第二十一話 恋心の輪郭
夕暮れが差し掛かる頃になっても、イザーク団長はクラリスを抱きしめたまま微動だにしなかった。心配した御者が迎えに現れたことで、ようやくその腕の中から解放されたが、団長の表情は「まだ離したくない」と言わんばかりの寂しさに満ちていた。
「とりあえず、帰りますね」
そう言っても、団長はただ黙って首を振るばかり。説得に入ったロイド副団長が、呆れたように肩を竦めつつ、強引に引き剥がしてくれたおかげで、どうにか馬車に乗り込むことができた。
御者には「見たことは忘れてくださいね」と軽く微笑んで口止めし、何事もなかったかのように屋敷へと戻ったが、夕食の席についた途端、家族からは案の定、心配の眼差しが注がれた。
「訓練が少し長引いてしまって…」
と、事実の範囲でごまかしてみたものの、レオナルド兄さまの鋭い目は誤魔化せなかった。
食後、自室に戻ったところで、案の定、兄が突撃してきた。
「さて、訓練が伸びた、ね。で、本当は?」
観念して、前世のことをイザーク団長に話した件や、騎士団の補助治癒士として研修に通うこと、さらには今日の訓練での出来事まで、正直に話した。
「団長が…離してくれなくて」
兄さまはしばらく唖然としていたが、やがてニヤニヤと意地悪な笑みを浮かべた。
「お前、ついに枯れ専冥利に尽きたな」
「そうかもしれないけど…でも、これが推しへの愛なのか、恋なのか、それが分からなくて」
「だったら、ちゃんと向き合って答えを探せ。想いの深さは、時間が教えてくれる」
頭をポンポンと軽く叩かれ、兄はそれだけ言って部屋を後にした。
翌日、学園では特に変わったこともなく、授業は静かに終わった。だが、帰り際に教師から「魔法師団に寄ってほしい」と伝言を受けた。心当たりはあった。まさかまた団長に…と思いつつ、足を運んだ魔法師団では、すぐに厩舎へと案内された。
「ホワイトグリフォンが食欲を失っている」との報告に、クラリスは思わず駆け寄った。だが、姿を見せた途端、グリフォンは嬉しそうに尾羽を揺らし、羽をふるわせた。まるで昨日までの不調が嘘だったように、懐いてくる。
「心配させないでよ、ポンちゃん…」
優しく撫でながら、少しずつ餌を与えていく。撫でるごとに目を細めて、鼻先をすり寄せてくる様子は、かつての愛犬の姿そのままだった。
「また時間ができたら会いに来るからね」
そう約束して厩舎を離れると、世話係の団員が礼を述べ、団長室に呼ばれていることを告げられた。
案内されて扉を開けた瞬間、まるで待ち構えていたかのようにイザーク団長が立ち上がり、再びクラリスを抱き締めた。奥の席にはロイド副団長が居たが、彼はただ苦笑を浮かべるのみ。
そのままソファへと導かれ、並んで腰かけると、団長はまたしても横から離れようとしなかった。無言でクラリスの肩に腕を回し、頬を寄せるその姿は、まるで少年のようだった。
ロイド副団長がぽつりと囁く。
「今の団長は、自分でも初めての感情に戸惑っていて、どう接すればいいか分からないんです。どうか、落ち着くまで支えてやってください」
(とはいえ…このまま家に帰らないと、また家族に心配かける…)
そう思って提案を口にした。
「イザーク団長」
「…なんだ」
「わたくしからの提案です。このまま曖昧な気持ちのままだと、日常にも差し支えます。ですので――お試しという形で、恋人同士になりませんか?」
「恋人になる」
即答だった。早すぎて驚いた。
「では、今日から恋人ということで。…帰りますね?」
「なんで帰る」
「恋人になったからって、連日帰りが遅ければ家族に、心配されてしまいます。明日は騎士団に向かうので、明後日またお会いしましょう」
「俺も騎士団に行く」
ロイド副団長が頷いたため、明日は一緒に騎士団へ行くことが決まった。
「それでは、明日お迎えをお願いしますね」
そう言っても、やはりイザーク団長は名残惜しそうだった。そこで、そっと彼の額に唇を寄せた。
「……っ」
驚いたように抱擁が緩んだ隙に、そっと身を引き、淑やかにカーテシーをして退出した。
屋敷へ帰り着いた時、既に空には星が瞬いていた。だが、心の中には確かな光が灯っていた。
それは、まだ名も知らぬ、恋という感情の光かもしれない――。




