事後処理2
「…………お前がやったのか?」
それは、縋るような声だった。
テント等の野営道具や食料を運ぶために使われた馬車に乗って王都へ戻った後、ゴブリンロードに襲われ、しかし撃退した当事者であるリヴィアの班。そして、実際に犠牲を出したナーシェの班には他の班と比較すれば念入りに事情聴取が行われ、そこでようやく解放され時の事だ。
とは言っても、事情聴取とは名ばかり。
侯爵家の人間には強くでられないし、傷の手当てもあって拘束する時間にも限界はある。
それにリヴィアやイザーク達もナーシェがやったと言うつもりはない。
なんせ証拠がない。その一言だけで、どれだけ説明した所で徒労に終わるのが分かっているからだ。むしろ言いがかりだと、此方が害を被る可能性さえあった。
尤も、イザークが傍にいるため、復唱させていた内容以外は二転三転するような証言をする今のナーシェに、そう言えるだけの気概があるかどうかは怪しいところだが。
だからこの場にいる全員が不幸にもゴブリンロードに襲われ、しかし生き残った。
その体で事件は処理された。
そして事情聴取から解放され、ようやく面倒事は終わったとイザークが家路につこうとした時の事だった。
リヴィアのその言葉には否定してほしいという想いが、その声と表情で充分に伝わってくる。
「安心してくれ。言っただろ? それにそもそも、四級の冒険者、それも四人を相手に勝てるはずがない。俺一人じゃ何も出来ないよ。俺が知った時には本人の言っている通りああなっていた。俺は、何もやっていない」
「そう、か……。そうだな。良かった……」
だからイザークは、心外だと言わんばかりに平然と告げる。
事実、直接危害を加えたのは自分じゃない。
そんな口遊びのような言葉に、しかしリヴィアは安堵する。
嘘の気配を感じ取れなかったというのもあるだろう。
それに、保険は掛けておいた。
やるならナーシェだけだと匂わせたし、実際に今も、あの中で最も殺すべきだったのはナーシェだと思っている。
そんな状況でナーシェは生きているという事実が、リヴィアの思考に混乱をきたす。
そしてなにより、人間は信じたいものを信じる。
たとえそれが荒唐無稽な空想であっても、もしその人間がそうだと信じれば、それはその人間にとってそれこそが揺るがない真実となる。
まして、今信じたいと、言い換えるなら、信じようとしているのは誰の言葉か。そう考えた時、自分を殺そうとしたナーシェと命懸けで助けたイザーク。
どう考えても信じるとするなら後者であり、今のリヴィアはかつての鋼のような意思が砕かれかけた直後だから確固たる信念の寄る辺を失くし、余計に判断基準が揺らいでいる。
迷うような二択なら、今のリヴィアは自分が望む方を選ぶだろうという確信があった。
「話はそれだけか? 悪いけど、さすがに今日は疲れたんだ。急ぎでもないなら学校でしてほしいんだけど」
「あ、ああ、そうだな。悪い。そ、それじゃあ、なんだ、その……また学校で」
「ああ、またな」
後は、時間が勝手に己の推測を補完してくれるだろう。
「さて、と。どうするかなあ」
呟いたイザークは疲れた体を引き摺りながら送迎用の馬車に乗り込み、帰ってからすべき事を今の内にまとめる。
綱渡りも多かったし、運に任せてしまった部分も多かった。
反省すべき点は幾つもある。
それに、事後処理の事を考えればすぐに寝るというわけにはいかない。
疲れた体は強く睡眠を訴えているというのに、その前にやらねばならない事後処理の多さに知れず溜め息をついた。
「よし、これで終わりっと」
そう呟いて、書き上げた手紙に封をする。
「キャリー。今晩、この手紙を届けてほしい」
「はい……。ええと、誰に届ければいいんですか?」
内容はありきたりなものであり、見る人間が見なければ誰が出したのか、何が書かれているのかは分からない。
だが、それでいい。
明言しないからこそアイツは自分で勝手に想像を膨らませ、誇大化した恐怖におびえ続けるだろうから。
「深夜、今日大いに友情を育んだ親愛なるナーシェクンの枕元に置いて来てくれ」
ちょっとした冗談だったのだが、そんな冗談は笑えないということだろう。キャリーからはどこか非難めいた視線を返される。
それに苦笑を返し、手を振って流すように伝える。
ベルトランの商会はほぼ全ての貴族と頻繁に取引がある。
店員の一人として潜伏している孤児が商談の際に家へ招かれた時、案内された部屋とその途中までにあった部屋。そして、他の貴族の屋敷とある程度共通する部分から、ほぼすべての貴族の邸宅、その部屋の配置図はほとんど図に出来ている。
まして、あいつの父親はチェスにのめり込んでいる。
そこにつけ込んでチェスが打てる店員として紹介させると、よき打ち手として度々招かれているようだ。
今晩もほぼ迷いなくナーシェの部屋へとたどり着くことだろう。
これもまた保険だ。
あれだけで充分だとは思うが、念には念を。
あれほど凄惨な体験をしようと家にいて一息つき、安心し、肉体的にも精神的にも限界を迎えるような疲れもあって熟睡しているだろう。
そして、あの単細胞はいずれ恐怖を忘れる可能性もある。
己が侯爵家の権力を握り、ある程度自由に使えるという事を思い出せば、の話だが。
だから今後どうすべきか、という文と安易な、それもたった数行の脅し文句を書いた手紙を夜、誰にも知られず侵入し、枕元に届ける。
言外に、手紙一枚では到底足りないメッセージを添えて。
明日からは暗殺に怯え、碌に寝られない日々が続くのだ。
今日が最後の安眠だから、しっかりと貪るといい。
今日の事件に対する後処理を全て終えると、さすがに疲れがドッと吹きだす。
「それじゃあおやすみ。手紙、よろしく頼むよ」
「あ、はい。おやすみなさい……」
キャリーが一礼し、部屋を出て行くのを見届けてからベッドに倒れ込む。
さすがに今日は疲れた。
まあこれで教室内の平和は保たれるし、今後は過ごしやすくなるだろう。
さすがに、今後はクラス内でトップに立ったことは誤魔化し切れないだろうから、目立つことは避けられない。それなりにやり手という評価を付けられるだろう。まあそれも、三年後になればやりたい放題するのだ。目立つのが三年ほど早まったというだけの事だから仕方あるまい。
そう思わなければやってられないような気がしなくもないが、もはやどうにもなるまい。
もしいつか本人が僅かでも自分への態度を変えれば、その時はもう一通の手紙を送り届ける日が来る事になる。
面倒事はゴメンだから今度こそ、そしてずっとおとなしくしておいてほしいものだと願いながら、イザークはすぐに眠りに落ちていった。




