第四十三話 サダール国とマーレン国の真の狙い
水面下の取引と、揺らぐ均衡
晩餐会が終わり、翌朝の王城は一転して静まり返っていた。だが、それは“何も起きていない”静けさではない。
表向きの歓待が済んだ今、次に来るのは――本音のぶつかり合いだった。
クラリスは朝一番で王城の政務室に入った。机には、各国使節団から届いた非公開の書簡が積まれている。そのうち二通には、王命により“内容確認”の許可が下りていた。
ひとつは、マーレン国。
もうひとつは、サダール国。
手袋をした指で封を切ると、冷ややかな紙の匂いが広がった。
まずは、マーレン国――
内容は一見、友好を深めるための文化交流、物資協定の拡大に関する申し入れだった。だが、添えられた非公式覚書には、次のような文言があった。
> 「現在、我が国では複数の国境警備隊が慢性的な負傷人員不足に悩まされており、医療魔法の支援について検討を進めている。
エルデバーデ王国の“王直属魔法管理部”にて治癒魔法を一定範囲で活用可能であれば、当国としては農業物資の輸入枠を大幅に拡大し、軍事的緊張の緩和も図る用意がある」
つまり――
“完全回復”という言葉こそなかったが、彼らはすでにクラリスの治癒魔法の特異性に気づいている。
名指しこそされていないが、「管理部」=セラフィナ女伯爵であることは暗黙の了解だろう。
要塞国家であるマーレンが、エルデバーデに軍事協力の名目で接近してくることは、“力を得たい”という欲望の現れだった。自国の兵を治癒できる者を持てば、継戦力を圧倒的に高められる――それは戦略資源と同義である。
続いて、サダール国。
こちらは柔らかい表現が多く、文章もどこか洒脱だった。
書簡の主は、昨夜の晩餐会でクラリスに軽やかな言葉を向けてきたナイラ伯爵本人。内容はこうだ。
> 「今回の訪問は大変有意義であり、エルデバーデの誇る魔法技術と行政制度の融合に深い敬意を抱いております。
なお、わが国においては“海上交易管理術”の見直しを予定しており、セラフィナ家の“組織効率化”と“行政調整技術”の導入を検討しております。
王城より人材の出向あるいは常駐官の派遣を検討いただければ、双方にとって利のある協定締結が可能と確信しております」
要するに――
クラリスを**“交流官”としてサダールに常駐させたい**という希望だった。回復魔法ではなく、あくまで彼女の“行政スキル”と“象徴的存在”としての価値を見込んでの申し出に見せかけてはいるが、実際にはそれ以上の意図があることは明白だった。
サダールの思惑は、マーレンとは真逆だ。
**“力を持つ者を囲い込む”のではなく、“魅力的な相手を引き込み、自国を魅せ、繋ぎ止める”**という外交的誘惑――いわば“優しい征服”である。
クラリスは二通の書簡をそっと閉じ、長く息を吐いた。
「……どちらも、表面には出さないけれど、かなり核心に近づいてきてる」
完全回復という言葉がなくとも、その“片鱗”に気づいた者は、もう後戻りしない。
何より危険なのは、その力に対する“欲”が、外交という仮面の下でどれほど膨らんでいるかだ。
そのとき、ドアがノックされた。
「クラリス。入っていいか?」
イザークの声。
続いてライナルトも現れた。
「……ふたりとも、ちょうどよかった」
クラリスは、迷いのない眼差しで二人を見つめた。
「マーレンもサダールも、もう“真意”を見せてきたわ。言葉の形は違っても、目的は同じ――わたしの力よ」
沈黙が落ちた。
イザークはそっとクラリスの隣に座り、机の上の書簡に目を通した。
「……これは、遠回しに“身柄の要求”に近い」
「そうね。でも、わたしはどちらにも行かない。ここに残る。ふたりのそばにいて、この国を支える。それが、わたしの選んだ道」
そう言ったクラリスの言葉に、ライナルトが静かに頷いた。
「なら、俺たちの役目は一つだ。君を、誰にも奪わせない」
その言葉に、イザークも短く笑った。
「敵がどんな顔をして近づこうと、こちらには明確な意志がある。それは、国家以上の価値になる」
その日、クラリスの決意はさらに強まった。
もう、どんな甘い言葉にも、どんな外交辞令にも、揺らがない。
この国に生き、この国を守る――
彼女の力が“戦争”の引き金にならぬよう、そして“誰かの所有物”にならぬよう。
この先、どんな手段で迫られようと、クラリスは自分の意志を貫いていくつもりだった。




