第15話 帰還
「戻りました」
禅のはっきりとした低い声が事務所に響き、続いて葵が部屋に入る。
「おかえりなさーい」
――はぁ、無事に帰って来られた……
快のなんとも言えないやる気のない声が葵を安心させた。
「このまま九条さんに報告いくぞ」
と禅は九条がいる奥の部屋に向かった。
一歩踏み出すたびに、葵の足はまだ震えている。
部屋の扉をノックすると、中からどうぞと声が聞こえたが、答えを聞き終わる前に禅が扉を開けて中に入った。
「ノックの意味がないじゃないか」
と呆れた様子の九条に禅は悪びれる様子もない。
「だって、今日は来客ねえから暇だろ?」
――そういう問題じゃないと思うけどな
と葵は心の中でツッコミを入れる。
「おかえりなさい。現場はどうでしたか?」
と禅に問いかける。
「任務は無事完了だ。妖はかごめで間違いねぇ」
禅は短く答えると、次はあんただと言った様子で葵の方を向いた。
葵は足の震えを悟られないように、足にグッと力を込めた。
「あ、えーっと……私の後方で声が聞こえた気がしたので、振り返りそうになったのですが、禅さんに助けていただきました……」
と申し訳なさそうに答える葵。
「なんで最初から反省会みてぇな雰囲気なんだよ。逃げずにやり切りましたでいいだろ」
禅に軽く頭を小突かれ、はっとする。
「そうです。一ノ瀬さんは今回初めての現場ですから。完璧にできるとは思っていません。しっかり逃げずにやり切った。それで十分です」
九条も優しく微笑みながらそう答えた。
葵は少し照れくさそうに笑うと、ありがとうございますと頭を下げた。
「さて、帰ってきて早々申し訳ないですが、もう一件任務に出てもらえますか?」
九条はそういうと、禅に書類を渡した。
「珍しいな。緊急の依頼か?」
と書類をめくり眉をひそめる。
「少々厄介な案件です。雪音さんと快くんも連れて行ってください。朔弥くんはまだあちらですので今回は戻れません」
――朔弥さん……そう言えば、まだひとりだけ挨拶できてないや。他の任務に出てるのかな?それにしても厄介な案件って……
今までにない九条の声色に葵は嫌な予感を感じた。
「これは厄介だな……わかった、準備する。いくぞ」
書類に目を通した禅は、葵に声をかけると部屋を出た。
「頼みますよ」
目頭を押さえてため息をつくと、メガネをかけ直して九条はパソコンに向かった。
*
「快、任務だ。雪音どこ行った?」
と書類に埋もれる快に尋ねる。
「え、緊急の案件すか?嫌だなぁ……雪音さんなら雅さんのところっす」
快はため息混じりに答えると携帯で電話をかける。
「あ、雪音さん?緊急の案件っす。戻ってください」
雪音が何やら文句を言っているのか、快は携帯を耳から離して眉間に皺を寄せた。
「もう戻ると思うっす。フルメンで行くんすか?葵ちゃんも?てか、緊急案件ってランクは?どこからの依頼すか?」
快は聞きたいことがいろいろあるらしく、次々と疑問を禅に投げかける。
「質問が多いぞ。今回は朔弥は抜きだ。もちろん新入りは連れていく。ランクはB、依頼主は……藤峰善三郎だ」
快は「うわ」と小さく呟き、書類を持ったまま動きを止めた。
一方葵は、少し前の新聞記事の見出しを思い出していた。
――藤峰善三郎……誰だっけ。確か昔巨額献金。いや、疑惑の方で新聞に名前が出ていたような……
あまりクリーンな印象のない名前に、胸の奥がわずかにざわつく。
思考を巡らせていると、雪音が文句を言いながら戻ってきた。
「ねぇ!今日は早く上がれるはずじゃなかったの?私予定があったんだけど」
怒っていても美しいことに変わりはなかったが、切れ長の目が迫力を増している。
「悪いな、藤峰善三郎の依頼だ」
禅の言葉に雪音は大きなため息をついた。
「あのたぬきじじい……」
――雪音さん……怖い……
葵は雪音の恐ろしい表情に寒気を感じ身震いをした。
「しかたねぇよ。今回はBランクだから緊急性も高ぇ。30分後にミーティングをするからそれまでに身支度整えとけ。とりあえず解散」
禅の言葉に全員自分のデスクに戻って準備を始めた。
――藤峰善三郎……どうしても思い出せない
喉元まで答えが出かけているのに出ない、モヤモヤした感覚と次の任務への不安が葵の中に渦巻いていた。




