3-2
鮮緑の草木と湿った土の匂い。
狩人として、大半の日々を森で過ごすリュイは、この野生が支配する空間が大好きだった。
彼にとっての森は狩場であり、遊び場でもあり、そして家でもあるのだ。
ひょんな事から弟分のハレの旅に同行することなっても、森で過ごす時間は普段とあまり変わっていない。
そんなリュイは今、見張り中だ。
水浴びと修行、二手に分かれたパーティの中間にあたる場所で、木の根に腰掛けていた。
「だから、防御すんじゃねえ!避けろってぇ言ってんだろ!」
「無理です師匠!剣が速すぎて見えもしません!」
そんなブランとハルの掛け声が森にこだまする。
ブランが加わったことで、このパーティの戦闘力は格段にあがった。
まさかハルがあれほど弱いとは思いもしなかったわけだが、まぁこれで問題はないだろう。
そして、その程度の実力で旅に出ようと考える無計画な弟分のことを、リュイはとても気に入っていた。
危なっかしいところはあるが、この旅でも最後までハレを支え、見守っていくつもりだ。
水浴びにいった二人の方角を見ると、少しだけ白いカーテンが見えた。
すごい剣幕で「絶対のぞくんじゃないわよ。もし見たら、ぶち殺す」などと申していたシルヴィには悪いが、
子供ころから何度も見ている妹分の身体に欲情するのは難しいだろう。
ただ、正直な気持ちを話すとアステルの裸に興味がないわけではなかった。
もちろん特別な感情はないし、見たらハレが悲しみそうだから、実行はしないが・・・。
若干、期待してしまうのが男の性だ。
リュイがそんな不埒なことを考えているとーーー。
「そいつ、その変態覗き魔を捕まえて!!」
白いカーテンの横から、体を乗り出したシルヴィが、すごい剣幕で怒鳴ってきた。
一瞬、リュイのことを指しているのかとも考えたが、すぐ異常事態だと考えを改める。
必死の形相で逃げて去っていく、ライトグリーンのフード付きノースリーブを着た男が視界の端を掠めたのだ。
緑みがかった白髪は長めで、まだ幼さが残る顔つきからしてハレと同年代だろうか。
その背には茶色の2つの矢筒と大弓が背負い、その手にはなにやら白い布のようなのものをはためかせていた。
リュイは少し迷う。殺すのは…まずい。あまり荒事にはしたくない。
なにより、男である以上、覗きたい気持ちはわからないでもないので、下手に傷つけるのも良心の呵責がある。
手慣れた動作で弓を構え、矢筒から矢を取り出し番える。
一拍、呼吸を整える。男が木に近づいた瞬間を狙って、その手に持っている布を目掛け、そして射った。
規則的に、とは言え、激しく手を上下させる男が握っている布を、だ。
「うわっ」
突然、握っていた布を木に張り付けにされて、男は躊躇した。
リュイは男の動きが止まったところを狙い、もう一射。次の狙いは彼のノースリーブに繋がっている被っていないフードだ。
リュイの放った矢は寸分の狙いも外さず飛んでいき、今度は男が木に張り付けにされる。
見る者が見れば神業と称えたであろう。
それを容易くこなしてしまうリュイの弓技は、もはや達人の域に達していた。
それにしても、そんな布を見捨てていれば捕まることもなかったのに。そんなに大事なものだったのだろうか。
リュイはすぐさま駆け出し、その男を確保する。
「ごめんなさいごめんなさいごめんなさい、もうしません。ごめんなさい」
男が平謝りに謝ってきた。
間近でみる男の顔に、リュイは違和感を覚えた。
「あー、おまえ、もしかして…長耳族か…?」
彼の耳が長く、そして尖っていたのだ。
「ええ、まぁそうなんすけど、あの、見逃してもらえないっすか?ホントこの通り」
調子よく。手を合わせ、懇願するが、念のためそのまま両手をロープで縛りあげる。
そうこうしていると、シルヴィが駆けつけてきた。
彼女は身体に布を巻き付け、靴を履いただけの姿だったが、槍はしっかりと握っている。
そして、
「こんの変態!!」
開口一番、男の頰をグーで殴りつけた。
うわぁ痛そ。リュイはこれから彼の身に起きるであろう災難に少し同情する。
「ごめんなはい」
しばらく、殴る蹴るの惨劇が繰り広げられていた。
「ところでさ、この布はなんなんだぜぇ?」
木に張り付けにされていた布から矢を抜き、摘まみ上げ、広げてみる。
「あっ、だめ…それは…」
それは、湿っている。
それは、リュイの手のひらより少し大きい三角形をしている。
それは、穴が3つあいている。
「うーん、これ、おまえのかぁ・・・?」
なにがとは明言しないでおくが、これはアステルの物という可能性もある。
まだだ、がっかりするのにはまだ早い。リュイは希望を捨てずに、恐る恐るシルヴィに確認を取ってみる。
目にも止まらぬ速さで、奪い取られた。
しかし、よほど動揺していたのか、シルヴィは体に巻きつけた布を抑えるのを忘れていたようだ。
はらりと、彼女の裸体が惜しげもなく晒される。
その場が静止したような空気が流れた。
「おまえ、育ったじゃんか」
リュイはつい、場違いな感想を漏らしてしまう。
「わぁお…」
下着泥も縛られた両手で自分の目を隠し、指の隙間からチラチラと見ていた。
この後、二人が真っ赤に染まったシルヴィによって殺されかけたのは言うまでもない。
さすがのリュイも、まさか槍で襲われるとは思いもしなかった。
「ぜぇ・・・ぜぇ・・・」
「おいおいおい、待て待てー。これはあれだ。不可抗力ってやつだぜぇ!」
ようやく、シルヴィを落ち着かせることに成功するが・・・
「いやー自分。ほんと困っちゃうっすよね。てへっ」
悪びれない口調で男は、再びシルヴィに火を付ける。すかさずシルヴィが彼の後頭部を殴りつけた。
こんな調子では埒が明かないので、リュイはシルヴィを後ろから羽交い締めにし、とりあえず話だけ聞いてみることにした。
「狩りの途中、たまたま通りかかったら話し声が聞こえてっすね…」
凄むシルヴィ。
「いやいや、自分、人間の女なんて興味ないっすから、ほんと、事故っす事故マジ事故っす」
「じゃぁ、長耳族の女だと思って覗いて、下着を盗んだと」
リュイが男を代弁してやる。
「いえ、覗いてもないっす!バレんの怖かったんで下着だけ盗んで逃げました!」
「お、おう・・・。そんなハキハキ言われてもねぇ~」
「いやー困った困った。まさか人間の下着だったなんて、うっかりっすよ」
「人間だろうと、長耳族だろうと関係ないでしょ!こんの女の敵!!」
わなわなと震え、怒りを露にするシルヴィから脛を蹴られていた。
と、まぁそういう話らしい。
いつのまにか着替えを済ませていたアステルに続けて、騒ぎを聞きつけたハレとブランも合流してくる。
「シルヴィさん、変態さんは捕まりましたか?」
「シルヴィどうしたの?大きな声が聞こえたけど」
「ハレ?!キャッ!ちょっと待って着替えてくるから!リュイ、手・を・離・し・て」
キッと睨まれたので、慌ててシルヴィを羽交い絞めから解くリュイ。
ハレに対してと反応が違いすぎるだろう。ここまで露骨だとさすがに呆れてしまう。
そんなリュイを余所に、彼女は泉のほうへと駆けていった。
「それで…そっちのひとは…?」
ハレが怪訝そうに縛られた男を見る。
「んー、長耳族の下着泥?」
「へ?」
こんな状況を理解しろというのは酷な話だ。リュイは掻い摘んでハレたちに説明する。
「あの姉ちゃんのをねぇ。命知らずもいいとこだな」
ブランの彼に対する品定めは終わったらしい。言い方から察するに、下着泥はたいした脅威ではないのだろう。
「は、はぁ…なるほど。それでキミ名前は…?」
ハルは気を取り直して尋ねる。
「自分、ティールっす!19歳、絶賛ツガイ募集中!あっ、でも人間はちょっと…」
「ごめんなさい。わたしも変態さんはちょっと…」
「こっちから願い下げよ。ぶち殺すわよ」
アステルの可愛らしい非難の声の後に、着替えて帰ってきたシルヴィが続き、ドスの聞いた声で威圧する。
ティールは震えあがっている。
「あはは…はは…」
ハルはいつもように、力なく笑い、そのまま言葉を続けた。
「聞いた感じ事故だったみたいだし、シルヴィも出来れば……許してあげたら?悪いやつじゃないみたいだしさ」
下着泥の言い分を鵜呑みにした上、そんな甘言でシルヴィを丸め込めると思ってるハレの純粋さに、リュイは脱帽する。
だが、
「まぁ・・・ハルがそこまで言うなら…」
えっ!?いいんだ?ハルには甘々だなぁこいつ。リュイはそう思わずにはいられなかった。
「ありがとうございます…ありがとうございます…」
余程シルヴィが怖かったのか、ティールは涙目でハレを崇めている。
皆が少し落ち着いたので、頃合いを見て、簡単な自己紹介を済ませた。
長耳族の里の話も聞いてみたところ、やはりティールは里の民のようだ。
「えっ?みなさん、うちの里くるんすか?」
「うん。とある国の情報が欲しいんだ」
ハルがそう返事した。もちろん帝国の話だ。
「ハルさんの頼みなら、案内ぐらいいくらでもするっすよ。さっきのことチャラにしてくれるのなら、もっと嬉しいっすけど・・・」
後半は小声だったが、シルヴィが彼を睨みつけたからだろう。
「いや〜でも正直、助かったぜぇ」
ティールへの助け船ではないが、リュイはそう呟く。
ブランから地図を提供されたとは言え、旅の進路は草の向きや木の年輪から方角を把握し、足で測るおおよその距離感と、山岳の形から決定する。
長耳族の里のように山中深くにある集落となると、遠くからだいだいの場所を目指すのはそこまで難しくないにせよ、近づいてから里を見つけるのは中々に骨が折れる作業だ。
「そうだな。なんせオラァ長耳族の里に行ったのが20年も前だもんでなぁ。探すのに一苦労するとこだったぜ」
ブランも記憶力にはあまり自信がないようだった。
一同はティールの提案を飲んで、この件は手打ちにすることにした。
シルヴィはまだ文句を言っていたが、ハルがなんとか宥めてくれている。
「まぁ、里の連中が取り合ってくれるかはわかんないっすけど・・・」
ティールはそんな不穏な言葉を口にして、皆を先導すべく先頭を歩いていった。