第3話:灯鳥哀
かなり暗く嫌な話です。
人によっては、かなり胸糞悪い内容になっています。
苦手な方は飛ばしてください。
七歳の誕生日を迎えた夜、酷く懐かしい夢を見た。
それは前世の自分の夢。
――
顔が特別良いわけでもなく、スタイルが抜群なわけでもなく、ごく普通な何処にでも居るような女の子だった。
運動は苦手だったが勉強はそれなりにでき、音楽も家庭科も美術も平均くらい。
クラスの中心になるような子ではなかったが、学校生活は普通に楽しかった。
しかし、それは中学校まで。
近所の公立の高校に入学して直ぐに、イジメの標的にされた。
特別目立つ子じゃないから、それ以外に特に理由は無かったんだと思う。
それは日増しにエスカレートしていき、物を隠さるレベルのイジメはもはや日常と化していた。
そんなある日、教室に居るのが辛くてトイレに籠もっていた。
何度も登校拒否しようと思ったが、両親が悲しむのが嫌で、なぁなぁで通い続けている。
大きな溜息が漏れ、もうすぐチャイムが鳴る頃だと思い立ち上がって鍵を開けた。
バシャアアアァァァン!!!
空から大量の水が降ってきた。
頭の天辺から足先までずぶ濡れになり、何が起こったのか分からず頭が真っ白になった。
ドアの外からは複数人の笑い声が聞こえ、中には男子の声も混じっている。
静かにドアが開き、胸ぐらを掴まれて強引に外に出された。
振り回され、強引に振り回されてボタンが飛び、壁に思い切り叩きつけられる。
体中が痛い。
口の中が血の味で満たされる。
涙が溢れ、うめき声を上げた。
状況が理解出来る迄にかかる時間はそう長くはなかった。
足をひっかけられたり、小突かれたりは何度かあった。
しかし、此れはそれらとは全く違う、正真正銘の暴力。
心を折り、屈服させるための理不尽な暴力。
複数人の手が伸び、叩かれ、髪を引かれ、制服を脱がさる。
下着に手がかかり抵抗するが、それすら叶わず晒される肌。
顔を蹴られ、床に押さえつけられると、一人の男子が覆いかぶさってくる。
無理矢理足を開かされ、抵抗して力を込めると顔を殴られ、カチャカチャと何かを外す音が響く。
汚い物を見る目、周囲からは笑い声がクスクスと聞こえ、迫る男子の息が荒くなっていく。
痛い、苦しい、悲しい、もう何もかもが終わるのかと頭が真っ白になっていく。
曝け出された物を見せつけ、ジリジリと近寄ってくる。
絶望の縁で助けを願ったその時だった。
「お前ら何してるんだ!」
勢いよく扉が開き、数人の教師が飛び込んで来た。
怒声と罵声が飛び交い、逃げようとする者は押さえられ、無理だと分かると口々から抗議の声が上がる。
私は直ぐに駆け寄った女性教師の手で保護され、直ぐに保健室へと連れて行かれた。
それからの事はよく覚えていない。
気が付けば両親が迎えに来ていて、放心状態のまま自宅の風呂場でシャワーを浴びていた。
後日警察から聴取があると聞かされたが、その声は右から左へと流れていった。
………………
あの日以降学校へは行っていない。
希望に溢れているはずだった高校生活は、六月を迎えてすぐ終わりを告げたのだった。
日が経つ毎に徐々にあの日の恐怖が滲み出て、夜眠れない日が続いた。
玄関のドアを開けるのが恐ろしくなり、リビングのドアを開けるのが恐ろしくなり、廊下のドアを開けるのが恐ろしくなり、ついには部屋を出る事が恐ろしくなった。
いつしか、窓から見える外が恐ろしくなり、部屋の窓全てに新聞紙を貼って目に入らないようにした。
毎日が無だ。
何もしたくないし、何かをしたい気が何も起きない。
両親は毎日ドアの外から声をかけてくれ、その日何があったかを努めて明るく話してくれていた。
母の声がする日だけ返事をした。
それから時間は過ぎ、母の日が目前だと気が付いた。
この状況に甘えさせてくれている母に申し訳ない気持ちがあり、何かしたい気持ちになったのだ。
なんとなく、パソコンのスイッチを入れた。
この起動音を聞くのも、数カ月ぶりだった。
母の日で検索し、なんとなしにクリックしていく。
カチカチ……カチカチ……。
部屋の中に響くクリック音。
ふと広告が目に入る。
【ファンタシーゲート・オンライン】
今巷で流行っている無料のオンラインゲーム。
何に惹かれたのかは分からない。
無意識の内にクリックし、インストールしていた。
広大なフィールド。
個性豊かなモンスター。
自由度の高い育成システム。
テンポが良い爽快な戦闘。
徐々にのめり込み、プレイ時間が増えていき、朝から晩まで遊ぶようになった。
この時から、世界の全ては画面の中に収まった。
画面に齧りつき、何時しか部屋の外から聞こえる声に耳を傾けなくなっていた。
どれだけの月日が過ぎただろうか。
トップランカーと呼ばれるまでになり、対価に生活は乱れていた。
掃除されない部屋、捨てられないゴミ、ボサボサの汚れた髪。
キラキラ輝かずとも、楽しかった日々を過ごすあの頃の面影はもうどこにも無い。
ある時、フレンドとレイドボス討伐中に違和感を感じた。
いつも微かに聞こえていた音が全く聞こえない。
掃除機の音、お皿を洗う音、廊下を歩くスリッパの音。
ゲームの音を切ると、そこには重く暗い静寂だけがある。
心拍数が上がる。
耳に心臓の音が響く。
頭に一気に血が巡り、目眩が襲う。
途端に息が荒くなり、肺に空気が足りない気がしてくる。
上手く息ができなくなっていく。
視線があちこちに飛び、手足が震える。
ふとドアに視線が固定される。
ジッと見ていても何も無い、何も聞こえない。
ゆっくりと視線が下がり、扉と床の隙間に白い紙がある事に気が付いた。
そっと近付き、恐る恐る手にとって広げる。
『ごめんなさい』
その一言だけが書かれていた。
見間違えるはずもない、母の字だった。
ハッとして扉を開ける。
怖かったはずの廊下への扉が勢いよく開け放たれる。
飛び出し、滑り、転げる。
起き上がり、駆け出し、階段を降りる。
静寂――
次々と扉を開けていく。
リビング、トイレ、風呂場、両親の部屋、客間。
何時も見ていた、変わらない風景。
ただそこには、両親だけが居ない。
絶望が肩を叩いた。
………………………
放心してからどれくらい時間が経ったか分からない。
徐々に実感し、涙が溢れてきた。
やり場のない悲しみがこみ上げ、トイレで吐いた。
それでも現実を受け入れられず、画面の向こうの世界に逃げ出した。
来る日も来る日もバーチャルな世界に没頭した。
優しい声をかけてくれるフレンドに逃避した。
ある日、パソコンがつかなくなった。
家中の電気がつかない。
ブレーカーを上げ下げしても効果が無い。
電気料金未払いで止まったようだった。
求めた世界から拒絶されたようで、何かを落とす音が聞こえた。
それからは無だけがそこに有った。
唯一残されていたカップ麺などの食料が無くなり、水も出なくなった。
玄関の扉は、開けられずにいた。
虫の飛び回る音が聞こえる。
か細い呼吸の音が聞こえる。
心臓の音が耳にこびりつく。
それは徐々にゆっくりになっていく。
最後は目の前が真っ暗になり、体が軽くなった。
足元には哀が居た。
横たわり、ガリガリにやせ細った、骨と皮だけの哀が居た。
そして、白い光に包まれた。
――
目を覚ますと、そこはベッドの上だった。
両隣には両親が居る。
シャルルを抱くように眠る二人は幸せそうな顔をしていた。
そんな顔を見て、光に包まれた後の事をゆっくり思い出していた。