クレイの過去
一ヶ月があっという間に感じる。
あっという間に一年が経つわけです。。。
「よく来たな、クレイ」
それは領主のみが座る事を許される執務室の椅子だ。
この場所に堂々と座れるのは、今や俺自身がそこに相応しい肩書きを得たからに他ならない。
「いえいえ、坊ちゃんのご命令とあらばいつ、どんな命令だって従ってみせますよ……っと。もう坊ちゃんではなく、イザーク様ですね」
そうおどけて見せるのは、かつての記憶より少し老けただけの、しかしそう変わらない姿のクレイだ。
「さて、まずは当主へのご就任、おめでとうございますと言うべきでしょうか?」
「父が殺されたのだ。おめでとうと言うのはまた違うだろうな」
建前ではまだ喪に服すべきだ。
「それに、領主としての心構えや仕事といった事をこれから教わろうという時にこれだ。やっていけるかどうか、不安でいっぱいだよ」
「心中の不安をお察しします。ですがイザーク様でしたら大丈夫ですよ。それに、微力ではありますが、私も全霊を以ってご助力致します」
「そうか、頼りにしている」
少なくともあの豚に教わる事などないし、上手く回せるという自信はあるが、果たして自分が想定するだけの結果が出せるかどうかという点での不安は尽きない。
こんな時だからか、クレイとの会話はやけに寒々しく感じる。
それに今も、やることは山積みだ。だからこそ、これ以上引き延ばすことなく本題へと入った。
「それはそうとクレイ。お前なら、俺が他と違うという事くらい充分に察しているだろうが、一つ聞きたい」
「…………なんでしょうか?」
その時初めて、クレイの表情がほんの僅かに強張った。
この部屋に漂う冷たい空気。
そして、クレイの見知らぬ、俺の護衛。
それは緊張か、それとも一歩深い場所へ踏み込まれることを察しての警戒か。
それがどちらであれ、俺は敢えて無視して会話を進める。
「俺が違うようにお前も他とは違う。こんな平和な街で、騎士らしくない実戦向きの技法。軽いお調子者に見せて思慮深く、慎重で、自分を見せようとしない所。他にも幾つか、お前に対して疑問を抱いている。さて、ここで改めて、俺はお前の経歴を聞かせてもらいたい」
「一時期傭兵をしていましたので。そして、故郷に戻って前当主であるライル様に雇って頂きました。後はイザーク様もご存じの通りです――」
「…………」
「――なんて信じちゃくれないんでしょうね……。いや、参りました。坊ちゃんがそう言うってことは、もうある程度調べがついているのでは?」
「俺はお前の口から聞きたいんだよ」
この期に及んでまだ子供扱いとは、以前のように親しみをアピールするつもりか挑発のつもりか。飄々としているクレイからは、やはり簡単には真意を掴めない。が、それはどちらでもよかった。
自分がやろうとしている事を考えれば、身の周りの人間一人一人の身を洗う事はむしろ当然と言えよう。そして、かねてよりの疑問に突き当たるのは必然でもあった。
幼いころは、素直に利用出来た。
あの豚に黙っていてくれた事もまた、幸運であった。
だが今はもう、そういうわけにはいかない。
そして賢いクレイの事だ。ここに逃げ場がない事くらいはもう理解していよう。
出入り口の扉は勿論、その先の廊下、俺の背後にある窓、そして屋根の上と飛び降りた先の庭の草陰。
あらゆる場所に人と罠を配置してある。
そして俺の左右にはベルガとエミリオ。
この状況、俺でさえ生き残る事は出来ない。つまり、俺とそう変わらない実力のクレイが生き残るには俺を説得するより他にない。
「いやはや……本当にまいった」
「言うつもりがないなら俺から聞こうか? お前は俺を殺すつもりか?」
それを自覚しての呟き。
しかしまだはぐらかすような言葉のせいか、先に踏み込んだのはまたしても俺の方だった。
「そのつもりです、と言えば?」
ここまできてついに、クレイも受けて立つ。
その一言で、何か小さな衝撃一つで割れてしまいそうなほどに空気が張り詰めた。
クレイはまだ腰に差してある剣に手こそ掛けていない。だがいつでも抜けるよう、そして戦えるよう僅かに足を開く。
「状況によるな。尤も、どうしようもなくなればお前を殺すよ」
「出来ますか?」
「やるさ」
「身内や弱者には甘い坊ちゃんが?」
「やるしかないのだろう?」
「…………」
「…………」
互いに相手の真意を見極めんと挑発し、最後には押し黙って先の言葉を吟味する。
緊張から、クレイは僅かに身を固くする。相手がどうでるか分からず、しかも命が掛かっているのだからそれは当然と言えるが。
「……参りました、降参です。正直、坊ちゃんも殺すつもり、ではありましたよ」
先に口を開いたのはクレイの方だった。
「……今は?」
過去形か。
クレイの纏っていた空気が弛緩した。
尤も、だからと言って油断するヘマはしないが。
「正直、簡単に割り切れる事ではなく、迷いはあります。だけど、坊ちゃんは今までいろんな人を救ってこられた。御屋形様の機嫌を損ねた使用人へのフォロー等も含めて、ある程度は分かっているつもりです。それも、貴族どころか庶民でさえ毛嫌いするような人間まで……」
シエラの事は軽率だった。
結果として上手くいったが、弱みにもつながりかねない行動だ。
「本当ならちょうど今頃、育ちきった頃に殺そうと思ってたんですよ。その方が、ライル様にとって一番ショックが大きいでしょう?」
本当に、この男の気分次第でどうとでもなったのだ。
「その上で、ライル様を殺して終わるつもりでした。でも、私は坊ちゃんを殺せなかった。貴族とは思えないほどに他とは違うのだと知ってしまいましたから。ですから、私は坊ちゃんになら殺されてもいいと思っていますし、今なら死んでもそれほど後悔はありません」
その場で腰の剣を外し、後方へ投げた後で両手を挙げて数歩前へ出る。
命令一つでベルガが一足に詰めて首を落とせる距離だ。
その表情はどこかやり遂げたような、達成感めいたものが浮かんでいる。
復讐に身をやつしながらも、しかし己が身を焦がす程の憎悪を秘めながら飄々とした態度で周囲を欺き続けてきたクレイ。
その男が、目標を失った事で消え去ろうとしていた。
だが、死なせてやる程俺に余裕があるわけではない。
「……俺も謝罪しよう。俺自身そう思っていなくても、あの豚とて俺の父だ。お前の妹の件は、たとえ直接関わっていなくても今や当主たる俺の責任になる」
「唯一の心残りは、この手で直接殺せなかった事ですが、そればかりは仕方がありません。やはりやったのは……」
「ああ、まあそう言う事だ。邪魔だったからな。そこはすまないが、俺には俺の事情がある」
明言は避けつつも、父親を殺したのは俺だと白状する。
クレイの妹を遊び半分で犯し、家族諸共殺した屑は此方で処分した。
無論、クレイの心情を考えれば殺すだけでは飽き足らないだろうし、何より自分自身の手で始末をつけたかっただろう。だが、これは一個人に任せられるような事ではないし、俺はまだそれほどまでにはこの男を信用していない。
というより、亜人種のような立場の者ならまだしも、そうでない者は信用出来ないのだ。
「いえ、本当にそこは構いません。正直、そう確率が高いわけではありませんでしたし、流れ者の私はやはり中々信用されなかったようですからね。坊ちゃんの強い推薦がなければ、お付きになる事もなかったでしょうから。殺したというのならそれだけでもいいんです」
俺をむざむざ死なせはしないだろうが、最悪、死んだのならそれで仕方がない。信頼出来るかどうかの試金石として使い、死んだのなら適当に妾の子供を後継ぎに据えれば良いと、ライルもそう思っていただろう。
そのおかげで幼かったころの俺は殺されず、ライルは殺されたのだから皮肉なものだ。
「頼みがある」
「……聞きましょう」
信用は出来ない。
だけどそれでも、今の領地にいる者の中では数少ない、確かな戦場での経験を積んできた男だ。
だからこそ、クレイの力を借りたかった。
「恩に着せるつもりはない。お前を信用せず、苦しめて殺す機会どころか、直接ライルを殺す機会すら与えなかったのは俺だ。だけど、お前の力を貸してほしい。俺の言う事を忠実にこなす手足の一つとなってくれ」
言っている事は、最低だという事くらい理解している。
余計な事を聞かず、ただ黙って信用し、指示に従って動けと言っているのだ。
そして、俺がまだ心から信頼していない事も理解しているだろう。
「もし、私がやるべき事を終えたので家族の許へ逝きたいと言えば?」
「それを俺に止める権利はない。全ての選択権はお前にあるのだから好きにしろ。だけど、俺にはお前の力が必要だ」
「……ははっ、本当にあなたは、変なお人だ」
記憶にある人を喰ったような笑みとは違う。
初めて見る、淡く、儚く、だけど心底おかしいとばかりの笑みだった。
「普通、私のような男など信用しないでしょうに。まして力が必要だと言いながら好きにしろなどと……」
呆れて物も言えないとばかりに頭を振る。
「まったく、本当に変なお人だ」
だけど、その目には力が宿っていた。
死にゆかんとする者の目ではない。
「あなたがどれほどの物を見ているのか、卑賤の身である私には理解出来ないでしょう。その大きな何かと比べればあまりにも微力ではありますが、それでも私の全霊を以ってイザーク様のお力になりましょう」
「ああ、頼りにしている」
跪いて忠誠を誓うクレイ。
思えば、長い間ずっといたクレイと、初めてお互いの本心をさらけ出した。
「本当に、ずるい御方だ」
その言葉に、二人揃って笑った。