第四十五話 静かなる応酬と、国の矜持
外交とは、声を張るものではない。
特に相手が言葉を尽くして近づいてくるときほど、その裏にある真意を見極めなければならない。
その日は、そんな言葉の重みを王城の誰もがひしひしと感じていた。
朝の謁見の間には、王・アレクサンダーが静かに腰掛けていた。
表情は穏やかだったが、その眼差しはまるで抜き身の刃のように研ぎ澄まされていた。
宰相マークレンが進言を終えると、王は一枚の書簡を指で弾いた。
「随分と回りくどい言い方をしているが――要は“我が国の宝を少しだけ貸してくれ”ということだな」
側近たちが一斉にうなずく。
使節団からの申し入れは、表向きは文化交流や行政協力だったが、その核心にあるのはクラリスの存在そのものだ。
彼女を一時的にでも自国に引き寄せたい。そうすることで“関係”を作り、やがて“干渉”へと進めていく――
それは、外交の常套手段だった。
「返答は?」
「すでに起草済みです。両国には、同時に返答をお届けする予定です」
マークレンが手元の文書に目を落としながら、王に確認を求める。
アレクサンダーはゆっくりと頷いた。
「よかろう。返答は簡潔に、だが明確に――
『エルデバーデ王国は、貴国の誠意を尊重し、今後の協力を視野に入れた対応を前向きに検討する。
ただし、セラフィナ女伯爵は王国における特別職であり、国外派遣は現時点では認められない。代替案として、国内の限定視察および共同研究の機会を設ける』
……これでよい」
「承知しました。外交的にはやんわりと拒絶、同時に“譲歩”のように見せかけて、実は王国から一歩も出さない、という構図です」
「誤解を恐れずに言えば、“クラリスは借り物ではない”と示すことが大事なのだ」
クラリスはその会話を聞きながら、改めて王という存在の冷静さと狡猾さを思い知っていた。
――だが、彼女には彼女の戦場がある。
書面上の応対と並行して、クラリス自身も各国の代表者たちと非公式に言葉を交わす機会が増えていた。
それはまさに、“沈黙の外交”だった。
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ある日の午後、クラリスは王城内の回廊でナイラ・セリーヌと再会する。
「セラフィナ女伯爵、今日もお美しいこと。……でも、忙しすぎやしない?」
「お互いさまではありませんか? どちらの国も、この国をじっくり観察されているご様子です」
ふふ、とナイラが笑う。
「観察だけじゃないわ。興味があるのよ。あなたのことに」
その声には、挑発のような柔らかさがあった。
「わたくしは王国の一部にすぎません。個として動くことは許されておりませんの」
「……でも、もし王命がなかったら? あなたの意志だけで選べるなら?」
「それでも、選ばないと思います。わたくしには、この国を守りたい理由があるから」
その“理由”の意味を、ナイラは察したのだろう。わずかに目を細める。
「……ふうん。なかなか落ちないわけだ。なら、少し遠回りしてでも“繋がる方法”を探すしかないわね」
その言葉は、敗北ではなく“新たな興味”の芽生えだった。
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また別の日、クラリスはマーレン国のフィルデン・アルマードから個別の謁見の申し出を受けた。
「今日の君は、政治家の顔をしているな」
「たぶん、それは貴方が“軍人の顔”で話をされているからでしょう」
「……率直に話す。私たちは、自国の防衛のために“連携”が欲しい。兵を癒やす術でなくても構わない。君が“敵ではない”と証明されることが大事なんだ」
「理解はできます。けれど、それを“個人”に求められては困ります。わたくしは“国家機構”です。どこかに属することも、特定の誰かと近しくなることもできません」
フィルデンはしばらく黙った後、うっすらと笑った。
「……陛下が“ただの娘”を国の機構に仕立て上げた理由が、ようやくわかった気がするよ」
「お褒めいただき、光栄です」
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数日後――王国は両国への返書を正式に提出した。
その内容は、「譲歩」のようでいて、核心部分は一歩も動かしていなかった。
セラフィナ女伯爵は国外に出ない。だが、見学も視察も歓迎する。
その舞台は、あくまで王城内、もしくは管理下にある施設のみ。
条件は明確で、国の誇りを崩さず、しかも相手の顔も潰さない。
王の判断は冷静だった。そして、クラリスの戦略は見事だった。
外交という名の綱引きにおいて、クラリスはまだ若かった。
だが、だからこそ、柔軟に、しなやかに、しかし芯を折らずに立っていた。
そして、その背にはいつも――
イザークとライナルトという、揺るがぬ盾がいた。




