず凄みにリュイはブンブンと首を横に振るしかなかった。
「すまん、ハル。許せ」
そう言うとリュイはアステルに近づき、もたついているハルを後目に軽々と彼女を負ぶってしまった。
「酷いよシルヴィ。僕だってアステル一人ぐらい、背負えるのに・・・」
「おまえら、何してんだ。早く来い」
ハルの不平の声は、すでに遠くに行ってしまっていたローブの男の声に遮られてしまう。
一行は彼のあとを付いていくべく、速足で歩き出した。
「いいなーいいなー!ロゼもリュイに負ぶってほしいの!」
ロゼが後ろで何か言ってるような気がしたが、シルヴィは聞こえなかったことにした。
(あたしって嫌な女ね・・・)
シルヴィ自身、普段から大人げない自覚はある。
だが、今日の自分はいつにも増して気が立っているのだろう。
こんな自分にすら嫌気がさしてくる。
しばらく、ローブの男のあとを付いていくと、古ぼけた大きめの民家の前で止まった。
建物自体は廃屋寸前と表現しても過言ではないが、庭は良く手入れされ季節の花が咲き誇っていた。
大切にはされているのだろうが、宿としてはいかがなものだろうか。
「ま、まさか・・・ここ・・・?」
シルヴィの引きつった笑みを無視して男はドアを荒っぽく叩く。
「アネットさん、居るか?俺だ、グレッグだ」
「おや、グレイの坊やかい」
ドア越しにハスキーな女の声がドア越しに聞こえ、ドアがゆっくりと開かれると、そこにはエプロン姿の中年女性が立っていた。
「宿を探してるみたいなんだが、ちょっと『アレ』でな。泊めてやってくれないか」
アネットと呼ばれた女性は、シルヴィたちを見回して、納得したようにため息をついた。
「はぁ・・・また連れてきたのかい。あんたのお人よしも筋金入りだわさ」
「そんなんじゃない。ほっといたら面倒だし、しょうがないだろ」
「それじゃぁ、朝飯付きで銀貨1枚と銅貨5枚でいいよ。昼飯夜飯は別代金、部屋は二部屋でいいね?お入りなさいな」
そう言って、アネットは優しい笑顔でシルヴィたちを家へ招きいれてくれた。
外面こそ古ぼけてた宿ではあるが、ドアの隙間から覗く内装はしっかりと手入れが行届いている。
値段も先ほどの宿の半額程度だし、断る理由もない。
シルヴィはハルたちと目くばせすると、ありがたく申し出を受けることにした。
「あの、ありがとうございます。とりあえず一晩でもいいので、お願いするわ」
「よろしく頼むぜぇ」
「自分、夜飯もお願いするっす!」
「やったのー!ロゼへとへとなの!お風呂入りたいの!」
リュイを先頭に彼らはドアの中へと入っていく。
「グレッグさん・・・でしたっけ?ありがとう・・・って、あれ?」
ハルがお礼を言おうとグレッグが先ほど立っていた場所に目を向けるが、彼の姿はすでになかった。
「あらら、ちゃんとお礼も言えなかったわね」
シルヴィとしても、一言お礼ぐらいは言いたいところだったが、夜の街を見渡してもそれらしき影は無い。
「さっきの奴ならすぐ路地裏に消えていったぜ。まぁ入るとしようじゃねぇか。アネットとやらに聞けばなんか教えてくれんだろ」
ブランに促されるまま、シルヴィたちも宿に入っていた。
そのあと、ティールとリュイが夕食を奪い合う食い意地の汚さを見せたり、ロゼがアカペラコンサートをはじめてしまったせいでグレッグのことは有耶無耶になってしまった。
結局、突如沸いて出た7人もの宿泊客の世話で忙しそうにしているアネットの口からは、主人を早く亡くして一般客への宿は廃業してしまったことぐらいしか聞き出すことが出来ていない。
シルヴィも思ったよりしっかりした宿のお風呂に浮かれてしまい、聖都での戦いの疲れも手伝い、倒れ込むように眠ってしまったのだった。
翌朝、シルヴィはリュイとブラン、ティールと共に情報収集に出かけていた。
お目当てはもちろん帝国へ渡る手段だ。まずは昨日ひと悶着あった酒場を目指している。
ここにいないハル、アステル、ロゼの三人は宿で留守番ということになっていた。
アステルはシルヴィとロゼと同じ部屋で目を覚ましたが、体調がすぐれないようでそのまま起き上がってこなかった。
ハルはアステルが気になるようで宿に残ると言い出し、ロゼも寝ぼけ眼でアステルの看病をすると言っていた。
本来、シルヴィがアステルの看病に残るべきなのだろうが、ある感情がそれを邪魔してくる。
吸血鬼ーーー。
ヴァチガノで対峙したおそるべき異能力を備えた人類の脅威。
そして、アステルにはその血が流れており、未来を見る能力を持っているという。
別にアステルを避けているという訳ではない。
むしろ、その事よりは自分の姉もそうであったという事。
そして、そうであれば自分にも少なからず吸血鬼の血が流れている事が割り切れないのだ。
その事実がここ数日、シルヴィをいつも以上に苛立たせていた。
今は外に出て、身体を動かしていたい気分なのだ。
シルヴィが鬱々とそんな考え事をしていると、向かい来た馬車に乗った商人らしき中年男性とすれ違った。
「おい、そこの長耳族、人間様の通り道にいるんじゃねぇ。おめえらも飼い主ならちゃんと躾とけよ」
彼は嫌な笑みを浮かべてティールへとわざと幅寄せしてきたのだ。
「ひえええ」
あやうく轢かれそうになったティールの腕をリュイが引き寄せて事なきを得たが、既に馬車は走り去っていた。
「あっぶねえな、あのオヤジ。ティール大丈夫か?」
「やっぱりこの国、変だわね」
シルヴィは昨日この街に着いたときから、薄々そう感じていた。
「こりゃぁあれだな、共存つーのはただの方便だな」
「ブラン、どういうことなんだぜぇ?」
「人間が亜人種をこき使ってるってことだ」
ブランの言葉にシルヴィも同意する。
「そうね。亜人種は人間より能力が優れてるから、こんなこと普通じゃ考えられないわ」
「そうっすよ。人間なんてクソ食らえっす」
「オイラたちも人間なんだけどな」
「それにしたってよぉ。こりゃ明らかにおかしいわな」
ブランもこの国の歪さに気づいているようだ。
「ええ、昨日の宿の一件といい…これは国ぐるみの制度ね。それも何年も何十年も前から染み付いてる感じの」
そう、まるでこれは…。
「ひえええ、恐ろしいぜぇ。いったい何の為にそんなことしてんだ?」
「自分もそれわかんないっす!従ってる意味もわかんないっすけど!」
リュイとティールは全く検討も付いていないらしい。
「このとなりの国はどこかしら?」
だから、シルヴィは彼らに少しヒントを与えることにした。
「ヴァチガノっすね、通ってきたじゃないっすか。シルヴィ姉さんボケたんすか」
シルヴィがディールの耳をつまむ。
「イタタタ、やめてくださいっす!ちぎれる!ちぎれるっす!」
「バカね、もう一つの隣よ。あたしたちの目的地」
「ああ…なるほど。帝国か」
リュイもようやく気づいたのだろう。それを受けてブランが核心へと触れる。
「そういうこったなぁ。境界都市とはよく言ったもんだわ。こりゃただの帝国の為の檻だ」
「ええ、そしてそれを管理しているのは恐らく、この都市のトップではないわ」
「どこっすか?」
「さすがにオイラにもわかったぜぇ。ヴァチガノが吸血鬼を閉じ込めるために作った構造ってことだな」
「あーなるほどっす」
これほどまでに帝国を忌み嫌うのには、過去の降り積もった理由があるだろう。
だが、少なくともシルヴィの目にはあのトニーという爆弾魔吸血鬼は残酷な気質があるにせよ、祖国の大切な人を守る戦いをしていたように見えた。
その為に命を捨てる覚悟を決めていた彼らはどのような深刻な事情を抱えているのだろう。
いったい、人間と吸血鬼にどんな違いがあるのだろうか。
自分と同じ存在かもしれないと思うと、どうにも贔屓目が出てしまうのだろうか、ついそんなことを考えてしまう。
シルヴィが答えのない自問自答を続け歩いていると、前のほうで人だかりが出てきていることに気づいた。
「なんすかあれ。うわああ、でっかい人間がいるっすよ」
一足先に人だかりへと混ざっていったティールが感嘆の声をあげている。
ゆうに3mは超えるであろう半裸の巨人2体が白い神輿を担いでいるのだ。
「あれはオーガね。亜人種の一種で大きい個体だと5mはあるらしいわよ」
「相変わらずおっかねえ顔してんなぁ。オイラあれとは友達になれそうにないわ」
リュイはシルヴィと同じように、村の行商人に連れられたオーガを目撃したことがあったはずだ。
「昔に東のほうでやりあった事があるが、あれはつええぞ。知力は高くないが力が半端なかったな」
ブランに至っては手合わせ済みのようだ。まったくこの人は底が見えない。
「誰か上にいるわね…女の…人…?」
その神輿の上にはひとり女性が佇んでいた。歳はシルヴィより少し上ぐらいだろう。よく手入れされた輝くばかりの赤み掛かったブロンドの髪はふんわりとアップにされている。
なにかの動物をモチーフにした金糸の刺繍が施された紅のドレスに身をまとい、遠目からみてもその美しい横顔は気品に満ちている。
「なんだぁ、ありゃ」
リュイの素っ頓狂な声に反応した街人のひとりがシルヴィたちへと向き直った。
「おまえさんたち、旅人か?あれは十家議会の一角、マティウス家のご令嬢エリアス様だよ。来年の議会選挙に向けてのお披露目をなさっているのさ。あの方を見れるなんて運がいいなぁ」
興奮気味にそう説明してくれる街人の様子を見るにこの街のアイドル的な存在なのだろうか。
「ほー、この国は議会制なんだな」
ブランの問いに街人がさらに顔を赤らめ嬉しそうに解説してくれる。
「おう!十家議会は俺たち住民を吸血鬼から守ってくださるありがたい方々なんだよ」
「へぇ~、そこで亜人種を使うわけなのね」
「あぁ?なんだお前ら、亜人保護主義者か?よく見りゃそいつ長耳族・・・。それなら、もう俺には関わらないでくれよ」
少し棘を込めたシルヴィの一言で街人は態度を急変させ、挙句の果てにはシッシと手で追い払われてしまった。
「これはまた、随分な扱いだぜぇ」
「亜人種だけじゃなく、亜人種を庇う人間も迫害の対象になりそうだわね」
「ティール、おめえさんもフードかぶっとけよ。役人に見つかると面倒になるかもしんねぇ」
ブランがティールにフードを被せたが、ティール本人は先ほどから無反応を貫いている。
これほど明らかな悪意に満ちた差別では、さすがの彼でもショックを受けるのだろう。シルヴィはティールに同情した。
「自分、惚れたっす」
「は?」
シルヴィの心配をよそに、ティールがなにやら訳のわからないことを言い出した。
彼の薄緑色の瞳には神輿に担がれたエリアスとやらが映っている。
「自分、あの娘をものにするっす!」
「ティール、何言ってんだよ。ついに街に酔いすぎて頭狂ったかー?」
「つーかよ。おめえさん、人間の女はダメなんだろ?」
リュイは正面からティールの両肩を掴んで揺さぶり、ブランは明らかに呆れた声をあげていた。
さすがの二人もティールの正気を疑っている。
「いえ、シルヴィ姐さんの見てから人間も女ならいいかなーって思ったっす!」
ピキッ
シルヴィの脳裏に長耳族の里での忌まわしき記憶がリフレインし、自分の中で何かはじける音を聞こえた気がした。そこから先は勝手に体が動く。
「あたしの何を見てですって?も・う・い・ち・ど、言ってごらんなさい」
「むむむむむむむむ…むむむ…」
「そりゃ口抑えてたら言えないぜぇ、シルヴィ。あと口か鼻のどっちかは開けてやろうな」
リュイは、ティールの口と鼻を両手で塞いでいるシルヴィを後ろから羽交い絞めにして抑えた。
「ぜぇぜぇ、とにかくアタックしてくるっす!」
ティールはシルヴィの魔の手から逃れると、再びエリアスをまっすぐに見つめている。
「はぁ?あんたこの国での自分の立場わかってるわけ?」
「そんなの関係ないっす!自分の気持ちには正直に生きたいっす」
追い打ちをかけるようにとんでもない事を言い出すティールの言葉にシルヴィは思わず後ずさる。
こいつはいったい、何を考えているんだ。はやくなんとかしないと。
「おい、ティール、悪い事言わないからまじでやめとけって…」
「おめえさん、最悪死ぬぞ。つーか、殺されるぞ」
リュイとブランも同じような考えのようだ。
こんな街でティールを放ったらいったいどんな目に合うのか、想像もできないのでシルヴィの心中は穏やかではなかった。
「あの時の決着っす!自分はあの娘を落としてリュイさんに勝つっす!」
「おいおいおい、それとこれとは全然話が…」
「ああー!あの子はもういっちゃうみたいだから自分は行ってくるっす!」
ティールはそう言うや否や、ひと込みをかき分け、とても人の足では追えそうにない速度で去っていく神輿の方角へと直進していった。
シルヴィの眼には、人に弾かれながらも必死に想い人を追いかける彼の背中は不思議と頼もしく見えた。
「そこまで言うなら止めないけどな…夕飯までには帰ってくるんだぞー!」
やれやれと言わんばかりのリュイが子供を送り出す父親のようにティールを送り出す。
「はぁ…、まぁティールらしいと言えばらしいわね」
「そりゃそうだけどよ、止めなくても良かったのか。姉ちゃん」
「あの調子じゃ、止めたって聞かないでしょ。それに、あいつもそう簡単には死なないわよ」
シルヴィが呆れた口調でそう言った時には、神輿ともどもティールの姿は見えなくなってしまった。
元々、恋のために本気で里長を目指したティールにとってはこの旅は恋人探しなのだろう。
人騒がせで、自分勝手で、そしてどこまでも真っ直ぐな男だ。
人類が亡ぼうがなんだろうが、自分がこの国でどれだけ危うい状況だろうが、恋を貫く。
まったく馬鹿らしい。自分の想いに忠実な大馬鹿者だ。
でも、そんな彼の前では、シルヴィをずっと惑わせている、吸血鬼の血の事など、些細な問題にすら思えてきてしまった。
だから、シルヴィもそんな長耳族の青年に少しだけならってみようと思う。
シルヴィの目的はハルと一緒にいること。そして、アステルを助けることなのだから。
その初心を貫徹しようではないか。
吸血鬼だの人類だの難しい事を考えるのはその後でいいのかもしれない、シルヴィはそう思ったのであった。
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ロゼは歌が好きだ。
喜びの歌。悲しみの歌。憎しみの歌。慈しみの歌。
でも、恋の歌はそれほど好きでは無かった。
もちろん嫌いではないだが、正直よくわからないのだ。
だから人に聞いてみることにした。
「ハルさん、ロゼに恋を教えて!」
「ぶはっ…」
アステルの様子を見に女子部屋を訪れていたハルが、飲んでいたお茶を吹き出す。
「えっ、どうしたの?体調悪いなの?」
「いやいやいや、唐突に誤解を招く言い方はやめようね?恋って…リュイのこと?」
「なななななにいってのるなの??」
唐突なのはどっちだろう。
まったく、この山脈を吹く風の歌みたいな少年には、困ってしまう。
このハルがいう、リュイというのは、白馬に乗った王子様の歌のような青年だ。
「ちがうの?まったくもう…アステルが寝ててよかったよ」
アステルは、儚い月光の歌を思わせる少女だ。
彼女はロゼと正反対だけど、ロゼととてもよく似ているのだ。
そして、ロゼはこのハルという少年がアステルに恋というものをしているのだと予想している。
だからこそ、彼に聞いてみたのだ。
「た、確かにリュイはかっこいいの!でもロゼ恋ってわからないなの…」
「はぁ、そっかー。俺もよくわからないんだけどね」
「そうなの…?」
「でも、きっとその人のことしか考えられなくなって、とっても大切に思う気持ちなんだと思うよ。そうだなぁ、例えば…」
ハルは少し考えてから言葉を続けた。
「例えばほら。目を閉じて今ここに居ない、誰かひとりのことを想像してごらん。誰でもいいよ」
「やってみるの」
森の木々が囁く歌のような青年が浮かんだ。
「どう?誰が浮かんだ?」
「内緒なの」
「あはは…はは…。でも、きっとそれが、今、この瞬間ロゼが一番大切に思ってる人なんだと思うよ」
大聖堂でリュイに助けられてから、彼のことを考えると、ロゼの胸はドキドキする。
そして、つい彼のことを目で追ってしまう。
この気持ちをなんというのだろう。
もしかして、ハルの言う通り、この気持ちが………。
ロゼ18歳、恋する乙女の歌がはじまろうとしている。
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ガシャッン!!
女子部屋に様子を見に来て、ロゼとの良くわからない会話のあと、ソファーで微睡み掛けていたハルの意識を何かが壊れる音が引き戻した。
覚醒した眼を音のした方角へやると、アステルがベットから転げ落ち、床に倒れている。
「・・・っ!アステル!!」
どうやら、ベットサイドの水差しに手を伸ばした際に、力尽き、水差しもろとも床に落としてしまったようだ。
ハルは急いでアステルを抱き起す。
「あわあわあわ、大変なの!ガラスでケガしてないの!?」
ロゼも手をばたつかせて、見るからに慌てふためている。
「怪我はないみたいだけど・・・、意識がない。それにすごい熱だよ・・・」
服越しに伝わるアステルの体温からも分かるが、念のためアステルの額に手を当てて確かめるとかなりの熱だ。
「どうしようなの・・・」
「このままじゃ危険かもしれない。医者にいこう」
「あの、あのね。ロゼ前にこの街きたことあるから、お医者さんの場所ならわかるかもなの」
「ほんと!?・・・じゃぁ案内お願い!」
ロゼの先導では少し不安覚えるが、シルヴィたちはまだ戻ってきていないし、家主アネットの姿も見当たらないので、背に腹は代えられないという結論に至った。
ハルは急いでアステルを背負うと、意識のない彼女の体は重くのしかかってくる。
不謹慎ながらもアステルの体温、脈動、そして柔らかい感触を背中に幸せを感じてしまう。
だが、今はこんなことで喜んでいる場合ではない。
「ハル、急ぐの!」
ハルはゆっくり立ち上がると、背中のアステルを少し弾ませ背負いなおし、ドタバタとドアを出ていくロゼの後を追った。
ロゼに導かれるまま、しばらく路地裏を走ると内庭のように家と家の間に出来た少し開けた空間へと出た。
どうやらここが目的地のようで、ロゼが足を止める。
「げっ、あんたたちは・・・」
そのとき、全く予想してない、だが聞き覚えのある声が聞こえた。
「いやぁあ!ロゼ死にたくないの~!!」
昨日、聖都で対峙した女吸血鬼が、その広場にある医院らしき建物からちょうど出てきたのだ。
「おまえは・・・っ!クリス・・・!!」
聖堂の時とは違い、質素な紫紺のワンピースを身にまとい、その身体には痛々しいほどに包帯が巻かれている。
よりによって、最悪の敵と居合わせてしまったようだ。
ハルは急いで戦闘態勢を整えようとするが、背中にアステルを負ぶった状態では剣も抜けない。
「あー・・・ごめん、ちょっとだけ・・・待ってくれるかい?」
慌てふためくハルを余所に、クリスはなんとも歯切れの悪い言い方で、しかも両手をはためかせながらハルたちの動きを止めてきた。
戦う意思はなないように見えるが何事だろう。この吸血鬼の攻撃力は低いとはいえ、一瞬の油断でも命取りになる実力を持っている。
ハルは警戒を維持しながら、聞き返す事にした。
「どういうこと?ロゼの命を狙っているんじゃなかった?」
「ロゼは悪いことしてないの!」
「えーっと・・・なんというか・・・うーん・・・」
「クリス、いいよ。ボクから話そう」
クリスの後ろから中性的な声が聞こえてきた。
その直後、クリスを押しのけるように医院のドアから小柄な人物が現れた。
背はロゼと同じぐらい。金糸のようにきめ細やかな髪はおかっぱに切りそろえられ、同じ色の眼からは意志の強さが見て取れる。
歳もハルたちとそう変わらないように見えるが、その色素の薄い顔つきからは正確に読み取ることができない。
少年のように活発な表情を浮かべ、少女の清廉さを漂わせ、男のような頼もしさも持ち合わせて、女のような艶やかさも備えている。
灰色っぽい外套の下には、深赤のスカートのような着物が覗き見えた。もしかしたら、少女なのかもしれない。
「メルディ様・・・」
「その呼び方はやめてって言ってるでしょう、クリス。メルでいいよ」
メルディと呼ばれた、その年齢不詳で中性的な人物は悪戯っぽく、クリスを叱りつける。
明らかにクリスのほうが年上に見えるのに、その構図が不自然ではないという不思議な感覚だ。
「あれぇ~メルちゃんなの!なんでここにいるの~?!」
突然の展開にハルは混乱していたが、どうやらこの新たな闖入者はロゼの知り合いのようだ。
まるで故郷の友達にでもあったように、親し気に会話をはじめてしまった。
「やぁロゼ。ボクはキミに会いに来たんだ」
「そうなの?ひさしぶり!元気してたなのー?」
この調子でロゼに任せては埒があかないので、ハルも会話に加わる事にした。
「ちょっと待って。とりあえず理由だけを話してくれる?この子を医者に見せなきゃいけないんだ。悪いけど、君たちに構ってる時間は今はないよ」
ハルが苛立ち紛れにそう言うと、メルディは背中のアステルを見やり、本題を話し始めてくれた。
「いやー僕はロゼに護衛を付けたつもりだったんだけど、クリスが勘違いしちゃって君の命を狙っちゃってね」
「えーっ!そうだったのー!?」
ロゼが大仰に驚いている。さすがに勘違いで護衛から殺されかけたのではシャレでは済まされない。
「すみません・・・」
昨日、あれほど人を食った態度を取っていたクリスもかたなしのようで見る影もない。
「亡命者だから優しく可愛がってやれって言ったんだけど言葉って難しいね」
「いやいやいや、それ完全に誤解を招く表現だよね!?それより、亡命って!?」
思わずハルが突っ込みを入れてしまったが、物騒な言葉が飛び出してきた。
そもそも、吸血鬼に護衛させるなんてロゼは一体なにものなのだろう。
「なるほどなのー!それなら、仕方がないなの!」
しかし、当のロゼはというとなにやら納得している様子だ。
ロゼ含め、皆の命が掛かっていたわけだが、そんな軽い調子でいいのか。
「はぁ・・・まぁ分かりました。戦う気がないなら、もう僕たち行っていいですか?急いでるんで」
あまりのロゼの能天気さにハルは毒気を抜かれ、一気に脱力してしまった。
彼女たちが何者なのか、ロゼがどこから逃げてきたのか、他にも色々と聞かなくてはいけないがきっとややこしいことになる。
今はそれどころではないし、ひとまずアステルを医者に見せて、落ち着いてからロゼ本人に聞くことにしよう。
「うん、ボクは構わないんだけどさ。あっちの人たちは許してくれないかもよ?」
「は?」
メルディが指さす方向へとハルが振り返ると、鈍色の甲冑に身を包んだ男たちと異形の亜人族たち、合計10名ほどが待ち構えていた。
あるものは猫か犬のような耳を付け、あるものは岩のような肌を持ち、象のような躯体や鳥のような羽を生やした者もいた。
彼らのまとまりのない風貌から、まともな集団ではないことだけは確かだろう。
その中でもひと際目立つ、右目一帯に焼けただれたケロイドの傷がある人間が鋭い碧眼で睨みつけてきた。
そして、男はその碧眼に良く似合うアッシュの髪を風になびかせ、腰から剣を抜き放つとハルに向けて一歩踏み出してきたのだ。
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「おー、グレッグ。聞いたか?ヴァチガノからの指名手配だってよ」
朝、詰所に出勤すると同僚のフレディが楽しそうに、似顔絵の書かれた手配書をグレッグに投げつけてきた。
「おい、投げんなよ」
「ヒヒヒ、すまねぇすまねぇ。女が俺好みでよぉー。捕まえた後のことを考えると今から楽しみでならねぇぜ」
「ちっ、ゲスが・・・」
グレッグは同僚の下卑た笑いに小声で悪態をつきながら、改めて手配書を見る。
計5名の顔が描かれた手配書を見たグレッグは、驚きのあまり、目を見開き思わず強く握りしめてしまった。
銀髪の美女、金髪で目つきの鋭い青年、頬に一文字の傷のある壮年の男。
そして、極めつけはこの地方には珍しい黒髪の少女と少年。
見間違えようがない。昨夜、非番で酒を楽しんでいた自分がアネットの宿へと先導した彼らだ。
「・・・こいつら、何したんだ?」
グレッグは嫌な汗が顔から噴き出すのを感じながら上機嫌のフレディに尋ねる。
「あー、俺も隊長に聞いただけで詳しく知らねぇけど。その黒髪のお嬢ちゃんが吸血鬼なんだとよ。そいつだけは生きてヴァチノへ送還だってよ」
「吸血鬼か・・・」
彼らに害意があるようには見えなかったが、とんでもない輩をアネットに押し付けてしまったようだ。
「もったいねぇよなぁ。この年頃が一番いたぶって楽しいてーのによー。ヒヒッ」
「他のやつらは?」
「俺らの裁量で好きにしていいらしい。いわばオマケだ。ああ~、この銀髪女たまんねぇぜ」
気が早いことに生粋のサディストであるフレディはもう料理の仕方を考えているのだろう。
禿げあがった頭に小太りな図体を小刻みに揺らしているさまは、まるで食事を待つ豚型モンスターのようだ。
グレッグは胃の底からこみ上げる生理的な嫌悪感を抑え、自分の置かれた状況を整理することにした。
言うまでもなく、これはマズい。
知らなかったとは言え、吸血鬼の手助けをしたという時点で、この街の人間でもあり、吸血鬼に対抗するために作られた組織、<境界軍>に所属するグレットの立場としては致命的だろう。
さらにまずいことに<亜人種擁護主義者の取りまとめ役でもあるアネット>を紹介してしまったことだ。
いかにグレッグたちが<人と亜人種の混成部隊>だとは言え、それを指示する隊長やフレディは人間であり、見逃すことは到底考えられない。
万一、彼らがアネットの宿に滞在していることがすでに露見してしまっていた場合、強硬手段を取ることになってしまう。
これでは、今まで<あの計画>のため、築いてきた各方面への手回しが苦労が水の泡だ。
グレッグは祈るような気持ちでさらに情報を聞き出すことにした。
「な、なぁフレディ、作戦を教えてくれ。こいつらをどう捕まえる?」
「めんどくせぇ。そろそろ隊長がくるから直接聞いてくれや」
非協力な同僚からはこれ以上、得るものはなさそうだ。
しばらくすると、鈍色の甲冑に身をまとった人間の男が、様々な亜人種を引き連れて詰所のドアからなだれ込んできた。
隊長のエイブラムだ。
それに続くのは、犬耳を頭に付けた犬耳族のギール。
腰に純白の二対羽を付けた鳥羽族のキュピン。
その脇には石のような真っ黒な皮膚を持つ石肌族のゴルグンドが並んでいた。
ドアの後ろには、ゆうに3mは超え、詰所に入れずにいる巨人族のゴウルもいた。
その足元には、小人族の双子ミアとニアがいつものように隠れている。
「エイブラム隊長、朝の見回りお疲れ様です。ヒヒヒ・・・」
フレディは隊長に駆け寄ると、さっそく揉み手で媚びを売っている。
乗り気はしないが、無言では何か言われそうなのでグレッグも挨拶だけすることにした。
「隊長おはようございます」
「おうグレッグ。昨日は休めたか?」
グレッグへ向けてにこやかに返事をするこの隊長は、グレッグの直属の上司にあたる。
爽やかさを体現するように茶色の髪は短く刈り上げられ、中年ではあるもののその鍛えられた身体からは武人特有の気迫が染み出ている。
「はい、おかげ様で・・・。ところで、教会からの指名手配と聞きましたが・・・」
「ああ、その話は今からしてやろう。おい!亜人のクソどもは外に出ていろ」
隊長はゴミを見るような目で、後ろに控えていた亜人種たちを叱りつけた。この職場に限らず、この街ではよくある見慣れた光景だ。
こんな日常には正直、反吐が出そうになる。そんなグレッグの想いを知らず、隊長が前に出て作戦を説明し始めた。
「聞いての通り、ヴァチガノから逃げ出した吸血鬼を生きたまま捕獲するのが今回の目的だ。この女吸血鬼の戦闘能力は低いと報告されている。なぁにいつもよりは簡単な任務さ」
混成警邏部隊は主にシールから入り込んだ吸血鬼の駆除を生業としている。この手の仕事の中では比較的楽な仕事だろう。
「どうやって捕獲するので?ヒヒッ」
「あぁ、やつの仲間に腕の立つ人間が味方しているらしい。この手配書の熊のような男だ。そいつからはぐれたところ狙う。他の人間どもは今の段階では、無理に捕縛する必要はないとの達しだ」
エイブラムはそう言って手配書の壮年の男を指さした。たしかその男は、ブランと呼ばれていたように記憶している。
「人間の味方って、物好きもいたものですね・・・。それで場所は掴めているんです?」
顔が引きつりそうになりながら、グレッグが相槌を打ち、もっとも知りたい核心へと迫った。
「いや、まだだな。街中の巡回は別部隊が行っている。我々は<例の医院>を張り込む予定だ。やつらはあの薬なしでは三日と生きられないからな」
「例のあそこですか」
「グレッグ、例の医院ってなんだ?」
フレディが小声で聞いてきた。
「おまえなぁ・・・一昨日、俺らでコソ泥を捕まえたよな?そいつの持ち物から吸血鬼の薬を押収したのは覚えているか?」
「ああ、あったな」
「あのあと入手経路を絞って見つかった医院があっただろ。吸血鬼捕縛のために泳がせてるやつだ」
「おまえも会議に出てただろ、フレディ」
隊長の鋭い目つきにフレディは震えあがりながら、思い出したように言いなおす。
「あー!はいはい、あそこですねー。ちゃんと覚えていますよ。グヒヒッ」
完全に忘れていたのだろうが、この際フレディのことはどうでもいい。
幸い、吸血鬼の一味がアネットの宿に滞在していることはバレていないようだ。
今は成り行きに任せて、一刻も早くあの少女を捕縛する事に全力を尽くすとしよう。
グレッグはそう決意を改め、隊長とフレディの後に続いて詰所を出たのだった。
目的地の大通りに到着すると、巨人のゴウルに牽いてもらった荷車に乗せた拘束用の移動式の牢と共に、グレッグたちは路地裏に隠した。
医院への道はここの大通りから向かいの細い路地に入っていくしかない。おまけにその路地は構造上、袋小路のようになっていて確保にはもってこいだ。
この時間は、人の通りもまばらなので見逃すこともないだろう。あとは待ち伏せるだけだ。
(頼む・・・早くきてくれ・・・。他の部隊につかまってもらうわけにはいかないんだ)
グレッグの祈りが通じたのか、一刻もしないうちに、昨晩出会ったピンク色髪をした少女が黒髪の少年を引き連れて路地裏に入っていた。
その少年の背には黒髪の少女が背負われている。
「運がいいぜ。だが、しばらくここで待機だ。例の男が来ない事を居ないことを確認してから行くぞ」
隊長の言葉に全員が頷く。グレッグは安堵していたが、ここからが本番だと自分に言い聞かせ気合を入れなおす。
大事の前には犠牲はつきものだ。少年たちには悪いが最悪の場合、殺してでもその口を封じなければならない。
「よし、突入だ。相手は吸血鬼。気を引き締めろよ」
号令と共に、グレッグは我先にと路地裏へと駆けこんだ。後ろに隊長やフレディ、亜人種たちもそのあとに続く。
居た。あの少年たちだ。確か、ハルといっただろうか。
医院の前でなにやら話し込んでいるようだが、こちらに気づいた様子はない。
紫髪の女と金髪の子供については見覚えがないが、まあいい。
男だか女だかわからない金髪の子供がこちらに気づき、ハルへとグレッグたちの襲撃を伝えている。
グレッグは覚悟を決め、剣を抜き放ち、大きく一歩前へ踏み出した。ハルが声を発する前に剣の間合いに入れるつもりだ。
「おまえら!死にたくなければそこを動くな!・・・話すことも許さん」
「きみは・・・」
やはり、気づかれたか。少年の眼は真っすぐにグレッグへと向けられ、その口は今にも言葉を紡ごうとしている。
グレッグはしゃべられる前に、ハルの喉元に剣の切っ先を突き付けた。
そして、剣を持っていない左手で自分の首元に親指を当て、喉を掻き切るようなしぐさをしてみせる。
下手に喋ればそうなるということが伝わったのだろう、ハルは黙ってくれた。
そして、ハルの言葉を打ち消すように後ろに控えていたエイブラム隊長に向かって報告した。
「隊長、黒髪の少女に黒髪の少年。年頃と手配書の人相書きとも特徴が一致します」
「よし、捕まえろ!」
「手配書にない3人はどうしますか?ヒヒッ」
相変わらず気色の悪い笑みを浮かべるフレディも彼のエモノである斧を抜き、グレッグに続いてきた。
「面倒だから一応全員ひっ捕らえて牢にぶち込んどけ。だが、能力は未確認だ。細心の注意を払え」
隊長の号令で、亜人種たちが全員を確保するべく動いてくる。
「ロゼなにもしてないの!ひどいの!」
「騒ぐなと言っている」
グレッグの目だけで殺さんばかりの威圧により、ロゼは顔を青くして両手を口を押えた。
「・・・クリス、僕のことはいいから。あの子たちに知らせて」
金髪の子供はそんなやり取りを目にしながら、石肌族のゴルグンドに後ろ手を回されているのにも関わらず至って冷静な面持ちで小声で呟いた。
次の瞬間、ギールとキュピンに抑えられていた紫髪の女の体が地面に<沈んだ>。
やはり、こいつも吸血鬼だったか。
グレッグは咄嗟に剣を横なぎに払い、女の腹を抉るがどうにも手ごたえがない。
どうやら<身体を変質させる>能力の持ち主のようだ。
「貴様!妙な真似はするな!」
隊長の制止に対して、女は不敵な笑みを浮かべ、そのまま地へと溶け込んでいく。
そして、数秒もしないうちに、服と包帯、ナイフなどの持ち物を残してその場から消えうせてしまった。
「くそっ!グレッグ、小人どもとあたりを探せ!フレディ、おまえはこいつらを連行して詰所の地下牢にぶち込め。俺は医院を封鎖する」
「くっ・・・!はい!ミア、ニア行くぞ!」
「了解でぇす。ヒヒッ」
血相を変えた隊長の指示でグレッグは探し始めたが、一度地面に潜られた女を探すのは絶望的だ。
少年が口を滑らせないかが気掛かりでならないので、彼らの会話が聞こえる範囲を探すふりをすることにした。
「あっ、アステル!おまえら乱暴はするなよ!病人だぞ」
「うるせぇガキだな」
グレッグが路地から大通りに出たところで、背後からハルとフレディの声が聞こえた。
大方、フレディが黒髪の少女のアステルとやらを手荒に扱ったのだろう。
しばらくすると、後ろ手を縄に縛られたハルたちは亜人種たちに身体を掴まれ、大通りまでの路地を歩かされてきた。アステルは意識がないようで、ゴウルの脇に抱えられ運ばれていた。
「おまえら仲良く牢にぶち込んで、そのままヴァチガノに引き渡すんだからよぉ。何も心配はいらねぇぜ。グヒヒッ」
「やれやれ、レディの扱いは丁寧に頼むよ」
金髪の子供も同じように縛られているようだ。
「大丈夫さ。暇になったらちょーとお相手してもらうかもしんねぇけどな」
「ロゼ痛いの嫌なのー!」
フレディは舌なめずりをして下卑た笑い浮かべている。
「おら、早く来い!」
すれ違いざま、ハルがこちらに気づいた様子でグレッグを睨みつけてきた。
「おまえ!許さないからな!」
どうやら、宿の紹介の件も含めてグレッグにハメられたとでも勘違いしているのだろう。
誤解ではあるが好都合だ。これでおいそれと仲間の居場所を吐くことはないだろう。
彼らはこの後、<境界軍>本部の地下にある牢に投獄される予定だ。
あとは拷問と称して、口を割る前に亡き者にしてしまえばいい。
(〈あの人〉との誓いを果たすためなら鬼にでも何にでもなってやるさ)
運のない彼らには気の毒な話だとは思うが、グレッグにも譲れないものがあるのだ。
「さっさと歩け!ヒヒヒッ」
そうして、ハルたちは大通りに置かれていた移動式の牢に入れられるとそのまま布を被され詰所へと連行されていった。
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ハルは今、地下牢の中にいる。
頑強な石と鉄で出来た牢獄は窓もなく薄暗い。牢の外の廊下にある小さな格子付きの窓だけが唯一の光源であり、通気口のようだ。
そのため、カビ臭い湿気った空気が溜まっているのを感じる。牢の中も粗末なもので、石の上に葦製のござが敷いてあるだけだった。
一向にアステルの意識は戻らないため、ハルが膝枕をする形になっている。
ハルに向かい合うように、メルディとロゼも足を崩し、床に座っていた。
フレディと呼ばれていた好色そうな中年は、ハルたちから持ち物を没収するとどこかへ姿を消してしまった。
しばらくして、少し落ち着いたころにメルディが話しかけてきた。
「あちゃー。それで、君らなにしたのさ」
「いや、ちょっと爆弾を解除したぐらいなんだけどね。あとは吸血鬼と戦ったり・・・」
「ははは…なるほど、<聞いた通りだね>。うんうん。だからこそ、ボクはキミたちを探していたんだ」
メルディの黄金色の瞳が暗闇の中で怪しく輝いている。ハルはその目に吸い込まれるような感覚に捕らわれ、全身の産毛が逆立つような気がした。
「君はいったい・・・」
「あぁ、そうだね。ボクとしたことが自己紹介が遅れてしまったよ」
メルディは思い出したようにクスリと笑うと、ハルに顔を近づけて耳元で囁いてきた。
金色の髪がハルの頬に触れ、香木のような澄んだ匂いがハルの鼻腔を刺激する。
「<ボクはフィニス帝国17代目皇帝、メルディ・E・アウグストゥス。全ての新人類の母にして、キミたちが言うところの吸血鬼の親玉さ>」
「な・・・」
人は本当に驚いた時、何も言えなくなってしまうのだろう。
今のハルがそうだった。数拍の時間、まるで時が止まったように完全に思考が停止する。呼吸すら止まっていたのではないだろうか。
「よろしくね、少年。気安くメルって呼んでおくれよ。メルちゃんでもいいよ」
得体のしれない吸血鬼の王は元居た場所に戻るとニコニコとハルへと微笑みかけてきた。
「あのねあのね、ロゼを国から出してくれたのもメルちゃんなの!えらい人なの!」
ロゼの場違いな陽気な声で、ハルは現実へと戻された気分だった。
そして、ようやく声をあげることができた。
「なんだってー!!」
「「しーっ」」
ハルのあまりに大きな声に、メルとロゼは口の前で人差し指を立てて声を抑えるように促してきた。
「ご、ごめん・・・でも突然すぎて何がなんだか」
混乱しすぎているからだろうか、この未知の存在を前にしてもあまり恐怖心が湧いてこない。
「ははは、そりゃそうだよね。キミが聞きたいことはいっぱいあると思うんだけどさ。先にこっちの質問に答えてほしいんだ。あまり時間がなくてね」
「う、うん・・・」
「それじゃあ、まずヴァチガノであった事を教えてくれるかな。特に<本>について、何か知らないかい?」
「本って・・・<メルティスの手記>のこと?あれなら、雷を使う吸血鬼に取られちゃったみたいだけど」
「あー・・・やっぱりそうなんだね。下手人は雷将のレイルか・・・。これはマズイことになったね」
「ねぇ、あの本には何が書かれているの?」
「・・・うーん、キミたちにはどう伝わっているんだい?」
メルディは少し考えた素振りを見せ、逆にハルへと質問を投げかけてきた。
「僕も詳しくは知らないけど、『人類を滅ぼす方法』が記されているとしか・・・」
「人類を滅ぼすねぇ。だいたいのところはその理解でいいと思うよ」
メルティは少し悲し気な表情を浮かべると、そのまま言葉を続けた。
「あれにはね。空に作られた<蒼壁>を破壊する装置の使い方が載っているんだ」
「蒼・・・壁・・・?」
「そう、蒼壁・・・。キミは聞いたことはないかい?昔の空には波のような模様は無く、星が輝いていたってことを」
「あれは・・・昔の人が作った魔法だって・・・」
アステルと初めて出会った星送りの祭りの晩、ハル自身が彼女に聞かせた言葉だ。
ハルも半信半疑で伝説の類だと思っていた話が、まさかこんなところで出てくるとは思いもしなかった。
「確かにキミたちにとっては大昔の『魔法』だろうね。その魔法は空の先にあるものから人類を守っているんだよ。だから、それが壊れると人類は滅んでしまう」
「そんな・・・僕たちはどうすればいいの?もう手遅れなのかな」
「いや、ボクがそんなことはさせない。あれはキミたち旧人類の存在を快く思っていない殲滅派の暴走だからね。全ては統治者であるボクの責任なのさ」
そういうメルディの表情は苦い。ハルには想像のしようもないが統治者の責任とは、それほど生易しいものではないのだろう。
「言い訳になってしまうけど、これだけはキミにも理解しておいてほしい。彼らは意見はほんの一部なだけで、ボクら新人類の総意ではない。多くの帝国の民は旧人類との共存を望んでいるんだ」
「ロゼも今は違うよー!ハルたちと一緒に居たいって思ってるの!」
先ほどから静観していたロゼも会話に加わってきた。
「やっぱりロゼも吸血鬼・・・いや新人類なんだね」
「そうなの・・・黙っててごめんなの」
「いや、しょうがないよ。なかなか言い出せることじゃないって僕も思う」
「ありがとなの」
聖都での一件でハルも新人類について思うところがないと言えば嘘になる。
だが、新人類であるロゼはハルたちと同じように思い悩み、恋をして、今日を精一杯生きているように見えた。
「メル、僕も君たち新人類を一括りにするのはやめるよ。まぁ、僕一人がそんな考えをしたって何も変わらないかもしれないけど。あはは・・・」
それに、あのトニーという爆弾魔ですら、自分の家族のために戦っていると言っていた。
そして、それは新人類と旧人類の生存をかけた戦争なのだとも。彼らをそこまで追い込んだ何か事情があるはずなのだ。
「ありがとう。約束するよ。彼らの行いはボクが絶対に食い止める」
メルディは意外そうに目を大きく見開き瞬かせたが、どこか寂し気な笑みを浮かべて言葉を紡いだ。
「うん。ところでなぜ君たちは、今急に動き出したの?それに吸血鬼とか新人類、呼び方が違うみたいだけど、えーっとなんだっけ・・・ムジュウリョク実験体?っていうのも君たちのことなのかな?」
「っ・・・!!どこでその言葉を・・・・」
ハルがぶつけた疑問に対して、メルディの驚きの声をあげたが、その声もハルによって遮らてしまうことになった。
「アステル!?ねえアステル!!」
先ほどから苦しそうな息を続けていたアステルの呼吸がぴたりと止んだのである。
「どうしよう、呼吸が・・・止まっちゃった・・・」
「アステル死んじゃうなの!?そんなの嫌だよぉ」
「ちょっと、診せて!まさか、彼女はボクらの仲間なのかい!?」
メルディが手慣れた手付きでアステルの腕の脈と呼吸音、瞼の中を観察してから、ハルの顔を見て告げた。
「大丈夫、呼吸も脈も弱くなっているだけ。新人類特有の仮死状態に移行しているんだ。でも、このままじゃそう長く持たないよ」
「どういうこと・・・?」
「なんでこんなになるまで放っておいた!この子は・・・いつから薬を飲んでいない?ああ・・・そうか、覚醒体か・・・っ!」
「薬・・・?」
「キミはなにも知らないんだね・・・。ロゼも未発現体だから薬を持ち歩いていないし無理もないか」
メルディは先程の怒りとは打って変わって、無知なハルを憐れむような表情を浮かべ、更に言葉を続けた。
「僕たち能力を発現した新人類は遺伝型特異メトヘモグロビン血症なんだ。つまり、人工的に作られた薬剤を定期的に摂取しないと死んでしまう生き物ということだよ」
「その薬さえあれば・・・!」
ハルの希望を見つけたかのような明るい声に、メルディは首を横に振る。
「ボクの持っていた薬はさっき没収されちゃった鞄の中さ・・・ごめんね」
「じゃあ・・・どうすれば・・・もうアステルは・・・助からないのか・・・?」
「いや、ひとつだけ、手段がある。キミにしかできない事だ」
「それは・・・?」
「旧人類の血液から必要な補酵素を摂取、つまり言い換えると、キミの血を彼女に飲ませれば助かる」
その言葉を聞いた瞬間、ハルは唐突に理解した。
あの日、アイコと名乗る神の言葉は正しかったのだ。
少しずつ、ハルの持っていた知識の欠片が繋がっていく。
そして、アステルが完全に人間とは別の存在になってしまうような、そんな恐ろしさを感じていた。
「それなら…」
いつの間にか、俯いて震えてしまっていたハルのことを、メルディとロゼが心配そうに覗き込んでいた。
ここで怖気づいているようでは、ハルにとってのこの旅のすべてが無駄になる。
シルヴィの姉ケーラとの別れを指をくわえていることしかできなかったあの頃のハルとは、違うのだと証明しなければならない。
ハルは震える身体を押さえつけるように、自分の右手を口へと近づけた。
「僕の血でいいなら、いくらでも差し出すよ!どうやればいい?教えて、メル」
そう言って、ハルは親指の端を自分の歯で噛み切ったのだ。
口の中に鉄の味が広がった。
指からは生ぬるい血が滴り、遅れて指先からは熱を持った痛むを感じる。
今のハルはもうあの頃とは違う。この指を噛みちぎることで出来ることがあるのだ。
この旅の中で何度も願った、アステルを救いたいという気持ちに偽りはないのだから。
「そのまま、この子の口の中に、血を入れてあげて」
メルディもハルの覚悟を認め、ゆっくりと教えてくれた。
ハルはそれに従い、アステルの顎を左手で軽く引かせ、開いた口へと滴り落ちる血液を垂らすように注いだのだった。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
<懐かしい味>がする。
アステルはこの味を知っている。
あれは確か、ハルたちと旅をはじめて間もない頃、狩りに出かけたシルヴィとリュイとは別行動することになり、ハルと二人で調理と釣りを任された時のことだ。
釣り針で指を切ってしまったハルがとても痛そうにしていたので、手当を買って出たアステルは思わず彼の指を舐めてしまった。
ハルは照れくさそうに笑っていたが、アステル自身では制御できない、理性とは全く別の行動に自分でも驚いたのをよく覚えている。
あの時の味、ハルの味だ。
この味はいけない。
身体が欲してしまう。
すべてを飲み尽くしてしまいたくなる。
だが、抗う自我とは裏腹に、アステルの細胞ひとつひとつが歓喜の声をあげているのがわかる。
(ダメなのに…。これ以上ハルを欲しがってはダメなのに…なんで……)
そんなさなか、残酷にもアステルの意識は覚醒していく。
最初に感じたのは口の中のしょっぱさとほんの少しの甘味。鼻に抜ける鉄の香りも、不思議と不快な感じはしない。
そして、ゆっくりと目をあけた先には、薄暗い光の中でもはっきり分かるほど近くにハルの顔があった。
必死にアステルの名前を呼んでくれているようだ。
遅れて覚醒する聴覚にもハルの声が溢れてくる。
そんな彼の行為を嬉しいと思う半面、あの夢のような感覚が現実のものであることを嫌でも思い知らされてしまう。
(やっぱり、わたしはこの人の血を飲んでしまった)
吐き出そうとも思った。しかし、身体は言うことを聞いてくれない。
自然と流れる涙だけがアステルの気持ちを代弁してくれる。
「アステル!ねぇ大丈夫?どこか痛いの?」
自分はどれぐらい眠っていたのだろうか。
これ以上、心配をかけるわけにはいかないので、体を起こすし、少しずつ声を出す。
「だい…じょうぶ…」
「アステルが生き返ったの!よかったなのー!」
ロゼが勢いよく抱きついてきた。彼女の体温が冷え切ったアステルを温めてくれた。
「ごめんね。皆、心配かけちゃって…」
「いいんだよ。アステルが元気になってくれればそれ以上のことはないよ」
そういうハルの目にも涙が浮かんでいる。
彼はその涙をおもむろに拭うと、指の血が頬に付いた。
「ハル…血が…」
欲しい。血が欲しい。ハルが欲しい。でも、これ以上はいけない。
これ以上は〈戻れなくなってしまう〉。
アステルは無意識にハルの頬に手を伸ばそうとしてしまい、思わずその手を引っ込める。
「ああ、えっと、これは何でもないよ。ちょっと擦りむいちゃってさ」
心優しいハルはアステルへの伝え方に気を悩ませてるのだろう。
もうアステルは知ってしまっているのに。
「そう…なんだ」
だから、アステルも知らぬふりをする事に決めた。
もう少しだけ、彼の温もりに触れていたいから。
もう少しだけでいい。ほんの少しの間だけ。
「応急処置は済んだね。これでしばらくの間、彼女は大丈夫だよ」
金髪の少女がハルに話しかけ、続いてアステルの顔を笑顔で覗き込んできた。
「やあアステル、ボクはメル。キミの『仲間』だよ」
「はい、よろしくお願いします」
メルと名乗る彼女が何を言おうとしているか、確かめるまでもない。
彼女は吸血鬼であり、自分と同じ存在と言うことを暗に伝えたいのだろう。
「ロゼもなの!アステルとは友達なの!」
ロゼの言っている意味とは少し違うのだろうが、今のアステルを落ち着かせるのには十分な言葉だった。
そうだ。今、アステルにはすべきことがあるのだ。
なぜならーーー、
アステルには先程から、ハルが酷い拷問を受けて絶命する一部始終が再生されているのだから。
ここに来た経緯は分からないが、牢屋に閉じ込められ、ハルの身に危険が迫っているの事だけは確かだ。
それなら、またチカラを使えばいい。
そう決意して、アステルはきつく目を閉じた。
再び目を開けると未来のビジョンが以前よりクリアに、そして広範囲に見えるようになっていた。
やり方はもう知っている。
意思を決めその未来を観察する行為を繰り返していく。あの大聖堂で爆弾を解除したときとは見え方が違うが同じ方法で結末を変えることが出来るようだ。
そして、10回ほどの試行でようやく皆が救われる未来を手に入れることが出来た。
それに至る道筋を必死にハルに伝えべく、ゆっくりと口を開いた。
「ハル、聞いて。今から3分後、小太りの看守がこの牢を訪れるの」
「アステル!何言ってるの?まさか、また未来を!?」
「うん、だからよく聞いて。その時、看守は寝たフリをしたわたしの身体に触れようとしてるけど、そのまま我慢すること。それから、ハルは看守の手がわたしに触れた瞬間、思いっきりその手を右手で跳ね上げて」
「ちょっと、アステル?キミは何を言ってるんだい?」
「ごめんなさい、メルさん。今は時間がないんです。わたしの言うとおりにして下さい」
「でも……それって……」
「メル、大丈夫だよ。アステルには未来が視えるんだ」
ハルの助け舟もあり、なんとかメル黙らせることができたが、依然として彼女の目は何か言いたげだった。
「それでね。その拍子に看守がこの牢の鍵を落とすの。たからそれをに拾って。看守はそのまま仲間を呼びに戻るから、心配はしないで」
「わかった」
「抜け出すのは暫くして、<地面が大きく揺れてから>。道案内はわたしがするから、着いてきて」
//ラストでハルが「ステラはハルの目から未来を見ていた」と気づくきっかけ。
「了解。メルとロゼもそれでいい?」
「ボクは構わないよ。そろそろ仲間が助けに来る頃だしね」
「ロゼもアステルを信じるの!」
「皆さん、ありがとうございます」
これでアステルの視界からハルの死が消えた。
しかし、以前と違って、その先のハルの未来がゆっくりと見え続けているのはなぜだろう。
こんな見え方は初めてだ。
自分の能力の変化に戸惑いながらも、アステルは自分に抱きついたままだったロゼを優しく引き剥がし、床に転がるとたぬき寝入りをはじめるのだった。
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「はぁ・・・はぁ・・・まったく、しんどい仕事ねぇ・・・」
クレスはあの医院の前で、メルディから仲間たちに伝えるように命を受けた。
短く不明瞭な命令ではあるが、熟練の諜報員であるクレスは、連行された場所を特定したのちに援軍を誘導する任務だと咄嗟に理解した。
その命令の通り、速やかに地面に同化して敵をやり過ごし、大通りまで出たクレアは、メルディたちが監禁された街はずれの建物を特定する事に成功する。
そして、今は仲間たちと合流するべく、山中の集合地点へと移動している最中だ。
「ボロ切れとは言え、布があってくれて助かったわ」
地面に潜った際に衣服を失ったが、路地裏に捨てられていた大きな茶色の布を見つけることができたので今はそれを羽織り裸体を隠している。
裸足の上にこれを纏っていると物乞いのように見えるため通行人の視線が冷たかったが、贅沢を言える状況ではないだろう。
クレスの<変容型>に分類される能力は万能のように思われてしまうことが多いが、そう便利なものではない。
同時に同化を行える対象はクレスが認識した1つの物体のみに限られる、つまり一つの物体を同化させたままでは別のものに同化出来ないという能力上の制約があるのだ。
そういう意味では、静的な同化ではなく、動的な透過と表現するのがもっとも相応しいのだろう。
それゆえ、身体全体の透過を行うたびに服を含めた所持品を全て失ってしまうことが、年ごろの女であるクレスを悩ませる欠点でもあった。
しかも、そのせいで仲間内では不名誉なあだ名まで付いてる始末だ。
「うーん、あいつら絶対にアタイのこと散々に言うだろうねぇ」
クレアが今から自分の身に降りかかる災難を予想して頭を悩ませてながら山中を駆けていると、青々と生い茂る樹木に囲まれた大きな滝が見えてきた。
ここからではまだ見えないが、その滝の裏側には岩が剥き出しの大きな空間が隠されている。
そこがクレアたちの集合地点であると同時に、今回の作戦の最重要拠点とされており、皇帝直属の親衛隊15名がその地点を防衛している手はずとなっていた。
滝の横から裏側へと入るための道を進んでいくと、クレアは赤髪と青髪の双子によって出迎えられた。
「あら、クレアさん。そんな格好でどうなさいましたの?あなたメル様の護衛にいかれたのではなかったかしら」
気の強そうな無駄に丁寧な言葉遣いをしてきたのは姉のアカネだ。
紅のローブに身にまとい、赤い髪を頭の後ろで二本にまとめていた。その美しい紅玉の瞳には目に見えてクレアへの軽蔑の光が浮かんでいる。
「流石…露出痴女…」
妹のアオイは怠そうに言葉少なくクレアを罵ってきた。こちらは姉とは対象的に深青で統一されており、髪型はお揃いだ。
姉妹揃って、この親衛隊の中核をなしており、優秀な術者であるが性格には少し難があることで有名である。
彼女たちの後ろからは、「おまえら、早く来い!痴女が脱いでるぞー!」「うひょー!下が見えそうだぜ!」などと、親衛隊の男どもが騒いでる声も聞こえてきた。
さすがに腹が立ったが今はそれどころではない。
「メルディ様が攫われたわ。アカネ、アオイ、一緒に来てちょうだい」
野次を無視したクレアの一声で、場の雰囲気は張り詰めた空気へと一変する。
「なんですって!護衛のあなたは何をしてたんですの!?」
「ほんと…無能…」
「くっ…アタイは諜報専門なんだよ。伝令を優先するようにとのメルディ様の命令なんだから、しょうがないじゃない。それにあのお方の能力ならお隠れになる心配はないでしょう」
「それはそうですけれど、戦闘力は皆無なのよ。力尽くで監禁されてしまえば我が国を揺るがす大問題ですわよ」
「早く…助ける…」
「ええ。すぐ案内するから、1分だけ着替える時間を頂戴」
クレアはそう言うと拠点に置いてあった自分の荷物から、灰色のローブと靴を取り出すと岩陰で手早く着替えた。
あとは案内するだけで自分の仕事は終わりだ。
この双子は、クレアとは比べ物にならないほど強力な<放出型>の能力を使う超一流の術者だと噂に聞いている。
旧人類や亜人種ごときが何人集まろうとも、相手にならないだろう。
その分、この防衛地点の戦力が大幅に落ちることに一抹の不安を覚えながらも、クレアは姉妹を連れてメルディの元へと急ぐことにした。
そうして、滝を出発して15分ほどでクレスたちは目的地の目の前まできていた。
街の中心地から外れているこの場所には、白いレンガで出来た屋根のない建物がいくつも立ち並んでいる。
「まだですの?クレア」
「疲れた…」
「はぁ・・・はぁ・・・もう、見えているさ。あとね、アオイ。一時間も走りっぱなしのアタイのほうが疲れてるんだよ」
クレアは手をかざしてで双子たちの進行を止めると、家影に隠れるように顎で促した。
「あそこですのね」
「ああ、恐らく<境界軍>の施設だろうねぇ」
「<境界軍>…ヒト殺しの…?」
「そうさ、アタイたちに対抗する為に作り上げた亜人種を従えた旧人類の組織」
「わざわざ国を抜け出すのは、わたくしたち<保守派>に反旗を翻す<殲滅派>ぐらいでしょうけれど、同族が殺されて良い気はしませんわね」
「複雑な気分…」
「メルディ様が連れ去れたのはあの中心の大きな建物よ」
「わかりましたわ」
そう言うや否や、アカネは飛び出して行ってしまった。
「わかったってあんた。どうするつもりなのよ?」
「愚問ですわね。こうするんです・・・っのよ!」
アカネは目標の建物に向かって身を乗り出すと、一歩左足を引き、右手の人差し指を向けた。
「まさか、あんた・・・ちょっと待ちなさい・・・!」
クレアの制止も虚しく、アカネの指先は赤く煌めく光が収束していく。
そして、紅蓮の炎が飛び出したのだ。
20mも先の目的の建物は、意思をもつようにうねりをあげる炎に包まれてしまった。
その道中にあった、建物は例外なく黒焦げている。
「これが・・・<炎将>の力・・・」
あたりには恐ろしいほどの熱気が充満しており、クレアは顔に手をかざして茫然と呟くしかなった。
噂には聞いていたが、クレアも直接目にするのははじめてだった。
そして、やはり噂に違わず、後先を考えない破天荒な性格のようだ。
「ちょっと!アカネ!メルディ様がいるのよ!?」
「まだあの建物の中まではそれほど火は通っていませんわ。それに、メル様の玉の肌にはあたくしの炎でもやけど一つ付きませんし」
そう言ってなおも炎を放出し続けている。
これでは、特異体質のメルディはともかく、ロゼたちが蒸し焼きになってしまうのも時間の問題だろう。さすがにそれはまずい。
「アカネ…バカ…」
今度は妹のアオイが姉に向かって悪態をつき、指を炎に向かってかざした。
次の瞬間、彼女の指先から勢い良く、氷雨のような流水が飛び出した。紅を映し出した蒼の軌跡がまっすぐに、アカネの炎に向かって進んでいく。
その感動さえも覚える幻想的な光景を目にして、クレアは辺りの温度が急激に下がっていくのを感じていた。
そして、次の瞬間ーーー。
耳をつんざくような、大音量の爆音が鳴り響いた。
姉妹の能力で圧縮された火と水は相殺しあい、鎮火と共に大量の水蒸気を生み出したのだ。
急激に膨張した水の体積は大気を揺らし、白煙をあたりにまき散らす。
その衝撃波によって、アカネの炎で騒ぎを聞きつけて周りの建物から出てきた亜人種たちは、軒並みなぎ倒されてしまっている。
もちろん、クレアたちも例外ではなく、後方へと吹き飛んでしまった。
「きゃー!ちょっと、アオイ!なにするんですの!」
「…知らない」
そんな中、クレアは地面に転がりながらも、この姉妹にまつわるもう一つの噂を思い出していた。
フィニス帝国の双璧をなす丹碧の巫女たちは、とてつもなく『反りが合わない』という、あの噂を。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
ティールと別れた後、リュイとシルヴィとブランの3人は目的の酒場へで情報収集をしていた。
朝から酒場に入り浸っているような輩の舌は酒を垂らしてやると良く回ってくれるが、有益な話はなかなか出てこない。
その場にいた酔っ払い全員に聞き終えたところで、リュイたちはいったん宿に戻ろうという話になった。
アステルの容態も心配だし、ティールも戻ってきているかもしれないからだ。
リュイたちが酒場の外に出ると、湿った空気を孕んだ茹だるような熱風がリュイたちの間を吹き抜けていった。
「はぁ・・・あっちぃな・・・」
「そうねぇ・・・。それに大した情報も集まらなかったわね・・・」
「ああ、フィニス帝国はあの山を越えた向こうだそうだが、天まで届く鉄の塀に囲まれて入れないときたもんだ」
そう言うシルヴィとブランも、この暑さはこたえたらしく、上着を脱ごうとしている。
「だよなぁ・・・お手上げだぜぇ。あっちぃい・・・」
リュイは額から際限なく染み出す汗を拭いながら、言葉通りもろ手を投げ出した。
しかし、これはさすがに暑すぎだろう。なにやら焦げた臭い漂ってきている気すらする。
次の瞬間、首を傾げていたリュイの耳に、
ドォーン!
と何かが爆発するような音が轟いた。
「なに!なに!?敵襲!?どうしたの!?」
たまらず耳をふさいでいるシルヴィはわけもわからず、パニックをおこしている。
「わっかんねぇ!」
「ただ事じゃないのは確かだな。この裏手から聞こえた気がしたが・・・」
ブランは全く動じずに、辺りを見回していた。
「面白そうだから行ってみようぜぇ!」
お祭りごとの匂いがする、そう感じたリュイはいてもたってもいられず酒場の裏手へと駆け出した。
現場はすぐ近くだったようだ。
1分も走らぬうちに、黒焦げにされた家屋が一面に広がっている。
なるほど、先ほどの熱風の原因はこれか。
もう火の手はあがっていないようだが、爆発の規模を物語るように周りの建物は崩壊しかけていた。
そこでリュイたちは意外な人物を見つけることになる。
「おいおいおい、なんか見知った顔がいるぜぇ!」
あの大聖堂で戦った吸血鬼の女、確かクレアと名乗っていたような気がする。
事情は分からないが、彼女は地べたに座りながら、爆発の中心地から蠢くように進んでくる亜人種たちの群れを見つめていた。
「げっ・・・あの吸血鬼じゃないの・・・」
「あんときは取り逃がしちまったけど、ちょうどいい機会だ。とどめを刺しておくか」
まだ少し距離があったがあちらも、リュイたちに気づいたようだ。
「あちゃ~、よりにもよって化け物のおじ様じゃないのさ!」
クレアが頭を抱えている横で、青尽くめの少女がなにやら水流のようなものを放ち、物凄い勢いで迫りくる亜人種たちを押し流した。
彼女はもう一人、良く似た赤尽くめの少女と何か言い争っている。
「ありゃ、相当強いぞ。二人とも気を付けろ」
あまりに現実離れした光景に呆気に取られていたリュイとシルヴィをよそに、ブランはすでに愛用の幅広剣を抜き放ち、戦闘態勢を整えていた。
二人の少女もブランの殺気でこちらに気づき、一触即発の空気になってしまった。
どちらともなく、動こうとしたその時ーーー。
「待って!待って!待ってぇ!師匠、今は戦わないでええ!」
爆発の中心地らしき大きな建物から駆け出してくる、ひとりの少年がその空気を濁したのだった。
「ハ・・・ル・・・?」
真っ先にシルヴィが驚きの声をあげる。
「ハル!こんなところで何やってんだぜぇ?」
リュイの弟分はアステルの手を引いており、後ろにはロゼと見知らぬ金髪の子供もついて来ていた。
そして、その後ろには何十人もの亜人種が彼らを追ってきている。
「話はあと!あと!今はここを逃げなきゃ!って、うわああ・・・!」
ハルの後ろから、飛翔した鳥羽族の青年が彼らを目掛けてその鋭い爪を光らせている。
リュイは反射的に矢を番えると、その青年へと放った。さすがに訳も分からないまま相手を殺すわけにはいかないので、彼の真っ白な羽を狙うことにした。
しかし、そんなリュイの配慮は全くの無駄に終わることになる。
リュイの矢がその青年の羽を射抜くと同時に、赤い少女の指先から放たれた一条の炎が彼を火だるまにしてしまったのだ。
「どうなってんだ・・・これ・・・」
もはや、敵も味方もわからない混乱した戦場で、リュイが戸惑いの声が虚しく響いた。
「アカネ!ボクたちの後ろに火の壁を張るんだ!」
「わかりましたわ!メル様!」
金髪の子供の声を受けて、アカネと呼ばれた赤髪の少女の指から放たれた炎はハルたちを通り過ぎると枝分かれし、あっと言う間に炎の網ができあがった。
網の目は次第に炎で塞がれていき、数秒足らずで幅50m高さ10mほどの紅の壁が完成する。
さすがの亜人種たちもこの火を抜けて、追撃するのを躊躇っているようだ。指揮官らしき男が突撃を命じる怒号だけが響いていた。
「全員、森まで逃げるよ!速く!」
「逃げるが勝ちなのー!」
「みんな!お願い、今は黙ってついてきて!」
ハルは金髪の子供の後ろに付くと、リュイたちにも同行するよう求めてきた。
「わっかんねえけど、わかったぜぇ!付いてきゃいいんだろ?」
「まったく、あんたは・・・。あとでちゃんと説明してよね」
「とんでもねえことに巻き込まれてんなぁ小僧」
こうして、全力疾走で街中を駆け抜けるリュイたちの人騒がせな逃走劇がはじまった。
そこからは無茶苦茶だった。悲鳴をあげる通行人をかき分け、無我夢中で進む。
途中でへばったアステルをハルが背負ったり、それを見たシルヴィが騒ぎ立てたり、突然ロゼが歌いだしたり、
それを見たブランが大笑いしたりと、随分賑やかな逃走だったように思える。
事あるごとに一般人を炎で一掃しようとするアカネをメルがたしなめている場面も何度かあった。
そうして、空から迫りくる鳥羽族や蝙蝠族の追っ手もかかわし、リュイたちはどうにか森の中へと逃げ込むことができたのだった。
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ハルたちは、亜人種たちの追っ手も振り切り、メルディに先導されるまま森の中を歩いていた。
メルディのあとにハルたち、双子と続き、しんがりはクレアが勤めている。
少し事態が落ち着いたので、ハルは歩きながらブランたちへこれまでの経緯を説明することにした。
「ほぉ、つーことは俺たちはお尋ね者になってるってことか。まぁ予想はしてたがな。ガハハハ!」
「それで彼女たちは穏健派?の吸血鬼だからあたしたちの敵じゃないってわけね」
豪快に笑うブランの横でシルヴィは困惑の顔をしてメルディたちを見回していた。
「つーか、ロゼ…おまえ吸血鬼だったのか…」
これにはさすがのリュイもショックを隠せないようだ。
無理もない、ハルの目からみてもリュイはロゼに想いを寄せていた。そして、ロゼもリュイを同じように想っていたに違いない。
「そうなの。黙っててごめんなの…リュイ、みんな」
「いや、まぁ驚いちまったが、吸血鬼だろうがなんだろうがロゼはロゼだよな」
「うん!」
「それなら、別に今までと変わらないぜぇ」
その表情にいつもの彼の溌剌さはなく、言葉でそう言っても、種族の差というものは重くのしかかっているのがわかる。
ハルは身を持って理解しているだけに、兄貴分の気持ちを考えるといたたまれなかった。
「そうよ。この際、吸血鬼が一人増えようが二人増えようがあたしたちは動じないわ」
シルヴィはシルヴィなりに、自分の中で吸血鬼という存在に踏ん切りをつけたのだろう。彼女の強さのおかげでハルは少し安心することができた。
「ちげぇねぇ。俺たちはおめえさんを見てきたんだ。それに何か付け足そうがおめえさんであることには変わりねぇよ」
やはり、ブランの強さはその卓越した腕っぷしだけではない。
何事にも動じず、全てを受け入れることの出来るこの人は、人間的にもハルと比べ物にならないほど強いのだ。
尊敬に値する人生の師を前にして、ハルも彼の元で研鑽し、いつの日かこうなりたいものだと強く願った。
「ありがとなの!みんな!」
ロゼは上機嫌でメルディの横に並ぶと歌を唄いはじめてしまった。
その顔は普通の人間の少女のようにしか見えなくて、ハルたち旧人類とロゼたち新人類の差なんて本当はないのではないかと思ってしまうほどだ。
「それで、こちらの方が・・・その・・・吸血鬼の皇帝ってことなのね・・・?」
さすがに、信じがたいのだろう。シルヴィが遠慮がちにメルディのほうを見ている。
「吸血鬼ってあまり言ってほしくないなぁ、新人類と呼んでおくれよ。あ、あとボクのことはメルちゃんでいいよ」
メルディは少し振り返って、シルヴィに笑顔を返した。
「旧人類の猿ごときが高貴な御身たるメル様をちゃん付けだなんて・・・許されませんわ!」
「身の程を知れ…」
「は、はぁ・・・わかったわよ」
良くわからないところで双子にすごまれ、シルヴィは首をすくめる。
「ねぇ、さっきから気になってたんだけど、ティールは・・・?」
変な空気になってしまったので場を和ますためにも、ハルは合流した時から気になっていたことを聞くことにした。
「いい質問だな小僧。女の尻を追っかけてどっかいっちまったってぇ言ったら驚くか?」
「ええーっ?!」
「そうなるわね。こんな大変な時にあの男は・・・」
「ま、まぁティールのことは置いておこうぜぇ」
予想の斜め上をいく、思わぬ脱線になってしまったところをリュイが話を戻してくれた。
「だいたい、なんで吸血鬼たちは人類を滅ぼそうとしているんだぜぇ。オレたち何か気に障ることしたかぁ?」
さすが兄貴分、ハルが一番聞きたかったことを直球で聞いてくれた。
「それについては、順を追って話そう。どうやら、もうキミたちも無関係ではないようだしね。ただ、吸血鬼はやめてね?お願いだ」
「あの…メルさん…少し…だけ…休みましょう…」
ハルの背中で朦朧としていたアステルが休憩を願い出た。
よほど疲れているのだろう。言葉自体は弱々しいが、彼女にしては珍しいほど強めの口調だったようにハルは感じた。
「まぁ、あと少しで着くんだけど。じゃぁ、あの茂みで休憩を取りながら話すとしよう」
メルディは、足を止めると川の近くの茂みへとハルたちを誘導してくれる。
少しはゆっくり休めそうなので、アステルを背負って体力を消耗していたハルにはありがたかった。
「そうだね。さて、どこから、どう話せばいいか・・・」
全てを話す気はないのだろう。メルディは慎重に言葉を選んでいるように見えた。
「さっき、ハルが話してくれたように、新人類は旧人類の血液、もしくは特別な薬を飲まなくては死んでしまう。ここまではいいね?」
ハルたちは頷く。先ほどのアステルの話はすでにハルから皆に話しているのだ。
「帝国の法で新人類は緊急の事態を除いて、血液の直接的な摂取を禁止しているんだ。血液で感染する病気もあるからね。そのため、必然的に薬にその生命を委ねることになる」
「血を吸うなんて…頭のおかしい奴だけ…」
アオイの言い分からして、彼女たち新人類はハルたちが考えている吸血鬼という言葉のイメージと少しズレがあるように感じた。だからこそ、彼女たちは「吸血鬼」と呼ばれることを過剰に嫌うのだろう。
「ボクたち新人類は偉大なる祖先が残したロストテクノロジーである製造機を駆使して、命の源であるその薬、<CYB5Rナノドラッグ>通称ビーファイブを作っているんだ」
「お、おう・・・」
理解できない言葉が羅列され、速くもリュイが投げ出しそうになっているが、メルディは構わず続けた。
「さて、ここからが本題だ。その製造機はもう3000年以上稼働しているから、いつ壊れてもおかしくない状況にある。というか、すでにここ数年で生産量は激減している」
「なるほど、わかったぜぇ。その機械が壊れたら、ヒトの血をすする吸血鬼に・・・って、なんで人類殺しちまうんだぁ?薬がないなら人の血を吸わないと死ぬんだろ?」
「もっともな質問だね。そこで出てくるのが<蒼壁>さ」
そういってメルディは青空へと人差し指を立てて、目を細めた。夏色の空には、いつもの通り、波模様が綺麗に並んでいる。
「その<蒼壁>ってぇのはなんだ?」
ブランが初めて聞く言葉に反応した。
ハルはまだブランたちに蒼壁について話せていなかった。正直、その蒼壁がハルたち旧人類にもたらす恩恵についても、どう切り出していいのかわからなかったのだ。
「<蒼壁>というのはこの地球と呼ばれる惑星を覆っているものだよ。キミたちが今、目にしている『空』と言い換えてもいい。そして、その<蒼壁>を破壊する装置こそが<人類を滅ぼす方法>の正体さ」
「なるほどねぇ」
ブランはそういうと、疑念混じりの眼を空へと向けた。
「さて、詳しく説明すると時間がかかってしまうから、簡単に言うよ。新人類は<蒼壁>によって、キミたちが吸血鬼と蔑む生態を強いられているんだ。つまり、新人類が血や薬を必要とするのは<蒼壁>のせいなのさ」
「・・・それなら!そんなもの破壊してしまえばいいじゃない!」
突然、シルヴィが声を荒げる。メルディは激高した彼女を真っすぐに見つめてくる。
姉のケーラやアステルの事を考えてしまったのだろう。<蒼壁>が無ければ、ケーラたちが苦しむ必要はなかったのだから。
(違うよシルヴィ、それじゃダメだなんだ・・・)
その理由をハルはもう知っているのだ。
「うん、そうなんだけどね。あれはキミたちの祖先が作り上げた『魔法』なのさ」
「なんでそんな酷い魔法を・・・、そんなの絶対おかしいわよ・・・」
「それが例え、キミたち旧人類を守るためだとしても?」
「な・・・」
シルヴィは絶句してしまう。
そう、アステルたちを苦しめている<蒼壁>が、ハルたちを守っているのだ。
「あの<蒼壁>の向こうには、宇宙というものが果てしなく広がっているんだ。そして、そこから飛来する光は、今のキミたちにとって猛毒なんだよ」
メルディは皮肉を言うように口の端を少しだけ歪めて、はっきりと言葉を紡いだ。
「つまりね。<蒼壁>は天から降り注ぐ毒矢から旧人類を守る盾であると同時に、新人類を哀れな吸血鬼に貶める檻でもあるのさ」
ハルがいつも目にしている青空によって、ハルの命とアステルの命は天秤にかけられているということになる。
なんと皮肉なことだろうか。これほど青空が憎らしく思ったことはない。
「だいたいは分かったかな?少し補足すると、その<蒼壁>を破壊して生存権を勝ち取ろうとしているのが<殲滅派>」
「そして、醜い吸血鬼になりさがろうとも旧人類と共存を望んだのがわたくしたち<穏健派>ですわ」
アカネがメルディの言葉を補足する。
「もっとも、本当に吸血鬼になるわけじゃないけどね。キミたち旧人類の協力は必要なのは確かなんだけどさ。その協力のために、ボクたちは2000年以上時間をかけて歩み寄ってきたのさ」
ハルには2000年という重みが想像もできないため、メルディの言葉の意味を正確に理解できたかはわからない。
ただ、帝国が一枚岩ではないということはなんとなくわかったような気がした。
「それで、殲滅派とやらが狙ってる<人類を滅ぼす>装置ってのはどこにあるんだぇ?」
ハルがいろいろと考えていると、リュイが話を進めてくれた。
「それについても、少し長くなるけどいいかな?」
メルディはハルたちの顔を見回し、問題ないと解釈したようで、そのまま言葉を続ける。
「ことの発端は3日前。ボクらが厳重に保管していた<メルティスの地図>が何者かに奪われてしまったことからはじまったのさ」
「その<メルティスの地図>ってのは何なんだぜぇ?」
「キミたちが知っての通り、<メルティスの手記>には旧文明が残したオーバーテクノロジーの使い方が記されている。そして、それらの在処は<メルティスの地図>に載っているんだ」
「つまり、その二つがそろうと<蒼壁>を破壊する装置の在処と使い方がわかるということ?・・・それ、ヤバいじゃん」
ハルが思ったより事態は悪い方へ進んでいるらしい。
「そういうこと。結局、下手人は見つからなかった。だからボクは<教会の創成期>から<メルティスの手記>を管理している教会本部へ侵入することにしたんだけど…」
「穏健派のじじいどもに阻まれたんですの」
言いにくそうにしていたメルディをアカネが補足する。
「今考えると彼らにも殲滅派の息がかかっていたのかもしれないね」
メルディは深くため息をつく。
「ボロボロになって帰ってきたクレスからキミたちのことも含め、報告を受けたのが昨晩。<メルティスの手記>も奪われた可能性が高いと踏んで、ボクの持ちうる権限をすべて行使して親衛隊を連れて、このシールにきたというわけさ」
「なんでシールに、なのかしら?」
シルヴィの疑問も当然だ。もし、今の話が本当ならシールよりもヴァチガノを捜索するのが筋だろう。
「ボクたちが今向かっているところに、<蒼壁>の破壊する<レーザー照射式アズルリウム連鎖崩壊装置>が隠されているからだよ。ここは昔、帝国領だったからね」
ハルたちは絶句してしまう。
事態は思ったり悪いどころか、ハルのすぐ近くで着実に進行しているようなのだ。
その時、歌をやめ大人しくしていたロゼが突然立ち上がり、川を指さした。
「ねーねー。誰か川で遊んでるなの?」
その言葉で全員が凍りつく。
なぜなら彼女が指差す先には、上流から流れてきたと思われる黒のローブを身に着けた男が仰向けに浮いていたのだ。
「あれは…スティーブンじゃないですの?!」
「嘘…なんで…」
双子が驚きの声をあげている。
メルディは遠目でその男の死を悟っていたのだろう。至って冷静に、だが濡れるのも構わず川へと入るとゆっくりと男を抱き起こした。
「彼は…ボクの親衛隊の一人さ」
「まだかすかに体温があります。外傷はなく、恐らく死因は感電によるショック死。これは……」
一緒に川に入ってきたクレアの分析を聞いて、メルディはハルたちの方を振り返る。
「これはまずいね。雷将レイルがあの場所にたどり着いてしまったみたいだ」
それからのメルディの決断は早かった。
「これはフィニス帝国皇帝としてのお願いだ。キミたちの力を貸してほしい。もちろん望む限りの見返りは用意する」
迷いのない目で、ハルたちの助力を求めてきたのだ。
もしかしたら、こうなることを見越してずっと前から決めていたのかもしれない。
「メル様、なにも仰っているんですの?!」
「こいつら…足手まとい…」
「アオイ、それは違うよ。彼らは教会領でクレスを返り討ちにしているんだ」
「クレスが弱いだけじゃないんですの?」
「あら、アタイは確かに強かないけど、そのおじ様の強さは本物よ」
「さらに言えば、彼らは雷将と剣を交えているらしい。それか何を意味するか、分からないキミたちではないだろう?」
「嘘…信じられない…」
「相手は帝国最強と謳われた雷将ですわよ!?旧人類ごときが戦って生きてること自体、奇跡。それも大した傷すらないだなんて…ありえませんわ」
「俺がやつと戦うのこれで三度目だな。そろそろ決着付けたいもんだぜ。まっ、二回目を戦ったのはそこの小僧だがよ」
「「な…」」
ブランの言葉に双子たちはハルを見つめて絶句する。メルディも目を大きく見開いている。
「えっ、いや僕は…」
無様に逃げ回っていただけなのだが。
ハルがどう訂正したものか悩んでいるとメルディが声を出して笑いだした。
「ははは!くふふふ…いや、すまない。だけど、これは驚いた。ふふふ…これだから人類は面白い。改めてお願いしよう、今のボクにはキミたちの力が必要だ」
ハルたちは顔を見合せ、頷きあった。
「あたしたち旧人類?が滅びるんでしょう。指を咥えてみてるわけにもいかないわ」
シルヴィの言うとおり、人類の滅亡と言われては、さすがに他人事では済ませられない。
レイルにあの本を奪われてしまった責任の一端はハルたちにもあるのだから。
「それに目的地の帝国は目前だ。このままおめおめと戻るつもりはねぇんだろ、小僧」
「はい師匠。ここまできたら、なにがなんでも帝国にたどり着く。そして、アステルを助けてもらうんです」
実際、あのレイルという男相手に、ハルが出来ることなどたかが知れているだろう。
たが、あの時の経験は無駄にはならない。
先程も圧倒的な力を見せつけてくれた双子たちと師匠、それにシルヴィやリュイの力が合わされば、あの男を倒すことだって不可能ではないはずだ。
そんなハルの考えを裏打ちするかのように、リュイも賛同してくれた。
「ああ、オレだって戦うぜぇ」
「ロゼもなの!」
「おいおい、ロゼは無理だろ。大人しくしとけ、な?」
ロゼもファイティングポーズを取ってやる気を見せつけてくれたが、リュイに首根っこを掴まれてシュンと萎れてしまった。
「ありがとう。この戦いが終わったらボクが責任をもってキミたちを帝国まで案内しよう。もちろん、アステルのことも必ず助けると誓おう」
そして、少しだけ考える素振りを見せて、メルディは更に言葉を続けた。
「クレア、キミは手負いだ。ここでロゼとアステルの護衛に残ってくれないかい?」
「わかりました」
「彼女の存在は今後の帝国を左右するだろう。もしもの時は命に換えても守ってほしい。絶対に奴らに渡してはならないよ」
「御心のままに」
ハルにはこのやり取りの意味が分からなかった。能力を持たないらしいロゼがそれほどの人材なのだろうか。
「それじゃ他のものはボクに続いてくれ」
メルディの言葉で皆が立ち上がる。
ハルも彼女に付いていこうとしたその時、服の裾が何かに引っかかった。
「ハ…ル……」
休憩中、木の根の上に寝かされていたアステルがハルの外套を掴み、引き止めたのだ。
こんな山中で置いていかれるのは心細いのだろうか。
ハルだって本音で言えば、アステルを置いて行きたくない。
たが、戦場に連れて行くよりはよほどマシな選択だろうと割り切っていた。
「大丈夫だよ。アステル、クレアやロゼも一緒だ。僕たちはすぐ帰ってくるから」
だから、無理にでも笑顔を作った。
アステルが声にならない言葉伝えようとしてきたのだが、ハルの耳にそれが届くことはなかった。
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//これいらなくない?
少し先になって、ハルはこの瞬間を悔やむ事になる。
アステルが伝えようとしてきた言葉こそが彼の人生の分岐点だったのだ。
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深き森の滝の中に隠された、静謐で広大な空間。
鍾乳洞のように黒光りした岩肌が、滝のカーテンから染み出す陽光を受けてぼんやりと浮かび上がる。
目の前に広がる、この神秘的な秘境こそがハルたちの目的地だった。
きっと、観光で訪れたのであれば、その景色に感動するのだろう。
ただし、<この場に散乱している30人あまりの死体がなければの話だが>。
傷もなく眠るように横たわるものもいれば、真っ二つに切り裂かれた凄惨な死体もある。
他にも、敵同士がお互いを貫きあったような奇妙なオブジェと化している死や地面に半身を吸い込まれた異形の死を遂げている者も居た。
「ひえぇ・・・」
目の前に広がる地獄のような景色を見て、我ながらみっともない声が出てしまった。
「うえっ・・・なんなのよ、これ・・・」
シルヴィも悲鳴に似た声をあげている。
これが能力者同士の戦いというのもなのだろうか。
「うちの隊は、おそらく全滅ですわね。数人見当たりませんがスティーブンと同じように滝に落ちたのでしょう」
アカネが落ち着いた声でそう告げる。
「死体の半数は…殲滅派…」
アオイにしてもそうだ。年端もいかぬ彼女たちは、その外見に見合わず相当な場数を踏んでいるのだろう。
「これだけの手数を揃えていたとは・・・。これは、殲滅派にボクたちの行動が筒抜けだったとみていいね」
「しかし、この様子だと、敵もそう多く残ってはいなんだろう?」
ブランは死体の状態を確認しながら、彼らの目を一人一人閉じさせていた。
「そうだね。ここで待ち伏せするのも一手だとは思うけど・・・確実に仕留めるなら中に入るのが一番だろうね」
「中って・・・?」
ハルはメルディの言葉に首を傾げた。
先ほどからこの洞窟の中を見回してるが、どうにも先があるようには見えないのだ。
メルディはその問いに答えることなく、洞窟の行き止まりへと進んでいった。
すると、どうしたことだろう、壁に突き当たったかと思うとメルディの姿が消えてしまったではないか。
「えっ・・・」
「こういうことさ」
メルディが顔だけが岩から突き出し、言葉をしゃべっている。
「えええ・・・!?」
「ここは行き止まりに見えるだけで、道は地下へと続いているの。敵は入り口付近には居ないみたいだね。入っていいよ」
メルディが身体全体を、こちらへと出してきた。
「へぇ、面白い作りしてるぜぇ。どうなってんだ、これ」
さっそく面白がって中へ入っていたリュイがハルに代わって質問してくれた。
「Siナノスペーサーを用いた複合プラズモン導波路の非電位型シートって言ってね。今は失われし我々の祖先の技術さ」
「はぁ・・・」
なるほど、わからん。
「簡単に言えば、周りの景色と完全に同化する壁とでもいえばいいのかな。ホントは扉もあったはずなんだけどね。溶かされちゃったみたい」
そういってメルディが指さした地面には溶解した黒い金属のようなものが張り付いていた。
「ほぉ、なるほどなぁ」
「すごいわねぇ。これがロストテクノロジーってやつなのかしら」
ブランとシルヴィもそう言って中に入っていってしまったので、ハルも慌てて追いかける。
中に入ってみると、大人2人ぐらいは並んで歩けるぐらいの広さがあり、真っ黒な壁に囲まれた緩やかな下り坂になっていた。
その壁は光をまったく受けておらず、ハルたちの姿だけが闇から切り離されて浮かび上がっているような不思議な光景だ。
「なにせ、遥か昔の施設だ。老朽化が激しくてね。あの入り口だって、スペアも切れてしまったので別の仕掛けを考えなくてはいけないね」
メルディの言う通り、ところどころガタが来ているようで、歩くたびにギィと足元がきしむ音が聞こえた。
そのまま少し歩くと、鈍色の広い空間へと出た。太陽の光が届いているだけでもないのに、その鈍色の天井からは光が差し込んでいる。
広場にはガラス製の箱や鉄製のパイプがいくつも繋がったような机が並んでいたが、ハルにはその使い方が検討もつかなかった。
だが、ハルはその空間に既視感を覚えた。広さや置いてあるものは違えど、ここは故郷のアルヒ村にあった、あの祠と少し雰囲気が似ているのだ。
もしかしたら、同じ時代に作られた構造物なのかもしれない。
「さて、目的はだたひとつ。すでにレーザー装置を奪取していると思われる雷将たちを倒してほしい。ただし、レーザー装置はスペアを含め、2つ在るからそれだけは注意してほしい」
そう言って、メルディは鈍色の広場の数あるうち扉の中のひとつを指さし、言葉を続けた。
「ここから先の道はアカネたちに地図を持たせているから、彼女たちを頼ってくれ」
「ちょっと、あんたは来ないわけ?」
シルヴィがメルディに疑いの眼を向けている。彼女がハルたちに厄介ごとを押し付けて、自分だけ逃げる気だと思ったのだろう。
「すまない。ボクは別にいかなければいかないところがあるんだ。こっちの道には、さっき話した通り、<蒼壁>を壊す以外の新人類の生存手段が眠っているのさ」
そういって、メルディはハルたちに示した扉とは別の扉を指し示した。
「彼らがそっちを狙って破壊していった場合は速やかに修復機能を操作、つまり、直す必要があるんだよ。限りなく可能性は低いから、あくまで保険さ。だからこちらはボク単身で向かう」
「メル様、それならわたくしもお供しますわ」
「いや、アカネ。キミは大事な戦力だ。それに、ボクの能力のことは知っているだろう?」
「メルの能力?」
ハルは思わず、横から首を突っ込んで聞いてしまった。
「あー、クレアと同じようなものと思ってくれればいいよ。簡単に言えば、傷の治りがとーっても速いの。まぁボク自身、戦力外の弱さだけどね。この能力がボクの皇帝たる由縁さ」
メルディは自嘲気味に笑って、そのまま扉の方へと歩いて行った。
「それじゃ、アカネとアオイのこと、よろしく頼むよ」
彼女の背を見送ってから、アカネも別方向へと歩き出した。
「わたくしたちも行きますよ」
「そろそろ、あちらさんに出くわしてもおかしくねぇだろ。静かにいくぞ」
「はい、師匠」
「おい、ハル・・・。いや何でもねぇ気にすんな」
ブランが珍しく、ハルの名前を呼んで何かを伝えようとしていたが、途中でやめてしまった。
「えーっ!なんですか?気になるじゃないですかー!」
「静かにっつってんだろ!」
ハルはブランに頭を小突かれた。これは納得がいかない。
「おーい、ブランもうるせぇぞぉ」
「あんたたち・・・。ほら、いったいった」
そんないつも通りのやり取りをリュイとシルヴィは笑いながら、ブランとハルを先へと促した。
一体、師匠は何を言いかけたのだろう。
ブランのことだ、いつもの指導の通り、無茶をするなとか、相手をよく観察しろとかそういう話だとは思うが、釈然としない。
たが、この先はあのレイルが待ち構えている戦場なのだ。
考え事をしながら進むのは危険すぎると思い直し、ハルは気を引き締めてアカネのあとを付いていくことにした。
入り口と同じぐらいの狭さの通路をアカネは敵襲に備え、慎重に進んでいく。
アカネが先頭で、アオイになにやら手振りで合図を送り、アオイがハルたちを先導する形だ。
もちろん、足音は出来るだけ消していく。狩人を生業としていたハルにとって、それは難しい作業ではなかった。
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「止まって…ゆっくり動いて…」
2部屋の大広間を通り過ぎ、3つ目に差し掛かろうとしたその時、アオイがハルたちを小声で止めた。
そしてゆっくりと、先行していたアカネの位置まで移動するように指示をしてきた。
アカネが標的を見つけたのだ。
ハルたちから20mほど前方の広場の中央には、レイルの他に1人の男が立っていた。
レイルは先日、対した時と同じ装いで、黒い鎧を纏っており、その片手には黒い立方体が握られている。
恐らく、あれがレーザー装置というものなのだろう。
レイルの横に禿げ頭の男が立っており、彼はブランに匹敵するほどの巨体を動きやすそうな黒の外套で隠していた。
見たところ、武器はなにも持っていないので、アカネたちのように能力に頼って戦うタイプなのかもしれない。
「ツイてますわね。もう一人の男は見覚えがありますわ」
アカネが隣にいるハルにも聞こえるか聞こえないか、ぐらいの声量で呟いた。
「触れたものを溶解する能力…人体に効かないからあまり強くない…」
アオイが振り返って、ハルたちに敵の能力を教えてくれた。
「明らかに開錠のための要員ですわね、戦力外ですわ」
なぜ彼らは、こんな襲撃を受けやすい大きな空間で立ち止まっているのだろうか。ハルは少し気になった。
しかし、敵はまだこちらには気づいてないようだ。
奇襲をかけるなら、このチャンスを逃す手はない。
「カウント3で、わたくしは二人まとめて攻撃しますわ。アオイは防御を担当して」
「しゃくだけど…従う…」
「俺たちはどうすればいいんで?」
自分の名前があがらなかったので、ブランが愛剣に手をやりながら、アカネに聞いた。
「攻撃する際、わたくしたちは広間に出ますので、あなたたちは通路の陰に隠れて、レイルが前に出てきたところを援護してくださいませ」
奇襲には参加させてもらえないところをみると、ハルたちを戦力として認める気はないのだろう。
ここで揉めても何もならないので、ハルたちは指示に従うことにした。
「3・・・」
アカネの声に合わせて、ハルは全身に力を入れべく、自然体に足を開く。自分の仕事はせいぜい攪乱だ。逃げて逃げて逃げまくってやろう。
「2・・・」
しかし、ハルの気合はから回ってしまう。
ギィッ!
「あっ…」
ハルが足に力を入れた拍子に、運悪くも老朽化した床を踏んでしまったため、思ったより大きな音が出てしまったのだ。
「ッ・・・行きますわよ!」
アカネは大広間へとその身を投げ込みながら、指先へ緋色の光を宿していく。
彼女の右足が床につくと同時に、レイルと巨体の男を包み込むのには十分な火炎が一直線に放たれた。
「消し炭になりなさい!雷将レイル!」
しかし、その炎がレイルに届くことはなかった。
ハルの立てた物音で咄嗟に警戒態勢を取ったのだろう。
以前見せた超高速の移動術を使い、火の手が届かない小道へと逃げれてしまった。
しかし、巨体の男に方はそうもいかず、火だるまになっている。
意識を刈り取るには十分な熱に包まれた彼は、ほんの数秒、床を転げ回り、やがて動かなくなってしまった。
「くっ、雷将を仕留め損ないましたわ!」
レイルが小道の影から、こちらの様子を窺っている。
「やはり来たか!炎将!」
そして手のひらをかざし、アカネに向かって雷撃を放ってきたのだ。
だが、その雷がアカネに到着する前に、先程から指先に水を構えていたアオイが動いた。
「防ぐ…」
彼女の指先から連なった水塊は意思を持ったように空中で留まる。
そして、球形のそれは速やかに円形のシールド状に変形して、アカネと雷撃の間に割って入ったのだ。
ひとつ問題がある。
彼女は雷に対して水が危険であることを知らないのだろうか?
経験からその危険性を知っていたハルは、いつでもアカネたちを助けられるように身構える。
しかし、ハルの予想は良い意味で裏切られることになる。
レイルの放った雷は水の壁に当たると同時に、蜘蛛の巣のように広がり、散り散りに空気の中へと消えていってしまったのだ。
「チィ、水将ご自慢の純水の壁か。厄介だな」
レイルは自分の攻撃が不発に終わったのを確認すると、すぐさま身を隠した。
どうやらアオイの水は特別性のようだ。
さらに、ハルたちを囲んでいるこの鈍色の金属も、雷を伝導させる様子はない。
これなら、このまま押し切れるかもしれない。
「まだまだ行きますわよ!」
アカネは続けざまに、火の玉をレイルの隠れている方向へと放つ。
彼女の炎には二通りあるようだ。
燃え続ける放射状の火炎と、燃え移るものがないと消えてしまう単発の火球。
火球の方が速く繰り出せるものの、この部屋には燃え移るものが少ないため、床や壁に焦げ跡を残す程度ですぐに消えてしまっていた。
しかし、相手の動きを封じるのには十分だ。
威嚇のための火球と必殺の火炎を使い分け、アカネはレイルに攻撃するチャンスを与えない。
「舐めるな!」
レイルも黙って見ているだけではなかった。
時折、準備に時間がかかるアカネの火炎の隙きをついて雷撃を飛ばしてくる。
だが、それは防御に徹したアオイの壁によって阻まれてしまう。
これが、能力者同士の戦い。
ハルたちは全く手を出すことが出来ず、圧倒されてしまっていた。
いかにブランとて、敵味方の一撃必殺の遠距離攻撃が飛び交うこの戦場に介入するのは至難の業だろう。
飛び道具を使うリュイだってそうだ。下手に矢を放つと双子たちの攻防のリズム崩してしまう可能性があるため、見守ることしか出来ない。
互角。いや、飛び散る火の粉によって少しずつダメージを受けてしまうレイルの方が不利だろう。
ハルはこのままの形勢でレイルを倒せる、と思っていた。
しかし、数分足らずでその甘い幻想は打ち消されることになる。
「はぁ…はぁ…いい加減、降参しなさいまし!」
「どうした、火将?苦しそうだな」
優勢に思われたアカネの方がむしろ、疲労困憊に陥っているのだ。
その証拠に彼女の顔は真っ青になってしまっている。
「アカネ…飛ばしすぎ…バカ…」
アオイの声にも疲労の色が出ている。こちらはアカネとは対象的に顔が赤らんでいるように見えた。
「うるさいですわ!黙りなさい!」
焦りが集中を乱したのだろうアカネが先程よりも明らかに小さくなっている火の玉を放つ。
しかも、レイルの雷を防御したアオイの水壁かまだ消えていないのにだ。
火の玉は水の壁に吸い込まれるように消えていき、同時に白い煙と衝撃波がアカネを襲った。
「きゃー!」
「…っ!アカネ…!」
爆発の規模は小さく、アカネの後ろに控えていたアオイや、まだ通路から出れずにいたハルたちには被害は少なかったが、後の壁へと弾き飛ばされたアカネは気を失ってしまっている。
アオイも無傷とはいかず、地べたに這いつくばっている状態だ。
こうして、双子のたった一つの悪手により、彼女たちの優位は見事に逆転してしまったのである。
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アオイとアカネは、帝国の外れにある小さな村で生まれた。
朝は一緒のベットで起きて、一緒にご飯を食べ、二人で学校へ行く、帰りには買い食いの共犯もした。いつも一緒、いつでも一緒。
恋をするのも一緒。試験を受けるのも一緒。
だが、選ばれるのは、いつも優秀な姉だった。
そういった日々の積み重ねが双子の間に少しずつ溝を作っていく。
アオイはアカネに反発し、言い争いは絶えず、いつもケンカばかりするようになっていく。
皇帝へと仕官し、いつしか『水将』『帝国の双璧』『丹蒼の巫女』などと、むず痒い二つ名が付くようになってもそれは変わらなかった。
周囲にはいつも仲良くしろと言われていたが、頭では分かっていても心がそれに抵抗する。
そして今、その不仲のツケがやってきていた。
些細な言い争いから連携に支障をきたし、敵前でアカネが気を失ってしまったのだ。
強敵、レイルを前にしてへたり込んでしまっているアオイにはもう戦う力はほとんど残されていない。
絶体絶命の状況と言っても過言ではないだろう。
「帝国の双璧が聞いて呆れる。無様だな、水将」
自分たちはこのレイルの策にまんまとハマってしまった。
「これを…狙って…」
レイルは、アオイたちの拙い連携の隙をついてきたのだ。
更に言えば、<放出型>に属する能力たちの弱点でもある消耗をも狙って・・・。
自然現象を体外に放出する能力者である<放出型>は、他の能力者たちに比べると異常とも言える戦闘力を備えている。
アオイの水しかり、アカネの炎しかり、戦術的な効果範囲を超えて、先ほどアカネが街で放った火壁のように戦略級の意味を持つ事さえある。
アオイだって、川や湖など水の近くであれば、氾濫させ村を丸ごとを飲み込むことすら不可能ではない。
しかし、そんな<放出型>には体力の消耗が著しいという弱点があるのだ。
単純な疲労の蓄積もそうだが、アオイの場合は能力を使うたびに体温が上昇してしまう。逆にアカネは、体温の低下が引き起こされる。
だが、この雷将レイルだけは例外なのだ。
仕組みはわからないが、彼は疲労以外に能力使用のデメリットを持たないと言われている。
その特性と能力ばかりに頼らない卓越された剣技が織り成す連続戦闘能力こそが帝国最強と謳われる由縁でもあった。
今、そのレイルが剣を抜き放ち、アオイへと迫ってきていた。
アカネは気絶し、アオイにも大した力が残されていないと判断し、直接剣でとどめを刺す気なのだろう。
こんな終わりになるのなら、もっと姉と仲良くしておけばよかった。
レイルが持つ長剣が放つ禍々しい光にアオイは思わず、強く目をつむる。
その時ーーー、
「そろそろ出番ってことかねぇ」
ブランを先頭に命知らずの旧人類たちが、アオイとアカネをかばうように、レイルへと立ちはだかったのだ
「はっ、旧人類の戦士よ。貴様もきていたか」
「あいにく、俺は借りは作っても貸しは作りたくないタチなんでな」
ブランが抜き身の幅広剣を肩に乗せ、レイルへと凄む。
「クク…よかろう、貴様とはそろそろ決着をつけたいと思っていたところだ」
「今度はあたしたちも一緒にお相手させてもらうわよ」
「覚悟するんだぜぇ」
シルヴィとリュイも臨戦態勢を整えている。その後ろにはハルも剣を構えている。
レイルの力を目の当たりにして、本当に戦う気なんだろうか。
「貴様…あのときの小鼠か…。良くも謀ってくれたな!」
ハルの姿を見つけると、レイルの鋭い目を更に細めた。
「騙される方が悪いんじゃないの」
「貴様ァ!」
怒りを露にするレイル。ハルという少年が彼と戦ったというのはどうやら嘘ではないらしい。
「…まぁ良い。ちょこまかと邪魔されるのも興ざめだ。お前たちの相手は別に用意してやろう」
レイルはまだ隠し玉を持っていたのだ。
「おい…早く出てこい…」
だが、レイルは苛立ちながら、更に口調を強める。
そして、レイルは通路へと振り返り大声を出した。
「いつまで怠けているつもりだ!ヴェント!」
「うわっ、レイルくん、こっわいなぁ★」
その通路から、少し高めの男の声が響いてきた。
「どういう…こと…」
アオイは床にへたり込んだまま、呆然と呟いてしまう。
「やっほー、アオイちゃん★相変わらず可愛いね?元気してた?」
レイルの後ろから出てきた細見の男は、慣れ慣れしくアオイへと話しかけてきたのだ。
銀髪をなびかせた20代前半の優男風の彼は、身体のラインがわかるほどぴっちりとした赤の羽織を着ていた。
赤を基調としたその羽織の肩には黒の肩章がついており、前を止めるための8つのボタンは金色に輝いている。
黒の細見のスラックスが彼の引き締まったイメージを更に際立たせていた。
そして、その手には先ほどレイルが持っていたような黒い立方体を両手にかかえている。
その男の姿を見て、アオイは驚きを隠せない。
なぜならーーー。
「うそ…風将…なんで…あなたが…」
なぜなら、彼、風将ヴェント・W・リューリッヒは<穏健派>であり、アオイたちの味方のはずなのだから。
「いやね、メルちゃんから帝都を守るように言われてたけどさぁ。つまんないから抜け出してきちゃったよ★」
そのお道化た声を聞いて、アオイは理解した。
<殲滅派>にアオイたちの情報が漏れていた元凶こそが、この男なのだと。
「この…裏切り者…!」
「えへへ、風っていうのは気まぐれだからね~★」
「風将って、あのチャラい男は強いの?」
シルヴィが小声でアオイに聞いてくる。
「すごく強い…風を操る放出型…」
「てか、なんで最初から出てこなかったんだぜぇ?」
リュイの問いを受けて、ヴェントは手に持っている黒い立方体を、おもちゃのように軽く弾ませて遊びながら答えた。
「こいつを探してたんだよねぇ★そしたら、レイルくんに置いていかれちゃってさぁ・・・」
「当たり前だ、スペアなど不要」
アオイたちは見誤ったのだ。滝での乱戦を制し、この施設に侵入した敵は2人ではなく、3人。別動隊がいたのだ。
気づく機会は何度かあっただろう。しかし、アオイたちは、レイルに意識がいくあまり、メルが別れ際にしてくれたスペアについての忠告を無駄にしてしまったのだ。
「ほらほら~、こんな事いっちゃってぇ★レイルくん、初期不良って知ってるぅ?こういう機械って動かないこともあるんだよぉ?」
「ふんっ。無駄口をたたいていないで、雑魚どもの相手をしろ。あの大剣使いは、俺のエモノだ。手を出すなよ?」
「はぁ、めんどくさいなぁ★おれは女の子と戦う趣味はないんだけどなぁ~」
ヴェントはそう気だるげに言うと、リュイたちへと向き直った。
その、ふざけた言葉とは裏腹に、ヴェントの眼はじっとりとリュイたちの力量を値踏みしている。
秋の風のように気まぐれな男ではあるが、その実力は疑いようもない一級品なのだ。
逃げることも許されない絶望的な戦力差を前に、鈍色の床に体温を奪われ続けたアオイは身体と心が冷え切っていくのを感じていた。
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突如、ハルたちを突風が襲う。
「う、うわぁー!」
先頭にいたブランの方角から、前触れもなく吹き荒れる風の中、ハルは目をあけることも出来ず、そのまま後ずさってしまう。
「は~い、エスコート完了★これで戦いやすくなったでしょ」
ヴェントの声が響き渡ると同時に風の唸りも収まった。
ハルが周りを見回すと、ブラン以外は先ほどの場所から、移動させれられている事に気づいた。
おそらく、ヴェントが能力を使ったのだろう。
ご丁寧にも地面で気絶していたアカネまでも移動してくれている。
「師匠!」
「小僧、こっちは気にすんな。おめえさんは自分の身の心配だけして・・・ろォ!」
次の瞬間には、ブランとレイルは既に鍔迫り合いをはじめていた。
間合いを詰めるブランに対して、距離を置こうとするレイル。今のところ、両者のちからは拮抗しているようにみえる。
「それじゃ、こちらもぬるりとはじめようか★なぁに、レディー悲しませる趣味はないからね、殺しはしないよ」
「それは優しいわね。でも、あんたみたいなやつはお断りよ」
シルヴィが真っ先に仕掛けた。突進からのリーチを活かした中段突きだ。
ヴェントの胸を目掛けた見事な重心移動から繰り出される一撃。
「お~こわいこわい★」
しかし、それがヴェントへと届くことはなかった。
彼はただ立っているだけなのに、シルヴィの槍がひとりでに逸れたのだ。
いや、目には見えなかったが、軌道からしてシルヴィの身体自体が移動させられていたに違いない。
「・・・っ!」
全力の突きを右側に躱されたような形になっている無防備なシルヴィにヴィントは近寄り、その滑らか銀髪のひと房を掴み、彼の顔へと近づけた。
「綺麗な髪だねぇ★でも、手入れが足りないんじゃない?髪が泣いてるよ」
「シルヴィ!」
リュイが援護の矢を放つ。
「おれに矢は効かないんだよねぇ★」
その矢は見えない風の壁に阻まれ失速し、音もなく地面に落ちてしまう。
「シルヴィを放せ!」
ハルも剣を上段に構え、ヴェントへと間合いを詰める。
ヴェントは目を瞑り、何もしない。
ハルは構わず、風の壁もがむしゃらに突き抜けると、彼の頭へと剣を振り下ろした。
しかし、ハルの攻撃はヴェントに届くより前に、ふんわりと身体を風に持ち上げられてしまう。
そして、ヴェントが手を払うようなしぐさをすると、ハルは後方へと吹き飛ばされてしまったのだ。
「あれえ?今なにかしたかい★」
これはもはや、相手にもされていない。完全になめられているのだ。
「いてっ・・・」
ハルは床で尻もちをついて情けない声を出してしまう。
シルヴィもどうにかバックステップで間合いを取ったようだが、そのまま立ち尽くしている。リュイも矢が通らないのではどうしようもない。
はやくもハルたちは攻めあぐねていた。
かと言って、ブランのほうへ援護にいこうにも、あちらはハルたちが援護できるレベルの戦いではなかった。
ブランは、レイルの雷撃を恐るべき速さの反応速度でかわしながら、一合一合、激しい剣劇の音を立てて斬りあっている。
実力が拮抗しているのだろう。どちらも目立った傷は見られなかった。
更に、驚くべきことにレイルの雷撃がハルの位置まで飛んでくることがない。
おそらく、ブランが位置を調整して戦ってくれているのだ。
「おれはレイルと違って優しいからね。あちらが終わったら、キミたちには眠ってもらうだけの予定さ★どうだい、ゆっくり観戦でもする?」
「野郎!完全に舐めてるぜぇ」
「ハハハ!観戦するにしても、こんな殺風景なところじゃつまんないか★どうせなら、宮殿みたいな作りをしてくれればいいのに、旧文明の人たちも物好きだよね」
「ここは研究所…当たり前…」
ハルの隣で座り込んだアオイがヴェントに突っ込みをいれる。まだ立ち上がることが出来ないようだ。
「研究ねぇ~。もう殆どのデータは壊されちゃったのに、ご苦労なことだね★文明レベルで変化しちゃうなんて夢にも思わなかっただろうに。まさかあんなことになっちゃうなんてねぇ」
「…?風将は…旧文明の滅び…知ってるの…?五将にも…知らされていない…はず…」
「内・緒★」
文明レベルの変化。
ハルはそのフレーズにどこか懐かしい感覚を覚えた。
なんだっただろうか。誰の言葉だった気がする。どこか、ここと似た雰囲気の・・・。
どうでもいい事なのだろうが、ハルは記憶を探ってしまっている。
『当機が休眠中に<文明レベルでの変化>があったと推測されます。恐らく、<電磁パルス>の影響でしょう。』
ああ、思い出した。
あの星送りの日に、アステルと共に出会ったアイコと名乗る神の言葉だ。
『人と話すの久方ぶりでして、定期メンテナンスと<電磁パルス>濃度のチェックを兼ねて、このような姿で話させていただいています』
『<電磁パルス>濃度の急上昇を検知しました。当機はこれより強制休眠モードに移行します』
そのフレーズと共に、何度も繰り返し彼女の口から紡がれた単語に何か意味があったのだろうか?
「電磁パルス・・・?」
ハルの唇から、無意識に思考の断片が漏れ出す。ほとんど独り言のようなものだった。
「…?」「ハル?」「どうしたんだハル?」
アオイたちには聞き覚えのない言葉だったのだろう。不思議そうにハルの顔を見ている。
だがーーー、
「へえ・・・。キミ、面白いね」
ヴィントは反応したのだ。
先ほどまで、文字通り眼中になかったハルを真っすぐに見つめている。
その目に宿す、異様に迫力のある光の意味はハルには分からなかったが、彼の口調からは先ほどの風のように飄々とした印象は消え失せていた。
「だけど、キミ。ダメだよ~。それはいけないよ?うん、ダメダメ。よ~し、気が変わった★」
また、先ほどの通りの口調には戻っている。口調もトーンも表情も薄く開いた目の輝きも、完全に元通りだ。
しかし、ハルはそんな彼の様子に寒気を覚えた。
「キミだけはこの場で殺そっかな★」
「・・・っ!!」
どうやら、ハルは虎の尾を踏んでしまったらしい。
「待って!ハルが何したっていうのよ!」
「うーん、女の子に恨まれるのも嫌だから、ちゃんと理由だけ言っておこう★その言葉はね、<語られぬ歴史>に深く関わっているものなんだよねぇ」
「<語られぬ歴史>?そんなの僕知らないよ!?」
ハルだってこんなわけの分からないことで死にたくない。必死に弁明を試みた。
「この世界で、それを知るのは3人だけ。ボク以外の誰かから<歴史>の断片でも教えられたのなら、その時点でキミが死ぬ理由には十分なのさ★」
しかし、ヴェントは聞く耳を持ってくれない。
「内容ではないよ、聞いたこと自体が問題なんだ」
再び、口調を変え、生気のない虚ろな瞳でハルを真っすぐに見つめてくる。
そしてーーー、
腕を静かに振りかぶると、鞭のようにしならせて振り下ろした。
もちろん、ヴェントの腕が何もない空間を切っただけだ。
子供の遊びのような、たったそれだけの行為だが、ハルの本能は警鐘を鳴らしていた。
咄嗟に剣を構える。
ヒュンッ!
次の瞬間、ハルのすぐ傍で風切り音が聞こえたかと思うと、剣を握る手の重さがやけに軽くなっていた。
足元ではカランという乾いた音も聞こえた気がする。
「ハル?!大丈夫か!!」「ハル!!」
リュイが大きく目を見開いて叫んでいる。シルヴィも同じような表情だ。
彼らが見つめる先は・・・ハルの剣と腕だった。
剣は真ん中から二つに折れ、先端は地面に落ちている。
そして、ハルの腕には、黒の外套の上からでもわかるほど、真っ赤な血が滴り落ちているではないか。
ヴェントが放った<かまいたち>が、ハルの剣をへし折って、腕へと到達したのだ。
遅れてやってきた鋭い腕の痛みに顔を歪ませて、ハルは叫んだ。
「う、うあああああ!!!」
幸い腕の感覚はまだあるが、傷はそれほど浅くない。
「運もいいね、キミ★いや、悪いのかな?」
笑顔のヴェントはそんなハルの様子に構わず、再び空を切る。
ハルは死を覚悟した。
目頭が痛くなるほど目を強く瞑る。
だが、かまいたちが再びハルを襲うことはなかった。
「させない…!」
床に座り込んだままのアオイが、右手を伸ばして指先からハルを守る水の壁を作ってくれたのだ。
目に見えぬかまいたちは、水の壁と相殺される。あとには、そよ風に舞い散る水滴だけが優雅に宙を彩っていた。
「へぇ、水将が旧人類を守るときたか。やっぱり危険だねぇ★」
ヴェントは再び、腕を振りかぶる。
「させねぇぜぇ!」
リュイが矢を放つが、先ほどと結果は同じだ。風の壁を越えることができない。
「ハルはやらせないわ!」
シルヴィも槍を掲げ、突進してくれていた。だが、先ほどのハルと同じように風の壁に吹き上げられてしまう。
「ま…だ…」
アオイがヴェントに向けて、水流を放った。
彼女の力なく震える指先から放たれたそれも、風の壁を越えることが出来ず、軌道を逸らされてヴェントの背後の床を激しく打ち付ける。
最後の力を振り絞ったアオイはそのまま倒れてしまった。
「残念~★バイバイ、少年くん」
こうして、満面の笑みを浮かべたヴェントの腕は無慈悲にも振り下ろされるのだった。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
さて、語り部の居なくなった物語を紡ぐ前に、少しだけ時を遡り、ブランという男について話させてほしい。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
ブランには人に誇れもしないある特技があった。
いつからそんなことが出来るようになったのか、心当たりはないが、いくつのも死線をくぐり抜けているうちに自然と身についていた。
ブランには他人の死の影が見えるのだ。
もちろん、未来予知のように完全にわかるような便利なものではない。
経験則と獣じみた第六感からくる虫の知らせのようなものだと自分では理解していた。
そしてーーー、
(さっきアステルが言葉をいいかけた途端、ハルの影が濃くなり出しやがった)
ブランは川のほとりで休憩を取って以来、ハルを死に誘う影を感じていた。
アステルの能力。
ブランは仲間たちの中で一番その恐ろしさを理解しているつもりだ。
もし敵であれば、生粋の戦士であるブランにとっては最も警戒が必要な相手になるだろう。
なぜなら、彼女の能力はおそらく、<単純に未来を見るだけのものでない>のだから。
ブランが知覚した限り、アステルは最低3回、未来視の力を使っている。
一番はじめ、彼女に違和感を覚えたのは<出会いのとき>だ。
あんな場所に、<モンスターが出るかもしれない、あの場所に>彼女は一人で立っていた。
そして、ブランの自分でも自覚している風貌を目にしても、アステルは全く動じた様子を見せなかった。
それはまるで、そこに現れるブランの意思を知った上で、彼に会うためにそこに居たように感じられたのだ。
次は、長耳族の村だ。
リュイの故意のミスショットの時には普通に驚いていた彼女が<ティールの指が矢を離した瞬間>、尋常ではない恐怖の表情を浮かべたことをブランは目撃している。
そして、最後は先日の大聖堂の事件。
彼女の未来視が起こしたと思われる、3つの現象は一見どれも良く似てはいるが、そのうち1つだけが明らかに<異質>なのだ。
根拠はないがブランは直感していた。
アステルは、<二つの能力を持っている>のかもしれないと。
あるいは、一つは本体のオマケなのかもしれないが今はそんなことどうでも良かった。
(問題は、最後に使ったのがやべえほうのやつだってことだな…)
そう、ブランの勘がささやいていた。
なぜアステルがそのように能力を使ってしまったのか知る由もないないが、彼女の望むことではないのは確かだ。
だから、ブランがこれからすべきことは、わかっている。
アステルの見た未来では超えられなかった自分の限界を超えて、ハルを守るのだ。
そう覚悟を決めて、ブランはハルと共に、アカネに続いて鈍色の門を潜っていった。
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ここから先はある者の胸中にだけ留められた語られぬ物語。立ち入りの許されない語り部の私はしばし退散するとしよう。
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俺の予感は的中した。
レイルと剣を交えている間に見た限り、ハルたちを舐め腐っていたヴェントの気配が急変しやがった。
ハルが何をしたか知らねぇが、今、ヴェントはハルを殺そうとしている。
「させねぇぜぇ」
「ハルはやらせない!」
「ま…だ…」
リュイたちが必死に抵抗しているが、あのヴェントってやつは格がちげぇんだ。
ほら、やっぱり無理じゃねぇか。
ああ、そうか。今がその時なんだな。
わかったぜ、嬢ちゃん。
おめえさんの代わりに俺が成し遂げてやるよ。
ハルは絶対に殺させねぇ。
こりゃ、笑える話だ。
あれほどハルに生き残ることを説いた俺が、自ら死地に飛び込むんだからよ。
だが、血が滾る。
武人として生きた人生をこの一戦で全てを出し切るんだぜ。
楽しまずにいれるもんか。
俺の胸の中にざらつく戦士としての矜持が戦場で死ねることを喜んでんだよ。
「残念~★バイバイ、少年くん」
させるかよ。
「師匠…?」
ひとの腕の中で、そんな心配そうな顔しやがって、全くこの小僧は。
ああ、ちくしょう。痛ってぇな。
「ブランさん…!」
ねぇちゃんもうるせぇなぁ。どってことねぇよ、こんな傷。
「ブラン、おまえ腕が……」
リュイ、おめぇさんもか。なんだよ。
たかが、腕の一本が千切れかけたぐらいで騒ぎすぎだろ。
「わりぃな。ちょっと邪魔するぜ」
「へぇ〜、レイルくんとの決着はいいのかい?彼、すごくこっちを睨んでるけど★」
ヴェントのやつ、すげぇ殺気だな。ハルのお前なにしたんだよ。
「すまねぇ。レイル。ちぃとばかし待ってくれ」
「おい、ヴェント。そいつは俺の獲物だと言っただろう」
「え〜★そんなこと言われても、向こうから突っ込んできたんだよ?」
言い争いをはじめやがった。この隙きはありがてぇ。
「ハル、よく聞け。今から俺が足止めしてやっから、おめえさんたちは逃げろ」
「師匠!そんなの嫌です!僕…まだ戦えますから」
ああ、こんな時まで駄々こねやがって。
出会ったときから、こういう性格は本当に変わってねぇな。
思えば遠くにきたもんだ。
最初はこいつを死んだ息子の代わりにしていただけだったと思う。
そのうち、こいつを導いてやろうという気持ちが芽生えた。
だが、今考えると俺はこの弟子に導かれたのかもしれねぇな。
だからこそ、過去を言い訳にして、あの村に引きこもっていた俺がここまで来た。ここまで来れた。
おまえには感謝してんだよ。
こんなところで死なせるわけにはいかねぇ。
だから、ごめんな。
「ぐっ…師匠…なにを…」
「眠ってろ」
「嫌だ…そん…なのい…や…だ…」
まだ意識あんのかよ。
俺の拳で即寝ないガキなんておめえさんぐらいだぜ。
我が弟子ながらなんて諦めの悪さしてんだよ。
変な笑いがこみ上げてきやがった。
「行け、ハル。おめえさんは破門だ」
「し、しょ………」
やっと気絶しやがったか。
全然強くなんねぇのに、その根性だけは本物だな。
「ブラン、どういうつもりだ…?」
「こうでもしねぇとこいつは言うこと聞かないだろ。リュイ、ねぇちゃん。ハルのこと頼んだぜ。そこに転がってる双子も連れてってやれ」
「でも、ブランさん!」
リュイは分かってくれたみたいだな。
ねぇちゃんはやっぱし、ダメか。
「行け。行かないと、この場で俺がハルを殺すぞ」
「・・・っ!」
「俺は本気だぜ?」
この娘にはこれが一番良く効く。
自分が殺されるのよりも、効果的な脅し文句だろうよ。
まぁ、脅しじゃなくて、実際そうしてたけどな。
敵に殺されるぐらいなら俺がとどめを刺した方がマシだ。
まったく、狂気に満ちた愛情もあったもんだよなぁ、おい。
「それじゃな。おめえさんたちとの旅、悪くなかったぜ」
「ブランさん!」
「シルヴィ、行こう。ブランの気持ちを無駄にしちゃ駄目だ。ブラン、恩に切る。あとは任せていいか?」
「……。」
「おう、任せろ」
それで良い。行け、止まるんじゃねぇぞ。
さてと…
「おれが許すとでも思ってるのかなぁ★さすがにそこまで甘ちゃんじゃないよ?」
まぁそうなるわな。
「おう、やってみろよ」
「じゃ遠慮なく★」
いってぇな。腕が完全に千切れちまったじゃねぇか。
腕が。
剣が。
肩が。
足が。
ああ、痛え。
痛えな、ちくしょう。
「あちゃ〜、逃したか★よくそこまで身代わりになれるね。おれには理解できないよ」
「だろうな」
ハルたちは逃がせたか。
しっかし、こりゃもう致命傷だ…俺、確実に死ぬな。
でもまぁ、不思議と悪い気分はしないもんだわ。
あの情けない若葉を生かすためなら悪くないって気がしてくんだよ。
「やはり…老いたな。貴様」
すまねぇな。レイル。万全の状態で戦えなくてよ。
「ああ。だが、悪くない気分だぜ」
そういえばホワイトのときも、同じことをしちまったな。
俺も焼きがまわったもんだ。
いや、待てよ。そうじゃないんじゃねぇか?
生き残って、生き残って、生き残る。
そして、生き残った先に、自分が守れるものを守って死に、それを次の誰かに託す。
これが俺の生涯をかけて編み出した、たった一つの結論だったんじゃねぇかな。
一つ心残りがあるとすれば、その結論をハルに教えることが出来ないことか。
まぁいい。言葉はいらねぇか。
ハルならたどり着くさ。
これこそが、俺があいつにしてやれる最後の修行なんだからな。
「待たせたな。決着といこうぜ」
さぁ、今こそ示そう。俺のたった一つの結論を。
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//リテイク、 ブランの戦闘シーン入れるかも。
この男の物語はここで終わる。
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恐怖。
レイルが久しく感じていなかった感情だ。
ましてや、それを一人の旧人類の男がもたらしたと言ったら、過去の自分は一笑に付すに違いない。
だがーーー。
果たしてこの光景を見ても、自分はまだ笑っていることが出来るだろうか。
数分前まで、無機質な空間だった部屋は、今はもう原型を留めることなく、壁が、床が、天井が、裂け、砕け、曲がり、ひしゃげている。
辛うじて残っている鈍色の床にはおびただしいほどの血が飛び散り、時を止めたような静寂の中、鉄の香りがその空間を支配していた。
そして、その惨劇を繰り広げた主は、ただひっそりとレイルの目の前に立ち尽くしているのだった。
「終には人の身を超えたか、旧人類の戦士よ」
彼は何も答えない。
立ったままに。
この世の者とは思えない凄惨な笑みを浮かべながら。
沈黙を返すだけだった。
なぜなら、彼は既に事切れているのだから。
両腕を失おうとも修羅のごとく戦い続けた彼は、レイルの剣に貫かれ物言わぬ躯と化してた。
「助けてママこわいよ殺されるよこわいよママ…」
風将ヴェントの微かな声が聞こえる。
部屋の角でうずくまるように背をもたれかかっている彼は、先程から焦点の合わぬ虚ろな目をしてうわ言を呟くばかりだ。
口の端からは、真っ赤な鮮血を垂れ流しているところを見るとあばらでも、やられているのだろう。
レイルも無事ではない。節々から痛みが噴き出し、煮えたぎるほどの熱持った身体を駆け巡っている。
左腕は折れているのか、先ほどから思うように動かない。
ブランの剣を受けた顔の右半分、右目から頬にかけてはすでに感覚が無くなってしまった。
この目はもう何かを見ることはないのだろう。
満身創痍のレイルはゆっくりとブランへと近づくと、彼から長剣を引き抜く。
バランスを失い、前へと倒れ込んできた彼の体をレイルは抱き合うように支えた。
「安らかに眠れ。貴様の最期はこのレイルが語り継ごう」
純粋な武の結晶というのもがあるとすれば、この男のことを言うのだろう。
武の神すら恐れるであろう、人間の可動限界を超えたあの動きにはもはや畏敬の念すら覚えてしまうほどだった。
この偉大な戦士が守りぬいたハルという少年はもう逃げ去っただろうか。
今のレイルたちでは追撃することは叶わない。この戦士の命をかけた足止めは成功したのだ。
たが、レイルは不思議でならなかった。
果たして、あの無様に逃げ回るだけの子鼠は彼ほどの者が命を賭して生かすほどの男なのだろうか。
(まぁいい。それならいずれ、再び道が交わるだろう)
レイルはブランを静かに横たわらせ、目を閉じさせる。
そして、足元に転がっていた2つの黒い立方体を拾い上げた。
あの戦いの中、何度となく斬撃を受けたその装置は、傷一つ付くこともなく、朔の夜空のような黒紫の光を放っていた。
これを手に入れるために、多くの同志が犠牲になってしまった。
それでも、レイルは止まるわけには行かない。
例え、この先何人の同朋が犠牲になろうとも、何人の敵を殺そうとも、より多くの帝国の民を生かす未来のために。
それだけが自分の使命なのだから。
この装置に、そして自分の両肩に、全新人類の未来がかかっているのだ。
血一滴に至るまで、その信念の為に費やすしか、今の雷将レイルに残された道はないのだった。
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シルヴィたちが遺跡を抜け出した頃には、既に日は落ちかけていた。
リュイと共に、そのまま止まることなく、アステルとロゼの待つ川のほとりへと急いだ。
リュイはアカネを背負い、アオイにも肩を貸している。
シルヴィの背にもハルがいる。
応急処置をする暇もなかった彼の腕はなおも出血が続いており心配だ。
しかし、シルヴィはハルの傷よりも置いてきてしまったブランの事が気にかかっていた。
シルヴィの目から見ても、ブランの鋭い眼光には死の覚悟が見て取れた。
(ブランさん、こんなの嘘だよね?)
これまで共に旅をして、笑いあった仲間が死ぬだなんて、認められるはずがない。
ほんの先程までくだらないやり取りをしていたブランともう二度と会えないなんて、きっとこれは悪い夢に違いないのだ。
しかし、シルヴィの背から伝わるハルの重みと体温がそれが現実であることを押し付けてくる。
シルヴィが答えのない思考を続けていると、見慣れた景色が広がり始めた。
ロゼがシルヴィたちに気付き、こちらに手を振っている。
この時ばかりは彼女の脳天気な笑顔に少し苛立ちを覚えてしまった。
彼女の横には目を覚ましたのであろうアステルとその肩を支えるクレア、それにメルの姿もあった。
どうやらメルはシルヴィたちより早く戻ってきていたようだ。
シルヴィは彼女たちの元に駆け寄ると、ハルを背中からずり落として、両膝に手を付き肩で息をする。
「ハル!どうして…!」
アステルはハルに駆け寄ると口を両手で抑え、少し後ずさったが、どうにか気を持ち直し、傷の手当をはじめてくれた。
メルは深刻な顔つきでシルヴィの言葉を待っている。
「…失敗…したわ」
「そう…か。一人、足りないようだが…」
「ブランは……オレ達を逃がすために残った…。くそっ!くそっ!」
アカネをロゼに預けたリュイは苛立ちを露わにして、何度も自分の拳を地面に叩きつけていた。'
「見誤った…風将もいた…」
アオイの顔にも明らかな悔しさが滲んでいる。
「そんな…まさか!あの子が!?…そうか、そういうことか!」
さすがのメルも想定外だったのだろう。一瞬焦りの表情を浮かべたが、すぐに冷静に戻るとそのまま言葉を続けた。
「状況はわかった。一先ず、帝国へ戻ろう。ここは危険だ。キミたちも一緒に来てくれ」
「そんな!ブランさんはどうなるの!?」
「シルヴィ…」
メルに食って掛かるシルヴィをリュイは呆然と見つめている。
自分でも目頭が熱くなっているのを感じていた。
「雷将だけならともかく、風将も。この状況で彼が生存する確率は0に等しい。キミだって本当は気づいているんだろう?」
「うるさい!うるさい!うるさいィ!」
認めてしまえば現実になってしまう。そう感じたシルヴィはその言葉を拒んだ。
頬にはいつしか雫のようなものが流れてくる。
だが、耳を塞ごうとするシルヴィの手をメルディが力を込めて掴んだ。
「いいかい?ブランはキミたちを生かすために残った。ここにキミが残るのであればそれは彼の気持ちを無駄にすることになる。それでもいいのかい?」
「それは……でも!」
「シルヴィ、メルに従おう。おまえまで居なくなったら、ハルは余計に悲しむ」
聞き分けの悪い妹を諭すようにリュイは的確にシルヴィの急所をえぐってきた。
「そんな言い方…ずるい…わよ…」
どいつもこいつもハルハルと、それを言われてしまったらシルヴィは従うしかないではないか。
「さぁ、時間がない。行くよ。ボクに着いてきて」
メルに促されるまま、一行は立ち上り、彼女について行った。
口数は少なく、それぞれの顔には悲しみが浮かんでいる。
あの脳天気なロゼですら、涙を浮かべ萎れてしまっていた。
ただ一人を除いてーーー。
意外なことにアステルは無表情なのだ。
もしかしたら、この子は冷たい子なのかもしれない、未だに混乱する頭でシルヴィはそう思った。
少し歩いて山を越えると、そこには天にも届くと思わせるほどの高さの漆黒の壁が海と山の自然色の景色に溶け込めず、憮然と立ちはだかっていた。
まだ遠くに見えるのに、その壁の果ては見えない。
途方もないスケールのその壁の向こうには帝国があることをシルヴィは知っていた。
「ここから、地下に入るよ。ここはボクしか知らない秘密の通路だ。敵襲の心配はしなくていい」
メルが示す先は、壁とは反対方向の渓谷の崖にある岩陰だった。
先程の滝と同じような仕組みなのだろう、先頭をきって中に入っていくメルの姿は突如として消え失せた。
中は先程の遺跡と同じように鈍色の世界が広がっていた。
見覚えのある風景にシルヴィの頭には、ブランとの離別の光景がフラッシュバックする。
涙が溢れるのを必死に堪え、無心を努め、メルのあとについていく。
それから一時間ほど歩いただろうか。鈍色の扉の前で、メルが足を止めた。
「さぁ行くよ。ここから先がボクらの国さ」
そう言って、彼女はゆっくりと扉に手をかけて、外に向かって開いていく。
光。光。光。夕闇を照らす、無数の光。
シルヴィは、ヴァチガノで目にしたガス灯とは全く違う、白い光で目が眩んでしまう。
次第に慣れた目に飛び込んできたのは、巨大な墓石を思わせる継ぎ目のない長方形の構造物。
それが何本も立ち並んでいる。そのふもとには同じような小さな建物が並んでおり、その窓からは例の白い光が溢れていた。
舗装された道には、馬のない鉄の馬車が目を光らせて走っている。
まるで夢でも見ているかのような未知の光景。
息を飲むシルヴィたちの合間を駆け抜ける風は、日向の街のような馴染み深いの営みの匂いを連れてくる。
「ようこそ。新人類唯一の国、フィニス帝国へ。ボクらはキミたちを歓迎するよ」
シルヴィたちは、ついに辿り着いたのだ。
この旅の目的地にして、その終焉。吸血鬼の国へと。
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少年たちの旅は終わりを告げようとしていた。その旅路の果てに、失ったものは大きく、そして戻ることはないだろう。
それでも、彼らは夏の月を明かりを頼りに進む。その先にどんな真実が待ち受けているかも知らずに。
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