奴はどうやらオオカミらしい
風邪には気を付けましょう。
風邪をひいた。
数日前から、ぞくっと寒気はしてたから、まずいかなあとは思った。
でもさあ、校庭に植えられている木が綺麗に紅葉していていたんだよ。
天気も良かったし、そりゃ外でお弁当を食べがてら紅葉狩りをするしかないじゃない。
だけどその数日は、一足早く冬が来たようにがくりと気温が下がっていて、普通にブレザーのみで過ごしていたあたしは、もの見事にウイルスにやられたのである。
健康優良児であるあたしが風邪をひいたことに、共働きの両親は仰天して、なんとか時間を縫って付き添ってくれると言ったが、当然断った。
父も母もどれだけ大変な要職について忙しいか、高校に上がった現在、すでに家事を半分以上肩代わりして協力していた私は知っていた。
むしろ風邪をうつしてしまうほうが心配だ。
そりゃ、多少は寂しかったが、強がりでもなんでもない。
熱はそこそこあるものの、体はそんなにつらくはないし、寝ているだけ。
イージーモードである。
つらつらと説明したあたしに、両親は後ろ髪を引かれる顔で定期連絡を約束し、それぞれの仕事に行った。
ぽつんと残ったあたしは、平日なのに学校へ行かなくていいことに得した気分を覚えつつ、ぼーっとソファに座っていた。
ウイルスを撃退しようと頑張っているのだろう。
免疫がやる気モードに入っているせいか、体がうずうずしていて、体は内側からほかほか熱を持って多少しんどくても、なんとなく寝ている気分になれなかった。
それに、明るい午前中に一人、というのは中々に新鮮で、寝ているのがもったいなかった。
いちおう自分は病人なのだから、あんまり動くのは良くない。
でも、家事をやるくらいなら、大丈夫、だよね?
ほどよーく散らかった室内に、そんなことを考えていた矢先、洗濯乾燥機の電子音が響いた。
何時もの習慣で、今朝も洗濯機のスイッチを入れていた。それが終了したらしい。
そうだ、洗濯物をたたむくらいならいいだろう。
熱でふわふわとする頭でそれを思いついたあたしは、洗面所へ向かう。
まあ、この思考がアウトだったのだろう。
と、後から考えれば理解できる。
いつも通り洗濯機から洗濯物を取り出し、なんだか妙に重いと感じつつ、リビングへもっていこうとしたら、つるりと滑った。
取り損ねて落ちたタオルをふんずけたのだ、と気づいた時には、廊下に大の字になっていた。
放り投げた洗濯物が一呼吸おいてばさばさと襲いかかってくる。
頭だけは打たなかったものの、ついた腕や打ち付けた背中が地味に痛い。
それに、右の足首が何だか妙に熱を持っている気がした。
だけど、一度寝っころがると、なんだか起き上がるのが億劫になった。
体に落ちてきた洗濯物は、まだ熱を持っていていい具合に温かった。
ああもういいや、寝ちゃえ。
まずいなあとは思いつつも、急になにもかもがめんどくさくなったあたしは、ゆるゆるとまどろみに落ちたのだった。
「……っ!おい――……っ!」
何となく体を揺さぶられて億劫な瞼を開けたあたしは、ほっとした表情を浮かべている目の前の顔に、瞬きを繰り返す。
銀色のフレームのメガネが良く似合う奴は、同じクラスメイトの沖修司。
親友、だった。
通っている高校の電話番号を探すのがめんどくさくて、いちおう、学校を休むと伝えてくれとメールを打ったため、あたしの事情は知っているはずだが、学業に熱心なはずのやつがなぜここに居るのか。
しかもそんな必死な顔で。
「どしたの?」
「それはこっちの台詞だ‥‥‥」
深い深いため息をついて、くしゃりと前髪に手をやったやつに、ああそういえば廊下で倒れてたのだ、と思い出した。
「洗濯もの、運ぼうと思ったらこうつるっと」
「病人なんだからせめて大人しくしてろよ」
「どうしているの?」
再度聞くと、思いっきり眉間にしわを寄せられた。
「病人を見舞うのは友人として普通じゃないのか。そうしたらインターフォン鳴らしても一切出ないし、鍵はかかってないし、開けたらお前が倒れているし、もう少しで救急車を呼ぶところだったんだぞ!!」
「……すまぬ」
見れば、奴の隣にはプリンやらゼリーやらの入ったコンビニのレジ袋が転がっていた。
そうか、病人になると、お見舞いというものがあるのか。
知識にしかなかったそれが目の前にあることにちょっぴり感動していたのだが、それを素直に出すと怒られる気がしたので、精一杯神妙に謝ると、またため息をつかれた。
……なんかばれてる感が否めない。
「起きられるか」
「その、足首をひねったようでして」
今や右の足首は、熱どころかじんじんとしびれたような痛みを伴っていた。
正直に言ったあたしに、修司は般若の形相で眉をしかめた。
一見冷めたようにも見える奴だが、その実、かなり面倒見は良い。
クラスメイトからは”オカン”と呼ばれていたりするほどで、それを初めて知った時は笑いが止まらなくて本人から頭ぐりぐりの刑を食らったが、ぼーっとしているところのあるらしいあたしは、よく転んだし、大事なことを聞き逃したりするから、修司のおかげで快適な学校生活を送れていたりする。
でも、その言葉が全部あたしを思ってのことだと分かってはいても、怒られるのはやっぱり勘弁なのだ。
この顔は、御説教パターンだ……! と思ったあたしは、肩をすくめたのだが。
だけど来たのは、肩とひざ裏に回されたぬくもりで。
浮遊感にほへ、と妙な声を上げると、修司の渋面がいつもより近くにあった。
勝手知ったるなんとやらで、あたしの部屋を乱暴にあけて、ベッドを見て、また顔をがしかめられた。
そうですよねー廊下で寝ていたんだから寝てる形跡があるわけないですよねー。
その前に寝乱れさせておけばよかった! と無茶なことを考えて現実逃避をしてもすでに遅い。
つかわれた形跡のない掛布団をべりっとはいだ修司は、そこにあたしを妙にやさしく放り込み、掛布団で密封する。
いや、拘束だろうか。
驚きに固まり、目をぱちくりとさせるあたしに、修司は、視線だけで誰かを殺せそうな眼付きで言った。
「寝ろ、いますぐ」
「えと、さっきまで寝ていたのだけれども」
一応声を上げると、修司はまたもや予想外の行動をした。
ベッドに膝を乗り上げて覆いかぶさってきた修司の顔が、逃げられないあたしに迫ってくる。
「‥‥‥心配、してんだよ」
息がふれそうな距離で、泣きそうに言われた。
修司の瞳に、馬鹿みたいに呆けたあたしが映っている。
更に近づいてきて、思わず目をつぶった瞬間、おでこに柔らかいものが当たった。
「早く良くなれよ。隙だらけのお前なんか、からかってもつまんねえ」
からかうような笑みと共にそう言い残した奴が出ていき、部屋に一人残された途端、あたしの熱は一気に上がる。
――――……奴は、どうやらオオカミだったらしい。