第八話 想いを縫い、祈りを結び、託す願い
団長が、遠征に出る。
その一言は、思っていた以上に私の胸に響いた。
「3日後から、王都南方の防衛線で魔力異常の調査がある。二週間ほど、現地に滞在する予定だ」
静かに告げられたその言葉に、私は微笑んで頷いたつもりだった。けれど、自分でも気づかぬうちに、肩の力が入っていたらしい。
団長は、そんな私をじっと見ていた。そして、ほんの少し眉を動かした。
「……戻ったら、顔を見せに来よう」
その一言に、胸の奥が熱くなるのを感じた。
「……本当、ですか?」
「約束しよう」
頷く団長の声はいつも通り低く、落ち着いていたけれど、不思議とあたたかく感じられた。
「王都にはロイドが残る。訓練は引き続き受けられるだろう」
副団長が軽く頷いて見せる。私は少しだけ笑みを返したが、やはり、寂しさが消えることはなかった。
「では……また明後日、出発の前日にこちらへ寄らせてもらう」
「……はい。お気をつけて」
その場ではそれ以上言えなかった。けれど、心の中では、何かをせずにはいられなかった。
*
その夜、自宅に戻ってすぐに、家族からの食事の誘いを受けた。心配されるので、軽く夕食をとってから、自室にこもる。
今の私にできること——それは、団長の無事を願う“形”をつくること。
図書室から、古い文献を数冊拝借した。魔法結界の紋様や、古代から伝わる守護の印。その中から、最も効果が穏やかで、長期持続型の結界式を選ぶ。
用意したのは、手のひらに収まる小さな布袋。外には、団長の家紋を丁寧に刺繍で縫い込んだ。不慣れな手つきで針を動かすのは決して簡単ではなかったけれど、気持ちだけはこもっていた。
裏面には、古式の守りの紋様。結界を編むように、細かな糸で時間をかけて刺し進めた。
中には、短い手紙を添える。
「どうかご無事で。
戦いの中で、怪我をされませんように。
病を得ることなく、心も身体も守られますように。
神様、お願いです。無事に帰って来れますように。
私の願いが届きますように。」
最後に、小さな紫の魔石を取り出し、胸元に抱いて静かに魔力を注ぐ。
“団長を守ってください”と、強く、強く祈りながら。
たった二日しか時間はなかった。けれど、授業と訓練の合間に全てを仕上げた。
私のすべてを込めた、小さな、けれど大切なお守りが完成した。
*
出発前日の午後。管理塔の面談室に再び団長が現れた。いつもと変わらぬ整った制服、銀の髪、落ち着いた眼差し。
けれど私には、どこか少しだけ、その視線が柔らかく見えた。
「エルバーデ嬢」
「団長閣下……あの、これを……」
そう言って差し出したのは、両手で丁寧に包んだお守りだった。
「遠征に……持っていっていただけませんか?」
団長が手に取った瞬間、その目が明らかに見開かれた。
隣に控えていた副団長ロイドは、あからさまに口を開けて固まった。
「……これは……」
「拙い刺繍で、お見苦しいかと思いますが……魔力の乱れなどを防げるよう、少しだけ魔術的な式を織り込んでおります」
クラリスは、はにかむように目を伏せた。けれど内心は、はらはらだった。
(……やばい、引かれたかも。推しへの想い、重すぎたかしら……?)
だが団長は、そんな彼女の言葉を遮らず、ただお守りを手のひらに包み込んだ。
「……ありがとう」
その声が、驚くほどやさしかった。
「出発前で忙しいので……今日はこれで失礼するが、必ず戻ったら、顔を見せに来る」
「……はい。お待ちしております」
別れ際、ほんの少し名残惜しげに目を伏せた彼の横顔が、胸に焼きついて離れなかった。
*
その夜、魔法師団本部。
ロイドは、机の上に置かれたお守りをじっと見て、深々と溜息をついた。
「……団長。あれ、お守りってレベルじゃないんですが」
「ふむ」
「明らかに、複層結界式と意志付与型魔術式が掛け合わされてます。素人の手仕事だとは信じ難いくらいの魔力精度ですよ。紫の魔石にあんな風に魔力流し込めるなんて、聞いたことありません。しかも本人、恥ずかしそうに“刺繍が拙くて”とか言ってましたけど、あれ、もう……」
イザークは、その報告を黙って聞いていた。
手の中にある小さなお守りの温もりが、まるで誰かの手のぬくもりのように感じられた。
「……だが、これはお守りだ。そう、彼女の気持ちを受け取るべき“かたち”だ」
「……団長、感情乗ってますよ。珍しい」
「……黙れ、ロイド」
静かに、けれどどこか柔らかく、団長は返した。
お守りの中心に込められた言葉——
《あなたが、無事に帰ってきますように》
それは確かに、守護のための魔術以上に、温かい想いが詰まっていた。
彼はそれを、そっと懐にしまった。