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ティールに先導され、3時間は歩いただろうか。
森は一層深くなっていく。
樹齢何百年何千年の巨大な樹木が柱のように並び立ち、その葉と枝で空は覆われている。
微かに差し込む木漏れ日は小川の水流に反射し、辺りをぼんやりと照らす神秘的な光へと変質していた。
それでいて、風の通りが良いのだろうか、湿気を感じない。それどころか甘い草木の匂いと共に清潔さを感じる空気が漂っていた。
そんな幻想的とすら言える古代の深き森と、一体化したようにその里は在った。
「ようこそっす!長耳族の里エルダルヴ、へ!」
少し盆地になっているのだろう、木々の合間に木で作られた民家が見えた。
「へぇ、結構大きな里なんだなぁ~」
神秘的な森にテンションをあげたリュイは嬉し気に言う。
「おーこの雰囲気、20年前とちっとも変わんねぇぜ」
心なしかブランも少し興奮しているようにみえた。
「ここの人たち・・・すごく綺麗・・・」
「ほんとだわねぇ。とくに肌が綺麗だわ。水がいいのかしら?」
アステルとシルヴィはなにやら女子の会話をしているようだ。
遠目に見る長耳族の住民は、リュイたちに話しかけてくることはなく。
一定の距離をとりながら、コソコソとこちらの様子をうかがっていた。
「あれ、誰かこっちに来るよ?」
ハルが前方を指さした。
行商のキャラバンだろうか。
身なりの良い人間の青年が、鋭い目つきの男たちが5人ほど連れて歩いてきた。
「やあ、あなた達も行商・・・ではなさそうですね?でも、悪いことは言いません。この里には期待しない方がいいですよ」
と、すれ違いざまに忠告された。
「はぁ・・・」
ハルが生返事を返すと、そのままハルたちが来た道へと消えていった。
「期待すんなって言われてもよぉ~」
わけもわからず、リュイはそう呟く。
だが、ティールは意味深に言葉を濁すのだった。
「まぁまぁ、行けばわかると思うっすよ」
しばらく里の中を歩くと、ひと際大きな家の前でティールが立ち止まった。
「ここが里長の家っす。話だけ通してくるんで、ちょっと待ってくださいっす」
そう言うと、ティールは里長の家に入っていったが、しばらくすると何やら口論する声が聞こえた。
しかしリュイの耳でも内容までは聞き取れなかった。
「ハァ。とりあえず入って大丈夫っす」
数分すると明らかに疲弊したティールが出てきた。
「お、おう・・・なんかすまねぇぜぇ・・・」
そんな、リュイの言葉を聞き流して。
「あ、自分はこのへんで失礼するっす。またそのうち顔出しにいくっす」
ティールは逃げるように、足早に立ち去っていった。
ブランが先陣を切って、「邪魔すんぜ」と中に入っていくので皆も彼に続いた。
中には木の幹が剥き出しの、森の延長のような空間が広がっていた。
椅子に腰かけるのが里長だろうか。人間でいえばゆうに齢80を超えているであろう。
白髪と長い白い髭の良く似合う皺だらけの彼は黄緑のローブを身にまとい、眼光鋭くリュイ達をにらみつけていた。
彼の横には2人の長耳族の男たちが立っていたが、とても友好的には見えなかった。
「へぇ、こういう対応は20年前に来た時とだいぶ違うじゃねえか」
「ほぅ・・・。20年前というと・・・・あぁ、お主はあのときの小童かのぅ」
長老がブランに対しては、やや警戒を解いたように見えた。
「おう、あんときは世話になったな。じいさん」
「やたら大きく育ちおって。誰かと思ったわい」
張り詰めた空気が少し軟らんだ。
「それで、なにかあったんか?」
「お主が驚くのも無理もなかろう。十年と少し前のことじゃのぅ。この里の幼女が人間に連れ去られてなぁ」
そのまま、里長はブランを真っすぐに見つめて言葉をつづける。
「あれ以来、どうも人間を恐れる者が多くなり。すっかりこの様じゃわい」
「それは・・・無理もねぇな・・・」
ブランもその意味がわかったのだろう。歯切れが悪そうに言葉を紡いだ。
リュイ達がここまで見てきた長耳族の娘はとても美しかった。さらうということはつまり、<そういう>ことなのだろう。
亜人族と人間の信頼関係なんてものは元々ないに等しいのだ。
一つの事件をきっかけに瓦解するのも無理はない。
「それで、そっちの小童どもはなんじゃ?」
ブランがリュイたちのことを簡単に紹介してくれた。そして、帝国についてもの情報を求めていることも長老に伝える。
「帝国・・・かの・・・。人間の世界では、その存在は隠されておるからのぅ」
「隠されているって・・・?」
思わずハルが身を乗り出して聞き返した。
「うむ。わしの知ることを語るのはやぶさかではないのじゃが・・・」
里長は横に控える長耳族の男たちを見た。
「なりません、里長。里長自ら、人間に協力したのであれば皆の者に示しがつきません」
男の一人がかたい声色でそう答えた。
「と、こういうわけなんじゃよ。それにこちらは今、それどころではなくてのぅ」
「ほぅ、どうしたんだ?」
「身内のいざこざが少しあっての・・・」
それ以上は話すつもりはないのだろう。里長は言葉を止めた。
「せっかくここまできたのに、そりゃないぜぇ。里長さんよぉ~」
リュイはつい、その場に座り込んでしまった。弓と矢筒が木の床に当たる、耳障りの良い音が室内に響く。
「ほぅ、お主、良い弓をもっておるな。ティタニア樹とは・・・また珍しいものを・・・」
さすがは森の民たる長耳族だ。リュイの漆黒の弓は確かにそのような名の樹から切り出されたものだと聞いている。
とは言え、祖父の祖父のそのまた祖父にあたる者から脈々と受け継がれたものでリュイは良く知らず、ただの丈夫な弓として愛用している。
「あー、なんかそうらしいなー」
「して、弓に自信はあるかのぅ?」
「おう、オレは弓の腕だけはちょっとしたもんだぜぇ」
リュイは高らかに宣言する。自分から弓を取ったら、おそらく何も残らない。そんな気すらしている。
「ふぉふぉふぉ、ワシらを長耳族としりながら、ぬかしよるのぅ。どうじゃ、試してみぬか?」
「里長!まさか・・・!」
里長のリュイに対する挑戦的な物言いに、従者たちが騒めく。
「あぁ、なんか面白そうじゃねーか!」
こうして、リュイはこの老獪な長に売られた喧嘩をまんまと買ったのであった。
彼がその真意を知るのは、もう少しあとのことになる。