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またも狂犬の苦悩にキツネは笑いけり  作者: 夏炉冬扇
第1章 弟子入り志願の少女
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雲辺寺という姓

「で、では……ここで失礼します」


 沢井川に架かる橋を渡ったところで伊予はペコリと頭を下げた。

 やはり礼儀正しい。

 本人も言うように気弱で大人しい感じだが、悪い娘ではない。それどころか自分の事を慕ってくれているから、ミコトからすれば実に可愛い後輩だと思う。

 もっとも、ミコト以外の三人からすれば少々ミコトの事を美化してるようにも思えるが……。


「まあ、弟子っていうのは困るけど、あたしに会いに来たければ、いつでも来ればいい。気をつけて帰るんだぞ」

「あ、ありがとうございます!」


 伊予はパァッと目を輝かせ、ミコト達が見えなくなるまで何度も頭を下げていた。


「ミコトにしては珍しく寛容だね。よっぽど気に入った?」


 八雲がにこやかに訊くとミコトは「ぐむ……」と言葉を詰まらせるが、八雲が皮肉って言ってるわけじゃないという事は分かってるし、強ちハズレてはいないから反論は出来なかった。


「でもまあ、ミコトに憧れるなんて稀有な存在よねぇ。普通は怖がって近寄らないものだけど」

「なんか引っかかる言い方だな……」


 確かに怖がって近寄らないという事に関しては自覚があるし、ミコト自ら進んでそうしているところはある。

 恐れさせて逆らえないようにする。そうする事で己れの掲げる正しさを根付かせる。

 これは誰もが知るミコトの理念であるが、どうも精神的に幼いところがある為に、その正義は酷く独善的である。

 しかし、なんだかんだでミコトといつも連んでいる八雲たちはミコトの良い部分も分かっているし、良い部分、悪い部分を全て許容出来なければ親友とは呼べないと思っている。

 ミコトがどう思っているかは分からないが、少なくとも幼馴染みである八雲や京華、そして牧野学園に入学してからの付き合いである瑞木や鉄平はそう思っていた。


(だったら伊予って子はどうなのかしら?)


 京華はそんなふうに疑問を抱く。

 伊予は今年、私立牧野学園の中等部に入学したばかりで、ミコトの事も殆ど知らない筈だ。

 今はミコトの事を美化している節があるが現実を知ったとき……果たして伊予は今のようにミコトを慕って近寄って来るだろうか?

 もしも、離れてしまったら?

 ミコトの事だ。大いに傷ついて混乱するかもしれないし、それどころか自信を失って、これまでのような立ち居振る舞いが出来なくなってしまうかもしれない。


「こう見えて傷つきやすいのよねぇ……」

「ん? 京華、何か言った?」


 心の声が漏れてしまっていた。

 ミコトが怪訝な顔をしているので、京華は慌てて、


「ああ、こっちの話こっちの話!」


 と、何とかはぐらかした。

 ミコトは首を傾げていたが不意に顔色を変えて立ち止まる。


「ミコトちゃん、どうかしたのぉ?」

「あ、いや……。ちょっと急用を思い出したから先に帰ってて」


 ミコトは挨拶もそこそこに来た道を戻り、川沿いを北の上流へ向かって走り出す。


「クズ……反応はこっちか?」

「気づいたようじゃな……」


 京華たちと話している最中、突然、ミコトの尻尾にピリピリとした妖力を感じたのだ。

 つまり、あやかしが直ぐ近くにいるという事だ。


「この気配だと人に害を為しておるようじゃ」

「やっぱりか……」


 しばらく行くと川辺で土木作業員と思しき男が一人、虚ろな表情で何かを呟いている姿を捉えた。

 彼の向いている方向——川の中ほどに青白い肌の髪の長い女が立っている。

 女は薄紫色の長襦袢を着ているのだが、褄下の辺りから太ももを覗かせ、妙に妖艶な雰囲気を醸し出している。


「あれ……あやかしか?」

「うむ……川姫じゃな。色香で男を惑わし、精気を吸うあやかしじゃよ。放っておけば、あの男は死ぬぞ」


 ミコトは通りから土手を下りて川岸の半分ほどを覆っている葦原にしゃがんで身を隠した。


「あいつの色香って、男にしか通用しないよな?」

「女色家でなければのう」

「それなら大丈夫だな。あたしにそんな趣味は無い」


 ミコトは低い姿勢のまま、ジリジリと川姫に接近する。距離にしておよそ五、六メートルといったところだ。


「いつも通り……気づかれないうちに一気に叩くぞ」

「うむ。いつでも良いぞ」


 川姫は男に近づいて行く。

 川はやや蛇行している為、川姫の立っている場所よりもミコトが身を潜めている場所の方が川姫の視界よりやや斜め後方になる。川姫が岸に接近した事で、よりミコトの位置が川姫の死角になった。


「今だっ!」


 葦原を飛び出すと一気に間合いを詰める。

 川姫がミコトの存在に気づいた時には既に遅かった。


「こんのぉぉぉ!」


 川姫の腹部に拳を沈める。そして身を屈め両手を地につけると足払いをひとつ。

 川姫は水の中に尻もちをつき、恐れ慄いた顔でこちらを見上げる。


「よろしい。こんなものじゃろ」

「あ〜あ……また、アレ(・・)やらなきゃいけないのか……」


 嫌そうに一呼吸置くとミコトは大きく口を開いた。

 すると川姫はまるで空気清浄機に吸い込まれるタバコの煙よろしく、ミコトの口へと飲まれて行った。


「うえぇぇ……。浄化のためとは言え、いつまで経っても慣れないなぁ……これ……」


 ミコトには無味無臭の空気を大量に飲み込んだような感覚しか無いし、実際にミコトの胃袋や肺に入ったわけでは無いのだが、形あるものを飲み込んだという視覚的作用が不快感の原因となっていた。


「仕方あるまい。これで残り一〇六体じゃな。おぬしが行いを改めぬから殆ど祓わねばならぬあやかしの数か変わってないぞ?」

「それ……今さらちゃんとカウントしてるのか?」


 一〇八体のあやかしを祓うという決まりではあったが、ミコトが粗暴な振る舞いをすれば減点されるから未だに残りの数が百を切った事が無い。今ではミコトも数など気にしてもいなかった。


「で? あのおじさんは?」


 見れば川姫に魅了されていた男は、まだ心ここに在らずといった目である。


「まだ毒気が抜けておらんようじゃな。まあ、元凶を絶ったのだ。そのうち正気を取り戻すじゃろ」

「そういうものか……」


 ミコトはひと仕事終えたとばかりに肩を回し、土手を上がると再び橋の方まで戻る。

 すると橋の袂では八雲がわざわざミコトの帰りを待っていてくれていた。


「何だ……先に帰っててって言ったのに」

「また、あやかしを祓って来たんだろ? おキツネさんがついてるから大丈夫だとは思うけど、やっぱり心配だったからさ……」

「あ……うん……」


 そんなふうに言われるとミコトは急にしおらしくなってしまう。

 自分でも異常じゃないかと思うくらい胸がドキドキしていた。


「それに……京華から伝言も頼まれてたっていうのもある」

「伝言?」


 それが本命なんじゃないか?

 ミコトはそう思えて少し落胆してしまった。

 恐らく鈍い八雲は気づいていないだろうが、ミコトはコロコロと忙しく顔色を変えている。

 これが目敏い人間であったら突っ込まれているところだろう。


「さっきの伊予ちゃんって子の事さ……ひょっとしたらミコトも気づいてないかもしれないけど……フルネームで雲辺寺伊予って言ったよね?」

「うん。確かそうだったな」


 そこまで聞いてミコトは何かを思い出し、ハッと息を飲んだ。


「え? いや……待て! 雲辺寺って、ひょっとして……」

「うん……。京華が言うには間違いないだろうって……」

「なにぃぃぃぃぃ⁉︎」


 濃紺と茜色の混じり合う夕暮れ空にミコトの悲鳴にも近い叫びが轟いた。

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