3-4
森と共に生きている長耳族は弓を神聖視し、その技術の研鑽を他の何よりも大切にしていた。
この里の青年、ティールも例外ではない。
幼き日より、両親から、二人の兄から、そしてかつて最強の弓師と謳われた里長から弓の技術を学び、
毎日狩りに出かけては、その技を成熟させていった。
そんな彼は今、とても大きなチャンスへと手をかけていた。
ハルたちと別れたティールが家に帰ると、上の兄ゴッサが彼を出迎えた。
「ティール、帰ったのか。明日の、弓刺の儀にむけての調子はどうだ・・・?」
弓刺の儀。それはこの里の長を決めるための、大事な儀式である。
<12歳から20歳のすべての男性>に参加権が与えられ、弓の技術を競い合う。
「そりゃ、もうばっちりっす。誰にも負ける気がしないっす」
「そうか。今年でいよいよ3年目だものな。俺としては応援できないんだが、その、まあ頑張れよ」
「うっす!」
弓刺の儀は現時点の長が齢50を超えた年の春の終わりに開催され、それ以降、次の長が決まるまで毎年行われる。
3年連続でその儀式を制したものが、次の長となるのだ。
ティールはすでに、<2年連続>その儀式で勝ち抜いている。今つまり、年、勝利をあげれば彼が次の長になる。
逆に、今年勝てなければ、彼の長になる可能性は限りなく低い。次3回勝つまでに彼は20歳を超えてしまうのだ。
家でしばらく身体を休め、焦げ付くような気持ちを落ち着かせる。
そう、明日ですべて決まってしまうのだ。
「ハルさんたち、そろそろ里長との話おわったっすかね」
気分転換を兼ねて、彼らの様子を見に行くことにした。
里を適当に歩いていると、ティールはすぐ彼らを見つけた。
「みなさーん、どうっすか?ちゃんと話聞いてもらえたっすか?」
「うーん、なんか話の流れで変なことになっちゃって」
なにやら、ハルが浮かない顔をしている。ほかの皆もそれぞれ微妙な面持ちだ。
ただ一人、楽しそうなリュイを除いては。
「オレがこの里の弓大会?みたいなもんに出ることになったぜぇ~」
「えっ?マジっすか」
能天気なリュイの声を聞いた時、ティールは頭が真っ白になった。
この里の弓の大会といえば間違いなく、弓刺の儀のことしか思い浮かばない。
リュイが、人間の彼が、弓刺の儀に出る・・・?そんな馬鹿な。
「そうなのよ。里長のじっちゃんがね。リュイが<負けなかったら、あたしたちの願いを叶えてやってもいい>って」
「そんな・・・」
たしかにあの儀の対象は、齢を満たす男ではある。だが、他種族を、ましてや人間を入れるなんてことが許されるのだろうか。
「ティール、どうしたんだ?顔色が悪いぞ」
明らかに動揺を悟られたのだろう。ハレが心配してくれる。
「えっと、っすね・・・自分もその大会でるんすよ」
しかもよりにもよって、相手はあのリュイである。自分を捕まえたときの神業のごとき弓捌きがティールの中で蘇る。
「へえ、じゃあ、オレたち敵同士だな!」
リュイが楽しそうに言う。本当に、無邪気に楽しそうに。
「リュイさん、自分・・・絶対に負けないっすよ」
ティールだって弓の腕なら、彼には負けない。負けるつもりは毛頭ない。だが、万が一を恐れてしまう弱い自分がいた。
「おう!お互いに頑張ろうぜぇ」
「絶対に!絶対負けませんからね!!」
自分に気合を入れるつもりが、つい語尾も強くなってしまった。
ティールはバツが悪かったので、そのまま逃げだす。
後ろのほうで、アステルが「ティールさん、どうしたんでしょう・・・」と心配そうしている声が聞こえ、
それが彼の心を余計に逆立たせた。
ティールには野望があった。
彼が長となった暁には、<あの忌まわしき風習>を打倒するのだ。
その行為は、この里始まって以来の禁忌に触れ、里の風紀を乱す大問題なのだと、彼も理解していた。
だからこそ、里長はティールを阻止するためにリュイを刺客として送り込んできた。
だが、ティールは何が何でも、自らの野望を実現させねばならない理由があったのだった。
大会の朝、ティールは浅い眠りから目が覚めた。
あまり寝れなかった。無理もない、今日すべてが決まってしまうのだから・・・。
朝食もそこそこに、少し早めに、会場に向かった。
弓刺の儀は、里の外の見晴らしのよい山頂で行う。里から徒歩で30分ほどの距離だ。
リュイたちの姿はまだなかったが、里長の従者の二人が儀式の準備をはじめていた。
「ティール、早いな・・・。ひとりの男として、おまえの気持ちはわからなくもないが、撤回する気はないか?」
従者の一人が声をかけてきた。やはりティールの野望を快く思っていないのだろう。
「もう決めたことっす」
そう、決めたことだ。もう、あんな思いはしたくないのだ。
ティールの逸る気持ちとは裏腹にゆっくりと時は流れ、続々と参加者が集まってくる。
リュイたちがやってきた。
男勢は昨日と同じ格好だったが、シルヴィとアステルはそれぞれ青と緑の耳長族の服を着ていた。
「よう!ティール。昨日はなんか、すまんな~」
リュイが気を使って声をかけてくれた。
「こいつには全力で戦ってもらうけど。ティールも頑張って・・・ね?」
「あの・・・大丈夫ですか・・・?」
シルヴィとアステルもそれに続いた。
彼女たち着ているのは耳長族の伝統衣装であり、一枚の大きな布を体に巻き付け、左肩で大きな結び目を作り縛ったものだ。
こうすることによって、右肩だけが露出する丈の長いワンピースのように、女性を美しく着飾ることができる。
ふと、ティールの中で先日見たシルヴィの裸体が過った。いかんいかん、雑念は邪魔だ。
「うっす。昨日はこちらこそ、すみませんっす」
「オレも負けられないんだ」
リュイが背負うものも、きっとティールと同じぐらいに重いのだろう。
昨日の底抜けの能天気さは、彼なりのカモフラージュだとティールには薄々わかっていた。
だからこそ・・・。
「うっす!全力でいくっす!」
たとえ、なにがあっても、どんな手を使ってでも、全力を尽くすのが彼ら異種族の狩人、共通の流儀だ。
そしてそれこそが、相手への最大の敬意でもあるのだ。
開始時間となり、一人目の挑戦者が儀式場に入っていた。彼は里の中でも堅実な腕前をもつ猟師だ。
儀式場は、挑戦者が弓を射るスペースの5mほど後ろに、観戦用の立ち見スペースが設けられている。
観客を含む、その回の挑戦者以外の者はそこから、前の弓師の腕前を観察して、時には対策を講じる。
「オラァこういう張り詰めた試合好きだぜ。血が滾るってぇもんだ」
ブランの盛り上がる声に、ハレが若干疲れ気味に返していた。
「師匠も参加すればよかったんじゃ・・・」
「アホか小僧、オラァ弓なんて小手先程度だ。あんな遠的なんてできねぇよ」
そう、弓刺の儀のルールは単純明快だ。遠くに置かれた直径1mの的に矢をあてる。たったそれだけ。
だが、その距離がだんだんと伸びていくのだ。一巡目は50mから開始する。
それを挑戦者全員が終われば次は60m、70m、80mといった調子で10mずつ、次第に伸ばしていく。
「あぁ~外れちゃったわね」
シルヴィが言った通り、一人目の挑戦者が50mの的を外した。彼は、失格だ。
一発でも外したものは失格となり、最後まで失格しなかったものが勝者となる。
「なるほど、たった一回で失格になるんですね。難しそう・・・」
アステルがそう呟く。
この儀式で一番難しいのは風読みだ。この山頂上は風が強く、今日はよりにもよって<向い風>が吹いている。
一人目の挑戦者のようなベテランでも、風読みを外せば50mの距離すらあてるのが困難なのだ。
7人目挑戦者リュイと19人目挑戦者ティールの両名とも、序盤はまったく危なげなく、的の中心を射抜き残留。
他の挑戦者が成功すると大きな歓声があがるが、彼ら二人の時だけはハレたちだけの声が響いていた。
6巡目の距離100mになると、もう残りは彼ら二人を除くと一人だけだった。
「あらら~、結局、あの二人になっちゃったわね」
二人以外で最後まで残っていた里長の孫が100mの的を外し、シルヴィがため息をつく。
「あの二人はバケモンだかんな。最後のやつは良くやっただろォ!最高だったぜ!」
ブランとアステルがそれに続き、感嘆の声をあげる。
「二人ともすごすぎます」
「・・・」
ハルは一矢一矢に興奮するブランに巻き込まれ、ごっそり体力を奪われて物言わぬ置物になっていた。
7巡目、距離は110mになっていた。
両名とも危なげなくクリア。
ようやく、二人の戦いがはじまった。
8巡目120m、9巡目130m・・・
圧倒的な技量をもってクリアしていく彼らに向け、次第にブランたち以外の歓声もまばらにだが、増えていった。
11巡150mになる頃には、長耳族とブランたちの声量で、大地が揺れるような感覚に陥るほどの熱狂だ。
しかし、そこで二人の中で差が付き始めた。
リュイが的の中心を外しはじめたのだ。
13巡目170m、リュイが辛うじて的にあてる。
「あいつ、危なくなってきたわね・・・」
シルヴィの声色からも不安が伝わる。
「あぁ・・・、だがすげえ試合だ!もうどっちも優勝でいいだろォコレ。なあ小僧?」
「そう・・・ですね・・・師匠・・・」
そうですねマシーンとなりかけているハレをブランが揺さぶり、その様子を心配そうにアステルが見つめていた。
ティールは天才だった。
彼は確かに、肉体的な能力だけ見れば強くはない。
だが、彼にはその強靭な精神力に裏打ちされた鋼の集中力と、天性の風読みの能力があるのだ。
「リュイさん、悪いけど自分勝たせてもらいますよ」
ティールは足を自然体に開き、しっかりと大地を踏みしめる。
何十万回、何百万回と繰り返してた洗練された動作で矢筒から矢を迷いなく引きに抜くと、弓の弦を下に返し、矢を番え、そして・・・
静かに目をつむる。風を五感全てで感じるのだ。
彼の意識の中でこの山頂の空間が再構成され、一瞬ですべての風の動きをシミュレートする。
「いきます」
的に狙いを定め、まるで空間の支配者となったような高揚感を、恐るべき集中力で抑制する。
静かな水面に水滴を垂らすようなイメージだ。自分はこの風の中に一線の矢を垂らす。
そして、
渾身の一矢を放つのだった。
彼の手を離れた矢は、見るものすべてを魅了するかのような蠱惑的な放物線を描き、まるで的に吸い込まれるように、170m先の<的の中心>に当たる。
世界の時を止めたような静かな一拍をあとに、遅れて観客たちの地鳴りのような歓声があがる。
疑いようのない絶対。完全なる必中。
弓の神さえも羨むであろう彼の才は、紛れもなく本物だったのである。