月は照らす
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今、俺と理恵は、二人揃って俺の部屋から月を見ている。俺は理恵の真っ黒で長いストレートの髪や、真っ白な肌が月明かりに照らされ、キラキラと光っているように見える姿を見るのが好きだった。
俺と理恵は同じ高校へ通っていた。三年の時は同じクラスではあったのだが、お互い別に付き合ってる人がいた。と言うか、それ以前に俺らは何の関わりもなかった。一度だけ隣の席になったが、彼女がばらまいた筆箱の中身を拾ってあげて、
「あ、ありがと。」
と頬染めて少しどもってお礼を言われたくらいだ。さすがに静かな国語の時間にカンペン落としたら恥ずかしいんだろうな、と大して気にしなかった。
カンペン落下事件以来仲良くもならないまま俺らは卒業し、俺は東京の大学へ進学。理恵は地元の大学へ進学したらしい。
大学へ入ると、やはり環境も変わり、違う大学へ行った卒業後も関係が続いていた彼女と自然消滅の形で別れた。悲しくなかったと言えば嘘になるが、それより大学での日々の楽しさが勝っていたようだった。
三年になると、同じ大学の女の子と俺は付き合いだした。名前は美奈。だが美奈はものすごく束縛が激しいことが発覚し、わずか一ヶ月で終わった。この美奈との出来事は、面倒くさがりな俺をさらに恋愛から遠ざけた。
結局、俺は大学では美奈以外とは誰とも付き合わなかった。寄ってきた物好きな女もいたのだが、突っぱねていたら、友達に
「お前実は女じゃ満足できないのか?」
などと散々馬鹿にされた。だが彼女をつくる気には全くなれず、ぐだぐだしているうちに卒業を迎えた。
俺は卒業後、地元に帰った。仕事にも就かず、バイトをしていた。家族に
「就職しろ、就職!」
と口煩く言われたが、全て無視していたら言われなくなったので悪いと思いつつ、フリーターのまま、居候させてもらっている。
そのまま三ヶ月が過ぎた。
相変わらず俺はフリーターをやっていた。
そんなある日のコンビニのバイトの帰りのことだった。ケータイをポケットから取り出すと、画面右上にあるデジタル時計は03:16を示していた。もちろん辺りは真っ暗。いくら男の俺でも、歩いて帰るのは少々心細かった。勝手に俺のバイクを借りて彼女の家にお泊まりなんてしている自分の兄に怒りがこみあげてきた、その時だった。
「山仲君?」
前から女の声がした。下を向き歩いていた俺は思わずビクッと肩を揺らしてしまった。そのまますぐに前を見ると、女が一人立っていた。女はもう一度、
「山仲君?だよね?」
と話しかけてきた。さすがに俺も気付く。
「佐々木?」
これが、俺と理恵の再会だった。
「今日はねー、仕事長引いちゃって。あはは。」
あくまでも明るくそう話す佐々木に、俺は少し呆れたように返した。
「なあ、『あはは』じゃねーだろ。お前仮にも女だろ?」
少し遅れて俺の後ろを歩いていた佐々木が俺の横まで小走りで来た。
「失礼ね! 『仮にも』はないでしょう!?」
その必死な様子に、俺は思わず笑みがこぼれてしまった。
「あー!笑った!何よもうー……。」
そう言ったかと思うと、佐々木が視界から消えた。驚いて後ろを振り向くと、佐々木が下を向き、立ち止まっていた。俺は、しまった、と思い、走り寄って
「ご、ごめんな。佐々木は仮にもじゃなく、ちゃんとしたお、女だし、さっき笑ったのだって別にそういう意味で笑ったんじゃ……」
「ぷーくっくっくあはははは!」
俺が必死に謝っているといきなり落ち込んでいたと思っていた佐々木の笑い声が、真っ暗な住宅街に響いた。
「な! お前!」
顔を上げたかと思ったら目に涙まで溜めながら笑っている。
「だってー山仲君必死なんだもん。ふふ。あんなんで落ち込まないよー。」
「はー。」
ちょっと悔しかったが、もう何を言っても無駄だと思い、黙って佐々木が笑い終わるのを待った。
「はー。笑った。」
「満足かよ。近所迷惑だぞ。」
ムスッとした顔で俺がそう言うと、
「ごめんごめん。」
と特に悪びれた様子もなく佐々木が言った。
二人はまた歩き始めた。小学校の頃よく遊んだ公園が見えてきた。公園はあの頃とは違い、真っ暗で静かだった。
「あっ、私の家あそこ。あの青い屋根の家。」
佐々木にそう言われて前を向いた。佐々木の家まではもうあと10メートルもなかった。
「送ってくれてありがとうね。」
佐々木が俺の目を見て言った。なんだか妙に頬が熱くなり、思わず目を反らして
「別に。通り道だし。」
とだけ言った。
「ありがと。じゃあね。」
佐々木は軽く手をふり、背中を向けた。その背中はとても小さくて、何故か抱き締めたい衝動に駆られた。突然の自分の気持ちに驚き、それをかきけすように頭をふった。すると、
「ねえ!」
家の門までたどり着いた佐々木がこちらを向いて声をかけてきた。何かと不思議に思っていると、
「私、明日もこの時間なの!明日も家まで送ってくれない?」
俺は当然のように
「いいよ!」
と答えた。確かにこんな時間に女の子を一人で帰らせてはいけないという思いもあったが、理由はそれだけではなかったと思う。真っ暗な中、遠くにいて見えないはずの佐々木の顔が赤いような気がしたからかもしれない。
この日を境に俺らはどんどん仲良くなっていった。メールアドレスを交換し、一緒に食事をしたりするようになった。ここまでくると、俺らが恋人という関係になるのは自然なことだった。
俺が佐々木に告白し、呼び方が理恵に変わった日、あることを理恵に聞いてとても驚かされた。告白の返事を聞いた俺が思わず理恵を抱き締めてしまい、理恵は俺の腕の中で耳まで真っ赤にしていた。その時に、
「私、実は高校の時、や、こ、光太のこと、少し気になってたんだ。」
呼び方の変化に戸惑う彼女に愛しさがこみあげる。が、それと同時に疑問が浮かぶ。
「でも理恵彼氏がいたんじゃ……。」
「こんな中途半端な気持ちじゃ失礼だからってちゃんと別れたのよ。」
「ま、まじでか……。」
驚いてそれしか言えなかった俺に、理恵がさらに続けた。
「だ、だからね、そのー、筆箱落としちゃった時にこ、光太にペン拾ってもらえて嬉しかったんだ。」
か細い声でそう言う理恵のことが愛しくて愛しくて、俺は理恵の唇に自分のそれを重ね、腕の力を更に強めた。これが二人の初めてのキスだった。
俺らの付き合いは、時には喧嘩をしながらも、順調に続いていった。気が付けば付き合いだしてもう10ヶ月も経っていた。
そんな幸せな日々を過ごしていた俺に、ある知らせが舞い込んだ。フリーターの俺を見かねて親戚のおっちゃんの会社が雇ってくれるというのだ。最初俺はすごく喜んだ。一番に理恵に知らせた。理恵は嬉しそうに、
「よかったね、光太。」
と言ってくれた。しかし、あとになって聞かされた事実により、俺は愕然とした。
「と、東京?」
「ああそうだ。もう再来週にはこっちに来てもらうからな。心配するな。社宅に部屋は用意してあるぞ。はっはっは。」
豪快に笑うおっちゃんの声がいつの間にか遠くなっていた。断ろうかと思った。せっかくのおっちゃんの好意を断るのは気が引けたが、何よりも理恵と離れることがいやだった。俺はそれを理恵に言った。きっと理恵は喜んでくれるだろうと思っていた。だが、理恵の言葉は俺の予想とはかけ離れていた。
「なんで断るなんて言うの!?光太の人生なんだよ!?一生に一度の選択なんだよ!?私のことは関係ない!私のせいで光太の人生台無しにしたくない!」
泣きながら話す理恵の声が、俺の心を締め付けた。自分も悲しいであろう理恵が、本心を隠してまで言った言葉。俺にはそれを無駄になんて出来なかった。俺は理恵に甘えていただけだったのかもしれない。
「ごめんな。理恵。俺、話受けるよ。」
理恵の部屋で、俺が理恵にあげたオルゴールが飾ってある机を背に、膝を抱え、小さな体をさらに小さくしてすすりなく理恵を抱き締め、俺も泣いた。
東京へ行く再来週まで、俺らは二人の時間を大切にした。前から理恵が行きたいと行っていたレストランにも行ったし、某有名テーマパークにも行った。そこのあの有名な城の前で、俺が内緒で用意していた指輪を彼女に渡すと、彼女は人目も気にせず、俺の胸で泣いた。
そして、俺の東京行きが明日に迫った今日、俺と理恵は俺の部屋で星を見ているのだ。理恵の右手の薬指には指輪が光っている。なぜ左手ではないのかと恐る恐る聞いてみたら、
「婚約指輪までとっておくの。」
と照れ笑いしながら話した。
そんな理恵とも明日でお別れ。
二人の関係は終わらせるつもりはないが、二人とも、遠距離恋愛を甘く考えているわけではない。自信を持って、ずっと理恵を愛し続けるとは言えない。それは理恵にも言えることだ。しかしお互いにそれに対する覚悟は出来ている。俺らは無理にお互いを縛り付けるつもりはない。それがお互いの幸せならば、受け止めようと思っている。
「明日ね。」
彼女の顔は見えない。
「そうだな。」
俺は答える。
「私、明日朝早くから仕事だから。」
「……ああ。」
「見送り、できないから。」
「ああ。」
「今日、で、さ、最後、だ、から……!」
「ああ。」
理恵の涙声に答えながら、俺は理恵に近付いていく。
「だ、だから!」
無理矢理理恵の顔をこちらに向けさせ、口付けによって言葉を遮った。もうこれ以上の言葉は必要なかった。分かった。強がりだと。俺は理恵のためならば嘘でも信じようと。
ベッドから出て理恵を起こさぬようなるべく音を立てないように服を着る。理恵はこちらに背を向け、壁を向いて寝ている。服を着終わり、部屋を見回す。途端に、この部屋での二人の思い出が蘇ってくる。目頭が熱くなり指で押さえ今にもこぼれ落ちそうになるものを必死に堪える。鼻を一度すすり、ドアノブに手をかける。ドアを見つめたまま、一言だけ、
「ありがとう。」
とだけ言い、俺は部屋を出た。
「ありがとう…ッ」
ベッドの上で震える彼女の声が、聞こえたような気がした。
離れ離れになった二人を、月がただ静かに照らしていた。