毒婦の遺伝6
キャリー経由でベルガとクレスタが面会を求めてきたという事を知らされる。
その知らせだけで、まずは生きて帰って来る事が出来たのだと、最悪の事態を免れたのだと一安心。
だが、もたらされた情報が何なのか、薄々と察しているだけに足取りは決して軽くない。
そしてベルトラン商会の商談室で再会し、再会の挨拶さえなく、開口一番にクレスタとベルガは本題を口にする。
「……イザーク、あの相手だけは無理よ。殺せない」
「あの者だけには、どうあっても敵わぬ。たとえ某が何人もいて、取り囲んでも不可能だ」
「……………………」
息遣いさえ聞こえない程の静寂が支配する。
正直、失敗は予想していた。
ロザンを倒せるという想像が全く出来なかったというのもあるし、もし倒したのなら、それはそれで伝書鳩を使って真っ先に知らされただろう。
その前に二人が面会を求めた時点で、予想はついていたのだ。
クレスタとベルガの言葉はどうあっても殺す事は事実上不可能だと告げる。
先の言葉を吟味する事でようやく理解し、呑み込んだは良いものの、なんと言っても良いのか分からないからこその静寂だ。
ベルガ達でさえ不可能だと言うのなら、やはり武力行使や暗殺は無理と言うことだ。ならば可能性は低いが、別の手段を採るより他ない。
「ロザンに関して気付いた事は全部報告書にまとめておいてくれ。どんな些細な事でも構わない」
「……それならもうやってる。これがそう」
そう言って手渡されたのは、数十枚もの紙の束。
一任務、一人の人物を記す量としてはあまりにも膨大、かつ異常な量だ。
「……もう彼には誰一人近づけさせない方がいい。無駄な犠牲が出る」
「分かってる。しばらくは遠巻きに、最低限の情報集めに徹するよ」
結果、採るべき手段は内側から攻めるという方法。
全ての経歴を今までよりも徹底的に調べ上げ、どうしたそうなったのか、付け入る隙があるのかどうか、心理的弱点になり得るものを探し、ロザンという人間の人格を再形成する。
無論、狂っている人間を型に嵌めるなど愚かな方法かもしれないとは解っているが、真っ当な手段ではもう無理なのだ。
ダメ元で試す以上、総当たりになる。
あらゆる手段を使えば、下手な鉄砲でも数さえ撃てば中る。それと同様の理論で行くより他にない。
そして思いついた手段は、あまりにも気が重いものだった。
「……イザーク、どうしたの?」
「いや、なんというかなあ、ロザンに一応とは言え近しい人間と知り合う機会があってな。恐らく俺しか出来ない情報収集が出来なくもないんだが……」
歯切れが悪くなったのは仕方がないだろう。
フィオナに質問をするという事は何に興味を持っているのかを教える事であり、同時に作りたくない借りを作ることになる。
興味に関してはどうにか誤魔化せるが、余計な借りを作るというのが怖い。かと言って、自然な話題として持って行ける程度の浅い会話では、わざわざ自ら情報収集するほどでもない。
「…………まあいい。クレスタはその件に関して任務を頼むから、しばらくはここにいろ。ベルガは――」
死を経験して以前のように戦えるのかどうか。
そこを迷い、言い淀んだ隙は誰の目にも明らかだった。だから――
「何でも命じてほしい。某、どんな命でも果たしてみせよう」
そんな力強い答えが返って来た。
「……分かった。何件か魔物の討伐依頼がある。どれも強い個体だから、どうするか迷っていたところだ。丁度いいから、各地を回って現地の奴らと協力して事に当たってくれ。王都以外の支部からその件に関しての情報を聞いておけ」
実際、こうも早くにこの二人が手ぶらになるとは思ってもみなかったから、予定の上ではこの二人が出るに値する任務はなかった。が、少なくとも、クレスタの出番は嫌でも出来てしまったわけだが。
「ああ、それと最後に、俺がここを出た後で俺の密談相手を探ろうとしているやつがいるはずだ。注意しろ……」
……いや、ベルガとクレスタの顔はロザンに割れている。
それに先輩はロザンとも関わりがある。
変装や俺自身で密偵の注意を引く等の方法はあれど、少なくともこの商談用の部屋から出てくるのであれば嫌でも目についてしまう。裏口から、或いは閉店まで待機し、ひっそりと出るなど、幾つか方法がないわけではない。
しかし、万が一を考慮しなければマズイだろう。
「いや、違うな。最低でも姿を見られないようにしろ。お前達なら大丈夫だろうが、最悪、露見したなら殺せ」
一瞬だけ、空気が凍りつく。
しかしそれはあくまで一瞬の事。殺気を放ったままにしておく暗殺者など、三流もいいところだと言われるまでもなく理解しているのだ。
それに、人を殺す事に対する忌避など今更持ち合わせちゃいない。
問題は、露見する事の重大性を意識してのことだ。
イザークが相手をしているのはロザンと繋がりのある人間であり、それも厄介な相手であると、それだけでクレスタは察した。
ベルガもまた、それほど深くまで察する事は出来ずとも、主の命を完遂すると強く誓う。
「それじゃあ二人とも、頼んだぞ」
「……ええ」
「ああ」
そんな二人を部屋に残し、イザークは静かに立ち去った。
「やっ、また会ったわね」
「げっ……」
などと、帰り道に遭遇したのは悩みの種たる女性。
「ちょっとー、なによそのげって。随分と失礼だとは思わないかしら?」
不意打ちだったから思わず口をついて出た言葉を聞いて、フィオナは実に不機嫌そうに口をとがらせる。
偶然を装ってはいるが、正直それさえも怪しい所だ。気分的には相当に性質の悪いストーカーに付き纏われているのに近いか。
いや、だが用件のある今は好都合でもある。
元よりそのつもり。明日を予想していたから予定よりはあまりにも早いが、覚悟は決めている。だから――
「……先輩、少しよろしいでしょうか?」
「あら、キミから誘いをかけるなんて珍しいわね。とうとう決心したのかしら?」
「ええ、まあそんな所です」
実際、決心したのも嘘ではない。
尤も、それは当然ながら婚約のことではなくて借りを作る事に対してだ。
「先輩にお願いがありましてね。非常に、本当に心底不本意ながら、少々頼みたい事が……」
「へえ……」
一瞬キョトンと、本当に驚いたとばかりに無防備な表情を見せたものの、それはまるでチェシャ猫のようにいやらしい笑みへと変じた。
「うん、予想外というのはいいものね。ほんと、キミからそう来るとは思いもよらなかったわ。それで、お姉さんに何が聞きたいのかしら? ベッドの上で聞いてあげる」
「ええ、それなんですが実は――」
「ああ、だけど人の言う事を無視してくれた挙げ句、その言い方はかわいくないわね。人にものを頼む時って、やっぱりそれ相応の態度や見返りを約束するものじゃないかしら?」
「生憎と、かわいげなら生まれた時から持ち合わせちゃいないですよ。金貨十枚でどうですか?」
足元を見られた事に内心で舌打ち一つ。
こうなる前に話をつけたかったのだが、やはりそうはいかないらしい。
「最低限は常に確保してあるし、そんな物いらないわよ。て言うかキミ、私は何が欲しいのか分かっていながらはぐらかすのは良くないわよ?」
「最低限ね……」
この人の言う最低限がいくらなのか聞きたい気がしなくもないが、やはり金で動くわけがないかと溜め息をつく。そして今、この人が御執心なのは何かが分かっているからこそ自然と現実から目を背けてしまった。
「それにキミからわざわざ私の所に来たってことは、重要かつ私にしか出来ないからでしょ? ほら、もうここまで来たんだから潔く諦めなさい」
「ええ、まあそうなんですが……」
確かに先輩の言うとおりだし、覚悟は決めたはずなのだが、それでも言い淀んでしまうのは仕方がないだろう。
そんな態度に痺れを切らしたか、ダメな弟にやれやれと言って助け舟を差し出す姉のような態度で事実助け船を出す。
「しょうがないわねえ。ま、ここはかわいい後輩の頼みだし、一日デートで許してあげるわ」
「やっぱりそっち方面できますか……」
とはいえこれは、彼女にしては珍しい事に交渉を前提としていない提案であり、初っ端から最大限の譲歩だ。
まだ頼み事の内容を言ってないのにこの程度で妥協してくれている。
探られると痛い腹を探るような質問等と引き換えに、という条件でないだけ、充分にマシなのだ。
これは、どんな無理難題でも聞いてあげるという宣言をしたようなものだろう。無論、それが本当に無理難題でも文句は言えない。
つまり、ここでこの条件を呑まなければ彼女の助力など得られるはずもない。
正直なところ、此方側が無理難題を突きつけられると思っていただけに、むしろ拍子抜けするほどだ。
「あ、当然報酬は前払いで頼むわよ」
「…………」
しかし、だからこそバックレる事など許さないと言外にそう告げられている気がするのは気のせいか。
「心配しなくても、キミのお願いの内容もちゃんとデート中にでも聞いてあげるわよ。私に出来る限りでなら力になってあげるわ。だけど、ちゃんと最後まで付き合ってもらうからね」
「……分かりました。それでは今週末によろしくお願いします」
そして、この人相手に安易に了承した自分が愚かなのだという事を直後に思い知らされる。
「うふふ、おはようからおはようまで、しっかり一日デートしましょうね?」
「…………なっ!?」
自分のミスなど、その一言ですぐに悟った。間違いなくこの女性は夜も帰らずに居座る気だ。ベッドの上でを回避したと思ったら、それプラスデートまで承認させられていたという罠。
愕然とした気持ちは隠しようもない。
それを見て得意げに、そして不敵に彼女は笑った。
一日など、せいぜい日が出ている間。最悪、寝る前までだと思っていた。が、この人は違った。24時間の意味で一日という言葉を使った。ある意味では、たしかに一日は24時間だが、事実上この手のやりとりで24時間だとする人間はいないからこその盲点。
これは絶対に寝かせる気などない。
更に、予想以上に軽い代償で拍子抜けしてしまったからこそ、油断して思考を止めてしまっていた。この人を相手に油断するだけの余裕など持ち合わせていなかったはずなのにだ。
思い込みを逆手にとられたと気付かされた時にはもう遅い。
なんせこの笑顔は、みすみす罠にかかった愚かな、しかし食べ応えのある獲物を逃がしはしないと十二分に語っているのだから。