第十話 この気持ちは崇拝です、たぶんきっときっとそうです
階段での騒ぎがあった翌日、昼前。授業が終わって間もない頃、私は職員から理事長室への呼び出しを受けた。
「クラリス・フォン・エルバーデ嬢。理事長室までお願いいたします」
ああ、また理事長室か……。
呼び出されるたびに、いろんな意味で体力を消耗するのよね。
内心で面倒だなぁと呟きながら、しかし顔には微笑を浮かべて、ゆったりとした足取りで管理棟へ向かう。
けれど——
理事長室の扉を開けた瞬間、その思考は一瞬で吹き飛んだ。
そこにいたのは、漆黒の軍装を身にまとった長身の男。日焼けした肌、深く刻まれた片目の古傷、無精髭、鋭い眼光——いかにも荒くれ者にしか見えないその風貌は、明らかに騎士団の“戦う現場”に身を置いてきた者のものだった。
(えっ……ちょっと、えっ……)
頭の中が一気に真っ白になる。
(無骨……渋い……ちょっと怖い……でも、これは、あれだわ。推しだわ……)
自覚が追いついたのは数秒後だった。
「あ……お嬢様、驚かせたか。すまん、こんな面で……怖かっただろう」
男は、思ったよりもずっと低く落ち着いた声でそう言った。
「……い、いえ……全く……むしろ……」
(むしろありがとうございます、とは言えません)
慌てて頭を下げた私に、男——騎士団長ライナルト・バークレー閣下は、居住まいを正しながら言葉を継いだ。
「このたびは、うちの息子が不始末を起こし、君を危険な目に遭わせたと聞いた。……申し訳なかった」
「……お気になさらないでくださいませ。私の方は……怪我もありませんでしたし」
「だが……階段から落ちたのだろう? それで無傷というのは……?」
少しだけ目を細めたその視線に、私は微笑を浮かべた。
「私、今は魔法師団の指導を受けております。光属性を扱えますので、自力で治しましたの」
ライナルト団長は、ふむ、と小さく頷いたが——その視線は、どこか戸惑いを含んでいた。
無理もない。普通、騎士団長と向かい合って、こんなに潤んだ目で頬を染めながらまっすぐ見つめてくる令嬢なんて、いないだろう。
(すみません、団長。私が……私がちょっと特殊なだけなんです)
しかも——
(前にもあったこの感覚……団長のときと……いや、この感覚、デジャヴじゃない。今まさに二人目のドストライクが……)
なんなんですか、神様。
私に、また推しを与えるなんて。しかも方向性が違うのに、どちらもフルコンボで刺さってくるなんて。
(でも大丈夫。私、住み分け出来ますから。タイプの違う推しには、それぞれの祭壇を……)
半分くらい話を聞きながら、残りの意識はその風貌と渋さを脳内で反芻するのに使われていた。
「……もし、時間があるようなら、学園の休日にでもいい。騎士団で、負傷者の治療に協力してもらえないだろうか」
「治療……ですか?」
「治癒魔法士が今、かなり不足していてな。常駐の者も遠征に出ている。学園で訓練を受けているなら、負担にならない程度にでも構わない」
誰かのために魔法を使う。私の中で、それは自然な願いでもあった。
それに——
(騎士団に行けば、団長とまた会えるかも……)
不純な動機も、少々混ざっているのは否定できない。
「……分かりました。今週末の休日でしたら、お伺いできるかと存じます」
私がそう答えると、団長はわずかに頷き、
「では、当日はこちらから迎えを寄こそう。ご両親にも説明を兼ねて挨拶に伺いたい。……先に手紙を出しておくとしよう」
「……ありがとうございます」
(ご挨拶に来てくださるなんて……なんというイベント感……)
騎士団長が真面目な顔で予定を語る一方、私はその横顔を全力で目に焼き付けていた。
古傷の位置。髭の流れ方。声の低さと、指先の太さ。いちいち、刺さる。
今日はもう、記憶に永久保存される日になることは間違いない。
(……推しが増えたって、罪じゃないわよね?)
自問したところで、誰が咎めるわけでもない。
ただ、私の中で“推しの神殿”がまたひとつ、建設されたのだった。




