第五十話 星の下、誇りを纏って
柔らかな灯が揺れる夜の大広間。その中心に、クラリスは立っていた。
結婚後、初めての夜会――。
正式な社交場への登場は、学園入学前に行われたデビュタント以来。あのときは緊張のあまり、何を話したかも誰がいたのかも、ほとんど記憶に残っていない。
だが今夜は違う。自らの意志で立ち、自らの言葉を選ぶ、そういう“覚悟”をまとっていた。
薄金の髪は緩やかなウェーブにまとめられ、星屑のような銀糸が縫い込まれた深い藍のドレスが、彼女の静かな気品を引き立てる。
瞳には揺るぎない光――過去を受け入れ、今を生きる者の強さが宿っていた。
宙を舞うような音楽が流れ、会場には貴族たちの談笑が広がる。そんななか、クラリスは久しぶりにライナルトの家族、イザークの息子ルカや、マティアたちの姿を見つけ、自然と笑みを浮かべた。
「まあ、クラリス様。以前よりも、ぐっと大人びられて……」
マティアが優雅に歩み寄り、両手を取って再会を喜んでくれる。その姿にほっと胸をなでおろしたのも束の間だった。
少し離れた場所で、冷ややかな視線が彼女を射抜く。
「あなたが……今の奥様?」
声をかけてきたのは、イザークのかつての妻レイリア。氷のように冷たい微笑を浮かべ、その目には明らかな悪意が宿っていた。
「彼、昔からそう。冷たくて無表情で、まるで機械と結婚したみたいだったわ。まさか、そんな二回りも年上の男と喜んで添い遂げる女性が現れるなんてね。……まぁ、若いのに同情はするわ」
クラリスはほんの少しだけ首を傾けてから、やんわりと微笑んだ。だが、その眼差しはまっすぐに、どこまでも澄んでいた。
「そうですね。確かに、イザーク様は感情を表に出す方ではありません。でも、あの方は誰よりも誠実で、誰よりも他人の痛みに敏い方です。私はその“静けさ”のなかにある優しさを、心から愛していまおりますの」
その言葉に、一瞬だけ空気が凍った。
だがクラリスは怯むことなく、にこやかに続ける。
「それに……彼が見せる、たった一言の“好き”の重さを、あなたはご存じなくてよ。その言葉はそう軽々しく扱えるものではありませんから」
表面上は笑っていた前妻の唇が、不自然にひきつった。
だがクラリスはもう、彼女の方など見ていなかった。向けるべき視線は他にある。
視線の先には、やや離れた場所で控えていたライナルトの姿。厳格で寡黙な彼は、騎士団長らしく場に馴染まず、貴族たちから少し浮いて見える。
案の定、背後では何人かのご婦人方がひそひそと囁いているのが聞こえた。
「ちょっと、あの方……無愛想で怖い顔ねぇ」「騎士って、やっぱり野蛮なのかしら」
クラリスは苦笑をこぼしながら、その一群に歩み寄ると、優雅にカップを手にした。
「怖い顔? あら、そう見える方もいるかもしれませんね。でも私にとっては、とても頼もしくて、誠実で……それに、小さな子さまたちにも動物にも優しい、素敵な方ですよ」
驚いた顔が並ぶ中、クラリスはにこやかに続けた。
「不器用でぶっきらぼうだけれど、愛する者を命をかけて守る。そんな彼を、私は尊敬し愛してますの」
会話の輪にいた誰もが言葉を失い、それぞれ気まずそうに視線をそらした。
だがクラリスの表情はどこまでも穏やかで、心からの“誇り”がその姿勢ににじんでいた。
彼女にとって、イザークもライナルトも、決して“誤解され侮られる存在”ではなかった。彼らがどれだけ不器用で、感情を言葉にするのが下手であっても――その眼差しや背中から滲む“想い”を、誰よりも理解している自信があった。
そして――。
低く威厳ある声が、静かに場の空気を変えた。
「ふむ、まるで今宵の星よりも眩しいな、クラリス・エルバーデ」
その場の誰もが一斉に振り向く。
王――アレクサンダー陛下の登場だった。人々が慌てて礼を取る中、クラリスだけはほんの一瞬、何かを覚悟するように背筋を伸ばした。
夜会の喧騒は続いていた。だがその中心で、ひときわ静かに輝くひとりの女性の姿があった。
――誇りと信念を、品とともに纏ったクラリスは、誰よりも“美しい”と呼ぶにふさわしかった。




