表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
3/9

03

どうぞこちらです、とにこやかに案内する美貌の王子とともに入ったのは、巨大な箱のような…明らかに研究施設だとわかる建築物だった。

すでにあたりは暗く、空には月が浮かんでいたがその建物は白亜の壁のせいかぽっかりと際立って見える。

カマル王族のやんごとない身分の方が住む豪邸は王国の中央、警備が厳重な地域に建っていたが、ここは郊外に近くやや静かで人通りが少ない。周りには同じような建物がいくつか建っていたから、知識を追求する者たちが集う区画なのかもしれない。


「ここ一角はカマル王家が所有する研究施設となっています。こちらの研究所は先日空きましたのでちょうどよかった」


軽やかな足取りでよく磨かれた床を歩くジブリール王子は、クローディアにそう説明した。

自分たちの後ろには男女の二人の、護衛、もしくは監視がついてきている。王家の家からここまで、車で二人を乗せてきてくれた者たちだが、先ほどから無言で妙に恐ろしい。あまり下手な態度はとれないと思い、粛々とした態度で「お気遣い痛み入ります、王子」と礼をしてから軽く微笑した。

満点かどうかはしらないが角は立たなかったはずだろう己の対応をちらりと見て、ジブリールは少し困ったように笑う。


「あまり固くならないで欲しいですね。私も父上と同じように魔法に…魔法使いに興味があるのです」

「…恐縮です、王子」


どう答えたらいいものか刹那迷い、結局猫を被ったままクローディアは再び礼をする。

「弱ったな」と呟いた王子の眉が少し垂れ下がったが、やがてたどり着いた部屋の扉を先回りした護衛が開けて、彼は案内を再開させた。


「さて、こちらが研究室となります。もともと石油の研究をしていた施設ですので機材はそろっているかと」

「…すごい。最新鋭のものですね」


明かりのついた部屋の中を見回せば、そこには雑誌でしか見たことのない最新パーソナルコンピューターがずらりと並んでいた。モニタが四台に本体、外付けハードディスクもいくつかあるらしい。

そして何より目を引いたのは、大きなガラス窓の向こうに置かれている、巨大な機械の群れだった。

クローディアの身長よりも大きなドラム缶のような大筒がいくつか並んでいて、周りに長いパイプが張り巡らされている。恐らくあの中に石油を入れると、様々な実験が出来るのだろう。

こんなに大掛かりな機械は見たことがない。呆然とするクローディアに、王子はガラス窓の向こうを見つめて何事でもないことのように説明した。


「我が国で開発した石油の研究装置です。どうぞご自由にお使いください」

「…これは、国家機密では?」

「確かに大きな装置ではありますが、国外に持ち出さない限り詳しく調べていただいても構いませんよ」


余裕ぶった態度だ。カマル王国にとって、たとえこの機械の情報が盗まれたとしてもたいした痛手にならないのだろう。恐らくここにあるものはもう古い技術で、石油を研究するための新たな機械を開発予定…あるいは開発済みなのか。

そちらの方も気になるな、とは思うがそこを深く追及するべきではない。クローディアは王子に微笑みながら「かしこまりました」と素直に頷いた。


「あちらの方にベッドとバスルーム。それとキッチンがあります、食材は毎日届けます…よろしければシェフを常駐させることも出来ますが?」

「いいえ、自分の好みの味がありますので」


至れり尽くせりだが、誰かにそばにいられると集中力が続かないのでそれは丁重に断る。

ジブリールもそれは承知していたのだろう。それ以上進めはせず、視線を転じてパソコン類が置いてある反対方向にある扉を見つめた。

クローディアも彼の視線を追ってその扉に視線を移すと、王子は答えるように近づき、自ら扉を開ける。


「それから、…こちらがテラスに続く部屋なります。この時間なら月が出ていますよ。どうぞご覧になってください」

「…はい」


一瞬、これも断ろうと思ったがジブリールの言葉と表情が有無を言わせぬ圧力を持っていると悟って、寸の間考えたあと了承した。

王子は護衛二人にここで待つように伝えると、クローディアをテラスに案内する。決して体に触れないが、その様子はエスコートと言ってもいいほど優雅な仕草だった。

肩越しに、残される護衛たちを見て、王子を見る。彼は優雅に微笑んでいる。その表情から何を考えているのかはわからず、二人きりになることに一瞬不安を覚えた。

流石に命までは取られないだろう…とは思う。己をここで、王子自ら抹殺する意味がない。


「どうぞ、こちらへ。意外と広いでしょう?」


物騒なことを考える己の思考とは裏腹に優しいジブリールの声に、はっと我に返った。

彼の真意を考え顔ばかり観察していたものだから、促されてようやくテラスにたどり着いたことを知る。視線を前に向けると広いテラスの柵の向こう…―――遠くには銀色の輝く砂漠がきらめき、宙には大きな月がぽっかりと浮かんでいるのが見えた。

夜の色を淡く藍色に馴染ませる、真珠のような色合いの月。その真下には昼間の熱が嘘のように、冷たく静かな砂漠がきらきらと光っている。

街の中心はこの反対側だから、静かな景色が何者にも邪魔されていない。光と静寂が見事に調和した神秘と呼んでも差し支えない世界。

胸に迫るような美しさにクローディアは一瞬息を飲み、そしてふう、と長く息を吐き出した。


「…カマル王国は太陽が熱い国と思われがちですが、世界で一番美しい月が見れると聞いたことがあります。これは…本当に見事だ」

「そう言って頂き光栄です。私もこの月は大好きなのですよ」

「ええ、…今夜はまだ満月ではありませんね」


望月と呼ぶにはまだ月齢が若い楕円型が、空からこちらをうかがっている。

あの月がふっくらと身を太らせたころには、この夜の砂漠はもっと美しい景色が広がるのだろう。あと四、五日もすれば目にすることが出来るだろうが、クローディアには待ち遠しかった。


今一度吐息を吐いていると、ふと己の横顔に視線が当たるのを感じる。

ジブリール王子である。この場には恐らく、自分と彼の二人しかいない。

この状況を作り出した理由を聞くかどうかも考えたが…まず手始めにその視線の意味を勘ぐることにした。


「わたくしの肌と髪が気になりますか?灰色で…普通の人間とは違いますでしょう」

「…え?いえ、私は」

「実は私は、あの月から来たのです王子」


くるり、と視線を月から王子へと転じれば、その美しいかんばせが驚きで固まった。突拍子もない告白に言葉を続けられないのだとわかる。

長いまつげに縁取られた目を見開くその様は、先ほどのうっとりするほどの色気を持った優雅さとは打って変わって幼さを感じ、微笑ましい。

自然と口元に笑みが浮かんでしまい、クローディアはふふふ、と己にしては珍しく軽やかに声すらあげながら続けた。


「月の住民は常にあの光を受けていますから肌も髪も目も同じ色になってしまうのです」

「…」

「この色を持った月の住民はもうこの地には存在しません。月にももう誰もいないのです。月はもう寂しく静かな場所に成り果ててしまいました」


今度は自嘲するように笑い、目を細めて王子を見つめる。

彼はいまだに呆然とした顔でクローディアと視線を交わしており、一言も言葉を口にすることは無かった。聞かされた言葉の意味を、己の真意を考えているのだろうと思う。

青い、美しい瞳と灰色の瞳。そのまましばらく…二人は見つめあい、やがて微笑み唇を開いたのはクローディアの方だった。


「嘘です」

「…え?」


ぱちり、と王子の大きな目が瞬く。

クローディアはまたふふふ、と笑った。


「原理は解明されてませんが魔法を長く使うと色素が抜けていくらしいのです。私の祖父はもちろん、魔法使いは皆灰色だったと聞きます。私、月になんて行ったことありません」


灰色は魔法使いの色なのですよ、と笑えば王子は驚きに見開いていた目を今一度ぱちり、と開閉し、そして緊張を解いたようにほっと笑った。

その表情もまた幼い。からかわれたことに気を害した様子もなくジブリールは、己と同じように軽快に笑って唇を開いた。


「…貴女が月の人と言われても信じてしまいそうです。クローディア殿、貴女は月のように美しく、神秘的だ」


今度はクローディアが驚き、口をぽかんと開ける番だった。

小癪だとか狡いだとかはよく言われるが、そんな直接的な誉め言葉を受け取ったのが初めてなのだ。あまりにも意外過ぎる。意外過ぎて恐ろしい。

灰色の瞳でしばしじっくりとジブリールの顔を見つめ…クローディアはやがて驚きを隠すことなく王子に尋ねた。


「…口説くためにここに連れてきたのですか?」

「申し訳ございません。唐突に。…謝罪します、ぶしつけでしたね」

「いいえ」


苦笑しながらクローディは、ゆっくりと首を横に振る。

美貌の王子の甘い台詞に心ときめく人間は多いだろう。彼の言葉にはそれだけ価値があるし、そもそも先にからかったのはクローディアであるから、責めるつもりもない。

何とも言えない気持ちになってしまったクローディアはぽりぽりと頭をかいて、今度は真面目な顔を作った。


「二人きりになったのは理由があってのことでしょう。本当のことをお話しいただけませんか?」


するとジブリールも顔を凛々しく引き締めて、ちらりと周りを見回したあと声を潜める。


「私たちの方でも護衛をつけさせて頂きますが…クローディア殿、どうぞ身辺にお気を付けください」

「…と、言うと?」


剣呑な警告だ。きらりとクローディアは灰色の目を光らせて問うと、王子もまた眉間にしわを作り出し内緒話をするように顔を寄せる。

美貌の王子がまなざしに真剣さを含めると、形容しがたい迫力がある。しかし今それを茶化す場面ではなかったので、口を閉ざし彼の話に耳を傾けた。


「石油というのは巨万の富をもたらすものですが、同時に富と言うのは争い、諍いを生む原因になります」

「ええ、そうでしょう…」

「偶然とはいえ貴女はその富が手に届く場所に来てしまった。妬むものは現れるだろうと言うことです」


それは覚悟の上だったが、クローディアは口を閉ざした。

手にした石油は王家のものだ。利権以外の問題も絡みついていそうである。どんな輩に言いがかりをつけられるかはわかったものではない。

何なら油田火災が魔法を売りたいクローディアの自作自演だと言われて国家反逆罪にでもされたら、当初の目的を果たすどころではない。

命の危機。ひやりとした手に胸の中を撫でられるような嫌な感覚を感じつつ、クローディアはちらりと王子を見上げた。


「…何かあれば、私を守ってくださるということでしょうか?」

「もちろんです。貴女の身は私が必ず守ります」


ジブリールの言葉は真摯だった。嘘偽りは無さそうに見える。が、出会って数時間しか経っていない青年に対し大きな信頼を寄せることも出来ずに、クローディアは片眉を跳ね上げ、尋ねた。


「どうして、そこまで私に肩入れなさるのです?」


ここで王子が微笑む。

先ほどクローディアと月のようだと言った彼の方が、よほど柔らかく暖かい笑みを浮かべられている。


「言ったでしょう。魔法に興味があるのです。貴女の研究がどうなるのか見てみたい」



王子が去り、車の音が遠くへ走り去ったあと、クローディアは窓から玄関の方に視線を向けた。

そこには女性の護衛が一人残っている。先ほど王子が言った己の身を守ってくれる存在なのか、それとも己自身を見張っているのか。

あの美貌の王子が何を考えているのかいまいち判断が出来ないが、当面の敵ではないはず。息をついてクローディアは窓から離れて、パソコンの電源を入れた。

電子的な音を立ててモニタに光が宿る。どかりと椅子に座りキーボードを操り…、懐から透明なディスクを取り出した。


本来なら王か王子に差し出さなければならないものかもしれない。そうしなかったのは、クローディアの中に妙な予感があったからだ。


「これはここで調べられるかな?」


蛍光灯にディスクをかざし、じっと見つめながら呟いた言葉は己以外に誰も聞いていなかった。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ