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07

クローディアはジブリール王子とともに、しばし無言で過ごしていた。

研究室内には、ガラス窓の向こうにある大型機械が唸る音が響く。

しかし、それもそろそろ静かになりかけている。魔法と石油がつきたのだ。


予想よりも持ったな、と現実逃避のように考えながら、クローディアは美貌の王子を改めて見つめなおす。


「先ほどの暴漢どもがここに来たのは、このディスクを取り戻しに来たからなのですね…」


己の予想は半分当たり、半分外れていたわけだ。

だが最初から気づくべきだったのか。

火災現場でディスクを拾ったときは、油田開発に関する何かだと思っていたので、すぐには結びつかなかった。


自らの迂闊さを呪うクローディアに、ジブリールは苦笑を浮かべ首を横に振る。


「ディスクとともに再生機も手に入れたかったでしょうから、間違ってはいませんよ」


そもそも黒ずくめの連中が油田火災という大事故を起こしたのは、これを再生する術が無いことに気が付いたからだろう。


本来なら自分たちでデータを取り出し、新聞社にでも送りたかったに違いない。

だが異国の魔女がしゃしゃり出てきてしまったことにより、計画に穴が開いた。

新たな計画を練るより奪い返した方が早い…それもクローディアがディスクの内容を知る前に。


「とんでもないところに、首を突っ込んでしまったようだ」


小さく呟いた。クローディアは再び吐息をもらし、王子から目をそらす。

同時に、また長い無言の時間が二人の間に流れた。


「…このことを私に告げて、何を考えておられるのです?」


しばらく考えて、ようやく口に出した言葉は、問いかけの形を取っていた。


やや厳しい口調になってしまったのは仕方がない。クローディアが知ったのは、ジブリールの地位を揺るがす秘密だ。

この代わりに何を要求されるのか、という疑念すら湧いてくる。


美貌の王子はじっと己を真摯に見つめて、静かな口調で答えた。


「私の問題に貴女を巻き込んでしまった。だから全てをお話しする義務があると思ったのです」

「それだけですか?」

「ええ」


きっぱりと頷かれ、クローディアは眉を跳ね上げる。

一見誠実に見えるが、あまりにも軽い。彼の抱える秘密は、そんなに軽く渡していいものではないはずだ。

しかも自分は彼の身内でも、信頼できる部下でもない。ただの魔女である。


疑惑の色が濃くなったクローディアの表情に、王子はただただ真っ直ぐに視線を向けた。


「もうすでに彼らは貴女がディスクを手に入れたことに気づいている、と見ていいでしょう」

「そう、でしょうね。わざわざ襲撃してきたのが証拠です」

「これは私のミスです。貴女の身を危険にさらし、守ると言ったのに守ることが出来なかった」


その言葉とともに、一国の王子が何とぺこりと頭を下げ、クローディアは慌てる。

異国の奇妙な魔女にしていい態度ではない、やめてくれと言えば、彼は真剣なまなざしのままゆっくりと顔を上げてくれた。


ジブリールの態度は変わらない。あくまでも真摯だった。

それに少しだけ、クローディアは表情を和らげる。困惑した、とも言えた。


「クローディア殿、私は貴女に夢を…石油と魔法を共存させる夢を叶えてほしいのです」

「夢…?」

「貴女の強く、無謀で、勇敢で、自由な夢です。貴女が夢を叶えるところを見たい」

「…?」


最初に投資を申し出られたときも、昨日の月夜の下でも、こう言われたことを思い出す。

あまり深い意味があるとは思っていなかったが、繰り返されれば気になる。

クローディアが真意を探るためじっと観察すれば、王子はふっと目元を緩ませた。


「夢を叶えるまで、ここにいてもらっても構いません。設備はいつまでもお貸しします」


打算も策略も無いような言葉。

その裏を探ることすらはばかられ、クローディアはついに何を言っていいかわからず立ち尽くす。


戸惑いのまままたしばらく視線を交わし合い、やがてジブリールは柔らかく微笑んだ。


「しかし、今回の件でそれが難しくなったら…この情報を新聞社にでも売って、それで夢を叶えてください」

「…は?」

「財力以外で、私が貴女に出来ることは、もうこれしかありませんから…」


ぽかん、と口が開いたままの魔女を、王子は穏やかに見つめている。


破滅への第一歩となるだろう弱点をさらけ出した彼は、一回、目を閉じた。

そして呆然とする己を残し、出口へ向けて歩き出す。

まるで話は終わった、と言わんばかりの態度だ。

困惑が加速してクローディアはその背に「王子」と、慌てて声をかける。


彼は振り返らない。その代わりぽつりと呟いた。


「貴女の夢は守ります。何も気にしないでください」


今一度「王子」と呼ぶが、彼は止まらない。そのまま自ら扉を開けて出て行ってしまう。

室内に一人残されて、クローディアはゆっくりと瞬いた。


「…なんだよ、それ」


石油には、本当に利権以外の問題が付きものらしい。

王位問題がここまで激化するのは、やはり石油が生み出す莫大な富が原因だ。

自分の後押しする王子が王の座につけば、自分たちも甘い汁が吸える。そう考える輩が多いのだろう。


(そんなお立場で、あの方が口に出した『夢』にはどんな意味があったのか…)


ぼんやり考えつつふと窓の外を見ると、ちょうどジブリールが施設外へ出ていくところだった。

ここからは顔は見えない。

真摯な態度と、まるで捨て鉢になったかのような彼の言葉はクローディアの心に痕を残している。


しばらく彼の様子を見ていると、いまだ捜査されている中庭に、車が一台乗り込んできたのが見えた。

王家の人間が乗る、高級車である。

しかし乱暴に扉を開けて出てきたのは、王の血筋を引く人間ではない。スーツを着た神経質そうな男である。


「…あいつは、弁護士のニック?ふうん、王子を心配してきたのか?」


国王サイードとの挨拶のとき、傍らにいた法律家は、焦りと苛立ちに満ちた顔でジブリールに詰め寄っている。

対して王子は涼しい顔で、彼をあしらっているようだった。


何事か言い合った(ニックが一方的に、だが)あと、王子は自分が乗ってきた車に乗り、帰還していく。

しばらく肩をいからせていた弁護士たったが、にわかにこちらの方を振り向いた。


ぎろり、と視線を強く研究所を睨みつける。

しかしすぐに踵を返すと、車に戻っていった。


「…ふうん」


クローディアは納得したように息を吐くと、窓から離れた。


ぐるぐると考えが巡る。が、そろそろ割ってしまったキッチンの窓を片付けなければならない。

もう茶を飲む気分でも無くなった。風呂も沸かしたっきりだ。

体全体が酷使された疲れを思い出し、ふああ、と一つあくびが出た。


キッチンに入り、飛び出してそのままになっていたやかんやティーカップ類を元あった場所にしまう。

壊れないようにティーポットを戸棚に戻したとき、ふときらりと青い宝石がきらめいた。


「これはいい材料だよな…」


ぽつりと呟いた言葉は誰にも聞かれなかったが、クローディアの脳内に一つの考えが浮かぶ。


合成サファイア。

強度のある宝石。

その中に情報を書き込める技術。


「…ふむ」


あごに手を当てて、思考の海に入る。

青い光がもたらした計画は、クローディアに疲れを忘れさせてくれた。



柔らかい光を放ち夜を彩る月は、まあるく身を太らせている。

雲すらかからない、純粋な満月である。

カマル王国が誇る望月の夜は、日光よりも静かに麗しく、幻想的に世界を照らしている。


開け放った窓から、その光がふんわりと舞い降りていた。

この光だけでも開いた本が読めるほど明るい。

お気に入りの一冊を眺めながら、ジブリールはふっと苦笑した。


幼き日はこの玲瓏なる月夜を心待ちにしていたこともあった。

あの頃は物知らずだったゆえに、美しいものを美しいと言え、当たり前に夢を見ていた。


しかし最近は―――特に、母が亡くなってからは…母が父を裏切っていたと知ってからは、世界があまりにも辛い。


無論、自分はこの国の王子である。

泣き言を口にしたことなど決してなかった。

ただ自分たちの意思に反し、加熱する王位争いに心だけが摩耗していった。


(誰が王になったところで貴方たちに利益はいかぬだろうよ…それすらもわからないのか)


否、石油と言う金の卵に、皆正常な判断が出来なくなっているのか。

ジブリールの周りでおべっかを使う輩の顔が浮かんでは消える。

皆同じ表情をしている。欲に目がくらんだ、醜い顔だ。


「ああ、…特に貴方の顔は見飽きたよ、ニック」


ぽつりと言い放ったそれは、決して独り言ではない。

がたり、と扉のあたりで大きな音がしたのがその証拠。


ジブリールは本をテーブルに置くと、ゆっくりと音の出所に目を向けた。

そこには見慣れた上等なスーツを着込んだ法律家が、呆然とした顔で己を見つめている。


鍵は閉めたつもりだが、いつの間にスペアキーを作ったのだろう。

ニックの手に握られている銀色の鍵を見つめながら、ジブリールは口を開いた。


「やあニック。こんな夜遅くに何の御用かな?」

「…じ、ジブリール王子。起きていらっしゃったんですか?」


いつものように優雅な王子の仮面を被って微笑むと、弁護士ニックも笑みを浮かべる。

何処となくしどろもどろとした態度で、浮かんだ笑みも引きつって見えた。


ジブリールは彼の顔をじっくりと見つめながら、背もたれに自分の体を預ける。


「そんなに恐れなくてもいい、今この場には貴方と私しかいないよ」

「な、何をおっしゃっているのかわかりませんな…」

「貴方は嘘が下手だな。弁護士はやめるべきだ」


笑みを深めると、素直な弁護士は顔を赤くした。

こんな調子でいままでよく法律家が勤まったものである。

その悪態は口に出さずに立ち上がり、ジブリールは表情を崩さず彼に歩み寄った。


「貴方が欲しがっているものはここにある。ほら、これだろう」

「…!」


懐からサファイアディスクを取り出してかざせば、再びニックの顔色が変わる。

月光を受けてきらめくディスクに、惹かれるように弁護士は近づいてきた。

しかしその指がディスクに触れる瞬間、ジブリールはすっと手を上にあげる。


ニックの眉毛が、ぴんと跳ね上がった。


「何のおつもりですかな?」

「この証拠は渡せない。少なくとも今はまだ公表すべきではない」

「ははは、ジブリール王子ともあろう方が保身に走るとは」


保身と思われても仕方がなかろう。だがジブリールは王子の座を降りる気は無い。

第四王子とて、守らなければならないものはあるのだ。


「貴方が誰を王にしたいと思っているのか知らないが…王座に座るのは長兄で決まっているのだよ」

「ほほう、本当でしょうかな?」

「しかし長兄が兄になる前に、貴方は罪に問われるだろうがな」


顔色こそ変わりやすいが、あいまいな、どうとでも取れる言葉で会話を続けるニックにジブリールは切り込む。


弁護士の顔がひくりと歪んだ。

その唇が「どういう意味です?」と呟き、ジブリールはすっと目を細めた。


「私が貴方を待ち構えていたことで、もうわかっているだろう。油田火災についての証拠は上がっている」


決定的なヒビが、ニックの表情に入った。

ふらり、ふらり、と足の力が弱まったかのように後退し、彼はうつむく。

諦めたかのような態度だが、ジブリールは気を抜かなかった。


「そう、でしたか…」

「…!」


ニックの影が、ゆらりと揺れる。手がゆっくりとふところに伸び…急に素早く動いた。

はっとしたジブリールは半歩下がり、身をひるがえす。


がうんっ!―――と静かな月夜を銃声が貫く。


ちりりとした熱さが頬を掠め、やがて痛みとなっていく。

ジブリールは、銃を構え自らに発砲したニック弁護士に、鋭い視線を向けた。


「貴方には昔からの恩がある。自首してくれ」

「ふん、ばれているのならもはやここまで。せめて貴方の命くらい貰わなきゃ割に合いません」


捨て鉢の台詞に、今度はジブリールの表情が歪んだ。

ニックとて、王家に雇われたときはごく普通の法と正義に準ずる弁護士だったはずだ。

やはり石油が生み出すもの…富と権力はここまで人を変えてしまうのか。


それは、そんなのは―――あまりにも悲しすぎる。

こちらを向く真っ黒な銃口から視線を逸らさず、ジブリールはじりじりと後ろに下がっていく。

その際、かたん、と先ほど使っていたテーブルに足が当たった。


その上には先ほどまで読んでいた本が、何事も無いように月光に照らされている。


この世界に唯一残された、強く、無謀で、勇敢で、自由な魔女が書いた本だ。


(…クローディア殿)


もう何回も読み返してすっかり古ぼけてしまっている表紙を、視線で撫でる。

この本の著者が襲撃された夜から会いに行っていないが、心安らかに研究が出来ているだろうか。


「まったく、皮肉だな。ようやく夢に出会えたと思ったら巻き込んでしまった…」


ふと呟くと、ニックが再び引き金に力を込めたのが見えた。

一発くらいは、好みに食らうかもしれない。そう覚悟を決める。


―――空気が変わったのは、その時であった。


ぎゃるるるっ!とエンジン音が高らかに響く。

窓の外から聞こえた轟音に、ジブリールもニックもぎょっと視線を向けた。


月の光よりも強い青い光を放ちながら、何かが上空から降りてくる。

一瞬飛行機かヘリコプターかと思ったが、それにしては小さい。

がたがたと窓枠を揺らしながら二人の前に現れたその姿は、まるでバイクのようだった。


空に浮くバイクのハンドルを握るのは、銀色の髪の毛を夜風にはためかせた魔女。

田中・クローディア・月亮が口元に不敵な笑みを浮かべてこちらを見ていた。

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