第六話 モブなので、関わりたくないのですが
団長に、あの日……本気で叱られた。
「訓練中に何を考えているんだ、死にたいのか!」
その一言が、心にずしりと残っている。
頭ではわかっている。あの場面では私が悪かったのだ。訓練中にポエムを詠んでいる場合ではなかったし、そのせいで氷の矢が自分に向かっ来たのも自業自得。あまつさえ庇って貰ったあげくに、胸元を掴んで涙目で「団長の眼差しが……」などと本音をこぼしたことが間違いなく不敬だった。
自分のいたらなさは承知してるが……それでも。
「……嫌われたかもしれません……」
不安を呟いた言葉は、窓辺に溶けていった。
授業中、講義の内容も耳には入らない。教科書の文字だけを無心に追い続け、頭の中では団長の冷たい視線と、咳払いと、沈黙と、そして“ふっと外された腕”の感触ばかりが巡る。
そのせいか、最近の私はひどく“儚げ”らしい。
「クラリス様、今日も……なんだかお顔が沈んで見えますわ」
「食欲、落ちていませんか?無理をなさらずに……」
優しい言葉をかけてくれるクラスメートたちに、私は笑顔で返す。
「ありがとうございます。でも、大丈夫ですの。ただ少し……自分の力不足に落ち込んでいただけですわ。私の不注意で……。気にしないでくださいませね」
そう、あくまでも“真面目な努力家の伯爵令嬢”として振る舞う。
本当は今にも泣き出しそうなのだけれど、団長に嫌われたと思ったら、涙が勝手に込み上げてしまって、それを隠すのに必死なだけで。
けれど不思議なことに、その涙を見た周囲は、私のことを“健気に努力する令嬢”と受け止めたらしい。
「団長閣下から直々に訓練を受けて……そのうえで、まだ自分を責めてるなんて……」
「やっぱり、すごいお方なのね……」
以前は私の訓練に、どこかで嫉妬混じりの視線を送っていたクラスメートたちも、今はむしろ私に手を差し伸べてくれるようになっていた。
なんだか……不本意に好感度が上がっているような。
私はモブなのよ。目立ってはいけないのよ。なのに。
*
そんな中で起きたのが、例の騒動だった。
その日の午後、教室の空気がやけにざわざわしていた。ふと視線を向けると、教室の中央、窓際にてなにやら言い合いをしている三人の姿があった。
第二王子ユリウス・アルフォンス殿下。
その婚約者であるフィオナ・グランメイル公爵令嬢。
そして、最近王子と親しくしていると噂される男爵令嬢、ミレーヌ・ハートリー。
「私はただ、王子殿下のお役に立ちたくて……」
「立ち入り過ぎるのは、礼儀を欠くことになると申し上げているのですわ」
「それは、嫉妬でおっしゃっているのではなくて?」
口調は穏やかでも、言葉の端に棘が混じる。周囲の空気が凍りかけている。
私は、机の上の教科書に集中するふりをして、全力で空気になることを選んだ。
関わりません。絶対に。
あの三角関係、乙女ゲームでも見たことあるやつです。私はモブです、そういうイベントの対象ではないのです。
ところが——
「……クラリス嬢は、どう思う?」
……へ?
顔を上げると、王子殿下の涼やかな瞳が、まっすぐにこちらを向いていた。
なんでですの?なぜに善良な一般モブを巻き込む。
「失礼ながら、王子殿下。……何の話か、まったく聞いておりませんので、お答え致しかねます」
私は静かに、けれど一切の迷いなくそう答えた。
周囲の空気が一瞬、しんと凍った。
「……」
「……」
王子は、唖然とした表情を浮かべていた。男爵令嬢は、ぽかんとしている。公爵令嬢は——なんだか、目を細めてこちらを見ていた。
私は、教科書をめくる手を止めずに、ゆっくりと言葉を継いだ。
「このようなお話は、当事者間で解決されるべきかと存じます。それをクラスの皆様の前で広げてしまうのは……あまり、よろしくないのではありませんこと?」
声はあくまでも優しく、口調も丁寧に。けれど、その裏にはほんの少しの“塩”を混ぜておく。
これ以上、他人を巻き込まないでくださいという、やんわりとした“拒絶”。
「……それに、私は一般的な学生でございますので。お騒がせには巻き込まれたくないのです」
またもや、空気が凍る。
だが、それは不快なものではなく——どこか、圧倒されたような静けさだった。
「……そう、よね。ごめんなさい、クラリス嬢」
先に口を開いたのは、公爵令嬢フィオナだった。彼女の目には、先ほどの険しさはなかった。
男爵令嬢は、軽く口を噤み、それから俯いた。王子は……どうやら未だに固まっている。
(すみませんね、殿下。こちら、推しで頭がいっぱいで、他所の恋愛騒動に構っていられないのです)
そんな内心の毒を抱えながら、私はまた静かに教科書へ視線を戻した。
なんだか、またクラスでの評価が上がったような気配がする。けれどそれは、私が望んだものではない。
ただ、静かに。
ただ、目立たず。
そして、ただ——団長に嫌われていないか、そればかりを考えている日々なのです。