異世界食文化の革命家
「セガール=ロドリゲス。貴公を男爵に任じ、グラメ村とその周辺を領地として与える。今より貴公の忠義を期待する」
「セガール=ロドリゲス、承りました。我が忠誠は陛下と王国のために」
赤いマントを纏い王冠を載せた壮年の男性が、俺に向かって剣の刃を向けた。
俺は頭を垂れ、臣従を示す。
これは俺が貴族となり、領地持ちの男爵となった時の記憶。
2年ほど昔の、ちょっとした思い出だ。
それが今は。
「へい! 『牛肉ステーキ』3人前上がりましたー!!」
「皿、汚れ物の洗い物滞ってるよ! 何やってんの!」
「『魚介定食』5人前、注文入りましたー!!」
「『ラーメン』まだっすかー!? お客様が怖い顔してますけどー!」
厨房という名の戦場で包丁を振るい、フライパンや鍋という武器で、食材という敵と戦っている。
ぶっちゃけ、貴族ではなく料理人である。
だが、文句を言おうにも相手は俺より高位の貴族たち。上司みたいなものである。言えるはずが無かった。
「俺は、ただ自分が美味い物を食いたかっただけなのに……っ!!」
「『牛焼肉定食』2人前お願いしまーす!」
「チクショーー!!」
これは、美味しい物を食べたいだけで頑張り、厄介事を抱え込んだ魔力チート転生者の物語。
異世界で料理革命を起こしたとある貴族の冒険と挑戦の軌跡――
「飯が、不味い」
「異世界転生で魔力チートで俺TUEEE!!」と言えば、ネット小説では勝ち組フラグだろう。
もっとも、それだけで幸せになれる展開は少ない。俺も、大きな不満を抱えていた。
小貴族が平民の侍女に手を出し孕ませたなど、どこにでもある話。
手を出された侍女は妾になったわけではないので、暇をもらって実家で俺を産み、深い愛情をもってその子を育てた。
成長した俺は魔力チートに目覚め、冒険者として大成した。有名になると父親が何か言ってきたが、母と二人で別の国に移り住み、俺はそこで爵位を得た。
領地運営などゲームでしかやった事の無い俺だが、一つの野望を抱いていた。
つまりそれが。
「俺はもっと美味い飯が食いたい。よって、これから我が領地では「高級食材」を作ることを目標に頑張っていく。
お前らには理解できないことを命令するだろうが、それらもすべて意味のある指示だ。確実に行うように」
美味い飯の根幹をなす、食材の質を上げる事だったという訳だ。
さて、古今東西の異世界転生や異世界トリップもので料理物は、そのほとんどが「地球の料理を持ち込む」ことで成功する。
しかしその方法は、この世界では成立しない。
なぜなら、この世界の料理人の技術は一定以上の水準にあり、たかが料理法を持ち込むだけでは勝てないのだ。洗練された料理法はこの世界の食材に対し完璧とも思える完成度を誇る。
結論。
飯が不味い理由は、料理法ではない。
食材のレベルが、低すぎるのだ。
俺の知っている日本の食材は、すべて人が品種改良を行い、何百年もかけて作り出した「人が美味しいと思う食材」なのだ。
ごく一部の漫画のせいで自然そのままの食材の方をありがたがる風潮はあるが、本当に美味い食材とは自然そのままではない。人の作り出した、相応の労力と手間をかけた食材こそが本当に美味い食材なのだ。
俺が目指すのは、そう言った「美味しい食材」を生み出す事であった。
あ。
あと、世界中から香辛料などの収集も行い、人工栽培を目指している。
この世界には魔法があり、チートな俺はそういった事もできるのだからね。
まず、農作物。
品種改良の基本は、「良品の継承」である。
同じ品種、同じ環境で育てた作物であれ、そこにはばらつきが存在する。
だから一つの畑でも特に良かった物から種を採り、それが「当たり前」になるようにする。
また、生産効率の向上も課題の一つだ。農法で思い出せる物を試験的に運用するだけでなく、農具の向上にも努める。家畜の農業利用は江戸時代や明治初期の日本のそれを転用し、我が領土には馬や牛といった家畜の量を増やす。特に馬は各家庭に一頭が基本になるのを目指して。
家畜関連では、トレーサビリティの徹底から始まる。
トレーサビリティとは、個体情報識別の事だ。
例えば牛。どこで、どのように育った牛が、どのような味になったのか? 親の牛は? 兄弟姉妹はいるのか? 育てた後に対してまで徹底して行う情報収集と、そこから見える遺伝情報。
そうやって集めた情報を基に、配合を繰り返し食用・乳用に適した牛の品種を作り上げる。育て方の最適解を探す。
もっとも、たがだか数年でどうにかなる話ではない。現在は育て方の方に改善がみられる程度だ。基本は食事の改善だな。食べる草と、肉にする前のアルコール摂取が有効と言う事だけが分かっているだけだ。
香辛料の方は、近場で唐辛子、山葵、胡椒が見つかった。半ば刺激物だったので、食用に適する品とは思われていなかったらしい。他にも薬草類が見つかったとの報告もあり、これらを使った地方の料理も同時に集めた。目標はカレーであるが、米は見つかっていないのでカレーライスはまだ遠いようだ。
見つかった香辛料や薬草の栽培はそこそこ上手くいっているので、しばらくすれば量産もできるだろう。
これらを行うに当たり多少どころではない金が飛んだが、冒険者として荒稼ぎしていたので問題はない。
問題は、俺の自尊心をきっかけとして起こった、一連の騒動であろう。
「おやおや、これはロドリゲス卿ではありませんか。普段王都に寄り付かない貴方にしては珍しい」
「ホーチヨキン子爵、御無沙汰しております」
「いやいや、卿の活躍は聞き及んでおります。何かとなれぬ領主業、慣れるまでは時間がかかるでしょうしなぁ」
王都で行われたとあるパーティ。
そこでご近所さんである子爵と挨拶をする羽目になったのだ。
この時代、近隣貴族というのは仮想敵と呼んで差支えない相手だ。川や山の恵みを巡って喧嘩することが多いからである。当然、この子爵と俺の中は悪い。
先ほどの挨拶も「貴方は平民の出ですから」という嫌味が隠れている。「所詮平民だから鈍くさい」と言われているわけだ。
実際、戦争のように戦うのであれば俺がいるこちらが勝つのは当たり前である。魔法チートの俺は一騎当千、万夫不当の戦力だからである。それを弁えていないわけではないので、子爵は嫌味で俺に嫌がらせをするしかできない。こちらは交易などで強気の交渉をして仕返しするのが関の山である。まったく、忌々しい相手である。
「そういえば、こちらのステーキは食べましたかな? 若い牛のステーキはここでしか食べられない高級食材。貴方のような男爵では、金があっても購入するのは難しいでしょうしなぁ。ここでしっかり食べておくのがいいですな」
こちらとしてはさっさと場を離れたいのだが、理由もなく自分より上の爵位持ちとの歓談から離れるのはマナー違反である。下手なことを言われたくない俺は黙って耐えていたが、聞き逃せない言葉に反応してしまった。
その反応に気が付いた子爵は、ここが攻めどころとばかりに、自分の手柄でもないのに自慢するように語りだした。
「平民の食する牛は労働力として使われ年老いた牛を潰したものばかり。労働を知らず悠々と生きてきた若い牛を潰せるのは財ある我ら貴族の特権。遠慮など不要ですよ?」
言外に「ここでしか食べられない貴方は特に」と付け加えられたように感じるのは俺の気のせいではないだろう。目の前の子爵の目には、嗜虐的な光が宿っている。
思わず、これ以上を知る俺は言い返してしまった。
「まぁ、熟成期間も置かずにすぐに焼いた肉を有難がるとは、さすが子爵様ですな。
平民上がりの私には自領の熟成肉の方が口に合うようで。このステーキを食べたいとは、あまり思わぬのですよ」
面と向かって抗する言葉を発してしまった俺。
それが聞こえていたのだろう、子爵だけでなく近くにいた幾人かも含め、動きが止まった。
それはパーティを主宰する王家への批判ともとれる発言。感情的になってしまった事を後悔するが、言った言葉を覆せないのもまた事実。俺はピンチになった。
「ほ、ほぉう。それは私も、是非食してみたいですなぁ」
「いえいえ、まだ余所に出せる量はないのですよ。まだ始まったばかりの事業ですので」
これ以上の失態を回避すべく、自嘲を含んだ物言いで逃げのセリフを口にする。
だが、逃げ切る事は出来なかった。
「面白い話であるな。その熟成肉とやら、余にも出せぬと申すか?」
国王陛下、まさかの参戦。
子爵は強大すぎる後ろ盾に委縮してしまい、言葉を失った。有利な状況になったとはいえ、軽い嫌がらせに陛下が出てくればそれは焦るだろう。
「いえ、我が財は陛下の財。後日、献上しに上がります」
「催促したようで済まぬな。では楽しみにしている」
国王というのは、何かと忙しい。陛下は肉の献上を約束するとさっさとその場を離れて行った。
残された俺たちはそれまでの続きをする気力もなく、自然と俺は解放された。
後日。
献上された肉を召し上がった陛下は熟成肉を絶賛し、俺の言葉の正しさを証言した。
これで一件落着と行かないのがお約束なわけで。
「美味いなぁ、この肉は。胡椒をかけて食べるとなお美味い! 中が生というのも驚いたが、この柔らかさは他の牛では出せぬものであるな!!」
「『ステーキ』もいいですが、ワタクシは『ハンバーグ』の方が好みですわ。ワインソースと合わせて食べると、あぁ、もう」
ステーキやハンバーグは、元からある食べ方である。
だが、肉の質向上に加え香辛料といった概念の無いところに胡椒などを持ち込んだことで評価はさらに上がったようである。
「ロドリゲス卿! もっと肉の増産はできんのかね!?」
「無茶を言わないでください! 牛はすぐに育ちません!!」
というか、俺の分の確保が難しくなってしまった。
もっと遠慮しろよと、声を大にして言いたい。
……そんなことは、言えないけどさ。
あれから俺の領地の食材は注目され、取引を求める声が国内各地から上がった。
陛下に泣き付き、王家御用達しの看板を得て難を逃れたかに思えたが、さらなる受難が俺を待っていた。
それは料理担当者としての徴用命令である。
新しい香辛料や薬草類。これらの調理法はまだ研究段階にあり、その先駆者と言えば俺自身だったのである。
前世知識のある俺は厨房で陣頭指揮を執っていたこともあり、王宮の厨房に務めるように言われたのだ。
食材は貴重で失敗ができない。練習などするほど食材が無い。
その問題解決に駆り出されたという訳だ。
当たり前だが領地運営の仕事がなくなったわけではなく、食材の品質向上も途上なわけで。
俺の仕事はデスマーチとなった。
自分が美味い飯を食う余裕など吹き飛んだ。仕事が忙しければろくな飯も食えないのはどの世界でも共通らしい。俺の飯は適当飯となった。
「チクショーー!! 俺はただ、美味い飯が食いたかっただけなのにーーーー!!!!」
俺の悲痛な叫びは、サクッと丸ごと無かった事にされた。
陛下曰く「余も美味い飯が食いたい」らしい。
後世の歴史研究家は、セガール=ロドリゲスを「食の革命者」として高く評価している。
農業・畜産業における基本思想を作り上げたとして、その後の食文化発展の礎としての功績が認められたからだ。貴族として、冒険者としての実績に比べると地味とも思えるだろうが、一つの文化の創始者として、彼の名は語らずに居れない者となっている。
そんな彼だが、たった一つ、奇矯な癖があったという。
王室料理人だった彼は、時折、空に向かって何かを叫んでいたというのだ。
その言葉は伝わっておらず、どの文献にも載っていないことを記しておく。