卒業式
本日二話目です。
去年の卒業式の翌日。その日から、リヴィアの様子がおかしかった。
たどたどしい会話に、微妙な距離感。露骨に避けられる事が幾度もあって、その不自然さを、本人も間違いなく理解しているのだろう。
「すまないが、もう少しだけ待っていてほしい。すぐに解決してみせるから」
少ししてそう言ったリヴィアの言葉は、しかし嘘になったまま一年が過ぎた。
踏み込む機会なら、何度かあった。それでも俺はその先の事を考え、これ以上の接点を作らないように距離を置いたまま、あっという間にお別れとなる卒業パーティーが幕を上げた。
俺との繋がりを強化しておきたい者や、就職先として取り入ろうとしている者はそれこそ大勢いて、今も俺を中心とした人だかりが出来ている。
そんな彼らに無難な受け答えを繰り返すだけであっという間に時間が過ぎる。
事実上の主役で、こういった役割にも慣れたとはいえ、それでも面倒なモノは面倒と感じるのはやはり、今もってこういった場にいる事自体に微かな違和感を覚えるからだろうか。
この日、学校の大広間には思い思いのパーティー用の私服で着飾った卒業生と教師。そして見馴れた制服に身を包んだ在校生が集められていた。
この日ばかりは多少なりとも羽目を外し、皆が騒ぎ、笑い、泣き、未練を残さないように今日という日を全力で楽しんでいた。先輩後輩関係なく皆がいる前で告白し、盛大に玉砕する者。また、成功して祝福される者。
気の早い者達は恋人と抜けだし、人気のない場所へと姿を消していく。
先程までダメ元でアタックをかける女生徒を相手にしていたために辟易したが、ようやく一通り捌き終えたため休憩がてら壁際に寄りかかってそんな光景を眺めながら、イザークもまた胸の内にわだかまる感傷に身をやつす。
それがくだらないと分かってはいる。
しかし、この卒業を機に事態は大きく動き出す事になる。身分も変わり、本格的に動き始めることになるのだ。
軍事行動こそまだ起こさないが、良くも悪くも目立つ事になるため、平穏な日々が終わりを告げる日である事に変わりはない。特に、あの勘の良い先輩の事だ。少し前に起こった事件を耳にすれば、何らかのアクションを起こすことだろう。
今まで制限されていたことの大半を大っぴらに出来るとあっては、今まで以上に全力疾走することになろう。だから、そういう意味ではきっと今日が最後の平穏。
そんな想いを、舌の上で飴玉を転がすように弄んでいたからか、接近する人影に声を掛けられるまで気付かなかった。
「…………少し……いいか……?」
とは言え、その人影もまたギリギリまで見られたくないと言うかのように真横から近づいてきたし、今も迷いながら発せられたその言葉はたどたどしい。
「…………リヴィア?」
疑問形になったのは目の前の少女が見馴れぬ姿だったからだ。
その瞳と同じ蒼を基調としたドレスに、その輝くような金髪と白い肌が良く映える。
いつもポニーテールにしている髪は結い上げられ、上流階級の人間だけが発する気品を感じさせる。
彼女に気付いた者達は例外なく我を忘れてリヴィアを注視していたし、ヒソヒソと話す声からは、あれは誰だ、なんて声も聞こえてきて、彼女がリヴィアだと分かっていない者も多いほどだ。
「…………い、いつまでも見てないで何か言え!」
「いや、驚いた。まるで大物貴族の令嬢みたいだ」
「私は侯爵家の令嬢だ!!」
リヴィアは怒鳴りながらもどこか嬉しそうに口元を歪める。
久しぶりに感じたこのやりとりが、なぜだかとてもおかしく思えた。
「あ、いや、悪い。似合ってると思うぞ、うん。一瞬、別人と見間違えたくらいだし、正直言って見惚れてた」
「そ、そうか! なら良かった!」
本当に安心したと言わんばかりに笑みを浮かべ、しかし徐々にその白い肌を真っ赤に染める。
「お、お前が良ければ一曲踊らないか? その……卒業の記念だ。いいだろう?」
「ああ、そうだな。よろしく頼む」
差し出された手をとり、共に中央で踊っている学生たちの輪の中に飛び込む。
学生向けと言えるような、リズムや曲調等、全てが初歩的で基本的とさえ言えるスタンダードなワルツ。
リヴィアはこういった場には普段出ない筈なのだが、やはり貴族として一通りの教育は受けているということなのだろう。そんな曲にこんな時までお手本のように三拍子に合わせ、教本通りに動くリヴィアのダンスは良く合っていた。
「……出来れば二人っきりで話したい。場所を移さないか?」
立場は勿論、醸し出す華のような空気によって自然と周囲の耳目を引きつけてしまった事で、リヴィアは恥ずかしさから頬を真っ赤に染める。
これ以上注目されるのは耐えられないとばかりにこの場を離れたいと、上目遣いに提案してきた。
このままここにいた所で次々とダンスの相手を変えて踊っているだけだ。それは本意ではないし、ここはリヴィアの言うとおりにするのも悪くない。
会場を抜けて、訓練場の一角まで行く。
「…………今日で……終わりだな」
「ああ……」
ポツリと呟かれた言葉には、万感の想いが込められていた。
卒業後はそれぞれの道がある。
少なくとも侯爵家の跡取りである自分とリヴィアはやるべき事も多く、まして領地は王都を挟んで正反対に位置する。そう簡単に会う事もないだろう。
それに、計画通りならば自分は跡取りではなくなる。数年は多忙を極めるだろう。それが落ち着いた時には革命を起こす時である。なら、これが彼女と話す最後の日になる可能性さえあった。
「最初はただの通過点だと思っていたが、思いの外楽しかった。……お前が、その……いてくれたからだな……」
「だな。案外悪くない……いや、なんだかんだで楽しかったよ。色々あっていい刺激になった」
思い返せば、自分もまたリヴィア同様通過点だと思っていた。
同学年はほとんどが典型的な貴族の集まりで、それも警戒に値しない無能ばかりなのだから早々に調査は終了した。
無為な三年間を過ごす事を覚悟していたが、意外とあっという間に過ぎ去ったのも、リヴィア達がいて退屈しなかったからだろう。
「まあ、剣術の授業で相手をさせられる事もなくなったし、ようやく面倒なお役も御免だな」
「三人ではあぶれてしまうから仕方がないだろう。まったく、結局最後まで逃げ回ってばかりで手合わせしようとしなかったな、お前は」
「リヴィア達三人の相手なんか務まるわけがない。まあこの学年に、そんな人材はいないだろうけど」
「それでも、負けると分かっていてもやらなければならない時もあるだろう」
「だけど今じゃなかった。それだけだ」
「ああ言えばこういう……」
リヴィアが頭を抱え、呆れ混じりの溜め息をつく。
「…………お前は……兄弟がいなかったはずだな?」
「ああ、まあね。一応半分だけ血のつながった兄弟ならいるんだろうけど、それが誰なのかも、何人いるのかも分からないしな」
ライルの血を継ぐ子供ならば間違いなく数十人単位で存在するだろうし、その気になって探せば十人程度はすぐに見つかるだろう。
もっとも、そうするメリットなどないからやるつもりもないが。
母親の方も、何度か他の男と子供を作っている。その辺りはお互いが黙認しているようで、個人的にもどうでも良いから自分から言うことなどなにもない。
出来が悪い方がライルにとって都合が良かっただろうからそう振舞ったし、もし俺の身に何かあれば適当な子を後継ぎに据えるつもりだったのだろう。結局、言いなりになる操り人形がほしいだけだから誰が子供であっても関係なかったようだ。
「…………そう……だな。……まったく、ままならんものだ……」
その言葉に、あの日のフィオナの言葉が思い起こされる。
すぐ隣を歩くリヴィアに思わず視線を向ければ、普段と違うドレス姿に薄化粧、そして普段は力強い眼さえも今はしおらしく、女と意識するには十分だった。
周囲には誰もおらず、会場の喧騒が微かに聞こえる空間に二人きり。
急に意識したせいで話す話題を見つけられず、ただ黙っていると再びリヴィアから会話が振られた。
「お前はこの後……卒業してから何かやろうと思っている事はあるのか?」
「さあね、まあ今まで通りだらだら過ごすくらいかな」
「…………」
ただ誤魔化すだけのだけの言葉に、だけど今まで通りなら呆れ混じりに叱責しただろうリヴィアが沈黙で返した不自然さを、すぐに悟って話題を変えられなかったのはやはり油断していたからなのかと、後になっても分からない。ただ――
「本当に、そうなのか……? お前は……その……確証はないから言葉にし難いのだが、やけに生き急いでいるように見える……。普段の態度はそんな風に見えないから私の気のせいなのかもしれないが、今にも倒れそうなほど前のめりになってそれでも駆け抜けるかのような……そんな危うさを覚える」
「…………」
この時点で、そうなる事はもはや決定的だったのかもしれない。
きな臭い方向へ傾きだした会話。
迂遠な言い回しをしているつもりなのかもしれないが、それは俺のような人種にとっては直球と同じだ。
こういった事には不慣れだろうリヴィアだからこそ、不自然さが目立つ。何かを言いたくて、そして言わせたいかのようなそんな会話。
これ以上はダメだ、喋らせるなと、培ってきた経験が強く警鐘を鳴らす。
「…………まったく、これでは私らしくないな」
だが、それよりも早くリヴィアが自分自身に苦笑し、気持ちを切り替えた瞬間に空気が変わる。
「私はお前に、聞きたい事がある」
たったそれだけの言葉から、しかし確かに伝わってくるのは、明確な覚悟。
いつかのあの時のように勇ましささえ感じる、まるで勝負に挑む直前と錯覚してしまうようなほど真剣な表情でリヴィアが言う。
二人の間にある、微妙な距離感。
それはイザークが一定のラインより先に踏みこませなかったから出来たものだ。
ずっと離れず縮まらず、しかしこの答え次第で縮まる事も離れる可能性も十分にあると、しかし現状維持だけはないのだと、それが嫌でも察せられた。
「あの時だってそうだ。火事場の馬鹿力と言っていたが、あれはそんな物じゃなかった。あの時は私自身に余裕がなかったから不審な点にすぐには気付かなかった部分も多々あったし、ほんの僅かしか見る事が出来なかったが、お前の動きは弛まぬ修練の果てに得た、徹底的に合理化された技術の塊だった。足取りは最後まで確かで、死地でありながら冷静さを失わず、一つ一つを的確に捌く技術。それは、あの時の私にさえなかったものだ。そんなものが一朝一夕の温い鍛練で身に付くはずがない」
「…………」
もしもあの時の事を聞いてくるなら、この日だと思っていた。リヴィアとの関係が再びおかしくなった時から、なんとなくそんな予感はしていた。だが、いつものように予測し、対策を立てる事はしなかった。
あの日の事後処理は充分だと言い聞かせていたのもあるし、何よりきっと、出来れば起こってほしくないと言う願望が強すぎたのだろうと、冷静な部分が己の過ちを述べる。
だから、何を言えばいいのかも分からず、掠れた声が出ただけで言葉にならない。
「お前はいったい、何を隠している?」
それは致命的な一言。
「…………隠すって何をだ? 誰だって隠し事の一つや二つあるだろう。ましてお年頃で、思春期の人間なら尚更な」
「逃げるな! そんなものじゃないだろう。気付かないとでも思ったか? それとも、そんな余所余所しい態度で、冗談で誤魔化せると思っているのか? そうだ、お前はいつもふらふらと捉えどころのない性格だったり、私をからかったりして自分を見せようとしないが、お前は何か……何か途方もないほどに大きくて、誰にも言えない暗い何かをお前は秘めている」
いつものように冗談めかしても、通じない。
これではもう、たとえここで分かれるにしても日常に引き返すことなど出来はしない。
どう答えるにせよ、ここが今後を大きく左右する分岐点になるだろう。
全てを見抜かんとする鋭い眼差しが、逸らされる事なくまっすぐに俺の目を見据える。
大きく息を吐く。
ここまで見抜かれたのは三人目だ。上手く隠しているつもりなのだが、リヴィアにまで悟られた事で、その辺りもっと考えてみるべきなのかと密かに嘆息する。
「……ここで俺が話す理由がない。それに、なぜ知りたいんだ?」
「…………それは……お前の事だからだ……。ここに来てから今までずっと一緒にいた。あの時、命まで助けてもらった。私は……あの時のお前の言葉で、行動で救われた。本当に、心が軽くなったんだ。そのお前が抱え込んでいる物を一緒に背負いたいと思うのは、少しでも助けになりたいと思う事は許されないのか?」
だと言うのに一転、言い淀みながら悲しそうな眼をして不安そうにスカートを握りしめる。
せっかく似合っているのにしわになるな、なんて現実逃避も兼ねたつまらない事を考えてしまう。
「…………」
「……私じゃ、お前の役には立てないのか?」
懇願するような、真摯な祈り。
言えばきっと、貴族とは思えないほど馬鹿みたいに人の良いリヴィアは助けてくれるだろう。
損得を省みず、己の身が傷つくのも、その果てに命を落としたとしてもきっと文句は言わない。そのくらいには、信頼している。
だから尚更言えないのだ。
言えば巻き込む。
戦う必要のない人間をだ。
「……これは俺の問題だ。リヴィアが足を踏み入れていいものじゃない」
「何故だ!? ……私はそんなに頼りないか? 信用出来ないのか? それとも他に――」
「両方だよ」
「――っ!?」
感傷を煮え湯と共に呑み込んだこの瞬間、両者の間には深い、決定的な溝が生まれた。
きっとこの答えがリヴィアを一番傷つけることになると解っていても、どうしてこれ以外の答えを言えるだろうか。あれほど自らを追い込みながら騎士として男の戦う分野で自分の正当性を主張し続け、誰よりも強くなると、立派な領主になる為に、自らの掲げる理想の為に進むリヴィアを巻き込む事なんて、出来る筈がなかった。
懸けるモノが自分の身一つならば臆す事はなかった。
亜人のように他に選択肢のない者達ならば、孤児達のように何もしなければ死にゆく者ならば、自らの為に闘うしかない者達ならば巻き込めた。
だけど、リヴィアは違う。
リヴィアの領地は王都を挟んで反対側。
物資の支援程度ならまだしも援軍なんて差し向けられるはずもなく、幾ら精鋭であろうと数に潰されるのがオチだった。
それに何より、リヴィアが戦う理由なんてない。
様々な便宜を図り、此方の手の者が多数入り込んでいるベルトランでさえ関係者と悟られないようにしてある程なのだ。
当然ながら、勝算はある。負けるつもりはない。細心の警戒を払ってきた。それでも、配下の中にはおおよそ正解に近づいている者も幾人かいる。勘が良いからこそ仲間にさえそれを言わないまでも、誰かの密告一つで全てが崩壊してしまうようなリスクを常に抱えているのだ。巻き込めるわけがない。
「…………そう……か……」
声はかすれ、途切れ途切れに。目の前にいるイザークが辛うじて言葉が聞き取れるほどの大きさで言う。
第三者が今のリヴィアを見れば、すぐにどこかで休むように言うだろう。それほどまでに顔は青褪め、呼吸は荒い。立っていることさえ辛そうなのだ。
だけど拒絶し、その事態を引き起こした俺には何も言えない。まして近づいて支えることなんてもっての外だ。
きっと次に会う時は戦場で、それも敵として相まみえることになるだろう。
だったら、下手な未練なんて残すべきではない。それはリヴィアも、そして俺自身もだ。
だから手を差し伸べない。
もう仲良しごっこは終わりだと、これは俺なりのせめてもの告知。
リヴィアはふらつきながらもこの場を去り、いち早くそれに気付いたシリルが慌てて付き添いながら会場を後にする。
今にも倒れそうな体を引き摺ってでもこの場から立ち去った、リヴィアが見せた最後の意地。
「じゃあな」
そんなリヴィアに向けて呟いた声は、自分以外の誰にも聞こえない。
もはや馴染めるはずもない会場の喧騒を背景に、誰もいないこの場所で一人、時間を潰す。
「ほんと、相変わらずバカだなぁ……」
掠れた声はリヴィア同様あまりに弱々しく、誰に向けたものかは自分でさえ分からなかった。




