第1話 クビ
――あれは、いったいなんだったんだろう……
機械の音が響く倉庫。
ひんやりと冷たい空気と段ボールの匂い。
夜間で人の気配は全くないはずの倉庫で――ガチャンと何かが倒れる音が聞こえた。
そして遭遇した、異常に大きく黒々とした目を持つ猿のような得体の知れない生き物。
あの日の出来事が、脳内で何度も繰り返され、仕事に全く身が入らない。
――だめだ……今日はもう帰ろう
「一ノ瀬さん、少しいいかな?」
残業する気も起きず、帰ろうと立ち上がったところで上司に呼び止められた。
上司の後について会議室に入り、椅子に座ると、突然今後の働き方についての話をされた。
「……クビってことですか……?」
一ノ瀬葵は悔しさを隠すようにテーブルの上で組んだ手をグッと握った。
「クビなんて言ってないよ?君は疲れてるみたいだから、少し休むか、別の部署に移動したらどうか?っていう提案だ」
男は葵を宥めるような口調で貼り付けたような笑顔を浮かべた。
表情とは裏腹に机を指でトントン叩く仕草から苛立ちが手に取るようにわかる。
――厄介払いしたいだけのくせに
と心の中で呟き、上司である目の前の男を睨みつけた。
「これだけ噂が広まってる以上、このまま発送担当に君を置いておくことはできないからねぇ。休まないなら、申し訳ないけどしばらく倉庫の備品係に異動してもらうよ」
上司はそう言うと葵の答えは聞かず、立ち上がり会議室を出て行った。
葵もしばらく会議室でぼーっとしていたが、両頬をパンっと叩き気合いを入れると、
「よし!帰ろう」
と勢いよく立ち上がり会議室を出た。
*
帰り道、お酒の力でも借りようかと葵はコンビニに寄った。
「っしゃいませー」
と全くやる気のない店員の声を背に、お酒のコーナーにまっすぐ向かう。
その途中でふと床に置かれた段ボールに目を止めた。
段ボールの側面には葵の職場である朱雀物流の文字。
それを見た瞬間に葵の脳裏に浮かぶあの奇妙な光景。手が震え気分が悪くなり、堪らず外に出た。
夜風に当たりながらゆっくり息を吐き出し、心を落ち着ける。
――あの夜私が見たものはなんだったのか……
葵が巻き込まれた奇妙な出来事は2週間前の深夜に遡る。
勤務先の朱雀物流は、高度に自動化された倉庫でほとんどの作業を機械が行なっている。そのため人は最小限しかいない。
その日も、夜勤シフトだったため倉庫で1人発送業務を行っていた。
人の気配はほとんどなく、機械が動く規則正しい音だけが終始響いている。
――人が少ないほうが仕事が捗るなぁ
昼間のシフトよりも自由で集中できるこの環境を葵は気に入っていた。
在庫確認用の端末に向かい、仕事をしていると、何かが倒れる音がしてビクッと体を震わせた。
「びっくりした……」
胸に手を当てて大きく息をつくと、通路を進み、音のした周辺の棚と棚の間をひとつずつ確認していく。
なかなか音の出どころを見つけられず困惑していた葵だったが、ようやく犯人を見つけた。
「脚立……?どうしてこんなところで……」
と怪訝そうな顔で辺りを見回し、倒れた脚立を拾い起こす。
不気味に思いながらも、持ち場に戻ろうと振り返った時に、ある違和感に気づいた。
「あれ……?ここの段ボール……」
いつも通路の端に積んである段ボールがなくなっていた。
胸騒ぎがして指先がひんやりと冷えていく感覚を覚える。
キョロキョロと辺りを見回して段ボールを探していると、
「……!?」
素早く横切った何かに驚き、葵はその場に固まった。
棚の影に消えた何かを目で追うが見つけられない。
また一歩踏み出そうと歩を進めた瞬間、反対側の棚の影から小さな猿のような大きな目の生き物が自分より大きな段ボールを抱えて走り去って行った。
"それ"と一瞬目があった気がして、恐怖で喉が詰まり声が出ない。
――猿……じゃない?
混乱の中、この世のものとは思えないその姿は、葵の遠い遠い開けてはならない記憶の蓋をこじ開けようとしていた。
固まった体を無理やり動かして、元いた場所に戻ると、慌てて警察に通報しようと携帯を手に持った。
震える手で110とタップしたところで、ふと手を止める。
――待って………なんて言う?
通報したとして、警察にどう説明すればいいのかという問題に直面し、携帯をしまうと、端末の夜間報告欄に見たままの出来事をメモした。
その日は同じような出来事が起こることはなかったが、それからしばらく葵が夜勤の日に限って、あの奇妙な生き物が葵の前に現れるようになり、荷物の盗難が増えた。




