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第七話 あなたに笑ってほしいなんて、思うなんて

春の陽射しが柔らかくなり、学園の花壇では小さなつぼみが次々と芽を開いていた。

入学から半年余り。王子を巻き込んだ騒動以降、クラスの空気はずいぶんと落ち着いていた。


「この頃は平和よねえ、クラスの中は」

「でもね、外は結構ざわついてるみたいよ。上級生が揉めてたって話、また聞いたわ」

「例のヒロイン風の令嬢を巡って、また貴族間で揉めてるとか……」


昼休みに交わされる友人たちの話に、私はただ小さく微笑んで相槌を打つだけだった。

何かと騒がしい学園内で、私はずっと、“静かな日々”を選び続けてきた。

けれど、心の中はずっと、ざわついたままだった。


——団長に、嫌われたかもしれない。


あの氷の矢の件。咄嗟に庇ってくれたあの腕のぬくもりと、その直後の叱責の言葉。

頭では叱られて当然だと理解していても、気持ちは追いつかず、私はそれ以来ずっと落ち込んでいた。

魔法の訓練には真面目に取り組んだ。だが、体は正直だったのだろう。食が細くなり、睡眠も浅くなった。

鏡を見れば、自分でも分かる。もともと“儚げ”と言われていた顔が、より一層、色を失っていた。


そのことに気づいたのは、副団長だった。



「閣下。クラリス嬢、最近痩せています」

ロイド・グレイヴ副団長は、端的に報告した。

「魔力量も安定はしていますが、本人の集中がやや落ちています。理由は……言わずとも、お察しかと」


団長——イザーク・ローヴェンハーツは、その言葉に一瞬だけ視線を逸らした。

彼の脳裏には、あの日のクラリスの涙と、あの小さな声が焼き付いていた。


「……またお会いできて……とても、嬉しくて……」


心のどこかで、線を引いていたつもりだった。

三十年以上も年が離れた、ただの訓練対象の少女。魔法師団にとって貴重な全属性保持者。

それ以上でも、それ以下でもないはずだった。


だから——自分でも、理由がわからなかった。


なぜ、今すぐにでも、彼女の顔を見に行きたいと思ってしまったのか。



再会は、学園の管理棟に設けられた面談室で行われた。

午後の陽が差し込む中、クラリスは静かに扉を開けて現れた。


そして、イザークは言葉を失った。


以前から薄い色合いの美貌だったが、その輪郭はさらに細く、肌は透けるほどに白い。

うつむき加減の姿勢が、一層儚さを増していた。


「……クラリス・フォン・エルバーデ嬢」


「……はい」


その声さえも、どこか力が抜けていた。だが、団長と目が合った次の瞬間——

彼女の目に、ふっと光が戻ったのを、イザークは見逃さなかった。


「……あの、私……あのとき、団長に叱られて……その、嫌われたと思って……」


言いかけて、言葉が詰まる。けれど、イザークは彼女の言葉を遮らなかった。

静かに、真っ直ぐに視線を向けたまま、ただ静かに彼女の声を待っていた。


「でも……今、こうして……またお会いできて……本当に、嬉しいです……」


そう言って、クラリスはふわりと笑った。


まるで蕾が花開くような笑顔が、イザークの胸に刺さった。


“ああ、私はこの子に、笑っていてほしいと思っている”


そんな感情を、自分が抱いていることに、今さらながら気づいた。

妻と婚約していた頃にも、結婚生活の中でも、子が生まれた瞬間にも、

心がこうして騒いだことなどなかった。

離婚したときでさえ、自分の中には何も残らなかった。


けれど今、目の前の少女の微笑みひとつで、

こんなにも胸の奥が揺さぶられていることに、静かに、驚いていた。


彼女はまだ十代。

自分は……人生の半ばをとうに過ぎた、魔法師団の長。


「……どうして、こんな気持ちになるんだ……」


それは、口には出さなかった。

ただ、心の内で呟かれた静かな疑問だけが、彼の胸に残された。

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