第十二話 騎士への感謝の気持ち
騎士団長の迎えの馬車に乗り込んだのは、朝の光がまだ柔らかく差し込む頃だった。両親と兄たちは玄関先で見送り、父は最後まで厳しい目を向けていたけれど、それは娘を案じてのものだったとわかっている。
クラリスは軽く一礼して扉を閉めると、少し張りつめた空気の中、そっと座席に腰を下ろした。
馬車は石畳を一定のリズムで揺らしながら進んでいく。
その静けさの中、騎士団長がぽつりと話を切り出した。
「……先月、魔獣の討伐に向かった際、十数名の騎士が負傷した。すでに回復し、現場復帰した者もいるが、残念ながら長期療養を要する者もいる。……中には、腕や脚を失った者も」
その声音には、ただの報告を超えた、深い悔しさと責任の重みがにじんでいた。
クラリスは、思わず指先に力を込めて、きゅっと手を握った。
「……治癒魔法で癒せるのは、あくまで“残っている部分”のみだ。失われた肢体は戻らない。しかも、身体が癒えても、心に残る痛みはそう簡単には癒えん……夢でうなされる者もいる」
「……」
「今日は、そこまでの無理を求めるつもりはない。訓練中にできた擦り傷や打撲など、本来なら薬草や軟膏で済ませるものを、君にお願いしたいのだ。もし、今後も無理のない範囲で来られるのであれば、我が医療班の負担も大きく軽減できる。医師や治癒士にも、休息を与えられるだろうから」
それは単なる人手不足の補填ではなく、彼なりの現場への思いやりであると、クラリスは察した。
「……承知いたしました。出来る限りのことをいたします」
そう静かに応じたところで、馬車は目指す場所に到着した。
騎士団本部の建物は、いかにも要塞めいた石造りで、門の先には規律正しく整備された広場が広がっていた。
降りたクラリスは、団長の手を借りて足元に気をつけながら馬車を下りる。
歩き出した先で、ふと目に入ったのは、松葉杖をついて歩く若い騎士。片袖が空のまま、談笑している初老の団員。そして、静かに訓練場の端で見守る者たち。
それらの姿が、胸を締めつけた。
クラリスはふと立ち止まり、深く息を吸うと、静かにスカートの裾を両手で持ち上げた。
足をそろえ、背筋を伸ばし、心からの敬意を込めて、上級貴族が王に拝謁する際と同じほど深く、美しいカーテシーを贈る。
何も言わず、ただ静かに——。
その動きに、団長は言葉をなくした。
形式だけではない、騎士たちの存在に向けた感謝と敬意が、あの少女の全身から伝わってきたのだ。
いつもなら誤解や恐怖で遠巻きにされがちな騎士たちの姿を、彼女は真っ直ぐに見つめ、礼を尽くした。
それは、誰よりも騎士の願いを肯定してくれる行為だった。
「医師と、治癒士にお会いしたいのですが……よろしいでしょうか」
気を引き締めた声でそう言ったクラリスに、団長は頷き、医療塔へと彼女を案内した。
そこには、中年の医師と、女性の治癒士が待っていた。
やや硬い表情で、彼らはクラリスを迎える。
「はじめまして。エステルハージ伯爵家が長女クラリスでございます。本日は突然お伺いし、ご迷惑をおかけします」
名乗りを済ませ、彼女は続ける。
「私は、現在全属性の魔力を有しており、そのうち光属性による治癒魔法が扱えます。本日は簡単な怪我の治療でお力添えできればと考えておりますが、もし他にできることがあれば、ぜひ教えていただきたく……お願い申し上げます」
そう言って深々と頭を下げた。
医師たちは、正直なところ半信半疑だった。
高位貴族の令嬢が、こんな場所に、しかも無償で、どこまで真面目に関わってくれるというのか——
けれど、彼女の目は真っ直ぐだった。見栄も、体裁も感じられなかった。
「……では、手始めに軽い外傷からお任せします。無理をなさらず、できる範囲で」
最初に案内されたのは、肩に剣の傷を負い、包帯を巻いた若い団員だった。
クラリスは問診を受けながら、手のひらをそっとかざす。
光がふわりと広がり、じわりと患部に浸透していく。
患部の状態と回復具合、魔力の適用範囲を読み取る。
日本にいた頃、医療番組やネットで目にしていた数多の知識と、持ち前の想像力がここで生きた。
「……まるで、本職の治療士のようですね」
「いえ、まだまだ学びたいことが山ほどあります」
治療士は目を見開き、医師は目を細めて静かに頷いた。
こうして、数名の軽傷者を癒したクラリスは、医療班の信頼を獲得していった。
その日の後半、クラリスは団長に申し出た。
「……団長閣下。重傷者の方がいらっしゃる場所へ、ご案内いただけますか」
「無理をする必要はない。君が来てくれただけでも——」
「いえ。……国を守るために戦い、傷を負った方に、せめて言葉だけでも届けたくて」
そう言った彼女の目には、強い光が宿っていた。
「……全属性を持つ魔力のうち、闇属性で心を静める“精神安定の術”も試してみたいのです。……もし、それが少しでも、誰かの助けになるのなら」
団長は短く息をつき、頷いた。
「……分かった。案内しよう」
クラリスの一歩が、また誰かの未来を救う一歩になるかもしれない。
そして、その静かな決意に、団長の胸の奥もまた、確かに揺れていた。




