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第十九話 雨音の向こうに浮かぶ微笑み

朝から窓を叩くように雨が降っていた。灰色の雲に覆われた空は、まるで今のクラリスの心模様のようで、どうにも晴れやかにならない。

気がつけば、長いため息がひとつこぼれていた。だが、それをかき消すように軽く頬を叩き、机に向き直る。


「気を抜いてはいけませんわ、今日の授業はこの二科目で終わりですもの」


心の中でそっと自分を叱咤して、教科書に目を落とした。今日がこの授業が終われば、午後は孤児院への慰問が待っている。だからこそ、気持ちを切り替えて、しっかりやり遂げなければと自分に言い聞かせる。


教室の空気はどこか静まり返っていた。あの喧騒を巻き起こしていた“自称ヒロイン”ことミレーヌ・ハートリー男爵令嬢の姿は、もうそこにはない。

彼女は、学園内で逆ハーレムを築こうとあちらこちらの令息たちに声をかけてまわり、結果として複数の婚約破棄を引き起こした。

当然、関係各所からの抗議が殺到し、彼女の実家にも厳しい声が届けられたのだという。

名門同士の婚約関係は幼い頃からの契約に基づくもの。破綻すれば、名誉だけでなく商業的損失も大きい。

──だからこそ、原因は早々に排除された。

そう、彼女は突然の退学処分を受け、そのまま地方の商家へと嫁がされることになったらしい。


「婚約者がいないのは、父と母のおかげですね……」


誰に語るでもなく、小さくつぶやいた。

両親は、クラリスが心から好きになった相手と結ばれてほしいと、そう願ってくれている。それが今、どれほどありがたいことか、ようやく実感として理解できるようになってきた。


二科目の授業を終えた頃には、雨も止み始めていた。

帰り支度をしていると、数人のクラスメートが声をかけてくる。


「王都に最近できたスイーツのお店、すっごく美味しいらしいの。ご一緒しません?」


甘く心惹かれる誘いだったけれど、今日は予定がある。

クラリスは、申し訳なさそうに微笑みながら首を振った。


「お気持ち嬉しいです。でも本日は、孤児院へ慰問に伺う予定がございますの。また今度、ぜひ誘ってくださいませ」


そう言えば、彼女たちは少し残念そうな顔をしながらも、「今度は絶対一緒に行きましょうね!」と手を振ってくれた。

クラリスも小さく手を振り返しながら、伯爵家の馬車へと向かった。


一度自宅へ戻り、外出用のワンピースへと着替える。今日は動きやすさ重視のため、髪もすっきりとポニーテールに。

そしてお土産の焼き菓子や果物を用意し、再び馬車に乗り込んだ。


馬車が揺れながら王都の街を抜けていく。降っていた雨は完全に止み、雲の切れ間からは優しい陽射しが顔を覗かせていた。


孤児院の門が見えたその瞬間、クラリスの心臓が跳ねた。

──騎士団の紋章を掲げた馬車と、複数の騎士の姿。何事か?


慌てて馬車を降りると、そこには見慣れた背中があった。


「団長……!」


駆け寄りながら思わず声を上げると、ライナルト・バークレー団長は振り返って微笑んだ。


「どうした、そんなに慌てて」


「何か事件でもあったのかと……今日は孤児院に慰問に伺う予定で……」


「なんだ、偶然だな。こちらも同じく慰問に来たところだった。どうやら、今日は偶然が重なったらしい」


ほっと胸を撫で下ろすと同時に、自分の服装が普段とは異なることに気づき、頬が熱くなった。

すると、そんな様子に気づいた団長が、珍しく照れたように口を開いた。


「……今日の装い、君によく似合っていると思う。普段の制服姿とはまた違って……その、らしくて、いい」


小さな声だったけれど、その一言にクラリスの胸がほんのり熱を帯びた。


「ありがとうございます。……お恥ずかしい限りですが」


ふたりで孤児院の中に入ると、子供たちは見慣れぬ大柄な騎士たちに、やや身をすくめていた。

特に団長の存在感は圧倒的で、子どもたちの視線が怯えを含んでいた。


「やっぱり、怖がられるな……少し外に出ておこう」


そう言って外へ出ようとする団長の腕を、クラリスがそっと引き留めた。


「待ってください。皆~、クラリス姉さんよ~! 今日はライナルトお兄さんも一緒よ! ちょっと怖そうに見えるかもしれないけど、本当は優しくて、とっても素敵なお兄さんなのよ。一緒に遊びましょ?」


ぱっと子供たちの表情が明るくなる。


「クラリス姉さんがそう言うなら、きっと本当に優しい人だよ!」

「うん、なかよくする~!」


子どもたちの声が次第に弾み、団長の周囲にも笑顔が増えていった。

そのあとは、鬼ごっこに絵本の読み聞かせ、自由なお絵描きタイムと、笑い声に包まれた穏やかな時間が流れていった。


夕暮れ時、帰る頃には名残惜しそうに子どもたちが涙をこぼす姿もあった。


「また来週もクラリス姉さんが来るから、泣かずに待っててね」


そう声をかけながら、団長もやさしく男の子の頭を撫でて微笑んだ。


馬車に乗り込むと、ライナルト団長がふとつぶやいた。


「ありがとう、クラリス嬢。子どもたちの笑顔を引き出せたのは君のおかげだ。いつも助けてもらってばかりだな」


その言葉にクラリスは柔らかく微笑んだ。


「わたくしこそ、団長様のはにかむお顔を拝見できて、嬉しゅうございました。今日は少し辛いこともありましたけど……子どもたちの笑顔と、団長様のその表情で、また明日から頑張れそうです」


「……また今週末、騎士団で」


「ええ、お会いしましょう」


別れ際、団長は立ち止まり、ふと遠くを見た。

離れたくないと思ったのは、いつ以来だろう。


年甲斐もなく、少女のような笑顔に心が揺れる。

彼女が傍にいると、世界の色が少しずつ変わっていく気がした。

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