入学、そして自己紹介
さすがは貴族と一部の大商人専用の学校とでも言うべきか。
王都にあるそこは学校とは思えないほどに無駄に豪華で、見栄えは侯爵家である自分の家ともそう変わらず、しかし何よりその規模が、自分の家と比較して十倍を超えるほど圧倒的に広い。
全三学年、そして一学年に百人もいない事を考えると、その大きさがいかに無駄なものかが分かるだろう。
そんな光景を眺めつつも、ここまで乗って来た馬車を降りて案内のままに進む。
周囲を見れば同じような新入生がちらほらと散見でき、多くは既に二人以上の複数人でつるんでいる。
これは王宮で知り合った同じ派閥の人間同士が固まっているからだろう。
が、自分から探す必要はない。なにせ、目下の者が勝手に寄ってくるのだ。今も――
「イザーク様、入学おめでとうございます。僕もイザーク様と同じ時に入学出来て光栄です。これからよろしくお願いしますね」
と、挨拶してきたのは父親であるライルの取り巻きの一人である子爵家の息子、ダレンだ。
子爵家の次男で以前出席した舞踏会で長男共々引き合わされ、知り合った存在。 その時は金魚の糞のように纏わりついて碌な調査も出来ずに鬱陶しく思ったが、それは今も変わりないのだろう。
実際、わざわざ来るのを待ち構えていたようだし。
「ああ、僕もダレンがいてくれて心強いよ。これからよろしく頼む」
「そう言って頂けるとこのダレン、感謝感激の念でいっぱいでございます!」
感極まったと言わんばかりの態度だが、内心では気に入られようと必死になっているのが良く分かる。
これも余裕がある側とない側の差なのだろう。
長男の方はいずれ爵位を継ぐ立場上、放っておいても一定の理解を深めることになるが、次男の立場では本来見向きもされない。だが、幸運にも同年代と言うことで、上手くやれば長男以上に友好を深めることが出来るのだ。
甘い汁を吸うためにも、侯爵家次期当主であるイザークにすり寄るのは当然のことと言えよう。
そんなダレンがマシンガンばりに語りかけてくるのを適当にいなしながら、指定された教室へ入る。
それなりに時間の余裕を持って到着したはずなのだが、この教室にある机の数とほぼ同数の生徒が既にいた。
そしてイザークが中にいる人間をチェックするのと同様に、教室内にいた生徒達も此方を観察する。
ヒソヒソと侯爵だのという単語が聞こえてくる辺り、既に此方の身元は割れているのだろう。
「ダレン、席はどうなっている?」
「は、そこは皆が分を弁えております故、最前列の席にお座りください」
そこが当然だと言わんばかりに手を向けて示される。
最前列、ど真ん中の席とその右隣の席はとっくに先客が座っており、その左隣の空席に座れと言う事なのだろう。
全体が見渡せる上にある程度隠れて物事を進められる一番後ろが理想だったのだが、残念な事に、席は爵位順で決まっているようだった。
ど真ん中でこそないが、その隣でしかないとあっては大した行動もとれないだろう。
高貴な者は生徒の中でも模範たれ、とでも言う事なのだろうが、事前情報通りならば授業内容は退屈極まりないものだ。
何せ算数に関しては前世でやり、家庭教師から習い、そして今もやる。
恥をかかさないよう考慮された授業は当然ながら家庭教師から事前に全て習った内容であり、それなりに勉強していれば十歳にも満たない子供でも出来るような基礎的なものなのだ。
勿論、歴史などは初めて聞くようなことばかりで、その点は聞いていて新鮮味を感じていたが、あからさまに勝者に都合よく改ざんされた浅い歴史。それも栄光だの神だのといった言葉が何度も登場し、つまらないの一言だった。
つまり学校はまさに子供同士が交流を深めるだけと言ってもいいほどにつまらない場所だが、貴族の子供たちにとって最後の遊び場なのだろう。
席についてしばらくし、授業開始の合図である鐘が鳴る。
その鐘の音が鳴りやまぬうちに、一人の成人男性が入って教卓に陣取った。
「私が諸君らの担任であるモーリスだ。現レギンス伯爵家当主の弟に当たる。諸君らはこれからこの学校で様々な事を学んでもらうが、常に選ばれた者としての自覚を持ち、貴族の一員として相応しい振舞いがどういうものかをよく考えながら学生生活を過ごしてほしいものだ。当然ながら――」
由緒正しい貴族の家に連なる者が担任を務めるとあってか、いかにもな自己紹介を兼ねた注意に内心で苦笑する。
何せこうも形式ばって言葉を無駄に重ねておきながら、その内容は迷惑を掛けるな、の一言に尽きるのだから。
学園の教師役は、当主にはなれない貴族の次男、三男達には人気の職業らしい。
教師として次期当主候補の生徒達と仲を深められれば覚えもめでたく、過去には気に入られ、側近として登用される者もいたようだ。
また当主から命令され、パイプ役として赴任している者もいる。
そういった背景もあり、貴族にとってはパーティーに次ぐ社交場として学校の重要性は高い。
長ったらしくなりそうな話を聞きながしながら、それとなく視線を左右へと走らせる。
が、皆はこのくだらない話を真剣に聞いているために変化がなく、面白味がない。
「早速だが、私が名前を読み上げる順に各自自己紹介をしてもらおう。今年は侯爵家の生徒が三人もいる。そんなクラスを任されて私も鼻が高い限りだ。三人には、是非とも他生徒の模範となるべくして励んでもらいたい」
一つの学年に三人もの侯爵家がいるのは稀なはずだった。
ましてそれが、一つのクラスに集まるなどそうはないだろう。
「それではまず、ナーシェ様よりお願いします」
最初に指名されたのは、隣の席に座っている小太りの少年。
勿体ぶったようにゆっくりと立ち上がり、睥睨するかのように周囲を見渡す。
どこかで見たことがあるような気もするが、覚えてないと言う事はその程度ということだろう。
実際、見た目だけで判断するのも良くないのだが、どうにも才気が感じられない。
「僕はナーシェ=ナインス=ランバルト。侯爵家の中では最大の領地を誇る、王国西部のレイラール領を陛下より賜っている。僕のパパは皆も知っている通り、ヒューゲル公爵閣下の覚えも目出たい。僕についてくれば、相応の良い目は見られるだろう」
自分の正しさを一切疑っていないほど自信満々に、駆け引きも何も知らないようなバカ丸出しの自己紹介。
本人は拍手を受けて得意げに胸を反らしているが、その態度が余計にその評価を固める。
なにせここにいるのは、その程度の内容など言わなくても知っている人間ばかりだろうし、格下の家の者が侯爵家の人間に対して、たとえ演技でも敬う振りをするのは常識なのだから。
当然ながら、その自己紹介に対して周囲の人間からは拍手以外に反応らしい反応はない。
――いや、いた。
振り返ると、一番後ろの席で誰にも見られないよう机に突っ伏しているやけに大柄な少年だ。
肩を震わせ、しかし拍手にかき消されている可能性もあるが、声を上げないあたり彼なりに耐えているのだろう。
そしてその少年の知り合いなのか、小柄な少女が少年の脇腹に容赦なく手刀で突く。
「ふごっ!」
それに合わせて、拍手にかき消されない程の大きさで呻き声が漏れた。だと言うのに彼のそんな素振りを全員が見て見ぬふりをする辺り、やはり共通意識でもあるのだろうか。
とりあえず、こいつはこの自己紹介だけで警戒に値しないという事が決定した。
尤も、狙ってやっているなら大した役者だろうが。
「それでは次にイザーク様、お願いします」
「イザーク=フォン=ジナードだ。領地は王国の南に位置するザークリア領を陛下より賜っている。よろしく頼む」
無難な対応であり、恐らくは皆が物足りなさを感じているだろう。
ある意味で先のナーシェとは対極であり、侯爵家の人間としてはイマイチ冴えない印象を持ったはずだ。
だが、それで良い。
理想は裏で動くことだったが、侯爵家ということで必然的に耳目を集めてしまうのは仕方がない。
恐らくは放っておいてもダレンのような父親同士同じ派閥の人間が集まり、派閥を形成することになるだろう。
だったら彼らに動いてもらう。
今動けないならそのまま大人しくしておいて頼りない人物として内心で見限り、勝手に自分達が動きまわればそれだけ此方に向けられる視線も少なくなる。
「最後にリヴィア様、お願いします」
次に指名されたのは、ナーシェを挟んだ向こう側の席に座る少女。
教室に入るときにはいる事に気付いたが、前回出会った時は此方が顔を隠していたために、相手からすれば初対面なのだ。此方も知らないふりをして席についた。
この時、ほんの僅かとは言え、どこか苦々しく聞こえたのは気のせいではないだろう。
リヴィアの事が、と言うより彼女の家の事が気に入らないという貴族は多く、この教師もまたその家系で育ったのだろうから。
それに気付いているのかどうかは知らないが、リヴィアは気に留めた風もなく立ち上がる。
ピンと伸びた、キレイで真っ直ぐな立ち姿は二年前に見た時と変わらず、その姿だけで心根は変わっていないと言う事が伝わる。
そしてそのままだという事は――
「リヴィア=ファナリス=バルトルートだ。北部国境付近のリーザス領を陛下より賜っている。私自身が誇り高き騎士の家系である以上、私の前で不埒な真似をする者に容赦はしないからそのつもりでいろ」
――相も変わらずバカだと言う事でもある。
元々貴族からは嫌われ者であるバルトルート家の人間が不用意に煽る様な真似をすれば、元から評価は底辺に近いながらも、まだ本人を見ていない以上内心では中立よりだった人間も敵に回すことになるだろう。
「何よりイザークとナーシェ。たとえ爵位が同格であろうと、私は貴様らにも容赦はせん。特に以前、私の前で王都の民を斬ろうとした貴様はな」
リヴィアがそう言ってナーシェを名指しし、ようやく思い出す。
ナーシェはあの時のお坊ちゃん貴族か。
そして記憶の底に封印して忘れていたあの恥ずかしい記憶も一緒に思い出し、思わず頭を目の前の机に打ちつけたい衝動に駆られてしまうのを、すんでの所で抑え込む。
奇しくもあの時の三人がここに揃ったわけだ。どうせ他の二人は気付いていないのだろうが。
と言うか一つの学年に二クラスあるのだから反発し合うバカを同じ檻に入れるなよ、などと思いつつも、評判上ではクズなはずの侯爵家二人でリヴィアを抑え込むよう図ったかのような誰かの意図を感じ、思わずげんなりしてしまう。
そもそも――
「なぜ、僕まで名指しされているのでしょうか?」
「しらばっくれる気か、この痴れ者め! 貴様の家もナーシェと同類であろうが!」
「ああ、そう言うことですか」
そこはリヴィアの言う通りなのだから否定できないし、するつもりもない。
「フンッ、大したことないな」
反論もせずに黙っていたのをどう受け取ったのか、鼻で笑ってナーシェの方に向き直る。が、何かを言う前にヒューゲルが口を挟んだ。
「さて、伯爵位の家の者はいないため、次からは子爵位になる。まずは――」
この呼吸の合間を突く絶妙なタイミングは上手いと言わざるを得ない。
リヴィアは不満そうにしながらもしぶしぶ席に着く。
元々嫌っているのもあったのだろうが、さすがに当主でさえない者が目上の爵位持ち、それも後継者に対して反感を買うようなことがあってはならない。
それを角が立たないよう会話の合間に口を挟むのは、彼の貴族としての年季を窺わせる。
しかし、さすがに爵位が下の者に関しては露骨なまでに対応が変わる辺り、まさに学校は社会の縮図だと連想させるには充分だった。




