第十八話 語られる秘密、崩れる心のバランス
魔法師団の団長室──
クラリスは、深く腰掛けたソファの端で、ぎゅっと膝の上で手を組んでいた。視線は正面のイザーク団長へと向いていたが、どこか遠くを見ているような目だった。
覚悟は決めた。だが、心のどこかでは「これを話したら、どうなるのか」という不安がくすぶっていた。
沈黙を破ったのは、クラリス自身だった。
「これからお話しすることは、私の家族にも話していない秘密です……。知っているのは、次男の兄──レオナルド兄さま、ただ一人です」
イザーク団長とロイド副団長の視線が揃ってクラリスに注がれる。
「私は、王立学園の門をくぐったあの日、前世の記憶を思い出しました」
声は静かだったが、はっきりと響いた。
「前の人生では、日本という国に生まれて、大学を出た後、いわゆる事務官……いえ、OLという職業に就いて働いていました。二十五歳、独身の普通の女性でした。自宅で亡くなったのか、事故だったのか……理由は分からないんです。ただ、目を覚ました時には、あの学園の入学式でした」
彼女の語る内容は、常識的には到底信じがたい話だった。けれども、イザークの眉間の皺は、不信というよりはむしろ、事実を受け止めようとする苦悩の色が強かった。
「ポンちゃんは……その前の人生で、私が実家で飼っていたラブラドール犬なんです。ホワイトグリフォンを見たとき、思わずその名前を口にしてしまいました。根拠はないのですが、目が、仕草が、あまりにも似ていて……」
しばらく沈黙があった。ロイド副団長が、ソファの背に深くもたれながら訊ねる。
「なるほど……それで、クラリス嬢。魔力の変化についても説明がつく。ただ……それでも不思議なのは、魔法の理解力です。前世の世界には、魔法があったのですか?」
「いえ……魔法はありませんでした。その代わりに“科学”というものがあって、たとえば空を飛ぶ機械や、たくさんの人を乗せて移動する乗り物──飛行機や車、新幹線と呼ばれるものがありました。あとは……写真や、動く映像を見るための“テレビ”も……」
「……ふむ。だが、科学の発展と魔法の理解は別の話だ。なぜ、魔法が存在しない世界にいて、それほどまでに魔法の仕組みを理解できるのだ?」
その言葉にクラリスは一瞬黙った。だが、すぐに小さく息を吸い、答えた。
「“漫画”や“アニメ”と呼ばれる文化があったんです。空想や架空の世界を舞台にした物語を、絵で、映像で描き出す──魔法のある世界も、その中にたくさん存在しました。だから私は、生まれてからずっと、そういった“異世界”に慣れ親しんできました。子どもの頃から、ずっと……」
「想像力、か」
イザークがぽつりと呟く。その目は、過去の何かを回想するように遠くを見ていた。
だが──
次の言葉が返ってこなかった。
沈黙が、妙に長く続く。
クラリスは、ぽつりと小さく笑った。
「……あれ? もしかして、ドン引きされてますか……?」
その場の空気が張り詰めたまま解けなかったことが、彼女の胸にじくじくとした痛みをもたらした。
せっかく、ここまで築いてきた関係を壊してしまったのかもしれない。
心が、音を立てて折れる感覚がした。
「……理解していただけなくても結構です。すみません、今日はもう疲れましたので、これで失礼します」
立ち上がるクラリスの動作は、ゆっくりとしていた。落ちた心を拾い上げる余裕はなかった。
部屋を出るとき、イザークもロイドも、声をかけてはこなかった。
魔法師団の建物を抜け、外に出ると、エステルハージ家の馬車がちょうど門前で待っていた。御者がクラリスを見つけ、そっと扉を開ける。
クラリスは、ゆっくりと馬車に乗り込むと、膝の上に手を重ね、遠ざかる魔法師団を見つめた。
「……ほんと、今日は厄日だわ」
ぽつりとこぼれたその言葉に、誰も答える者はいなかった。




