22
「ふあー」
朝起きて目にしたのは見慣れぬ天井。
昨夜から契約した店舗で寝起きするようになったので当然だけどね。
俺は起き上がると着替えてベッドなどを全て異次元収納へと仕舞い込んだ。
「あ、そうだ、朝食も自分で用意しないとダメなんだった」
宿じゃないから朝食なんて用意されていない。自分で作るしかなかった。
まあ、作るのは一瞬で出来るから問題無いんだけど、メニューを考えないとダメなのはちょっと面倒くさい。
取り敢えず、今日の朝食はハンバーガーにサラダとスープにしておこう。
朝食を取った後は得意先回り。
その後、食材の調達に露店を色々と巡っていく。屋台があればそのチェックも忘れずに。
正午までそうやって時間を潰したところで商人ギルドへ向かう。
本日のメインイベントである面接を行うためにね。
商人ギルドに着くと、職員に案内してもらって面接を行う部屋へ入る。
応募してきた人たちは全員揃って別室に待機しているようなので早速始めよう。
一人目の面接者は顔見知りだった。
「あれ、君は確かカドモス薬店の息子さんだよね」
「はい。ミケル・カドモスです。よろしくお願いします!」
ミケルは俺の得意先の一軒であるカドモス薬店の三男だ。
イケメンと言い切るのは難しいけど、中の上と言うか上の下と言うか、並以上には顔も整っており、その上、いつもにこにこと愛嬌のある表情を浮かべていることもあってお客さんから可愛がられている。接客に関して言えば即戦力なのは間違いない。
そんなミケルのステータスはこうなっている。
ミケル・カドモス 18歳 男
種族 :人間
MP :61/61
筋力 :21
生命力:22
器用さ:27
素早さ:26
知力 :23
精神力:23
持久力:28
スキル:短剣術
気配察知
調合
実家が薬屋で、自ら薬草の採取に行くこともあるからこそこの能力値なのだろう。クロークルではかなり高いレベルにある。冒険者ギルドや商人ギルドの職員並みだ。これならギルド職員として就職出来るのではないだろうか。募集をしていない訳でもないし。
俺が出した求人の条件はギルド職員の待遇に比べると格段に低い。他にも条件がいいものは幾つもあった。
それにもかかわらず、うちを選んだのは何でだろう?
「志望動機を聞かせてもらえるかな」
「はい。僕はタサカ商会で扱っている捻って開け閉めする容器や歯ブラシなどに感動したんです!こんな画期的な物があるんだって!出来るなら僕もそういった物を扱うのに携わりたくて、タサカ商会で人を募集してないかなって毎日ギルドに求人情報を確認しに来てたんです。それで、一昨日募集を見掛けたのですぐに応募しました!」
「そうなんだ」
「はい!」
なるほどね。うちの商品のファンか。納得出来る理由だな。うちに就職する以外は家業に携わっていくつもりだったらしいし。
能力に関しても、家業を手伝ってきているから計算能力もちゃんとある。四則演算に関しては全く問題無かった。接客スキルも十分に持っているのを見知っている。
採用しないのは勿体無いな。
「それじゃあ、採用と言うことで。これからよろしく」
「はい!ありがとうございます!」
欲しい人材なので採用決定。問題が無ければ即日採用がこの世界では普通だそうだ。連絡手段が乏しいからね。
二人目の面接者は女性だった。
明るめの茶髪を肩の辺りで揃えたおしとやかな感じの美女。見た瞬間「採用」って言いそうになるくらいレベルが高い。
まあ、流石に見た目だけで採用とかあれなんで何とかその衝動は抑えたけど。
「レティシア・アルフォートです。よろしくお願いします」
「よろしくお願いします」
名前を告げられたのに合わせて鑑定を使って彼女を見る。
レティシア・アルフォート 23歳 女
種族 :人間
MP :124/124
筋力 :17
生命力:19
器用さ:23
素早さ:23
知力 :27
精神力:26
持久力:24
スキル:鞭術
火魔法
これまたクロークルでは高い能力値だな。
「では、当商会への志望動機を聞かせてください」
「はい。タサカ商会は設立されて間もない商会であるのに画期的な商品を世に送り出して売り上げはうなぎ登り。更に、ブリトビッツ商会と手を組んで大きく飛躍しようとしている今一番注目の商会です。その豊かな将来性と共に私自身も成長出来ればと思い応募いたしました」
「そうですか」
志望動機はうちの将来性か。確かにそれは高い。俺がチートな生産能力を持っているのだから。
それに、俺の日本で得ていた知識もある。商品開発能力に関して言えば断トツだろう。発酵系と魔道具関係以外はな。
魔道具は付与魔法使えないとどうにもならないからね。使える人が少なくて雇うのも難しいし。
それにしても、うちの情報をかなり集めているようだ。
「当商会の注目度は高いですか?」
「はい。並ぶものが無いくらいです。何しろ全く歪みの無い板ガラスを作れるのですから」
「・・・」
ちょっと待て。
板ガラスはまだお披露目の準備中で、世に出していないものだぞ。
流石にそれはよく知っているってレベルじゃない。知り過ぎている。聞き流せることじゃない。
答えてくれるとは思えないけど、問い質さないとダメだろう。
「その情報は何処から?ご家族にブリトビッツ商会に勤めている方でも居るのですか?」
「いいえ。ブリトビッツ商会に勤めている者は居りません。板ガラスの話は私の家に出入りする方々から聞いたのです」
「複数の人があなたに教えたと」
「はい。個人名は言えませんけど、商人や職人の方々が教えてくれましたよ」
個人名は言わないけど、答えてはくれるのか。
実力を誇示しているにしろ、情報管理が甘いと警告しているにしろ、出した応募条件以上の待遇を求められそうだな。
それにしても、複数の人間が情報を漏らしているとか最悪じゃないか。
「そうですか。話をしてくれた人には見返りでも渡しました?」
「いいえ。情報は只で手に入ります。それに、お客様にお金を払っていては商売になりませんよ」
「え、お客様?商売?」
「ああ、言ってませんでしたね。私の家は娼館を営んでいるんです。お客様はうちの子たちに自慢するように色々話してくれますよ」
「そうですか・・・」
はあー、男ってやつは・・・。
悲しいかな、男とはそう言うものだ。抱いた相手にはガードが甘くなる。抱いたことで自分のものになったとでも勘違いするのだろう。そうして、機密すらもベラベラ喋ってしまうのだ。歴史的に見ても娼婦がスパイだったなんて話は数多いし。
後でブリトビッツ商会の方にも一言言っておこう。放置しておくのはまずいから。
それにしても、彼女の実家は娼館を営んでいるのか。それでスキルが『鞭術』と『火魔法』ってまさか女王様的な・・・。
「何か?」
「いえ、何でもないです」
おしとやかに見えるけど猫を被っているのだろうか?
止めておこう。あくまでスキルの話だ。
それはそうと、彼女も採用でいいだろう。
計算能力を確かめたけど四則演算は問題無いし、実家の娼館の情報収集能力も見逃せない。
接客能力は未知数だけど、彼女くらい美人なら男性客は多少の粗相は許しそう。
商品開発の面からも女性従業員は欲しかった。女性ならではの感性でアイディアを出してほしいんだよね。
「では、採用と言うことで。これからよろしくお願いします」
「はい。よろしくお願いします」
これで二人目。二人とも質的には想定していた以上の人材だ。
俺が設定していた雇用するかどうかのラインは、読み書きと四則演算が出来て性格に問題が無さそうなら採用と言うものだった。
当然、スキルなんか求めてなかったし、能力値も一般人レベルでよかった。
それが、クロークルでは警備員の役も勤まるレベルの能力値と戦闘スキルを持った人材を立て続けに二人も確保出来たのだから非常についている。出来過ぎと言ってもいいくらいだ。
まあ、流石にこのレベルが三人も続くことは無いよな。
そんなことを思いながら待ち受けた三人目。
入ってきたのは赤紫色の髪をした身長が百九十センチくらいある細マッチョのイケメンだった。
従業員の面接に来たのでなければ『もげろ』と思ったに違いない。
利用出来るイケメンなら歓迎だよ。
「アドニス・ガロアです。よろしくお願いします」
「よろしくお願いします」
イケメンのステータスはこうだ。
アドニス・ガロア 21歳 男
種族 :人間
MP :65/65
筋力 :30
生命力:26
器用さ:20
素早さ:21
知力 :22
精神力:24
持久力:27
スキル:体術
隠密
マジか。これで三人連続ギルド職員なみじゃないか。
ついてるなんてもんじゃないぞ。
「では、当商会への志望動機を聞かせてください」
「はい。私の家は酒場を営んでいるんですけど、その売り上げが段々落ちてきていて、それで他に働き口をと思いまして応募したんです」
「そうですか」
実家の酒場の売り上げが落ちてきたから他に職を探していると。
志望動機の回答としてはダメダメだねえ。うちを選んだ理由が何にも無いもの。
まあ、この世界、就職活動を指導してくれるような存在が無いからこれだけでダメとは言わないけどさ。
義務教育とか無いから読み書き出来るだけでも上等な部類だからね。
「特技は何かありますか?」
「えーと、あ、・・・特に無いです」
「・・・」
特に無いか。ならスキルにある『体術』と『隠密』は一体何なんだ?秘密にしておきたいってことなのか?まさか、特技と思ってないってことはないよな。
成人する時にはほぼ全ての人が冒険者ギルドや神殿などでスキルを調べるみたいだから知らないってことは考え難いし。
まあ、俺が『鑑定』持っているから気付くことで、俺も『鑑定』を持っていることについては隠しておくつもりだから指摘はしないけどさ。
それにしても、志望動機もダメだったけど、自己アピールについてはもっとダメだろ。
特技なんて些細なことでも言っていかないと。『特に無い』なんて言うのは問題外だ。
こいつ本当に就職する気あるのか?
チラッと顔を覗き見しても、そういったものがあるようには感じられない。
気だるげな表情で、ぶっちゃけ暗い。
「はあー」
どうしようかな、こいつ。
ステータスの面では申し分無いのだけど、こいつを雇って接客を任せる気にはならない。
四則演算は出来るから事務処理などの裏方や、店の警備担当として雇うってこともありかもしれないけど、ちゃんとやってくれるのか確信が持てないのがね。
うーん、ちょっと考える時間が欲しいな。採用するかどうか保留にして、後日連絡するようにしておこうかな。
「あ、結果ですけ、って、おい!何で消えようとしてんの!!!」
「え、あ、その、・・・すみません」
俺は結果を後日に連絡すると言うつもりでイケメンに向き直ると、奴はこともあろうに透明になりかけていた。
はあー、マジか。多分、スキルの『隠密』を発動したのだろうけど、一応、まだ面接の最中なのにそんなもの発動するんじゃねえよ!
『隠密』スキル持ってるって知ってなきゃ、ちょっとしたホラーだからな!
「ねえ、今何しようとしてたの?」
「え、特に何かしようとはしてませんでしたけど・・・」
「でも、消えかけてたよね。透明になりかけていたよね」
「あ、それは、・・・その、・・・無意識で」
「は?無意識?」
「・・・はい。・・・色々考えていると無意識に『隠密』ってスキルを発動させてしまうようなんです」
無意識に『隠密』スキルを発動ってどんだけ隠れたいの。
「『隠密』ってスキルを持っているんだ。だったら、何で特技を聞いた時に言わなかったの?」
「えーと、それは、・・・前に雇ってもらった所で今みたいに無意識にスキルを発動してしまったんです。・・・お客さんの応対をしていた時に。・・・それで、店の人に怒られて首になったので・・・。・・・それに、他の面接の時も怒られて・・・」
「あー」
客商売でお客さんの目の前で消えるとか完全にアウトだな。お客さんもさぞやびっくりしたことだろう。そりゃ首になるわ。
面接で消えるのも怒られて当然だね。何しに来てんだって話だよ。
で、その首になったのと面接で怒られたのとの原因である『隠密』スキルについては言いたくなかったと。
まあ、『隠密』スキルを言わなかったことについてはいいわ。客商売向きではないし、トラウマもあるみたいだから。
「他にスキルは持っているの?『隠密』スキルみたいに言ってないスキルがあるなら言ってみて」
「あ、えーと、『体術』スキルがあります」
「そう。じゃあ、何で言わないの?」
この際だから追及させてもらおう。
『体術』スキルについて言わなかったことを。
「えーと、特に珍しいものではないので」
「それは、戦闘スキルの中ではって話だよね。スキルを持ってない人も含めると十分珍しいと思うけど」
「それは、その・・・」
「それに、珍しかろうと、珍しくなかろうと、有用なものなのは間違いないよ。冒険者として稼ぐことも出来るんじゃないの」
「いえ、僕如きじゃスキルを持っていても・・・。ましてや、冒険者として稼ぐことなんて・・・」
「・・・」
あー、ちょっとイライラしてきた。
今ならともかく、この世界に来て数日間の俺では勝てない身体能力を持ち、おまけに戦闘スキルまで持っているのに『如き』とはなんだ。『如き』とは。
お前より顔も能力も見劣りしていても前向きに生きている人間は幾らでも居るぞ!
イケメンでステータス高い奴に卑屈になられると無性に腹が立つ!どこにネガティブになる要素があるんだ!全く!
目の前の奴を見るとびくってなってまた消えかけているし。
おっと、いけない。睨んでた。
「・・・そこで消えない!」
「は、はい!」
はあー、疲れる。
はっきり言ってこいつは客商売に向いてない。
でも、『隠密』スキルの力を見せられてからは雇いたくなっている。スキルを使われると見ている目の前でも消えられるんだから色々使い道がありそうなんだよね。正直、ここまで凄いスキルだとは思ってなかったし。
『隠密』スキルは智弘君も持っていたけど、あの子は一切使わなかったからね。あの子は派手で目立つ戦い方をする子だったから。
まあ、智弘君のことはいいや。
取り敢えず、このイケメンも採用と言うことでいいだろう。ここで雇わないとなかなか巡り会えないスキルだろうし。
接客には使えないから追加で募集を出しておく必要はあるけど。
「あー、それで、結果なんだけど」
「はい。分かってます。ダメですよね。僕なんかじゃ。お時間を取らせてすみませんでした」
「おい、聞けよ!何で今だけはっきりとこっちの話を遮ってくるんだ!黙って話を聞け!!!消えんな!!!」
「はい!」
はあー、もう採用するのやめようかな。ネガティブ過ぎてマジでやり難い。
でも、やり難いだけで見逃せるスキルじゃないので性格で弾くのは無しだ。
「結果は採用ね。接客は向いてないみたいだから他のことをやってもらうと思うけど。ひょっとしたら募集要項に無かった仕事になるかも。それでもいいかな?」
募集要項以外の仕事はやりたくないってことなら事務仕事だけになってしまう。
流石にそれは勿体無いので承諾してくれるといいのだけど。
「はい。ありがとうございます。ここ最近はスンッ、面接で、ダメってスンッ、言われてばかりで、今回もきっとダメだって思ってたからヒック」
仕事の変更を承諾してくれたのはよかったけど、泣かれるとは思わなかった。一体どれだけ面接落ちてたんだ。
まあ、面接中に『隠密』使ってりゃ落とされて当たり前だけどさ。
それにしても、こいつはいつ泣き止むのだろう。既に号泣と呼べるレベルなんだけど。
あと、鼻水まで垂らしまくりなのはガチで引く。イケメンとか関係なく酷い顔だよ。
泣き止むのを待ってたら時間が掛かりそうなので、こちらから話し掛けて切り上げよう。
「まあ、何にせよ、これからよろしく」
「よろじぐおねがいじまず」
号泣しながらもこちらの話にのってきたので、これで終われると思ったけどそうもいかなかった。
手を差し出してきたから握手に応じたんだけど、これが完全に失敗だった。
差し出した手を両手でがっちりと掴んで放さないわ、そこに涙と鼻水を垂らしてくるわで。
正直、今すぐ無理矢理にでも振り解きたいけど、そうすると余計に面倒なことになりそうなので堪えてます。
やっぱり不採用なんだと錯乱しかねないからね。
そうして十分程耐えたところでようやく解放された。当然ながら差し出していた右手は涙と鼻水で悲惨なものだよ。服も袖の部分はびちゃびちゃだし。
そのことに落ち着いてようやく気付いたアドニスがしきりに謝ってきたけど、気にするなと言って無理矢理帰らせた。これ以上こいつに時間を取られたくない。
「はあー。やっと行った」
やれやれ、どうにか終わった。面接する側は初めてだったけど思った以上に疲れるな。その大半は最後の一人でだけど。
さてと、取り敢えず追加の募集を出して、ブリトビッツ商会に行こうか。お話しておかないとダメなことがあるからね。
まあ、全ては付着した涙と鼻水を処理してからだがな。
「・・・と、言うことがありましたので、情報管理の見直しをお願いします」
ブリトビッツ商会に着いた俺は人払いをしてクルトとお話です。
言葉に『お宅の情報管理はどうなってんのよ』って非難をがっつり込めてね。
「はい。今回のこと申し訳ありません。部下たちには重々言い聞かせておきます」
「マイアーさんは利用してはいなかったのですか?」
穏やかな言葉を選んではいるが、言いたいことは『おめえもやってたんじゃねえのか?ああん』って感じだよ。
「ええ。そう言った場所に行きたいと思うことはあるのですけど、行くと妻に物凄く怒られるのです。こっそり行こうとして店の前で腹を殴られたことも。だから、この街ではそう言った場所には行けないのですよ」
「そうですか・・・」
あ、これは白だな。
娼館に行きたいけど行けないんだってもろに顔に出てる。特に最後の言葉を口に出す時は血涙流しそうな表情だったんだけど。
あの顔は引く。ガチで引く。おっさんそこまで娼館に行きたいのかってマジで引く。
それにしても、奥さんも娼館の前で腹パンするかね。
奥さんからすると娼館で他の女を抱いてくるのは許せないのだろうけどさ。
取り敢えず、恐妻認定しておこう。この先、会う可能性があるから注意しておかないとな。クルトのとばっちりはごめんだ。
「ですから、出張などで他の街に行くのが楽しみで。もっとも、支店を預かる身ですから特に重要な用件以外では行けないのが辛いところですけど」
「そうですか・・・」
うーん、気のせいだろうか?クルトにとっての重要度が『重要な用件』<『娼館に行く』に聞こえてしまうんだが。
商売上のパートナーとしてこんなので大丈夫なのか?段々不安になってきた。
「ですが、今回の歪みの無い板ガラスの商売は確実に他の街に行くべき案件です!俄然気合が入りますよ!」
「そうですか・・・」
うわー、滅茶苦茶気合入ってる。
娼館に行きたいという思いがやる気にさせているなら、これはこれで任せて大丈夫なのかな。
こちらとしてはちゃんと仕事をしてもらえればいいだけだし。
「段取りは上手くいっていますか?」
「ええ。滞り無く。板ガラスのお披露目は明日の朝一で。その翌日にはあの方と面会することになっています」
「そうですか。上手くアポは取れたのですね」
「はい。後は上手く売り込むだけですよ」
あの方とはこの街の領主、バートナー・リングレス子爵である。
この方への売り込みが成功するか否かで板ガラスの商売が軌道に乗るまでの時間が変わってくる。
我々にとって最も重要なお客なのだ。
「マイアーさんはどの程度勝算があると思いますか?」
「九割以上です」
「そこまでありますか」
「ええ。あの方は聡明ですからね。領の将来にとって重要だと思えば、多額の出費も先行投資と思って出すでしょう」
「そうなってくれるとありがたいですけどね」
リングレス子爵と面識があるクルトと違って、俺には一切面識が無い。だから、そこまでの勝算を見込めなかった。
俺が貴族と言う存在を警戒しているのもある。俺は貴族なんて存在には会ったこと無いし、物語に出てくる貴族にはかなりの割合で特権意識満載のクズが混じっているのだから。
だけど、あまり警戒ばかりもしていられない。板ガラスのメインターゲットがその貴族たちだし。
まあ、うちが売る相手はブリトビッツ商会だけどね。
そうは言っても、流石に今回は俺も一緒に行くことになっている。商品を製造している俺が行くのと行かないのとでは説得力が違うから。
それに、商売を続けていくのなら一度は会っておくべきだとクルトからのアドバイスもある。まっとうな貴族とは知己を得て後見をお願い出来るような関係になっておくべきだと。そうすれば貴族絡みの厄介事への対処能力が格段に上がるからと。特に商売拠点の領主は親身になってくれる可能性が高いので真っ先に知己を得ておくべきだそうだ。彼らからすれば自領の商人は金の卵を産む鶏だからね。
「明後日の面会は正午の鐘から二時間ほど経ってになりますので、昼食を済ませて待っていてください。迎えに行きますので」
「はい。お願いします」
明後日の面会に行く際はクルトがうちの店舗兼自宅まで迎えに来てくれて、それから領主の邸宅に向かう手筈になっている。
明日の板ガラスのお披露目以降ブリトビッツ商会の周辺は混雑することが予想されるからね。
クルトも明後日は出勤せずに面会に備えるようだし。下手に出勤して人混みで面会時間に遅れるなんてなったら大問題だから。
「何か他に用件はありますか?無いようであればお引き取り願いたいのですが」
「そうですね。今日は他に用件は無いのでこれで失礼します。お時間を取らせて申し訳ありません」
「いいえ。タサカさんであれば何時でも歓迎いたします。先程の言葉で気分を悪くされたのなら申し訳ありません。部下と職人の方たちを叱責して回らないといけないものですから」
「そうですか。よろしくお願いしたします」
「ええ。みっちり叱っておきますよ。伏せておかなければいけない情報を漏らしただけでも問題なのに、娼館で楽しんできたなど許せる訳が無い!私は娼館に行けずに悶々としていると言うのに!!!」
「・・・」
叱責すると言うより、私怨で怒りそうな気がするんですけど。物凄く。
まがりなりにも一支店を任されているのだから言うべきことはちゃんと言うと思うけど不安過ぎる。
まあ、俺としては結果的に情報漏洩が防げればいい訳だし、状況が改善されるなら口を出すつもりは無いけどさ。
「それでは、これで失礼します。明後日はよろしくお願いしますね」
「はい。お任せください」
そうして俺はブリトビッツ商会を後にした。商売上のパートナーとして大丈夫なのかと言う不安を抱えたまま。
だから、ハインツに相談しに職人ギルドに行ってみる。困った時はハインツに相談するに限るからね。
そうして俺がクルトの件について相談すると、ハインツは苦笑しながらこう答えた。
「大丈夫ですよ。仕事に関して言えば何も問題無いでしょう。ただ、娼館に一緒に行こうと誘われても乗らない方がいいです。奥方に睨まれますから」
だってさ。気を付けよ。
もやもやが晴れたところで狩りへ。一時間程やってから街に戻って、剣術道場で稽古して、風呂屋でさっぱりして帰宅。
晩御飯は数種類の肉を使ったから揚げ定食。食べ比べするのはなかなか面白かった。
だだっ広い部屋で一人でするのは虚しさが伴うけどさ。
「さて、寝るか」
歯を磨いて、商品の生産を終えると、寝具を取り出して布団に潜り込む。
今日も色々あったけど、他人の顔を見て引くことが多かった日だったよな。涙と鼻水でぐちゃぐちゃになったイケメンの顔とか、娼館に行きたいけど行けなくて血涙流しそうなおっさんの顔とか。
夢に出てこなければいいんだけど。




