第2話:領主様
覚悟なんてものを持とうと持つまいと、否応なく現実が迫ってくるものだ。
今正に、シャルル・カフィ・モカがそれを実感しているのだから、それが事実か否かを疑う余地もないだろう。
駆け抜ける鼓動、冷や汗が背中を伝い、恐怖で体がカタカタと震えだす。
目の前には凶暴……かは分からないが、鋭い目つき……に見えるだけかもしれないが、見知らぬ男性が座っている。
「久しぶりだなぁ……領主様よう……」
「…………」
長い沈黙、張り詰める空気、鋭い視線がぶつかり合い、今にも火花が散りそうな刹那。
ナイスでダンディなバリトンボイスが沈黙を破った。
「ようこそ、ヴィタ・カフィ・モカちゃん(CV.大塚明夫)」
ニッと笑ったその顔は、まるで子猫を愛でる紳士のような、慈愛に満ちたクールな笑顔だった。
「【ちゃん】はやめろって言ってんだろうが! あぁぁぁあぁ! 鳥肌が! 見ろこの鳥肌!」
「わたしは老若男女別け隔てなく対等に接すると決めているんだ、知っているだろう?」
「ほんと変わんねぇなぁ……」
「ヴィタちゃんもな」
ただでさえ緊張で強張った体が、更にキュッと引き締まった。
今鏡を見たら、顔の皮全部頭の方に引っ張られてるかもしれない……。
「ほらあなた、今日は戯れに来たわけではないでしょう?」
「戯れてない! 断じて戯れてなどいない!」
「あ・な・た?」
「……ヴィタちゃんもシュガちゃんも相変わらずで安心したよ」
「うふふ♪ お世話様で♪」
爽やかな笑顔を交わし、空気が少し和らいだ気がする。
緊張は欠片も和らいでいないのであまり変わらないのだが。
「さて、そろそろ腕の中のお人形さんを紹介してくれないかな?」
「お人形さんだと……?」
「…………」
「褒めんじゃねぇよ!」
途端に顔がゆるっゆるに蕩け、かわいいだろー? とデレデレし始めた。
現状されるがまま流れに身を任されるがままなシャルルは、この時初めて体がビクッと跳ねた。
「シュガちゃん、紹介してくれるかな……アレは使い物にならなそうだ」
「私達の娘、シャルル・カフィ・モカよ♪ シャルちゃんって呼んであげてね♪」
「……名前に由来なんかはあるのかい?」
「私の故郷の村で信仰している神様の名前の一部から付けたのよ♪」
「ちなみに、何の神様なんだい……?」
「乳猛き雌牛の女神、シャルルァンヌ様よ♪ 豊乳と畜産を司る神様ね♪」
「そうか……」
領主様は何かを諦めたような、とても遠く、何かを悟ったように遠くを見る目になった。
何故だろうか、その死んだ魚のような目を見ていると、緊張がスッと引いた。
話からするに今日の主役のはずが、グダグダになっている気がして、体の硬直が一気に抜けて、領主様を直視する事が出来るようになった。
「りょ……りょうしゅさま……」
「ん……あぁ、シャルちゃんだったね。コホン……わたしがこの領地の主、ドミトリー・チェ・ミヴァトンだ。これからよろしく」
「…………うん」
呼ばれているのに気付くと、死んだ魚の目に一瞬にして光が戻り、とてもニコヤカに自己紹介してくれた。
デレデレし続ける父に抱えられたままだったが、優しく頭を撫でてくれ、それを横で見ていた母は「よかったわね♪」と微笑んでいる。
緊張は解けたが、父からは解放されず、なんとか声は出せたが、それ以上の勇気は出せなかった。
簡単に人の本質は変わらないんだ、と酷く落ち込みながらも、本来の目的である領主様との挨拶が終わったのであった。