第二話 目立たぬつもりが、どうしてこうなったのでしょうか
学園生活は思いのほか、静かで平和だった。朝の登校、授業、昼休みのお茶、そして午後の魔法演習。どれもが想像以上に穏やかで、何より誰かが「私がヒロインよ!」と叫び出すこともなければ、「この婚約は破棄する!」なんて熱のこもったセリフも飛び交わない。
よしよし、このまま波風立てずに、モブとしてのんびり学園生活を——。
などと油断していた日の午後のこと。
「それでは各自、基本魔法の演習に入りましょう。属性ごとに前へ出てください」
魔法授業の教官が、ざらついた声で告げる。私の魔法属性は水と、ほんの少し光。前世ではまるっきり無縁だった概念だけれど、魔力診断でそう出たのだから受け入れるしかない。
今日の演習は“基本詠唱による魔力の安定化”という内容で、魔法を外へ漏らさずに形にする訓練らしい。
次々と前に出て魔法を放つクラスメートたちの姿を見ながら、私はふと空を見上げる。白く広がる雲がゆっくりと流れ、春の光が降り注いでいる。
いいわね……こういうの。前世では味わえなかった時間。
「次、王子殿下」
「承知した」
堂々とした足取りで進み出たのは、あの第二王子——ユリウス・アルフォンス・レイガルド殿下。いかにも王子らしい、美しい金髪と自信に満ちた瞳が印象的だ。
彼が構えると、空気がぱちぱちと弾けるように揺れた。火属性。しかもかなり強い。
「《炎よ、輪となりて舞え》!」
詠唱と同時に、王子の手元から勢いよく火球が放たれた……までは良かったのだが。
——それは少し、斜めに飛んだ。
「えっ……!」
火球が直撃する先にいたのは、セリーヌ嬢。私の隣の席で、優しく微笑んでくれるお友達。
一瞬、空気が凍りついた。
私の中で、何かが切り替わる音がした。
考えるより先に、体が動いていた。
「……っ!」
咄嗟に手を掲げ、口にしたのは聞き覚えもない言葉。意識したのは“冷たくて、守るもの”。それだけ。
次の瞬間、青白い光と共に冷気が走った。空気が瞬時に凝固し、火球の進路を覆うように氷の壁が生まれた。火は壁に触れた途端、じゅう、と音を立てて消えた。
残されたのは、薄い霧と、ざわつく教室。
「い、今のは……!」
「氷属性……?」
「そんな、氷なんて、クラリス様は……」
魔法教師が私を見つめたまま動かない。
「クラリス・フォン・エルバーデ。失礼だが、演習後、職員室へ来てもらえるか?」
……はい、これはもう、完全にアウトなやつ。
*
「属性の再検査を行う」
教師の言葉に従い、私は別室で再び魔力診断を受けた。水晶のような球体に手をかざし、魔力を流す。
水。光。風。火。土。闇——そして、全ての属性に球体が反応した。
「……全属性適性。これは……非常に珍しい」
「いえ、その……たまたま、ですわ。火球が危なそうだったので、思わず」
「それが“たまたま”で済まされる力ではないのだよ、エルバーデ嬢」
なんとまあ。私はただ、お友達を守りたかっただけなのに。
「……後日、魔法師団長との面談をお願いすることになるだろう。詳細はまた追って伝える」
はいはい、モブ終了のお知らせってやつですね。
*
教室に戻ると、私がドアを開けるより早く、クラス中の視線が集まった。
「あ……クラリス様!」
「ご無事でよかったです! さっきの……本当にすごかったですわ!」
「火球、あれ当たっていたら……」
「セリーヌ様がご無事なのは、クラリス様のおかげですよ!」
あぁ、どうしましょう。これはもう完全に“注目されているヒロインポジション”の扱いじゃないの。
「皆さま、ご心配おかけしました。わたくし、とても怖かったですけれど……でも、咄嗟に体が動いてしまって……。それより、セリーヌ様が無事で何よりでしたわ」
真心を込めた(ように見える)微笑みと、優しげな声を忘れずに。
そう、これ以上敵は作りたくない。好感度はほどほどで十分なのだ……お願い、これ以上上がらないで。
「お優しい……!」
「やっぱりクラリス様って、憧れですわ!」
あっちでもこっちでも、キラキラした視線。なんなの、乙女ゲームのシナリオでも始まってるの? ヒロインじゃないんだから私。
それにしても、“魔法師団長との面談”って、まさか……おじ様だったりしないわよね?
いや、だったら嬉しいんだけど……でもやっぱり、モブでいたいのよ私……!
心の中で思いきり頭を抱えながら、私は今日も優雅に微笑んでいた。