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指輪の石の色訂正

赤い石→青い石

「おはようございます」

「おはようじゃないよ。正午の鐘はとっくの昔に鳴っているんだから」

「そうみたいですね」

「ん?どうしたんだい?やけに沈んだ顔してるけど。具合でも悪いのかい?」


 高級な服を着て一階に向った俺は相当酷い顔をしていたのだろう。

 女将は俺の顔を見るなり心配そうに声を掛けてきた。


「いえ、何処も悪くないですよ。体はね」


 体は全く問題無い。すこぶる快調だ。元気が有り余って、股間のものが起きた時にしっかりと自己主張なさっていたくらいだから。

 まあ、そのお陰で精神的には最悪です。

 能力値が予想以上に上がると分かってテンションが上がっていたとはいえ、かなり迂闊な行動を取ってしまった俺が悪いのだが。


 おまけに間も悪いし。


 せめてあの時、向かいの建物に人が居なければこれ程のダメージは受けなかったのに。


「?そうかい。それならいいんだけど。ああ、そうだ、洗濯物乾いてるから持っていっておくれ」

「え、もう乾いてるんですか?」

「そりゃあ乾くさ。正午の鐘が鳴って、そうだねえ、かれこれ三時間は経っているんじゃないかい」


 正午を過ぎているとは聞いたが、そこまで時間が経っているとは思わなかった。

 日本に居た頃も昼過ぎまで寝ていたことはある。ただ、その時は午前三時くらいまで飲んでたからで、昨日のように午後九時くらいに眠りについて午後三時くらいまで寝続けるなどとは思いもよらなかった。


 MPを使い切って気絶したからか?


 ここまで寝過ごした理由は他に見当たらない。だとすると、MP使い切るのは止めた方がいいな。正直、時間が勿体ない。あと、朝食を食べ損ねるのも勿体ない。現に、今物凄く空腹だ。


「それはそうと、洗濯物はこれで間違いないか確認しておくれ」

「・・・間違いないです」


 昨日籠に入れておいた、服、下着、手拭、全て揃っている。

 それらを受け取った後、女将にあることを聞いてみた。


「あの、聞きたいことがあるんですけど、商品の販売の委託って出来ますか?」

「んー、販売の委託ねえ。物によるかね」

「委託したいのはそこに在る物と同じような物なんですけど」

「歯磨きかい」

「はい。用途は同じです。形状はかなり違いますけど」

「そう。じゃあ、カウンターに並べて置いときゃいいんだね?」

「はい」

「いいよ。持ってきな」

「ありがとうございます。すぐ持ってきます」


 俺は一旦部屋へと戻る。

 その途中で、昨日作った歯ブラシから獣臭さの分別を異次元収納の中で行っていった。

 部屋に着いた俺は畳まれた服などをベッドの上に置くと、異次元収納から四本の歯ブラシを取り出し、臭いを確認する。獣臭さはちゃんと取れていた。


「うん。問題ない。あ、ついでに糸も見てもらうかな」


 糸に関しては露店で売るつもりだ。

 歯ブラシとは違って宿泊客が必要とする機会が少ないはずだから。

 ただ、そのためにも値段は幾らが妥当なのか、主なターゲット層に当たる女将に聞いてみようと思った。


「え?」


 俺は異次元収納から取り出した糸に目を疑った。

 取り出した糸の全てが、糸というより綿のような状態になっていた。中には、色が斑になっているものもある。

 糸を巻き取るために作った革の芯も、のびて千切れかけていた。


「何で?うーん、あ、ひょっとしてあれが理由かな?」


 俺は一つの仮説を元に異次元収納から石を取り出した。


「やっぱり」


 取り出した石には五つの突起のようなものが存在していた。

 それはMPを使い切るために動かしていた石で、起きた時に生産ブロックから異次元収納へと送ったものだ。

 異次元収納へと送る前はちゃんとした人形であったものが、今見ると辛うじて人型と言える程度でしかない。


 革に巻き取った糸についても、仕上がったと思ったらそのまま異次元収納へと送り、一々『完了』状態にして生産ブロックを消すようなことはしなかった。


「これはしっかり『完了』させないとダメってことだな」


 どうやら小物生産は『完了』にして生産ブロックを消さないと、加工したことが曖昧になってしまうようだ。


「はあー、糸は全部やり直しか」


 昨日作った糸は全て売り物にならない。小物生産で加工をやり直す必要がある。

 ただ、女将に『すぐ持ってくる』と言った以上、それは後回しにするべきだろう。

 まあ、値段の相談はしたいので、一つだけ加工しなおして持って行くことに決めた。


 俺はすぐに生産ブロックを出して、出来損ないの糸の中から染められていない綿で出来たものを選んで入れる。

 芯にしている革から綿状の糸を外し、再び糸へと加工する。

 芯になる革も、のびて千切れかけていたものを加工しなおした。


「よし」


 芯となる革に糸を巻き取って『完了』させた後、出来上がった糸を手に取って確認する。

 何処も問題はなさそうだ。

 一つだけであれば僅かな時間で仕上がる。

 本当に小物生産は反則だと思う。


 俺は歯ブラシ四本と、革に巻き取った綿糸を手にして女将の所に向った。


「お待たせしました。これが委託したい商品です」

「へえー、これがねえ。ちょっと触らせてもらうよ」

「どうぞ」


 女将は俺が渡した歯ブラシを手に取り、毛の部分に触れたりしながら熱心に観察した。


「なるほど。こいつは今までの歯磨きとはかなり違うね。こいつの方がよく磨けそうだよ。で、こいつを幾らで売ればいいんだい?」

「そうですねえ、うーん、一本銅貨五枚でお願いします」

「銅貨五枚ねえ。ちょっと高くないかい?」

「使い捨てのものではないので。一、二ヶ月くらいは十分使えるはずですよ」

「そうかい。それならまあ、そんなもんかね」


 使い捨てにしか見えない、木の先を割いただけの歯磨きが三本で銅貨二枚。あれは最低でも一ヶ月以内に買い換えるはず。

 俺の作った歯ブラシは一本で一、二ヶ月使用すると想定しているから、銅貨五枚という値段も割りと妥当だと思っている。


 あまり安くすると利益率下がるし。


 材料がゴミとか拾った物なので原価はゼロ。ただし、そのお陰で材料の入手は安定していない。量産には向いていないのだ。だから、薄利多売は不可能。

 後々、量産しようとすれば材料を買う必要も出てくるし、そうなると原価が掛かる訳で、それも最初から考慮しないと原価が掛かった途端に値上げするはめになってしまう。

 売れ出した途端に値上げしたとか思われるとイメージが最悪なのだから。


「それで、委託費なんですけど、一本売れる度に銅貨一枚でどうですか?」

「おや、そんなにくれるのかい?それならどんどん売らないとねえ」

「ああ、でも、今は四本しかないので」

「そうかい。もっと作っておかないとダメだよ」

「そうですね。あ、そうそう、これなんですけど、これは幾らくらいで売れると思います?」


 俺は女将に革に巻き取った綿糸を見せた。


「糸かい」

「はい。綿の糸です。長さは三十メートルになりますね」

「うーん。銅貨一枚だと安いし、銅貨二枚だと高いかねえ。二つで銅貨三枚ってのが妥当じゃないかい?」

「そうですか。じゃあ、その値段で売ってみます」

「そうかい。それは幾つあるんだい?売ってもらいたいんだけどさ」

「数はこれを入れて十五です。材質は綿、麻、羊毛で、色も何種類かあります」

「へえー、色々あるんだね。見せてもらえるかい?」

「はい。少し時間が掛かってもいいですか?」

「大丈夫だよ」

「じゃあ、持ってきます」


 俺はそう言って部屋へと戻った。


 部屋に着くとすぐに加工に取り掛かる。

 生産ブロックを出して、出来損ないの糸を入れ、加工して、完了。これを十四回繰り返す。一回がおよそ三十秒。合計で七分程が経過した。


「ふう。十四回繰り返すとそれなりに時間が掛かるな」


 加工しなおした糸を手に、再び一階の受付へと向う。

 流石に十四もの革に巻き取った糸は嵩張って仕方がない。こういった物を入れる手頃な大きさの袋も幾つか必要だろう。


「お待たせしました。これで全てになります」

「どれどれ」

「ここまでが綿。ここからここまでが麻。残りが羊毛です」

「そう。じゃあ、これと、これと、これを貰おうか」


 女将は最初に見せていた染めてない綿糸の他に、緑の綿糸と、藍色の麻糸と、赤い羊毛の糸を手に取った。


「ありがとうございます。代金は銅貨六枚になります」

「はいよ」


 女将はそう言って銀貨を一枚渡してくる。


「あ、おつりはちょっと待ってもらえますか。取ってきますので」

「おつりは要らないよ。銅貨四枚分はこれの代金だからね」


 女将はそう言って歯ブラシを手に取った。

 歯ブラシの売値は銅貨五枚だが、内一枚は女将への委託料だ。女将が俺に払う代金は銅貨四枚でよかった。

 だから、糸が四つと歯ブラシ一本で銀貨一枚。

 ただし、商人ギルドには銀貨一枚と銅貨一枚の売り上げとして報告しなければならない。


「触っていると欲しくなってねえ。一本買うことにしたんだよ」

「そうですか。毎度ありがとうございます」


 この世界に来て初めての収入。

 それは銀貨一枚と、一日の生活費に満たないものではあるけれど、かなり嬉しい。バイトや、会社に入った時もそうだったが、初めて貰う賃金というのは少し感慨深いものがある。


 俺は女将に丁寧に礼を言って、部屋へと戻った。


「さて、それじゃあ出掛けますか」


 俺は着ていた高級な服を洗濯された旅装へと着替えると、部屋を後にした。

 これから向うのは冒険者が多く行き来する南門である。

 そんな所に高級な服を着て行ったら絡まれそうで怖い。

 当初の予定では門に向かう途中で服を買って着替えて行こうと思っていたのだが、予定よりもかなりの長時間寝過ごしてしまったために洗濯に出していた服が乾き、途中で服を買う必要はなくなった。

 僅かとはいえ、時間の短縮になるのはありがたい。

 城門が閉まるまでに行かないと金貨一枚がパーになってしまうのだから。

 まあ、寝坊しなければ時間の心配をする必要自体無かったのだが。


「出掛けてきます」

「はいよ。いってらっしゃい」


 俺は女将に部屋の鍵を預けて宿を出た。


 日の高さを見ればかなり傾いている。もう午後四時を過ぎているのかもしれない。

 これでは金貨を引き換えに行った後は、あまり他のことをする時間はないだろう。

 つくづく、気絶して寝坊し過ぎたことが悔やまれた。


 宿の在る辺りから南門までは歩いて四十分程の距離がある。

 俺はそれを走って行くことにした。

 これは時間を短縮するためというより、トレーニングの意味合いが強い。

 昨日、ニコに付いて走り回った結果、予想よりも能力値が上昇したから、今日も走れば能力値が上がるのではないかと期待しているのだ。

 まあ、時間的には昨日よりかなり下回るのでどれ程の成果が出るかは不明なのだが。


 そうして走り出すと、昨日よりも体が軽い気がする。

 昨日ニコの背中を見て走っていた時と違い、分かっている道順、広い道幅、そういった要素で走り易いというのもあると思うが、昨日と比べて15%以上上がった素早さと持久力のお陰だと思う。

 昨日よりも速く走っているにも係わらず、呼吸が凄く楽なのだから。


 俺は南門に近付くにつれて増えてくる人波をかわしながら、スピードを落とすことなく駆けて行く。

 時折漂ってくる食べ物の匂いに空腹感がより刺激されるが、それを無視して先を急ぐ。時間も中途半端なので夕食までは食事を取らないつもりだからだ。


 南門の手前、冒険者ギルドの前は人で溢れていた。

 冒険者ギルドに入る者。出てくる者。その向こうには獲物を担いだ者たちが裏手に回るのも見える。その顔は一様に明るい。

 閉門するまでかなり時間がある時に帰ってきた彼らは、今日、十分な成果を上げているのだろう。

 これなら木札と金貨を交換するところを見られてもカツアゲされることはなさそうだ。


 俺は人混みを縫うように城門まで歩いて行く。


「すみません。引き換えをお願いします」


 城門の一角に置かれた長机の向こうには、昨日と同じ事務職っぽい中年男性が護衛の兵士に挟まれて椅子に座っていた。

 中年男性は俺の顔と手を確認すると、にこやかに話し掛けてくる。


「おや、あなたですか。なかなか来ないので忘れてくれたかと思ったんですけど」

「流石に金貨一枚は忘れません」

「それはそうですね。お陰で儲けそこないました」


 中年男性は俺が差し出した赤い木札を笑いながら受け取ると、箱の中から金貨を一枚取り出して渡してくれた。


「ありがとうございます」

「いえいえ、仕事ですから。商売を始めるということでしたが、職人でもあったのですね」

「あ、はい」

「なら尚更あなたがクロークルを選んでくれたことに感謝です。商人以上に職人は貴重ですから。出来ればずっとクロークルに居てください」

「先のことは分かりませんが、当分はこの街を離れるつもりはないですよ」

「そうですか。確かに、先のことは分かりませんよね」


 クロークルの役人である中年男性は心底居着いてほしそうな表情をしている。職人や商人の確保は街全体として非常に重要なことなのだろう。

 現代でも自治体が企業の誘致に躍起になっているのだから当然とも言える。


「あの、この辺りでゴミ扱いされてる物ってないですかね?」


 昨日、成り行きで異次元収納に入れた工房のゴミから、歯ブラシと糸が作れて金になった。

 この南門周辺でも加工次第で売れるようになる不要な物が在るのではと思い聞いてみた。


「ゴミ扱いされてる物ですか?獣や魔物の骨はそうですね。量が多いので処理に困っていますよ」


 骨か。

 骨なら木材の代わりに歯ブラシの柄の部分として使えそうだ。


「それって只で貰うことって出来ますかね?」

「出来ると思いますよ。売り物にならないですから。もしかして、それで何か作るつもりですか?」

「ええ、まあ」

「そうですか。それは素晴らしい。ぜひ売れる物を作ってください。詳しいことは冒険者ギルドの裏の解体所で聞くといいですよ」


 中年男性はにこやかにそう言った。

 ゴミとして処理しないといけない物が価値有る商品に変わるのなら、街としてこの上なく喜ばしいのだろう。

 期待に満ちた表情が俺に向けられていた。


 俺は男性に礼を言ってから解体所へと向う。

 街壁沿いの道を少し歩けば冒険者ギルドの買取所が在り、そこに併設する形で解体所は在った。


 そこは、予想はしていたが、かなり強烈な臭いのする場所だった。

 血と、脂と、臓物の入り混じった匂い。今まで一度も嗅いだことの無い臭いは、結構な勢いで鼻を突き抜けてくる。

 正直、鼻を摘まんで臭いを遮断したいが、これからこの場所で働いている人たちに話し掛けるのだからそうする訳にもいかなかった。


「あの、すみません」


 俺は極力鼻で息をしないようにして作業をしている人たちに話し掛けた。


「何か用か?」


 俺の声に作業の手を止めて振り返った責任者らしき男性は、口元をマスクで覆い、手に刃物を持ち、革のエプロンと手袋を血塗れにしていた。


 真面目に仕事をされている人にこんなことを思うのは失礼だが、その姿は物凄く怖い。

 サイコ映画の悪役のようだ。

 ここは早々に用件を済ませることにした。


「あの、こちらに処理に困っている骨が在ると聞いて来たのですが」

「ああ、処理業者の人か。骨は精肉部門だ。ついでにあれも処理しといてくれ。一杯になって困ってるんだ」


 男性が指差す方向を見ると、臓物で満たされた樽が十以上並んでいた。


 正直、あんなもの触りたくない。

 ここは正規の業者にやってもらわないと。


「あの、俺は処理業者じゃ・・・」

「追加お願いします!」

「おう!今行く。あ、何だって?よく聞こえなかった。とにかくあれを早く処理してくれ!追加の分が捌けねえ。それとも何かい。あんたは俺たちの仕事が滞った方がいいとでも言うのかい?」


 俺の声は追加の獣を持って来た若者の声に掻き消される。

 解体作業に掛かろうとする男性は、動こうとしない俺に苛立ちながら刃物で指示してきた。


「そういうことは処理業者の人に言ってください。俺は処理業者じゃないんです!」


 俺は声を張り上げてそう告げる。

 処理業者と間違われたままだと非常にまずいのだから。


「あん?てめえさっき処理に困っている骨のこと聞いてきただろうが」

「それは骨が要らない物なら分けてもらおうと思ったからで、処理業者だからじゃないです」

「本当に処理業者じゃねえのか?」

「はい。違います」

「チッ。紛らわしい聞き方しやがって」

「すみません」


 確かに、処理業者と間違われるような言葉にはなっていた。

 ただ単に骨を貰いたいと言うより、処理に困っている物はないかと尋ねる方が只で貰える確率が上がると思っていたからだ。


「・・・あんた異次元収納持ちだろ?でないと手ぶらで骨なんか貰いに来ねえよな」

「はい。そうです」


 男性の言葉に、俺は素直に答えた。

 俺にまじまじと値踏みするような視線を向け、右手に持った刃物の腹を左手にパシンパシンと当てている様は、部下の言動によっては粛清する気満々のマフィアのようだ。

 こんな状態で誤魔化すことが出来る程俺の肝は太くない。


「だったらあれの中身も運べるよな」

「それは出来ますけど・・・」

「ならやってくれよ。一樽銀貨五枚。今一杯のやつだけでいい。商人なら出来ないとは言わねえよな」

「は、はい。すぐにやらせていただきます!」


 その迫力に、俺は反射的に直立不動で返事をしてしまう。


 だって怖いんだもの。


 断ればこちらが解体されそうな雰囲気に逆らうことなどどうして出来ようか。


 俺は仕方なく臓物で満たされた樽へと向う。

 その中身は遠目でもグロい。

 見るだけで吐きそうになる。

 俺は鼻と口を袖口で塞ぎながら近付く。

 臓物で満たされた樽は、周りもべったりと血に塗れていた。


 さっさと終わらせよう。


 グロい。臭い。汚い。

 こんな所に長居していいことなど一つも無い。体にも臭いが付きそうだ。


 異次元収納持ちだとバレているので、俺は遠慮なく異次元収納を展開する。

 樽のすぐ側の地面すれすれに展開した異次元収納。それは深い穴のように見える。

 本当は樽のすぐ下に異次元収納を出せればいいのだが、生産ブロックと同じように物体の在る場所には出せないので仕方がない。

 だから、俺はこの穴みたいな異次元収納に樽ごと臓物たちを落とすつもりだった。


「重っ」


 俺は樽の縁に手を掛けて押してみるが、高さ一メートル十センチ、直径七十センチの樽は、たっぷりと満たされた臓物たちによって全く動かない。

 俺は使える物がないか周りを見渡した。


「すみません。このバケツ借りてもいいですか?」

「ああ。後で洗えよ」

「はい」


 掃除用のバケツとモップを見付けた俺は、バケツの使用許可を取る。

 これである程度汲み出せば動くようになるはずだ。


 バケツを使って何度か樽の中の臓物を異次元収納へと汲み出す。

 そうして中身が減ったところで再び樽の縁に手を掛け押してみる。

 今度はちゃんと樽が動いた。

 ちょっとずつ、ちょっとずつ、三十センチ程ずらしたところで異次元収納へと落とすことが出来た。


「ふうー」


 これはかなりの重労働だ。

 おまけに吸う空気は相変わらず臭いの何の。鼻で息をしないようにしていても、その全てを防ぐことなど出来る訳がないのだから。


 俺は地面に空いた穴のような異次元収納を閉じ、どこで○ドア的な感じに異次元収納を展開する。

 そしてそこから、中に入っていた臓物だけでなく、染み付いていた血なども取り除いた樽を引っ張り出す。

 その際に血で汚れていた手の手形が付いたが、まあ気にすることないだろう。どうせすぐに血塗れになるのだから。


 後はこれを臓物で一杯になってる樽の数だけやればいい。

 その数、残り十二。

 絶望感さえ漂うその数字に、俺は処理業者が来ることを何より待ち侘びた。


 ・・・。

 ・・・・・・。

 ・・・・・・・・・。


 結局、俺が十三の樽を処理する間、処理業者は来やがりませんでした。


「終わりました」


 俺は臓物の処理を持ちかけてきた男性に力なくそう告げた。


 すでに嗅覚は麻痺しており、臭いがそれ程気にならない。

 着ている服は飛び散った血などでドロドロ。

 そして、血塗れになった手は、ひりひりと痛んでいた。おそらく、臓物に混じっていた消化液の所為だと思う。


 どう考えても素手でやる仕事じゃなかったよな。


 何の用意もしてない人間に今回の作業をやれと言うのは無茶振りもいいところだとつくづく思った。


「おう。終わったか。あー・・・」


 男性はそう言って樽の並べられた区画を見回す。

 そこにある十五の樽の内、十三樽は確かに俺が中身を処理した。ただ、その内の四つの樽は既に臓物で満たされてしまっている。


 やったよ。俺、ちゃんとやったよ。


 何処となく不満げに見える男性の横顔に、俺は捨てられた子犬のような目で訴える。

 正直、追加でやれと言われては堪らない。


「そんな顔するな。確認していただけだから。追加の分までやれとは言わねえよ」


 捨てられた子犬のような目で訴えたのが効いたのか、男性が自分の言葉に従ったからか、追加での臓物の処理はやらなくていいようだ。

 本当に心からほっとする。


「これをギルドの本館に持って行け。代金を払ってくれるからよ」


 男性はそうして一枚の羊皮紙を手渡してくる。

 そこには俺の処理した樽の数が走り書きされていた。


「ありがとうございます。あの、手を洗える場所って何処ですか?」

「ああ、それならここを出てすぐ北に井戸がある」

「分かりました」


 俺は水場の位置を聞くとすぐに解体所を後にする。

 言われた通り道なりを北へと進むと、木が植えられた一画を挟んで水場が整備されていた。

 広い石畳の敷地に井戸が二基。

 ここは解体所などで出る汚れた物を洗う場でもあるのだろう。数人で作業するのに適した造りになっていた。


 俺は井戸の側の桶に予め汲まれていた水で手などを洗い、新しく汲んだ水で手を濯いでから、その後同じように井戸から水を汲んで入れておく。

 その際に一旦服を脱いで異次元収納で汚れを取りました。

 ズボンを脱ぐ時には十分に周りを警戒しながら。

 まあ、誰も来なかったけどね。


 その後はバケツを解体所に返しに行って、精肉所で骨を只で貰いました。

 骨は建物の外に籠に入れられて山積みになっていたのだけど、高さがある分倒し易く、苦労せずに異次元収納に入れることが出来ました。

 むしろ異次元収納に向けて倒すのが面白かったくらい。


 で、冒険者ギルドです!

 お待ちかねの報酬の受け取りです!

 やりたくない仕事ではあったけど、終わってしまえば報酬が楽しみで仕方がありません!

 一樽銀貨五枚で十三樽分!報酬として金貨が貰える訳ですよ!しかも、複数枚!

 今日は当然祝杯です!


「臨時の廃棄物処理ですね。報酬は六百五十ディオになりますが、支払いはどのようにしますか?現金でお渡しするのか、口座へ振り込むのか、どういたします?」


 ギルド職員の若い男性からそう尋ねられ、俺は少し考えた。


 『ディオ』はこの世界の通貨単位。愛と、美と、算術を司る神ディオナ様から採ったものだ。一ディオが銅貨一枚になる。

 もっとも、庶民がその呼び方を耳にする機会は少ない。教育が行き届いているとは言い難いこの世界では、銅貨何枚、銀貨何枚と言った方が通りはいいからだ。

 使っているのは、冒険者、商人、貴族など、大金を動かす者たち、口座を使って取引をする者たちがほとんどだった。


「えーと、六百ディオを口座に振り込んで、残りを銀貨四枚と銅貨十枚で貰えますか?」


 これから先、取引が増えていけば口座を使った支払いも増えていくだろう。

 そう思って六百ディオ、金貨六枚分は口座に振り込んでもらうことにした。


「分かりました。では、手をこちらの水晶にかざしてください」


 俺は職員に言われた通りに右手を水晶玉にかざす。

 すると、すぐに指輪の青い石が輝き、六百ディオが入金されたと確認出来た。


「では、残りの報酬をお持ちしますので少しお待ちください」


 しばらくして戻ってきた職員は、貨幣を入れたトレーと、貝殻を持っていた。


「こちらが残りの報酬です。ご確認ください。それとこちらは傷薬になります。寝る前に使用されるとよろしいかと」

「ありがとうございます」


 貝殻の中には軟膏タイプの傷薬が入っていた。

 俺の赤くなった手を見てのことだと思うが、この心遣いはかなり嬉しい。


「いえ。こちらこそグラフさんの無理を聞いていただきありがとうございます。廃棄物の処理についてなのですが、今回が初めてですよね?」

「はい」

「でしたら捨てる際の注意点を伝えておきます。解体で出る廃棄物は何処にでも捨てていい物ではありません。血の匂いで肉食の獣や魔物が寄ってきますので。ですから、捨てる際は人里離れた場所、街道から離れた場所でなくてはなりません。これに違反した場合は罪に問われるので気をつけてください」

「はい」


 確かに、血の匂いがする臓物をばら撒けば肉食の獣や魔物が寄ってきそうだ。

 それは流石に認められないだろうな。

 まあ、俺の場合は原子レベルにまで分解出来るので捨てに行かなくてもいいけど。


「クロークルの場合主に捨てられている場所は東の丘の崖下ですね。あの場所であれば行くまでに獣や魔物に遭遇する確率はかなり少ないですから。まあ、確率が低いだけなので、安全に行くなら護衛は雇われた方がいいですよ」

「そうなんですね」


 単純に仕事がきついだけでなく、捨てる際の護衛を雇う料金込みの値段ってことか。

 道理で報酬が良い訳だ。


「こちらから伝えることは以上です。この度は本当にありがとうございました。機会があればまた廃棄物処理をお願いいたします」

「考えておきます」


 俺はそう言って冒険者ギルドを後にした。


 また機会があれば廃棄物処理を引き受けてもいいかもしれない。


 そんなことを考えながら軽い足取りで職人ギルドにゴミを貰いに走って行く。

 昨日暗い中帰った道だが、ちゃんと覚えていたようだ。

 そうして職人ギルドに着いた俺だったが、建物に入るなり、中に居たニコと、ハインツと、もう一人の職員に嫌な顔をされてすぐに追い出されました。


 体に臓物などの臭いが染み付いていたようです。

 おかしくなった嗅覚のため気が付かなかったけど。


 廃棄物処理は当分やりたくないです!


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