第16話:故郷の風(伊予・松山)
屋島の扇を射抜き、平家を海へと追い落とした後。菅野(義経)率いる一団は、さらなる掃討のため、伊予の国――松山へと馬を進めていた。
「……この匂い。潮風の中に混じる、蜜柑の皮を剥いたような、甘酸っぺえ香り……」
菅野は不意に馬を止め、大きく鼻を鳴らした。 視界の先に広がるのは、穏やかな瀬戸内の海と、なだらかな丘陵。 そこは、かつて自分が「三四三空」の指揮官として、命を預かる部下たちと寝食を共にした聖地、松山だった。
「殿。いかがなされましたか。この辺りに、何か気掛かりなことでも?」
弁慶(庄一)が、馬を寄せて問いかける。その瞳もまた、この伊予の山河を見つめ、何とも言えぬ懐かしさに潤んでいた。だが、彼は決して「ここは松山基地があった場所ですな」とは口にしない。主従という名の二番機を演じ通すのが、今の彼の矜持だった。
「……いや。何でもねえ。……ただ、少しだけ『知ってる空』に似てやがると思ってな」
菅野は、懐から南部十六年式を取り出し、その冷たい銃身を頬に当てた。 「いいか、弁慶。……俺はここで、最高の野郎どもと出会った。……そいつらは、俺がどんなに無茶な機動をしても、死ぬ気で付いてきた。……あいつらの顔が、この風の中に混じってやがるんだ」
その言葉を聞いた瞬間、弁慶――庄一の胸が、熱い鉄を流し込まれたように疼いた。 (……大将。忘れてなかったんですな。あの、松山の空を。……俺たちが、あんたの翼になろうと誓った、あの場所を)
弁慶は、溢れそうになる涙を堪え、わざとらしく大きく頷いた。 「……左様でございますか。ならば、その『野郎ども』の分まで、拙僧らが殿の背中をお守りいたしましょう。……この伊予の地は、我ら源氏の味方も多い。……ここで少しばかり、羽を休めても罰は当たりませぬ」
一方、与一(鴛淵)もまた、遠く松山の山並みを静かに見つめていた。 「……殿。この地は、風が澄んでいます。……弓を引くには、これ以上ないほどに」
菅野は、二人の顔を交互に見つめ、不敵に笑った。 「……そうだな。……よし、野郎ども! 今夜はここで野営だ! ……松山のうまい飯を食って、明日の『最終決戦』に備えるぞ。……墜ちる暇もねえくらい、腹一杯にしてやる!」
しかし、その夜の焚き火の向こう。 鎌倉からの急使が、冷たい月明かりを浴びて現れた。 頼朝からの書状。それは、功労者である義経の「鎌倉入りを禁ずる」という、非情な排除の通告だった。
「……兄貴の野郎。……やっぱり、俺を『未帰還』にする気かよ」
松山の優しい風が、一瞬にして冷酷な乱気流へと変わる。 デストロイヤーの旅は、ついに「身内との戦争」という、最も過酷な高度へと突入しようとしていた。




