試験二日目 襲撃
人気のない路地裏を疾走する二人分の人影。
今までも稀に人を見かける事はあったが、その時は事前に気配を察知して屋根へ上るなどし、見付からないように配慮も忘れていない。
しばらくの間、この二人の間にある距離は縮まる事も離れる事もなく、ただただ走り続けていた。
「しつけえっ!」
「当たり前だよ! 逃がす気なんてないから、今すぐに覚悟することだね!」
リーズが仲間の一人であり家族でもあるが、今は敵でもある同い年の青年、アベルの後を追う。
アベルが決して向き合って戦おうとしないのは、実力差を充分認識しているからだろう。
実際、アベルの勝率は三割といったところか。それほど差があるわけではないが、負けが許されない状況、そしてサバイバルとあっては、戦い方次第でいくらでも勝ちの芽は生まれるのだ。
不利な状況で戦おうとしないのは当然と言えるだろう。
しかしお互い、このままでは埒が明かないのも確か。
いつまでも続きそうな気配を滲ませつつある両者間の鬼ごっこは、ここへきて終わりを見せる。
「お前達は二年間戦闘以外の技能を鍛え、何よりこの街から離れていた。それがどういうことか教えてやる!!」
直後、曲がり角に差し掛かったものの曲がることなく跳び上がり、正面の壁を蹴って反動を利用し、勢いよく反転。
此方も本気に近いスピードで走っていたせいで即座に止まる事は出来ず、無理に止まればその隙を突かれることになる。
「はあっ!」
「ッオラァ!」
半ば反射的に、培ってきた経験則がより速く前進することこそが最善だと囁き、覚悟を決めて交錯する。
――結果は、互角。
両者体捌きだけで相手の攻撃を回避しつつ、しかしリーズの一撃は相手の脇腹を掠め、アベルの一撃は二の腕に浅く内出血をもたらす。
互いに訓練用の刃を潰したナイフとはいえ、鉄の塊。
当たれば痛み、動きが悪くなる。今回はかすり傷だから良かったものの、この一戦だけで終わりではないサバイバルにおいて一歩間違えれば致命的になり兼ねない。
アベルは直後に再び反転し、今度は追いすがりながらナイフを振るう。
リーズは下がりながらかわし、そらし、防ぐ。
十、二十とナイフを振るう回数が上昇するのに合わせて、徐々に熱をあげるのが分かる。
確かに腕を上げていた。勝率が三割だと思っていたが、今では五分五分辺りが妥当ではないだろうか。
さすがに、王都では戦闘に関することはほとんど学ばなかったために、ここに残って戦闘関係を中心に鍛えたアベル達の強さは伊達じゃない。
だが、それはあくまでも直接的な戦闘能力の話。
リーズの思考は未だに冷静なままだった。
「っ! ――ラァっ!」
実力はそれなりに高いけど興奮すると周りが見えなくなる悪い癖、まだ抜けてないね。
リーズは内心でそう思いながら薄らと笑みを浮かべる。
目の前の敵ばかりだとは限らない。
「なっ、二人!?」
背後から急接近する気配にようやく気付いたが、もう遅い。
リーズの方に気を取られていたのが、丸分かりだった。
まさか組んでいるとは思ってもみなかったようだが、これはルール無用、多人数参加型のサバイバル。
最低でも三つ巴、下手をすればそれ以上の混戦に陥る可能性も考えておくべきなのだ。
「まだまだ甘いな。これで終わりだ」
エミリオがナイフを相手の背中越しに突きつけ、勝ちを告げる。
「だー、もう。チクショウ! 負けだ負け、降参!」
アベルはナイフを収め、降参と叫びながら頭を強く掻く。
「……で、お前らいつから組んでたんだ?」
「ん? ああ、最初っからだ」
「なっ!? そんなのありかよチクショー」
「ありなんだよ。イザークの説明をちゃんと聞いてれば分かるはずだ。尤も、賞品の取り合いにならないようなら、だがな」
「あー、そりゃ無理だ。俺も俺で願い事があったし。まぁ、さすがにこのザマじゃ無理みたいだけどな」
そこにどこか自嘲の雰囲気を滲ませつつも、晴れやかに言った。
「まあ、お前達が優勝でもしてくれれば、俺が負けたのも仕方がないと見てもらえるかもしれねぇし、期待してるよ」
「ああ、そこは任せろ」
罰ゲームはゴメンだという実に正直な言葉だが、応援されて悪い気はしない。
「…………にしても、相変わらず夫婦の仲は良好そうでなによりだ」
「なっ!?」
「はうっ!!」
久しぶりに聞かされた、自分の気持ちを意識するようにもなったきっかけである言葉は今も変わらずに、いや、初めて聞かされた時以上の破壊力を持って心を揺さぶった。
「ははは、ようやく一矢報いた、ってところだな。まぁ、それじゃ最後まで仲良くやれよ、お二人さん」
反論を受け付けないように、言いたい事だけ言って走り去っていく。
見事な一撃と言えよう。何せあの一言で、リーズとの間にはどうにも気まずい空気が生まれてしまったのだから。
チームワークが乱れたらどうしてくれるんだと内心で毒づくも、それが現実逃避に近いものだという事も分かってしまうあたり非常によろしくない。
「……きょ、今日はもう終わりにするか?」
今日はこれで八人目。
二人で割っても一人頭四人だから、上々の戦果だと言えよう。
何より、これ以上は戦おうという気にもならなかった。
「……そ、そうだね。もう充分に倒したし、アタシも少し疲れたかも」
何とも言い難い空気を払拭するかのように、リーズはいつもよりも一際明るく振舞う。だが、それがより一層不自然な空気を意識させるきっかけとなり、どちらからともなく沈黙してしまう。
言葉はなくとも、足は自然と宿屋へ向かう。
だが、このまま宿屋へ着いた場合は密室に二人きりだ。
それは今、非常にマズイ。
何か起死回生の案はないかと、大通りにある露店や人を見まわしながら考える。
その時ふと、正面から二人連れだって歩く少女の姿が目に入る。
「おねーちゃん、はい」
「あら、ありがとう」
妹の方が手に持ったポップコーンをおいしそうに食べながら、時折姉の方へとあーんをして食べさせる。
いかにも仲の良い姉妹といった風情の少女達が連れだって歩いている姿を見て、そんな平和さとは無縁な自分達の事を思い苦笑する。
さすがにああいうのは無理だが、何か買って食べながら帰ればリーズも気が紛れるかもしれない。
そう考え、このままもう少し進めばある露店にでも寄ろうと決める。
「あっ!」
その時、気になるものでも発見でもしたのか、妹の方が姉の手を離して小走りにエミリオの横を通り抜け、姉の方は仕方がないとばかりに笑いながらその後を追う。
そして、エミリオの横をすれ違う時に、それは起きた。
「っ!?」
いつの間にか姉の手には刃を潰したナイフが握られており、それがすれ違いざまに腹へと突きこまれた。
当然ながら、寸止めというのは振りぬくよりも速度が落ちる。
だから、もしも相手が回避する可能性が僅かにでもあるのなら、たとえその攻撃を防げないで怪我をしても知らないとばかりに全力の攻撃。
完全に油断していたと言えよう。
回避は間に合わない。
だからとっさに僅かに体を横へとずらし、腹に仕込んでいた暗器の一つで受け止める。
「ぐっ!」
ガキッ、と鋼がぶつかり合う鈍い音と共に強い衝撃が伝わり思わず呻くが、ここで痛みを気にするような暇はない。
追撃に備え、痛みを無視してとっさに後ろへと跳び退って距離をとる。
「…………残念、仕留めたと思ったのに……」
「…………お前……まさかクレスタか!?」
あれほど見馴れていたと言うのに、クレスタが動くまで、いや、動いてからでも気付かなかった。
もはや隠す気もなく、わざわざ地声で話したからこそ気付いたが。
かつらを被って髪の長さと色を誤魔化し、頬の内側に詰め物をして不自然ではない程度に輪郭と声を変え、化粧で雰囲気を全くの別物へと変貌させていた。
恐らくはブーツで身長も底上げしている。
本来、クレスタの特徴を生かすならば身長は少しでも小さくと考えるだろう。
そこが盲点だった。
知らない人間ならば小さい方がいいが、知っている人間に対してならばむしろ高く見せた方が効果的だ。
今のように身元が割れてしまえば厚底のブーツは動きにくくて不利になるが、奇襲という点において警戒されないという事は、まさに理に適っている。
そして何より、このような場所で堂々と戦うわけにもいかず、その不利な点を突く事も出来ない。
先程のやりとりは一瞬で、エミリオとクレスタ自身の体を使って巧妙にナイフも隠されていたから気付く者もおらず、既にクレスタの手は無手。
結果、せいぜい突然跳び退ったエミリオが周囲の人間から僅かに不審な目で見られている程度に留め、それもすぐに何事もなかったかのように動き始める。
「……お嬢ちゃん、もういいわ。今は少しだけ離れておいてもらえるかしら。手伝ってくれてありがとうね」
「こっちこそポップコーンをありがとー、おねーちゃん」
そうだ、それにこの子供。
もしクレスタ一人ならば、最低限警戒は出来た。だが、子供と一緒に、それも仲のよさそうな姉妹を装ってなど完全に想定外。
この子供はポップコーンで釣ったのだろう。
何が起こったのかも気付いていない様子だ。
「やってくれたな」
「……でも倒せなかった」
余程自信があったのだろう。
見るからに落ち込んでいる。
だが、それはただ単にクレスタの運が悪かっただけだ。何せ、先程の攻撃をかわせたのは自分でも奇跡に近い代物だと思っている。
それほどまでに、完璧と言ってもいい攻撃だった。
「一応言っておくけど、さっきのは完璧だったぞ。俺が防げたのは運が良かっただけだ。まあでも、必殺の一撃を外した時点でもう終わりだ。素直に諦めろ」
単純な戦闘能力で言えばクレスタは決して弱いわけではないが、精鋭の十人の中でも最下位だ。まして、今の装備は戦闘能力を捨ててカモフラージュに特化している。
「そうね。素直に諦めて、アイスクリームのうら……じゃなくて、アタシの秘密をバラした罰を受けなさい」
退路を塞ぐように反対側に回ったリーズが、怒りの念を滲ませる。
が、このままここにいれば手出しは出来ないと踏んでいるのか、未だクレスタに諦めの色はない。
このままここを去るのならば後を追い、人気のない所で襲撃すればいい。
かと言って、このままここに留まればさすがに目を引く。その時は、他の孤児達の襲撃を警戒しなければならないだろう。
それは、両者あまりにもリスクが高すぎるし、それが分からないクレスタではないはずなのだが。
「……エミリオ、奇襲ではせいぜい一人しか倒せず、もう一人がいると分かっていてこの服装で来ると思ったの?」
「…………」
そうだ、そんなはずはない。
二人同時に狙ったのならその可能性もあったが、今回はエミリオ一人だけにしか攻撃を仕掛けてこなかった。
一対一でも、この状態では勝てるはずはないのに。
マズイと、本能が警鐘を鳴らす。
単純な戦闘技能で言えば十人の中では最低レベルだが、逆に、こと心理学等頭脳戦においてはトップだった。
つまり、エミリオやリーズの想像の範疇に留まるような相手ではないのだ。
何かする前に速攻で決着をつけようとして、しかしその前に背後から迫る気配に思わず振り返る。
そこには、先程去ったはずの少女が勢いよく此方へと走って来た。
そして再びエミリオの横をすり抜け、クレスタの傍に立って叫ぶ。
「おねーちゃんをいじめるなぁ!!」
「なっ!?」
「ふえっ!?」
予想外の一言だが、これがもたらした効果は大きい。
その叫びに何事かと周辺の人々が注目し、そこにあるのは見るからにクレスタをいじめるエミリオとリーズの構図。
そしてそれに立ち向かおうとする健気な妹。
どう見ても、エミリオ側が悪であった。
周囲の視線が突き刺さり、数人の男たちが、腕を捲りながら迫る。
周囲の注目を集めることで攻撃を封じられては戦えない。
リーズと視線をかわし、直後にはここから全力で逃げ出す。
「……ふふっ、後で追加のお菓子をあげないといけなくなったわ」
すれ違いざま、クレスタがそう言って小さく笑ったのだけは、聞き逃す事もなかった。
心理学、演技、化粧、手品、そして周囲を取り巻く環境。それら全てを組み合わせた完璧なヒットアンドアウェイ。
イザークが学ばせた全てが、あの一瞬に詰まっていたと言えるだろう。
ある意味で最大の強敵を取り逃がした事を後悔するのは、宿屋に逃げ帰った後だった。