3-6
そこまで考えて、ふとティールは何か<忘れ物>をしている感覚に陥った。
まるで、朝食のパンに木の実のジャムを塗り忘れて食べてしまった時のような、あの感覚だ。
はて、<自分は先ほど矢をどこへ放っただろうか>?
無意識に風をシミュレートする脳が、なにやら緊急事態を知らせている。
ティールが最後に射った矢は強い追い風に煽られて、彼らの真上を飛翔していたのだ。
頭上の矢の目視し、風を読み切り、その予想軌道を辿るとそれは・・・・
ハルを直撃するコースだ。
もはや時間がない。
「ハレさん!横に飛んで!!!」
ティールは必死の想いでそう叫んだ。
「えっ、なんだって?」
ダメだ。ハルの理解が遅い。
だが、ハル本人の代わりに、アステルがハルに体当たりして押し倒した。
そのまま二人一体となり、地に倒れる。
間一髪、飛来した矢がハルの股の間の地面を穿つ。
「う、うわああああ!!」
少し遅れて、顔面蒼白のハルが悲鳴をあげる。
「ハル、大丈夫?怪我ない!?」
アステルが心配そうにハルの上に乗って、ハルの見下ろしている。
ちょうどお互いに向き合った馬乗りのような状態だ。
「アステル、ありがとう。死ぬところだったよ…あはは……」
「本当に怪我ない?」
「うん、平気」
「しっかし小僧、こりゃお嬢ちゃんが押し倒して無かったら、マジでやばかったかもなぁ」
地面の矢を抜きながら、ブランは目を細めている。
「で、ですよねー・・・。アステルがティールの言ってること理解してくれてなきゃ、俺死んでたかも。ティールもありがとう」
「いやー自分の射ったやつっすからね。ほんと、すみませんっした」
嫌な汗が噴き出る感触覚えながら、ティールは深々と頭を下げる。
「そ〜れ〜で〜、あんた達いつまでその態勢な~の~か~な〜?」
ハルが背後を振り返ると、気絶したリュイの首根っこを片手で掴んで引きずってきたシルヴィが満面の笑みを浮かべていた。
「あっ、ちがうんです。これは、えっと、ホラ」
「スキンシップ?」
アステルが小さな声で呟き、首を傾げる。
「いやいやいや、ちがうよね!ってか、いい加減どこうよ!ねっアステル」
ハレがアステルを退かして、急いで立ち上がる。
ブランが笑う。アステルもはにかむ。つられてハルも笑ってしまう。シルヴィがまた怒る。リュイが目を覚まして逃げ出す。
そんな賑やかな空間で、ティールは言いしれようのない<不気味さ>を感じていた。
彼はもっとも早く、矢の飛来に気づいた。だからこそ、<気づいてしまった>のである。
その少女は<ティールがハレに声をかけるより早く、少年を押し倒す態勢に入っていた>ことに。
そんなことありえるのだろうか。
本当に、そんなことが出来たのであれば、いったい、彼女は<何者>なのだろうか。
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ーーーこの時、実はもう一人だけ、その少女の行動に気づいていた者がいた。
それは後に、この物語にとって特別な意味を持つことになるのだがーーー。
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リュイたちが長耳族の里をあとにして、早くも3日が過ぎてようとしていた。
あの試合のあと、約束通り里長から帝国の情報を聞き出すことができた彼らは翌朝、里を出発したのだ。
目指すはーーー、
「それにしても、次は宗教国家に向かえってかぁ~。吸血鬼の国は遠いぜぇ」
宗教国家ヴァチガノ。それが彼らの次の目的地だ。
この世界の人間が広く信仰している唯一の宗教である、エーアデ教はこの地から発祥したと言われている。
「宗教国家かー!前々から行ってみたいとは思ってたんだよね」
心なしか、すこしはしゃいでいるように見えるハルがそう呟く。
カガクを否定し、自然に生きることを第一の教義としているこの教会は、ハルの家にあった多くの本を禁書と定めていた。
彼の興味を引くのは無理もない話だ。
「それにしたって、宗教国家からしか入れない境界都市シールを通って、ようやく帝国ってぇのは面倒だな」
旅の見識があるブランの意味深な物言いに、シルヴィが疑問を口にする。
「へぇ、面倒なところなのね。なにかあるのかしら?」
「境界都市シールつーのはだなぁ、宗教国家が認めた人間しか受け入れねぇんだわ。昔近くまでいったが、結局入ることはできなかったな」
そう語るブランの深刻そうな顔を見るに、あまり楽な道ではなさそうだ。
「そんなに厳しいところなんですね・・・」
アステルも不安そうにしている。
「聞いた話によると、亜人種と人間が共存してる都市らしいんだがな。オラァ詳しくは知らん」
里長からもたらされた情報は、念願の帝国への道筋だった。
たとえ狭き道であろうとも、リュイたちは一歩一歩進むしかないのだ。
そんな以前と変わらず、少しずつ旅路を進む彼らだったが、ほんの少しだけ変化があった。
「亜人種ってことは、長耳族もいるんすよね!?これはツガイ探しのチャンスっすよ!キャッハー!」
ティールがついてきたのだ。
彼曰く、「引き分けに終わったリュイとの決着をつけたいから」などと申していたが、この調子ではその真偽は定かではない。
「そういえば、あんた最初出会ったときも、ツガイツガイうるさかったわね・・・」
シルヴィが煩わしそうに彼を睥睨している。
「あはは・・・たしかに・・・」
ハルは力なく笑うしかなかったあの時を思い返して、こう続けた。
「ティールはそんなにお嫁さんを探してるんだ?」
「そっすよ。自分が里長を目指したのもそのためっすから」
何気ないティールの発言に、リュイたちはしばらく絶句する。
「・・・ティール、おまえ・・・そんな動機であの試合戦ってたのかよ・・・。こりゃぁ、たまげたぜぇ」
「えっ、これには訳があるんすよ!シルヴィ姉さん、あーっ・・・アステルさんまで、そんなゴミを見るような目で見ないでぇ・・・」
仲間、とくに女性陣からの蔑んだ目に危機感を覚えたのだろう。ティールは弁明し始めた。
「長耳族は、昔から許嫁制なんっす。生まれた時に両親が決まった相手を選ぶっす。それは何があっても絶対の掟っす」
「へぇ、それはちょっと気の毒かもしれないわね」
恋する乙女であるシルヴィは彼に同情している。
「そうなんすよ。しかもっすね、同年代で自分だけなぜか、相手がいないんすよ!」
すごく悲しそうにティールはこうも語る。
「物心つく前の記憶で自分もあいまいなんすけど、前は居た気がするけど誰も教えてくれないんすよねぇ・・・」
その時、リュイはピンときた。これは確認せねばならない・・。
「一応聞くが、ティールが里長になってまで成そうとした事はなんなんだぜぇ?」
「もちろん、許嫁性の廃止して、自分のハーレムを作ることっすよ」
あっ、こいつ・・・<アレ>だわ。リュイは確信した。偶然目があったハルも、なにやら思い当たった顔をしている。
「前半はともかく、後半はサイテイの理由だわね。今後あたしに近寄らないで、話しかけないで、ついでに息も止めて」
「ごめんなさい。わたしもちょっと・・・気持ち悪いと思いました・・・」
女性陣は彼から少しずつ距離を取っていった。物理的に、そして精神的にも。
そんな中、表情は極めて真剣だが、リュイは内心<歓喜していた>。
「ティール・・・ちょっとこい・・・。ハル、おまえもだ」
二人を連れ少し道を外れると、二人の肩に両手を置き、内緒話の態勢を整える。
「ねぇ、リュイ・・・ティールってもしかして・・・」
さすが我が弟分だ。察しが良い。
「ああ、間違いないぜぇ。こんなところで<同志>に出会えるとはな・・・」
「えっなんすか。二人ともなにいってんすか?」
当然、ティールは訳が分からないようだ。
「ハレ、こいつはオレたちの新たなチェリー仲間。そう、<チェリーフレンド>だ!!」
今日ここに、異種族間チェリー同盟が結成されたのであった。
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新たな同志を得て、この物語は加速してゆく。
どうみても下らないこの同盟になんの意味があったのか、後世の歴史家はさぞ頭を悩ませることだろう。
新緑の大地から匂いたつ、紅の果実のような甘ずっぱい夏の気配は、少年たちのすぐ近くまできていた。
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