行軍訓練6
思いのほか長くなったりしましたが、行軍訓練もようやく終わりが見えてきた。。。
これ終わったら居残り組とスパイ編やります。
洞窟を出てすぐ、草陰の傍には早くもゴブリンの小隊があった。
自分達を探し出すための斥候部隊だろう。
きっとこれと同じ部隊が、この森の各所に散開しているはずだ。だが、それだけなら構わない。問題は、ゴブリンロードがどこにいるか。
孤児から直接情報を受け取りたいが、リヴィアがいるためにそれは不可能だ。
片面だけを磨き上げた銀貨を利用し、一瞬だけ陽光を反射させた事で今も二人が近くにいるのは分かっているし、残る三人は陽動や撹乱行動をとっているはずだ。
だが、もしゴブリンロードを引き付けているのなら、どこかで大きな戦闘音が聞こえてこなければおかしい。
それがないということは、現在ゴブリンロードは交戦状態になく、どこかで待機しているということだろう。
その位置は掴めているのか。いるとすればどこに?
ハンドサインでおおまかなやりとりなら出来るものの、隠れている分も相まってよく見えない。さすがに細かい情報のやりとりは出来ないし、ほとんどは受信になってしまう。
それらの情報を直接聞けないのは正直辛い。
個人ではなく、家で雇っている部下として通せなくもないが、彼らほど優秀な隠密が居ると知られるのは避けたいというのが本音だ。
彼らのような人間がいるということを敢えて教え、警告や示威行為に使える相手は、リヴィアのような人間ではなくナーシェのような典型的な貴族にこそ有効だからだ。
「イザーク、あのくらいなら私は問題ないぞ」
横からリヴィアが囁きかける。
黙り込んで考えていたことで、迷っているように見えたのだろう。
どの道、ゴブリンたちはあまり動き回る気配がないのだ。やるしかないだろう。
「……そうだな。左端の一体は俺がやるから、残りの二体を頼む」
「大丈夫か?」
「奇襲をかけるんだ。問題ない」
「分かった」
リヴィアが剣の柄に手をかけたのを見て、一本ずつ指を折って突入タイミングを知らせる。
手の形がグーになった瞬間、二人は草むらから駆け出した。
抜き打ち際にそれぞれ一体のゴブリンを叩ききり、残ったもう一体にリヴィアが返しざまに斬りつける。
わずか数秒の出来事に、奇襲を受けたゴブリンが対応などできるはずもなく、悲鳴一つ残さずにあっさりと死ぬ。
「さて、と。ここからだな」
「ああ」
これから先、今のように都合よく身を隠せるものなどそうはない。先ほどのような奇襲は出来ないだろう。
それに、森の中は緑色の肌をし、小柄なゴブリンの方が見つけにくい。
こちらが気付く前に気付かれる。そんな可能性も充分にあるのだ。
それは、リヴィアも理解しているだろう。
ここからが本番だと気を引き締め、街道へ向けて歩き出した。
途中までは何の問題もなく、順調だった。
しかし、二小隊ほどのゴブリンを殺し、街道へもう少しという時に問題は起きた。
近くにいた孤児の警戒網に引っかからずに見逃していたゴブリンが二体、およそ二十メートルの距離がある地点でお互いの視線が交錯する。
その瞬間、リヴィアもイザークも反射的に駆け出した。
その時、何かが頭の隅に引っかかるもそれを深く考える余裕などあるはずもなく。
しかし、叫ばれる寸前でそれぞれ二体に剣を突き立てて殺す。
そして、気を緩めた時だった。
木の陰に隠れるように、その二体から少し離れた場所にいたもう一体のゴブリンが、いたことに気付いた。
突き刺した剣を抜く時間が惜しい。
即座に剣を手放し、距離を詰め、ナイフを抜き、突きかけた一撃は、しかしゴブリンが苦し紛れの一撃とばかりに振り回した剣を躱しながらも、その腕にこちらの腕が当たって僅かに軌道が逸れる。
結果、声を出せないようにのど元を狙って突き出した剣は、胸に突き刺さる。
僅かな抵抗は、致命傷を避けるには程遠い。
「ぎ、ギャァァアアアアアアッ!!」
だが、一撃で殺し損ねたゴブリンの、断末魔の悲鳴が森に木霊する。
問題は、今の声をゴブリンロードが聞き取れる範囲にいたかどうかという点。
どうか、と言う願いは虚しく、遠くから微かに、しかし確かに聞こえる範囲で地鳴りがする。徐々に大きくなる振動。
逃げるべきかどうか、判断がつかない。
イザークが迷った理由は二つ。
そして、不幸だった理由もまた二つ。
スタミナも足の速さも相手が上。中途半端に逃げ、体勢が整っていない状態で追いつかれれば最悪だ。
それに何より、ゴブリンロードが迫ってくる方向はイザーク達の進行方向とほぼ一致していた。
どこまで知性があるかは解らないが、結果としてイザークやリヴィアの予想以上に賢かった。
此方の事情をある程度察していると言える。
森は獣や魔物の領域。
それも、夜になれば凶暴性を増す相手も多い。そんな場所に人間が長居した所で、良い事など一つもない。
だから、比較的街道に近い場所にいたのだろう。
そして、知性と同等の感情があるから恨みで動く。上位の魔物だ。この広大な森の中で、一大勢力を築き上げていたのだろう。そんな中、人間如きに手傷を負わされたばかりか虚仮にされた事を、ゴブリンロードが簡単に割り切れる筈がなかった。
数日、この森の中で粘れば諦めたのかもしれないが、水や食料の問題だけでも無理なことは明白だ。
視線は周囲に解決の糸口を求めて目まぐるしく動き、脳内はただ速く決断を下せと急かす。
「イザーク、戦おう。言っただろ? お前は私が守る」
その時、声をかけたのはリヴィア。
その声に、揺らぎは微塵もない。
立場的には男女逆の言葉も、なぜだかリヴィアが口にすればカッコイイし頼もしい。
実際、単純な戦闘力で言えばリヴィアの方が強いのだ。
たしかに戦うのはリヴィアの方が適任だが、しかし一人の手に負えるものでもない。
「……わかった。その代わり、集まってくるゴブリンだけは俺が何とかしよう。各地に散開しているんだ。せいぜい数体ずつしか現れないだろうから、それなら俺でもできる」
「ああ、頼む。信じているぞ」
「任せろ」
言葉は少ない。
もはや肉眼で確認できる場所に、ゴブリンロードはいた。
そして、それは相手も同様だろう。
醜悪な笑みは、恨みを晴らすことができる愉悦か、それとも愚かな選択をした人間に対する嘲笑か。
初撃はゴブリンロードの方だった。
それはまだ、リヴィアがゴブリンロードの間合いにさえ入る前。
その剛腕から繰り出された一撃で木をなぎ倒し、それはすぐにリヴィアの方へと倒れていく。
「っ!?」
魔物だからこそ可能な埒外の一手。
思いもよらないことを行うことが奇襲というなら、これこそがまさに奇襲だ。
まして、目に見えている相手からの奇襲という衝撃は計り知れない。
もはや次のことなど考える余裕はない。この状況に対処できなければ、次などという概念はなくなる。
だからリヴィアは身を投げ出し、地面に転がってすぐに起き上がる。
しかし、そこはもう既にゴブリンロードの射程圏内だ。
繰り出される一撃は、リヴィアの回避が間に合うかどうかわからないほどギリギリのタイミング。
しかし、そこで不自然にゴブリンロードが一瞬動きを止めた。
それを怪訝に思う間もなく、しかしその一瞬がリヴィアの回避行動を完全なものにする。
体のそばを薙ぎ払う風が、ゴブリンロードの射程圏外へとリヴィアの体を運ぶ。
リヴィアはその原因を見ていないのだから気付かない。
そして、ゴブリンロードは忘れていない。
この身を傷つけた屈辱は、あっちの人間のせいだったということを。
まだ背中に感じる鈍い痛みも、この怒りも、全てはあの人間にこそぶつけるべきだということを強く認識する。
ゴブリンロードは、イザークが投擲の仕草をした瞬間に反射的に身構えた。
人間ごときに傷つけられるというのは屈辱で、その傷が痛むからこそ余計に警戒させたということもある。
結果として何もせず、結果として目の前にちょこちょこと立ちふさがる人間を殺せなかった。
ここにきて、ゴブリンロードの怒りは臨界をも突破した。
「ガァァアアアアアアッッ!!」
あがる叫びは憤怒のそれ。
本当に気が抜けないなと、死闘の予感にイザークとリヴィアは改めて気を引き締め直して武器を構えた。