第6話 遭遇
翌朝、アラームの音で目を覚ました葵は、コーヒーを淹れてゆっくり昨日の出来事を思い出していた。
――やっぱり、夢じゃなかった……
ため息をついた葵の目の前には九条と禅の名刺が置かれていた。
「考えても仕方ない」
そう呟いて葵は散歩に出かけることにした。
目的地を決めず、ただ気の向くままに見知らぬ土地を歩く。昼間で人通りはまばらだったが、暖かい太陽の光に照らされて心なしか葵の足は軽やかだった。
大きく深呼吸をして空を見上げていると、突然強い風が吹き、風の音が通り過ぎると共にあたりが一瞬で静寂に包まれた。
――なんか、急に静かになった気が……
「ねぇねぇ」
全く意識していなかった足元から子供の声が聞こえて葵は思わず飛び退いた。
「あ、やっぱり、見える人だぁ!昨日遊んでもらおうと思ったんだけどお姉ちゃん逃げちゃうから」
子供はそう言うと嬉しそうに笑っていた。
――この子昨日の!?妖怪なの……?逃げなきゃ
葵は目の前の妖に危険を感じ、その場をすぐに離れようとしたが、体が動かない。
「無駄だよ?お姉ちゃんの影は僕が踏んでるからね」
と指差した地面には、葵の影が伸びていて、その影を妖が踏みつけていた。
――体が動かない……何かの術?どうしよう……
影を踏まれた瞬間、体を何かに縛られているかのように固まってしまった。
いかにしてこの状況を脱するか、頭をフル回転して考えるが何も思いつかない。
「一緒に遊ぼう?」
妖は純粋な瞳で葵をまっすぐ見つめているが、その瞳は真っ黒でこの世のものではないことを感じさせた。
――誰か助けて……
心の中で大声で助けを呼ぶが、声は出ない。
妖が葵に触れようと手を伸ばした瞬間、
「何かあったら呼べって言ったろ?」
後ろから聞き覚えのある声が聞こえてきた。肩にそっと触れられて、体の自由が戻る。
「禅さん!なんでここに?……昼間だから大丈夫だと思ったんですが……」
と少しバツが悪そうに俯く葵。
「昼間でも出る時は出る。妖怪の気配がして、来てみりゃあんたも一緒とは驚いたよ」
――子供の妖怪か……やりにくいな
禅は内心舌打ちをして目の前の妖をじっと見つめた。
「影踏みか……ここはお前の領分じゃない。帰れ」
強い禅の言葉に妖の姿がうっすら揺れる。
「ただ、遊んで欲しくて」
妖は悲しそうな悔しそうな声でそう呟くと今にも泣き出しそうに俯いてしまった。
「通行証も持たずに越境すんなって言ってんだよ」
そう言うと、スーツの内ポケットから紙を取り出し妖の足元に投げつけた。
「あれは……」
妖の足元にぽっかりと空いた穴を見つめ、葵が息を呑んだ。穴の中は真っ黒で、人ならざるものの気配で満ちていた。
「そこから帰れ」
禅にそう言われ、妖は渋々穴の中に入っていった。
それを確認し、禅が紙を剥がすと穴は塞がってしまった。
「それはなんですか?」
「あぁ、これは簡易境界符だ。あれくらいの小物ならここから帰せる」
そう言って葵に見せた紙は、護符のような見た目の和紙だった。
「ありがとうございました」
改めて禅に深々とお辞儀をしてお礼の言葉を伝える葵。
「なんで呼ばなかった。昨日もなんかあったんだろ?」
子供との会話を聞かれていたことに罪悪感を覚えた葵が目を逸らす。
「だって……まだ妖怪と決まったわけじゃなかったし……人かと思って」
「人ならそれはそれで危ねぇだろ」
禅にそう言われて――それもそうか――と納得してしまう。
「とにかく、遠慮してんだかなんだか知らねぇけど、迷惑だから素直に頼れ」
「すみません……」
消え入りそうな声で謝る葵を見て禅が大きなため息をついた。
「怒ってるわけじゃねぇ。なんかあったら困るから頼ってくれって言ってんだ」
頭をガシガシかきながら葵の方を見ずにそう言う禅を見て葵は表情を和らげた。
――意外と優しい人なんだ……
「ありがとうございます?」
「なんで疑問形なんだよ。とにかく帰るぞ」
禅に連れられて、車で朱雀警備に向かうことになった。




