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05

パソコンの画面に釘付けになっていたクローディアは、ふと壁にかかっている時計を見上げた。

もうすぐ日付が変わる。ジブリールと食事をして研究所に戻ってきてから、随分時間が経っている。

パソコンルームの窓はごく小さなものだったので、日の傾き、そして沈んだことにも気づかなかったのだ。


(…しまった、夕ご飯食べるの忘れてたな)


今さらながら空腹感に襲われたが、この時間に料理する気にはならない。長時間労働からの疲れもあって、とっとと風呂に入って眠りたかった。

椅子の背もたれに体重を預けて一度伸びをし、首を回しながら立ち上がる。ぽきぽき、こきこきと背骨と関節から悲鳴が上がった。


バスルームで湯の準備をし(ありがたいことにシャワーと湯舟がある)、その間適当につまめる物は無いかと冷蔵庫を開ける。

ひやりとした冷気に頬を撫でられた。

中は高級そうな食品が並べられている。今日の朝護衛の女性に渡されたときはろくに確認もしなかったが、全て美味しそうだ。


その中で、片隅に見つけたのは、瑞々しいベリー類の詰め合わせである。

小粒で愛らしい果物たちに目を奪われ、うきうきした気分でパックごと取り出した。


ストロベリーにブルーベリー、ラズベリー、目にも鮮やかな果物は、一口で放り込むにはちょうどいい。

舌でつぶすとじゅわりと果汁がしみ、独特の酸味と甘みが疲れた体と精神を癒してくれた。

決して安価な品の味ではない。本来なら朝のヨーグルトの中にでも入れたい逸品だが、簡単に食べれるものはこれしかなかった。


(あとは…お茶飲もうかな。カフェインだけど、まあ眠れないことは無いか)


むしろあの花の香りが、クローディアを健やかな眠りへといざなってくれるかもしれない。

自分が思っている以上にこの国の茶を好いていると考えながら、キッチン下の収納棚からやかんを取り出す。


水を入れたやかんをコンロにかけながら、ティーポットとティーカップを探し…そして冷蔵庫の横にあった戸棚に目的のものを見つけた。


「うわあ、ここにもお金かけてんのか…」


やるなあ、カマル王家。という軽口とともに取り出すカップは、王家の豪邸で出されたそれと同じもの。

繊細な薄さで出来た磁器で、邪魔にならない程度に花の装飾と青い石がつけられている。

セットらしいティーポットも同様のデザインで、形自体も瀟洒で高級感があった。


取り扱いを間違ったら大変なことになる。

研究室のコンピューター類とどちらがお高いのだろうと、恐る恐る観察した。


「この宝石、サファイアかなあ?いや、タンザナイト?うーん…」


宝石に詳しいとは言えないが、馴染みのない深い色合いだ。

光と青が折り重なり、まるで底の深い海のように美しい。見ていると吸い込まれそう、という感想を抱くのも同様だ。


―――否、海、と言うよりも吸い込まれそうな空か。


昨晩ジブリール王子とともに並んで見た、月の光で淡くなったこの国の空によく似ている。

あの光景を思い出し、ため息がでるほどだった。


その相違点に、もしかしてカマル王国で採掘されている宝石なのかという可能性に思いつく。

自国の宝石を自慢したいのかしらん?と意地の悪いことを考え…いや、と首を横に振った。


「こんなところについてるってことは…これってもしかして」


様々な想像が頭の中を駆け巡り、一つの結論にたどり着く―――その前に、クローディアはふと妙な音を聞いた気がして顔を上げた。


何かが空を切るような音とぶつかり合う固い音、そして低く響く人のうめき声。

断続して聞こえ続けるそれは物騒さを含んでおり、治安の悪いスラム街などでよく聞いたことがあった。

間違いなく窓の外で何者かが殴り合っている。一瞬喧嘩かとも思ったが、人気のない区域でそれは考えにくい。


(まさかジブリール王子が昨日言ってた…こんなに早く!?)


王家の石油にまつわる利権と、手に入れた者を妬むやからがいるという事実。

彼らがクローディアのいる場所に、殴り込みをかけに来たのか?

だが、こんなに直接的な方法を取る暴漢がいるのか?来るとするならば情報操作をして、己の印象を悪くするなどの手を使うと思っていたが。


カップを置いてコンロの火を消し、クローディアは足早に音に近い窓へと近寄った。

カーテンの向こうからは淡い闇が入り込んでいる。隙間に顔を寄せて外をうかがうと、ちょうど研究所の中庭の部分が見えた。


電気の類は一つもない場所だったが、幸い満月に近い明るさがある。

目を凝らせば芝生で格闘している人影が確認できた。


(あれは護衛の人と…誰だ?黒ずくめでわからんな。暗殺者か?)


昨日の護衛とは違う女性である。相対するのは黒いジャケットとズボン、そして覆面姿の男だった。

体格に違いがあったが、護衛は強い。渾身の力を込めて振りかぶった拳が、見事黒ずくめの人物の顔にめり込むの様子が見えた。


彼女の足元にはすでに気絶しているらしい、同じく黒ずくめの男たちが数人転がっている。


(おお、すごいや。カマル王国は防衛の面でも優れているのかな。…あれ?)


ふと向かい側の研究所の屋上で何かが動いた気がして、クローディアは顔を上げた。

隣と言っても通りを挟んで、さらに距離がある。薄っすらとした月明かりしかない視界、見間違いかとも思った。


―――いや、見間違いならどれほど良かったか。


ぼんやりとした暗闇の中、慣れてきたクローディアの視力が確かにそれは人影だと告げる。

格闘している連中と同じ黒ずくめである。大きなスナイパーライフルを屋上の縁に固定し、その切っ先を中庭に向けている。

張り詰めた殺気に、背筋が凍った。


(狙撃手か!?くそ、どうする!?)


恐ろしい銃口がに睨みつけているのは、間違いなく護衛の女性だ。

最後の一人を片付け、恐らく身元を探ろうとしてだろうひざまずいた彼女は気づいていない。

声を張り上げるべきかと考えたが、狙撃手の指はすでにトリガーにかかっている。

窓を開け、彼女に気づかせていては間に合わない。


―――ならば。


「風よ!」


自分が出た方が早い。

想像(イメージ)を具現化して、風を巻き起こす。

風圧に窓が割れ、ガラスが舞い散る。悲鳴のような甲高い音。転じて豪風流れる音。

中庭の女性も狙撃手も、視線をはためくカーテンの奥にいるクローディアに向けた。その一瞬の間を逃さず、風に乗って空に駆け出す。


狙撃手にスナイパーの軌道を修正する時間は与えない。もちろん逃走も許さない。

今度は青い想像(イメージ)を浮かべ、逡巡の後に背後へ駆け出した狙撃手に向けて水流を放った。

冷たい飛沫と、ごう!と唸る音。勢いのあるそれは屋上を流れ、逃走者の足元をすくう。

転んだ黒ずくめは、濡れた屋上に強か体を打ち付けた。


「逃がさんよ。わざわざこんな夜遅くに尋ねてきたんだ。ゆっくりしていけ」


風で屋上まで体を移動させたクローディアは、冷たい視線で黒ずくめを見下ろす。

脅しもかねて低い声で言ってやれば、起き上がろうとしていた彼はちらりと肩越しに己を見た。そして観念したのか、そのまま無抵抗に手を上げる。


(…やれやれ)


男から意識を放さず中庭を確認すると、護衛の女性が携帯端末で電話をかけている姿が見えた。

相手は仲間か、それとも王家か。すぐにでも救援が駆け付けるだろうと、少し安心する。


仕事疲れの後に重労働だ、とクローディアはため息をついた。



それから10分もしないうちに、重厚な車が数台研究所の入り口前に押し掛けた。

乗っていたのは、中庭に現れた黒ずくめを打ち倒した護衛のご同僚。彼女よりも物騒な武器を抱えている者もいて、物々しさに「うへえ」と声を出す。


そして彼らとともに現れたのは、昼間別れたばかりの美貌の王子。

この時間、まさか王子までやってくるとは思っていなかったクローディアは、少し驚いて目を瞬かせた。


「…ジブリール王子」

「クローディア殿!お怪我はありませんか?すみません、こちらの監視ミスで…」

「いえ、大事(だいじ)はありません。王子のつけてくださった護衛の方のおかげです」


己の姿を見つけるや否や、速足で駆け寄ってきた王子はその美しいかんばせを歪ませていた。

騒動を聞きつけ、相当焦ってくれたのだろうか?

勤勉な護衛の活躍を報告しつつ、クローディアはジブリールの目を見つめた。


王子もまたこちらの瞳をじっと観察し…やがて本当に大事無いことを理解したらしい。

ほっと息を吐いて「無事でよかった」と安堵の言葉を呟いた。


「王子、それよりも暴漢たちの身元はわかりそうですか?」


何よりも彼らの正体が気になっていたので尋ね、あたりを見回す。

すでに黒ずくめの連中は捕らえられ、連行されていった。中庭には専門家と見られる一団が、調査のため残っている。


ジブリールは近くを歩いていた男を呼び止めると、何事か尋ねた。

二三度言葉を交わして、すぐにクローディアに向き直る。


「身元を証明するようなものは持っていないようです。尋問して吐かせるしか無いですね」

「昨日王子がおっしゃっていた、私の幸運を妬むものでしょうか?」

「…おそらくは」


少し考えた王子は、可能性は高いでしょうと頷く。

だがその顔には、妙に納得のいかない様子が濃くうかがえた。


「しかしこのような直接的な手を使うとは思っていませんでした。もう少し捻ってくるのではと…」

「ええ、私もそう思います。もっと簡単に私を蹴落とす方法もあったはず」


ジブリールもまた、先ほどのクローディアと同じことを考えたらしい。

下手に暴力に訴えるより、奇妙な異邦人を陥れる方法などいくらでもある。


返り討ちに…このような事態になることも予想できたはずなのだ。

襲撃に失敗した実行犯から、計画が割れてしまう可能性があるというもの。

相手がそれを理解していない大馬鹿なのか、それともこうしなければならない理由があったのか。


先ほどの戦闘を思い出しながら考え、クローディアはジブリールのそでを引っ張る。


「王子、少しこちらへ…。お耳を拝借します」


誰かに聞かれることを恐れ、クローディアはジブリールを人気のないところまで連れていった。

護衛たちに監視されていることはわかったが、止められはしない。己が危険ではないことを、王子から説明されているのかもしれなかった。


「もしかしたら連中はこの研究所に何か用があったのかもしれません。何か思い当たることはありませんか?」

「…研究所に?」


形の良い耳に己の考えを吹き込めば、王子は綺麗な眉をきゅっと跳ね上げる。

唇をきつく結び、何かを考えている様子だった。

とっさに言葉を作れなかったこととその表情に、クローディアは確信する。


「王子、私に何か、隠していることがおありでしょう?」


やはり自分が与えられたこの研究所には何かあるのだ。

黒ずくめの連中はこの場所、あるいは研究所そのものに目的があって襲撃した。


―――そしてここにいる美貌の王子はその秘密を知っている。


確信をもって尋ねれば、ジブリールは少しだけ表情を消して、美しい瞳を幾度か瞬かせた。

数秒、間を置いたのち、彼はゆっくり息を吐き出して遠くを見つめる。

そのまなざしの先には昨日の夜よりも身をふくよかにさせた月が、場違いなほどロマンチックに浮いている。


美貌の王子はしばしそれを見つめて、やがて観念したように「はい」と頷く。

しかししおらしいと感じたのは一瞬、美貌の王子は不敵さを伴った視線でこちらを振り返った。


「ですがそれは…クローディア殿も同じでしょう?」


僅かな寂しさを滲ませながら微笑み、ジブリールは言った。

やはり同様に…感づかれていたか。ふところに隠した例のガラスディスクの存在が、妙に重く感じる。

クローディアは目を閉じて、それからしばし考えたあと「ええ」と頷いた。

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