第四十七話 沈黙の先に残したもの
朝靄が王都を包み込む中、王城の中庭では、使節団の馬車が静かに並んでいた。
マーレン国とサダール国――それぞれの国旗を掲げた豪奢な馬車は、異国の重厚さと誇りを湛えながらも、どこか落ち着いた静けさを纏っていた。
この二週間、王国が迎えたふたつの国は、文化交流と名を借りた綿密な外交戦を繰り広げてきた。
その中心に立たされ続けたのは、クラリス・セラフィナ女伯爵――
若き魔導士であり、政務官であり、王命によって名を与えられた“動かぬ駒”。
けれど彼女はただ守られていたわけではない。
誰よりも冷静に全体を見渡し、あくまで“穏やかに”、しかし“決定的に”両国の欲望に終止符を打った。
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クラリスはその朝、王城の石廊をゆっくりと歩いていた。
包帯はもう外されていたが、腕には薄い痕が残っている。けれど、その一歩には揺らぎがなかった。
出立の挨拶の場に現れた彼女を見て、使節団の誰もが一瞬、息を呑んだ。
完璧に整えられた服装、穏やかな微笑――だがその奥には、まるでひとつの戦場を駆け抜けた兵士のような静けさと誇りがあった。
最初にクラリスへ歩み寄ったのは、マーレン国代表フィルデン・アルマード。
「……今回の滞在、大変勉強になった。君のような存在を、王国がいかに大切にしているかも、理解できたつもりだ」
その声には、敗北の悔しさではなく、戦術の妙に気づいた者が発する静かな敬意があった。
「お言葉、恐れ入ります。ですが、王国にとってわたくしは“資産”ではなく、“責任”です。守られることで価値を持つのではなく、守るべきものを持つ者として生きております」
一瞬、フィルデンの眉が動いた。
「……君自身が、“守られている”ふりをしながら、すべてを仕切っていたのだな」
「いえ。わたくしは、ただ“任されたこと”を果たしただけです」
そう微笑んで見せたその表情に、フィルデンはもう何も言わなかった。
代わりに、深く頭を下げる。軍人としての、確かな礼節だった。
次に進み出たのは、サダール国の女伯爵ナイラ・セリーヌ。
華やかな服装の裾を翻しながらも、いつになく真剣な眼差しでクラリスを見つめていた。
「あなたって、ほんとうに面白い人ね。あのとき怪我をしたあなたを見て……わたし、少し怖くなったの。
でも、気づいたの。“守られている”と思っていたその場所が、実はあなた自身が張った結界だったのだと」
クラリスは少しだけ目を伏せ、穏やかに言った。
「わたくしが動けば、交渉は止まりません。でも、動けない者に交渉はできない。だから、何も選ばず、選ばせず、ただ時を見送りました」
ナイラはしばらく沈黙したあと、最後にこう言った。
「……この国が、あなたを外に出したがらない理由が、少し分かった気がするわ。もしまたどこかで会えるなら、今度は“本当の友達”として、向き合ってみたい」
「その日が来るなら、わたくしも心から願います」
女同士の微笑みと視線が交差し、やがてゆっくりと別れが訪れた。
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使節団の馬車がひとつ、またひとつと王城の石畳を離れていく。
その背中を見送りながら、クラリスは決して安堵の息をつかなかった。
勝ったわけではない。ただ、“これ以上は追えない”と思わせただけ。
時間を削り、空気を固め、沈黙を武器にして封じた。
それが彼女にできる、最も穏やかで、最も強かなる“拒絶”だった。
「クラリス」
後ろから声がして振り返ると、イザークとライナルトが並んで立っていた。
その眼差しは、すべてを見抜いていた。
「……読んでた?」
「読んでた。だが、あえて止めなかった」
「策が分かった時点で、すでに始まっていたからな」
ライナルトがそう言って、クラリスの手をそっと取った。
「でも、もう終わったのよ。これで、しばらくは静かになる」
「……ほんとうに、すごいな。誰にも剣を向けず、傷を広げず、終わらせてみせた」
イザークのその声に、クラリスは少しだけ肩の力を抜き、小さく呟いた。
「わたしが血を流せば、誰もそこに触れられなくなる。……それだけ」
その言葉の意味を、ふたりは深く理解していた。
傷は偶然ではない。戦いも、言葉も使わずに、最も効果的に国を守るための手段だった。
その背に、王国の旗が揺れていた。
静かに、しかし誇らしく。
クラリス・セラフィナ女伯爵。
彼女は、この国のために、自らを“動かぬ石”として立たせた。
誰にも動かせない。誰も踏み越えられない。
だからこそ、彼女は国にとって、ただの人材ではなく、“境界”となったのだった。




