第10話 初出勤
一週間後
朱雀物流を無事に退職した葵は、晴れやかな気持ちで新しい職場へと向かうことができた。
前回同様、受付に名刺をみせると28階を案内された。
「おはようございます」
少し緊張した面持ちで、扉を開けて中に入ると、
「ちょっと!なんで俺なんすかぁ?雪音さんジャンケン負けたじゃん!」
「いいから行ってきなさいよ」
と若い男と雪音と呼ばれる女が小競り合いをしていた。
――うわぁ……綺麗な人……
葵は、雪音の長い黒髪とひんやりと冷たい瞳に見惚れていた。
「あ!噂のバイトちゃん?」
入り口に立ち尽くす葵の姿を見つけて、男が駆け寄る。
「あ、はい。一ノ瀬葵です、今日からよろしくお願いします」
と慌てて自己紹介を済ませる。
「いいねいいね!若い女子!僕は快よろしくね!」
自分よりはるかに年下であろう見た目の快にそう言われ、葵は首を傾げた。
――若い女子って……
苦笑しつつ、もう1人の人物に視線を向ける。
「快……あんたが若い女子とか言うとややこしいわよ?私は雪音よろしくね」
涼やかな声でそう答えると雪音は多くを語ることはなく、自分の席に座ってしまった。
隣では快が何やらずっと話しているが、頭に入ってこない。
「あの、他の人は……?」
と快の言葉を遮り尋ねると同時に扉が開いた。
「お、来てたか」
という禅の声に葵は振り返る。見慣れた顔に少し気持ちが落ち着いた。
禅の後ろから、九条ともう1人男が入ってくる。九条と目が合い、軽く会釈を交わした。
――あの人もこの部署の人かな……?
と最後に入ってきた男を見ていると、一瞬視線が交差し、すぐに逸らされてしまった。
「さて、みなさん。本日よりこちらの一ノ瀬さんにアルバイトとして働いてもらいます」
改めて紹介され、ドキドキしながらよろしくお願いしますと頭を下げる。
そのまま朝のミーティングを終え、それぞれがデスクに散って行った。
「おい、あんたの席はここだ」
と禅が自身の隣の席を指差した。
「ありがとうございます。あの……私すっかり忘れてたんですが、仕事内容って……」
朱雀物流を辞め、普通でいられる場所を見つけたことで忘れていたが、仕事内容など大事なことを全く聞いていなかった。
「あぁ、そうだったな。仕事内容は境界の警備だ。あんたがこの間見たような妖が住む側と人間側には境界ってもんがあって、それを警備してる」
と禅は書類の裏紙の両端に妖、人間と書いてその間にまっすぐ線を引いた。
「なるほど……つまり、妖が人間側の世界に来て起こす揉め事の後始末みたいな感じですか?」
と自分なりの言葉で繰り返すと禅が頷いた。
「まぁ、そんなところだ。あんたにはまず記録係をやってもらう。現場で見たことを記録して、案件終了後に報告書にまとめて提出する係だ」
禅の話を聞きながら、手帳にメモを取る葵。しかし、禅にメモを取る手を止められる。
「メモは頭で取れ。現場で手元見てる余裕はねぇぞ」
と言われてハッとする。
「そうですね、頭に……」
と必死で今まで聞いた話を反芻していると、禅がふっと笑った。
「なんですか?」
と少しムッとして禅を睨む葵。
「いや、悪い。必死な顔が少し面白くてな。頭でメモを取る努力は続けろ。今後に生きる。だが、全部覚えるのは不可能だからな、現場では音声認識レコーダーを使う」
と禅に手渡されたのは小さなイヤホンのようなものだった。
耳につけるとピッタリとフィットして頭を動かしても落ちてこない。
「走っても暴れても落ちねぇから安心しろ。現場では、このレコーダーに全てが記録される。後で聞き直しながら報告書を書けばいい」
禅の説明に大いに納得して、レコーダーをケースに入れて大事にしまった。
「急で悪いが、夕方から現場だ。装備諸々があんた用に用意されてるから、備品課でもらってこい。……大丈夫、倉庫の時だって大丈夫だったろ?」
不安そうな葵に禅が不器用ながらフォローを入れる。
「私、できるでしょうか」
漠然と押し寄せる不安。
――私が普通でいられる場所を手放したくない……
俯く葵の頭の上に大きな手が置かれた。
「そんなに気負わなくていい。とにかく現場では逃げるな。やばくなったら俺が助けてやるよ」
葵の目をまっすぐ見つめ、禅が力強く言った。
「……なんだかキザなセリフですね」
と葵が笑うと、禅はふんっとそっぽを向いて、
「俺も言い終わってからくせぇセリフだなと思ったよ。まぁ、俺の現場では誰も怪我はさせねぇ。安心しろ」
と言ってニッと笑った。
それから葵は、装備を受け取りに備品課に向かった。




