窓辺のサイズ
夕立。
それは夏の不思議な、とても不思議な雨。
科学的根拠があっての急な土砂降りなのだけど、彼にはどうでもよかった。
彼、三山浩介。4歳。
「こうちゃーん、おいでー。濡れるよー」
台所から彼を呼ぶ声がする。
けれど彼にはどうでもよかった。
踏むと軋む音がする、こげ茶の縁側。
足を垂らして、両手を股の間について、じっと晴れの空を見つめる。
晴れている時は雨は降らないのよ、と彼の母親は言っていた。
でも今はちゃんと晴れている。
日の光が分かる。
けれど、雨も降っている。
その事が不思議で、その事が分からなくて、けれども雨は降っている。
水晶玉のように透き通った瞳は、じっと降り続ける雨を見つめていた。
遥か高い空から降る雨。
落ちるときはまっすぐな線で、手で捕まえたらちっちゃな丸で。
雨の日には縁側に座って、こうしてずっと外を見続けていた。
「こうちゃんは雨が好きね」
そう言って微笑んだ母親の顔を覚えている。
頭のてっぺんに何かが落ちた。
冷やりとした感覚にびっくりして上を見上げる。
頭の上に落ちたそれは、後頭部を伝って行くが、彼が気づいた様子は無い。
しばらくすると、今度は鼻の頭の上に何かが落ちてきた。
ぴた。
そんな音がしたように聞こえた。
「おかーさん、あまもりー」
台所の方を向かって叫ぶ。
未だ降り続く雨。
いつの間にか激しさは無く、小ぶりの雨となっていた。
けれども見上げた空は雲が覆い、空の灰色を見ていたら少し頭が痛くなってきた。
*
雨はどこから来るのだろうか。
そんな事を昔は思っていた気がする。
ほうっと息を吐くと、窓が白く曇る。
夕立が止み、空は晴れ間を見せ始めた。
「浩介?なにやってんの?」
呼ばれて、窓とは反対側に視線を向けた。
彼の名前を呼んだのは、浩介の彼女の裕子。
怪訝そうな顔をして、裕子は問う。
両手に湯気だったカップを持っている。
香ばしいニオイからして、コーヒーを淹れてくれたようだ。
その片方を受け取り、先の質問に答えた。
「空、雨さ。どこから来んのかなーって思って」
やや古い1DKのアパートの2階。
もう雨が降る気配もなさそうだった。
浩介は窓を開け、外に少し身を乗り出す。
「えー?わけわかんない」
そう笑いながら浩介の隣、同じ窓から身を乗り出す。
「雨、止んだね」
裕子は言いながらゆっくりと肩を寄せる。
大人になった今では、雨の出来る原理くらいは知ってる。
けれど、昔と変わらない感情はそこにあった。
ただ、空から落ちる水が不思議で。
ただ、生き物みたいな雨が不思議で。
どちらかともなく目線が合った二人は、口付けを交わす。
「甘いのに、苦い……」
顔を離した裕子は渋い顔をして呟いた。
まるで何か変なものでも食べたかのように。
「チョコ食ってたから」
いたずらな少年のように笑う彼。
昔とは違う、雨を見る距離。
そして窓辺のサイズ。
けれど昔と同じ、穏やかな空気。
雨が降ると、母親は買い物に行かなかった。
母親を家に居させてくれる、魔法の雨だと信じてた。
今は隣に裕子がいる。
雨が降ると、晴れの日とは違った顔をしてくれる。
気分屋の彼女。
猫みたいなやつ。
それでも、彼には幸運の雨のように思えた。