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第三十七話 短い休暇と初出勤の朝

「……明日から、王城勤務なの」


夕食を終えたあと、少し落ち着いたタイミングでそう伝えた瞬間、イザークとライナルトはスプーンの手を止め、ふたりして言葉にできないような表情を浮かべた。


あの理知的で感情をあまり見せないイザークが、明らかに微妙に眉を寄せていたし、ライナルトに至っては、無言のまま椅子の背に体を預けて天井を見上げていた。


「……仕事があるのは分かってたけど、明日から、か」

「早すぎるとは思わんか? まだ、結婚したばかりだぞ」

「……まだ新婚二週間だぞ」

「せめて、あと三日くらい休んでもいいだろうに」


やれやれ、まるで新婚夫を“置いてきぼりにするな”と嘆く少年のような言い草だ。クラリスは苦笑しながらも、どこか嬉しかった。

自分が必要とされていること、それを臆面もなく表情に出してくれる彼らが、少しだけ可愛く思えた。


「分かってるわ。わたしも本音を言えば、もう少し一緒にいたかった。でもね、王命は王命。それに、宰相の命令を“もうちょっと待ってください”なんて言えるわけないでしょ?」


「……いや、それはその通りなんだが」


イザークは、まるで政務報告のミスを悔やむかのように、手元のカップを静かに見つめていた。


「ライくんも、そんな顔しないで」


クラリスが優しく手を添えると、ライナルトは一瞬驚いたような顔をして、それから大きな手でその手を包み込んだ。


「お前が王城で働くことに反対なわけじゃない。むしろ、誇らしく思ってる。でも……一緒に過ごす時間が減るのは、正直……寂しい」


それは不器用な男の、まっすぐな気持ちだった。


「大丈夫。朝も一緒に出勤して、夕方も一緒に帰るのよ。昼間離れるぐらい、どうってことないわ」


「一緒か。なら、まぁ、まだ納得できるな」


「ただし、昼休憩は絶対に確保しろ。お前が無理しないか、毎日見に行く」


「……ええ、お願いします」


言ってから、「ああ、前世のわたしだったらこういうやりとり、一生なかったんだろうな」と思った。誰かと日々を共にし、生活の中に“ふたり”ではなく“さんにん”の呼吸があること。

それを自然に愛おしく思える今の自分が、少し誇らしくもあった。


そんな会話を交わしながらも、ふとクラリスは昨日の王城での一幕を思い出していた。


アレクサンダー王から突如告げられたのは――

エルバーデ家でもローヴェンハーツ家でもバークレー家でもない、第三の家系の創設だった。


「今後、婚家のいずれかに偏ることのないように」との理由で、クラリスには新たに爵位が授けられた。

名は「セラフィナ女伯爵」。

魔力・血統・存在そのものが国家資産として扱われる彼女に対し、政治的にも中立的な立場を保障するための処置だった。


「セラフィナ家として独立し、血脈を繋いでいくこと」

「住まいは王城の別館を用意した」

「夫たちとの同居は認める」

「月末までに引っ越し準備を整えよ」


そう王に命じられ、クラリスは返事をする間もなく新たな人生設計を提示された。


宰相のマークレンも、詳細説明をすることなく、業務の概要と初日の出勤時間を告げただけだった。

“あなたの能力をどう使うかは、実際に見て判断する”――そんな無言の圧力を感じながら、退出を許された。


その一件を、イザークとライナルトにも夕食の席で改めて報告すると、ふたりはしばし沈黙した。


「……やはり、陛下は手が早い」

「王直属とはいえ、家まで設けられるとはな」


けれど、次の瞬間にはイザークがクラリスの手をとり、静かに言った。


「セラフィナ家に入るからといって、お前が“遠くなる”わけじゃない。名が増えようと、肩書きが変わろうと、クラリスはクラリスだ。……俺たちの妻であることに変わりはない」


「むしろ、お前の名前が“国家の一部”になったってことだ。誇っていい」


その言葉に、胸の奥がじんわりと温かくなる。

自分の存在が政治や制度の中に組み込まれていくことに、ほんの少しの不安を感じていたが、彼らの言葉がその不安をゆっくり溶かしていった。


「ありがとう。……セラフィナ女伯爵としても、あなたたちの妻としても、頑張ってみるわ」


そう微笑んだとき、イザークが冗談めかして言った。


「ただし、引っ越しの準備と荷造りは、俺たちが主導する。君は明日から仕事に集中してくれ」


「僕の部隊の整備兵たちに任せれば、棚ひとつ傷つかずに運べる。完璧にやってやる」


思わず吹き出してしまった。

きっとこの人たちは、どこまでも真面目で、どこまでも愛情深いのだ。


夜は、静かに更けていった。彼らは口には出さなかったが、眠る直前までクラリスを交互に腕に抱き寄せて、まるでこのぬくもりを忘れないように刻み込んでいるようだった。

---


翌朝。目覚めの時も、どこか昨日までとは違った空気があった。朝食のあとは、皆で身支度。「はい、これで完成ですわ」クラリスは姿見の前で、自分の上着の裾を軽く直しながら、軽やかに微笑んだ。動きやすさを重視した王城用の勤務服。色味は落ち着いたオイスターグレーで、胸元には“セラフィナ女伯爵”の紋章がひときわ輝いていた。


一見して上品で実用的、しかし決して地味ではない絶妙なデザイン。それもそのはず――この制服は、クラリスが試験勉強の合間にこっそりスケッチして、仕立て屋にオーダーした“自作デザイン”だった。


「リズ………似合ってる」


「イーくん、その表情は反則です」


イザークは眼鏡越しにこちらを見つめ、軽く喉を鳴らすように笑った。

ライナルトも、背後からそっとクラリスのコートを肩に掛けながら、ぼそりと呟いた。


「勤務初日だ。送っていくぞ。……気が気じゃない」


まるで娘の初登校日を見送る父親のような表情に、クラリスはくすりと笑った。

「……やっぱり似合うな、クラリスは」


イザークがぼそりと呟き、ライナルトも静かにうなずいた。


「お前が城を歩く姿を、部下が見たらたぶん噂になるぞ」


「いいの。どうせ、噂されるくらいがちょうどいいのよ。『王命で選ばれた女』なんて見られ方するよりは、ちょっと変わった妻くらいに思われた方が気が楽だわ」


そう笑うと、二人の視線が少し柔らいだ。馬車の時間が迫り、玄関先へ向かうと、待機していた執事モーリスが馬車の扉を開けていた。


「それでは、皆さま……行ってらっしゃいませ」


「……行ってきます」


振り返って家を見つめると、ふと胸が温かくなる。この日々が、特別なものになる――そんな予感があった。


王城へと向かう馬車の中、三人は互いに言葉少なに、それでも穏やかな表情で未来を見つめていた。

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