第四十四話 決断と布石のとき
朝の王城は、いつにも増して張り詰めた空気に包まれていた。
それは、サダールとマーレン――二国の使節団から寄せられた“提案”が、ついに王の手元に正式に届いたからだった。
いずれも、言葉こそ礼節を尽くしていたが、内実は明らかに“戦略的な揺さぶり”だった。
クラリスという存在をどうにかして自国に引き寄せたい――その欲望を、政治と外交の言葉で上塗りしたものに過ぎない。
謁見の間では、王・アレクサンダーが無言のまま、書簡を一通ずつ読み進めていた。
その視線は鋭く、だがどこか楽しんでいるような色も帯びていた。まるで、綿密に仕組まれた盤面を見下ろす将棋指しのような眼差しで。
やがて、最後の書簡を机に戻すと、ゆっくりと指を組み、言った。
「……どちらも、表現は違えど“クラリスを動かせ”という提案だな。外から見れば、女伯爵一人に過ぎん。だが、彼らは理解している。あの力、あの存在が……“戦略”であることを」
宰相マークレンが、わずかに顎を引いた。
「陛下、対応は如何にいたしましょう?」
「王としての判断は一つだ。……“ノー”だ。だが、“ただ拒む”のは愚か者のすること。こちらも、“差し出さずして揺るがぬ布石”を打つ必要がある」
そう言って王は、クラリスの方へ視線を向けた。
クラリスは、凛とした面持ちで一歩前へ進み、軽く一礼をした。
「陛下。ご命令をいただく前に、ひとつ――わたくしの考えを述べさせていただいてもよろしいでしょうか」
「許す。言ってみよ、クラリス・セラフィナ」
彼女は深く息を吸ってから、堂々と声を張った。
「マーレンは“力”に、サダールは“魅力”に訴えてまいりました。前者は治癒魔法による継戦力の増加、後者は人材交流と名を変えた囲い込み。どちらも、わたくし個人の自由を制限する懸念がございます」
「当然だな。そこまで分かっているなら?」
「はい。よって、わたくしは“新たな外交方針”をご提案いたします」
王が眉をわずかに動かした。
「聞こう」
「――“治癒魔法の国際的運用”について、王国主導の枠組みを設けてはいかがでしょうか。内容は、王直属の監督下における“視察対応型限定治癒行為”。
わたくしは直接各国へは赴かず、外交特区または城内施設において“指導・協力”という形を取ります」
「つまり、“国外に出ずして応じる姿勢”を見せる……か」
「はい。王国の威信を保ちつつ、あくまで“善意の範囲”で他国と関係を築くことが可能となります。
また、マーレンのような軍事応用に関しては明確に“応じかねる”とする一方、サダールのような民間協力については“学術的交流”という名目で受け入れれば、バランスが取れます」
マークレンが、書簡に目を通しながらつぶやいた。
「……封じて見せ、差し出さずして恩を売る。よく考えられている」
王はふっと息を吐いて、笑った。
「さすがだな……。クラリスのような才を、王家の一員として迎えなかったのは悔やまれる。まるで、宝を見逃していたようだ」
「光栄に存じます」
「では、この案に基づいて進めよ。ただし“正式な制度化”には宰相府と相談の上で進めよ。くれぐれも、勝手な拡大は許さんぞ」
「かしこまりました」
謁見を終えたクラリスは、そのまま執務室へ戻ると、イザークとライナルトが待っていた。
「決まったのか」
「ええ。“わたしは動かずに要求に応じる”という方向で。……どこにも連れて行かれずに済みました」
そう言うと、ライナルトが静かに息を吐いた。
「……無理をしていないか」
「してるわ。でも、それも含めて選んだの。わたしの役目は、“誰かに護られること”じゃなくて、“わたし自身もこの国を守ること”だと思ったの」
イザークは無言で歩み寄り、クラリスの手をそっと取った。
「お前がそう決めたのなら、俺たちはそれを支えるだけだ」
「ありがとう。でも……わたし、ちょっと泣きそうよ。ふたりがいると思えるから、ここまで頑張れたのよ」
三人の視線が交差する。
小さな空間に、確かな誓いのような静けさが満ちていた。
王が布石を打ち、クラリスが応じ、均衡は保たれた。
だが、これで終わりではない。
水面下の駆け引きは、むしろこれからが本番なのだ――。




