55. 哂う男。と、ピロティ
閑話休題といった話もたまにはよろしいかと。
初心な海野さんも可愛いではありませんか?
あっという間に放課後です。
大丈夫、ちゃんと授業は一時間目から六時間目まで受けてる…………受けてるから。
けれど、内容が頭に入ってきていたかと言われればそうでもない。
また帰ったら多少なり予習復讐しないと、右から左へと受け流しているだけではどこぞの──おっと、これ以上は言わない方がいいかな……コンプライアンス的に。
そんなどうでもいい話は置いておいて、本題はそう、六時間目が終わり、帰りのホームルームも終わり、部活動へ参加する人は同じ部員たちと共に部室へ向かい、そのまま帰る人は家路へと向かう時間帯。
陰山くんと私の関係はあまり公にバレてしまってはいけない。クラスの皆からあらぬ誤解をされてしまうだろうし、何より陰山くん本人がとてつもなく嫌がる。
だから帰りは必ず別々に行動し、何かあれば陰山くんの方から連絡を入れるというのが私たちの中での暗黙の了解となっていた。
だけど、今回ばかりはそんなルールは関係ない。私たち二人は予感していたのだ。
──依頼が来るかもしれない。
学校のピロティに設置されているベンチで私と陰山くんは隣同士で座って今か今かと待機している状態だ。
「フム……最近のペットボトルの紅茶という物も馬鹿に出来ぬ味だな。だがこういう物は紅茶マニアを愚弄しているとしか思えぬ」
褒めてるのか貶しているのかよく分からない感想を言いながら、優雅とは程遠いグビグビとした一気飲みで飲み干すと、八つ当たりするかのように空のペットボトルをゴミ箱へ放り投げた。
──カコンッ……! ジャストミート……。
「第一なんだ……、『高級茶葉使用』だとか『百パーセント手摘』だとか、そんなものがペットボトルで尚且つ百円単位で売られてたまるものか……!」
取り敢えず、ペットボトルの紅茶は彼の口には合わなかったのは独り言から十分理解出来た。製造者さん、引いては収穫をした農家さんの魂を感じ取ることは出来なかったようだ。
「私は好きだけどな……」
「何か言ったか?」
「いえ、別に……」
紅茶の事である。勘違いしないように。
「今朝教室に現れたあの男……嵌村とか言ったか。あのど腐れ筋肉バカとは一体どういう関係なのだろうな」
「ど腐れって……でも、ただの知り合いって感じでもなさそうだった。同級生の筈なのにまるで先輩みたいな接し方だったし」
「接し方などどうでも良かろう。ならばあいつの私たちに対する今の接し方をどう説明する?」
確かにそうなる。頭金くんは自分では敵わない相手と対峙した時、手のひらを返して平伏する武士のような性格だ。
嵌村くんは一見、空手部の人たちみたいに屈強な身体付きではなかった。むしろ華奢で、モデル体型と形容すべきスタイリッシュな体型だった。
学年が一つや二つ下というのも考えにくい。私たちと対等どころか若干の上から目線で話す下級生など、失礼極まりない。
とどのつまり──分からない。彼が一体何者なのか……未だに。
「せめて嵌村くんがどういう人なのかが分かればいいんだけれど」
「ああ、分かるさ」
「そうだよね。分かる訳──」
今「分かる」と言いましたね? 陰山くん。
聞き逃す筈がない。毎度毎度お決まりのパターンを決めてしまうなどワンパターンだ。そしてこのパターンは期待してもいいパターンだ。
彼が「分かる」と言えば、全ての事象は解決へと導かれており、「解ける」と言えば彼の頭の中では常人では考えられない凄まじい思考回路にて、全ての事柄を把握出来てしまっているのだから。
「担任の渡部に色々訊いてきたのだ。嵌村という男について奴が分かること全てな」
「渡部先生に?」
そう言うと彼はA4用紙の束をダブルクリップでまとめた書類を取り出した。
「嵌村を自ら担任としてクラスで受け持った事があったらしくてな。渋々ではあったが答えさせた。嵌村──奴はどうも胡散臭い」
ん……渡部先生が担任として……?
確かに胡散臭い──その情報が。
「陰山くん、それはおかしい」
「何故だ? 渡部はそう白状したぞ。自分のかつての教え子だったとな」
「そうだとしたら辻褄が合わないの。その情報を信じると、渡部先生は嘘をついてることになる」
私の意見にしかめっ面を浮かべて睨む彼の目にはやはり嘘偽りを言っている様子はない。
でも『ある事実』が渡部先生の情報が虚偽である事を物語ってしまっている以上、陰山くんの仕入れた情報に信憑性はない。
陰山くん、あなたの行動力と情報収集力、そして超人的思考は言うまでもなく私程度の者では足元にも及ばない。
けれど、否定させてもらう──全力で。
「どういう事だ? 私が仕入れた情報に頭からケチをつけるつもりか。いいだろう、そこまで言うのなら答えてもらおう。
渡部は、『どういう嘘をついている』と言うのか?」
お望み通り、私は彼に突きつけた。
ある三枚の書類を。
「こ……これは!」
「そう、これは私が過去に、そして現在の三年一組に在籍したクラスの名簿票だよ。
「今年の担任も渡部先生だったけれど、私は過去二年間の担任も──渡部先生だった。
「もし渡部先生が嵌村くんをかつてのクラスの一員だと言っていたのであれば──、
渡部先生とずっと同じクラスだった私が憶えていない筈がない!
「ぬぅッ……!」
そうだ。私は人の顔や名前を憶えるのは得意な方だと自負している。
共に同じ学舎の下、勉学に励んだ友達の事を記憶の片隅から消滅させたことなんて一度もない。
確信を持って言える。私はあの人とは──今日初めて会ったと!
「ば、馬鹿な……! 確かにアンタの過去のクラスの名簿帳には、嵌村の名前など一つも載っていないではないか!」
「これで一つ証明されたね。渡部先生は少なくとも一つは、あなたに嘘の情報を与えたのよ」
「あのボンクラ教師め……、人が下手に出てればありもしない事を喋ってくれたものだ……!」
陰山くんはもう本気にしてしまっているけれど、実はこの推理、当たっているかどうかは五分五分であると言うのが正直な気持ちだ。
渡部先生が嘘をついたのだと仮定するならば、それは一体何の為に?
普段から嘘つき者に対しては厳しく指導する根っからの正直者として定評のある渡部先生が嘘だなんて。
だからと言って、私の記憶が曖昧だとも言いがたい。絶対に有り得ない。
渡部先生には悪いけれどここだけは譲る事は出来ない。
私は今日嵌村くんとは初めて顔を合わせた。三年間通学し続けてだ。
では、私の推理はやっぱり当たってて渡部先生が嘘を……?
「では、渡部から聞き出した他の情報はどうなのだ? 奴の担任を勤めていたのが嘘となると全てが狂ってくる。やはりデタラメなのか……」
「他の情報って?」
「主に個人情報だが、一つだけ嵌村が停学処分を受ける要因となった事件の概要を仕入れてきたのだが……」
事件……ですって……。
一体何をしでかしたのだろう。『事件』なんてキーワードは停学どころでは済まない。退学されててもおかしくない。
場合によってはその情報次第で話の流れは大きく傾くことになるけれども。
「一応見ておくか。一歩でも奴に近付く為だ」
「見るだけなら損はしないものね。例え虚偽の内容であったとしてもね」
私の返答に彼は軽く頷くとパラパラと書類をめくり出し、あるページでめくる指を止めた。
「このページだな……ム! ほう……こいつは……」
「何何? 私にも見せてよ!」
ベンチの裏に周り陰山くんの肩越しから書類を覗き込む。
小さな文字を一生懸命読もうと必死になりすぎたのか、気が付いたら陰山くんの顔がすぐ横を掠めるくらいの近さにまで来ていた。
それこそ同時に振り向いたらキ──
キ…………キ…………。
「………………」
「どうした委員長? 偽物かもしれないが、情報を仕入れる方法はこの書類しかないのだ。しっかりと目を通しておけ」
「う、うん分かったから……。ちょっと……放っておいて……」
「?」
自分で勝手に想像しておいてなんという体たらく。奥手にも程がある……私……。
「まあいい、後でいいから見ておくのだ。…………だが、それもあまり出来そうにないな」
と、彼は書類をベンチの上にパタンと置くと遠くの方を一点に見つめ出した。
彼の視線に目をやると、そこには──
「はあ……! はあ……! はあ……! はあ……! 山田さんに……、海野さん……! ここに居たんすね……! はあ……! 探しましたよ……!」
ぜえぜえと肩で息をして今にも死んでしまいそうな頭金くんが立っていた。包帯まみれの容姿も相まって尚のこと心配になる。
「頭金くん大丈夫? 汗もすごい……水分買ってこようか?」
「いえ……、お気遣いなく海野さん……!
ただの息切れですんで……──ッ! 痛ててッ!」
嫌でも目に入ってくるのは所々血の滲んだ後が痛々しく残るガーゼや包帯。
頭金くんは満身創痍なのだ。本当なら走る事が出来るような身体ではない筈なのに、何を必死にこんな風になるまで私たちを探していたの?
「さぞ痛むだろうな。手加減はしたが、柔な対応をした憶えはない。
全治するのに後一週間は掛かるだろう。そんな状態にも拘わらず汗だくになるまで走り回るとは、命知らずな奴だ」
「俺の命なんざどうだっていい。俺はあの時、あんたに殺されるべきだった……! それだけの過ちを俺は犯したんだ……」
「お前が生きていようが死んでいようがどうでもいいが、お前が私たちを探していたのは何故だ? また例の急用とやらか?」
陰山くんがサラッと非道徳的な発言をしたことに関しては後で私がみっちり諌めるとして、問題であり本題だ。
結論から言うと、良くも悪くも私と陰山くんの予感は見事に的中してしまっていたらしい。
少し息を整えた後、休む間もなく頭金くんはどこかへ向かって歩き出したのだけど、彼の私たちの方を振り向き、力ない手招きで私たちを誘い、口を開いた。
「二人共、俺に付いて来て下さい。あの人が──嵌村さんが呼んでます」
取り敢えず、陰山くんは朴念仁……と。