僕らの爛れていない性生活 第五話「支配」
僕が生まれた日、大きな事故があったらしい。
天災なんて呼んでいる人もいて、僕の誕生日はいつも家族だけでひっそりと、事故で犠牲になった人を悼む人々の目を盗んで祝われていた。
3年前、戦争が始まった。
僕らは戦争をしていたわけではないけれど、一番戦争の渦中にいるんじゃないだろうか。
それくらい戦争は僕らの生活を変え、侵食した。
戦争が始まってひと月で父が死んだ。
それから一週間で家がなくなり、僕をかばって母が足をダメにした。
僕は泣きながら、置いて行けと言う母を背負って一晩中歩き続けた。
母も泣いていた。
泣きつかれて母が眠ってからはさらに重くて、それでも歩くのをやめたら僕らは二人とも死んでしまうという恐怖で必死に足を動かした。
空が白んできたころ、僕らと同じように避難してきた人たちが暮らす集落にたどり着いた。
それから僕はそこで暮らしていた。
朝は2時間かけて井戸に水を汲みに行き、また3時間かけて水を持ち帰る。
ぼそぼそのパンを食べたら畑を耕し、日が暮れてきたころに自分の小屋に戻り、またぼそぼそのパンとその日手に入った食材を入れたスープを母と一緒に食べる。
寝る前に母の脚を少し動かしてやり、薄い布を体にかけてごわごわの床で眠る。
ここに来てから随分背も伸びて、体つきもがっしりした。
出来ることも増えてきて、何もできない母のことをとやかく言う人も随分減った。
「おい、なにぼさっとしてる。はやく水を汲みに行ってこい。ったく、穀潰しを受け入れてやってるんだ。その分お前が働かないでどうする」
頭のてっぺんからつま先まで浅黒い肌の、筋肉質で大柄なこの男は集落の権力者でもなんでもない。
そもそもこの集落は逃げてきた人の寄り合いでできたものだ。
集落の決め事は知恵のある大人や主な労働力である若者などが話し合って決めており、皆平等で権力などというものはないはずなのだが、この男はいつもデカい顔で偉そうに皆に指図している。
体格も声もでかいから、みんな不満はあるものの、なんとなく集落のリーダーみたいな面をしている。
母のことをいつも悪く言う嫌な奴だ。
「おはようございますハブリッドさん。いまから行くところですから。」
「ならとっとと——」
またぞろ何か言いかけたので、足早にその場を立ち去る。
母は一人で出歩けないため、こいつに直接嫌味を言われずに済むのが不幸中の幸いだ。
母にはこいつの嫌味を聞かせたくない。
水を汲みに行く道中、遠くの方で音が聞こえた。
最近よく聞こえる。
戦争がまた近づいてきているのだ。
反射的に身がこわばるのを感じながら、一緒に来ている人たちと目を合わせ、その音を振り払うように先を急いだ。
他には何もなかった。
変わったことは何もなかったのだ。
普段通りに井戸で水を汲んで、普段通りに重たい水をみんなでひいひい言いながら運んで帰ってきた。
普段なら大勢の人が仕事をしている畑に誰の姿も見えなくて、不思議だなと言いながら、何かあったんじゃないかと急いで居住区の方に戻ってきて。
皆はちゃんと無事でいた。
広場に全員が集められていた。
急いで母に駆け寄る。
乱暴に連れ出されたのか、母は少し辛そうだったが、僕を見て微笑んでくれた。
「全員揃ったな」
座り込む僕らの前に立った人が言った。
戦争が、ここにもやってきたのだ。
「今日からここは我々の基地とする。お前たちは全員我々の労働力であり奴隷だ。逃げ出したり逆らったりなんて馬鹿な真似はしないことを願っている。」
嘲るように言い放って、一人一人前に来るように言われ、灰色の首輪を付けられていく。
仕事はより過酷に、環境はより劣悪になった。
自分たちの分に加え、奴らの分の水や食料を取らなくてはならない。新しい土地の開墾や住居などの建設、ほかにもこまごまとした作業が今までの仕事に加わり、作業が遅れれば奴らからの厳しい罰が与えられた。
水を汲んだりで外に出る者も、僕のように置いていくことのできない家族がいる者だけが選ばれた。
母もストレスや脚の硬化で随分体調が悪そうだ。
「このままでいいのかよ?」
太い腕を大仰に振り回してハブリッドが言う。
こんな時でもこいつは偉そうで自分ならなんとかできると言わんばかりだ。
今は畑仕事の最中だ。
また作業が遅れればどんな罰が与えられるか分からない。
他のみんなはハブリッドの話を一応聞いてやりながらも手を休めることはない。
「いいか?まず俺が——」
くだらない作戦を語っていると、奴らが近づいてくる気配がした。
途端に黙々と鍬を振るう。
やっぱりこいつはこんなものだ。
軽蔑の視線をちらりと向けた先に奴らの姿が見えた。
先頭を行くのは女だ。
金色の長い髪を持つ美しい女だった。
思わず見惚れるが、気付かれて慌てて目を逸らした。
本能的に怖いと感じたのだ。
それに目が合った一瞬、嗤っていたような気がした。
奴らが立ち去った後、皆口々にあの女の話をした。
僕だけではなく、みんな見ていたようだ。
背筋に走ったぞくりとした恐怖は、彼らと語り合う内にいつの間にか消えていた。
その晩、くたくたな体を引きずるようにして母の待つ小屋に戻り、夕食を作ろうとしていたところ、奴らのうちの一人が小屋の入り口に立ち、僕を呼んだ。
疲れた母にはやく夕食を食べさせてやりたかったが、母は頷いて僕に早く行くよう促した。
連れてこられたのは僕らが建てたこの集落でひと際大きい小屋。
きちんと床板まで貼って作られた豪華な小屋だ。
中に一人で入るように言われる。
内心怯えていたが入るより他にないので、意を決して扉を開けた。
中にいたのは昼間見た女だった。
小屋の中には、屋根が付いており布が垂れ下がったベッドと、上等そうな机があり、机の前にあるこれまた上等そうな椅子に腰かけている。
ひじ掛けに肘を置き頬杖を突きながら、こちらをじっと見ている。
表情は微笑んでいるように見えるが、その内心は少しも分からなかった。
「どうした、扉を閉めよ」
美しい。
胸の内が引きずり出されるような、脳が沸騰するような、美しい声で女が命じた。
身体が一瞬でこわばり歯をガタガタ鳴らしながら、言われた通りに扉を閉める。
逃げ出したい、体中がそう叫んでいるようで、心だけがここにいたいと願っていた。
振り返り、改めて見てもその女は美しかった。
細められた碧い瞳が真っすぐに自分の瞳を貫いて、射竦められたように動けない。
もう一度声を聴きたい。
カラカラに乾いた喉を開き、震える唇をなめて湿らせた。
「・・・・」
それでも声が出なくて、唾を飲み込むので精一杯だった。
「こっちへ来い」
体中が震えるのを感じる。
胸が躍る。
頬が笑い、涙を零しながら女の前に跪いた。
この女を見下ろすことなど考えもしなかった。
「脱がせ」
女は右足を僕の眼前に突きつけた。
女は靴を履いていた。
僕は女の体に触れないよう、慎重に靴を脱がせる。
僕の知っている靴とは違う、ぴかぴかと黒光りしていて、何かの皮でできているようだ。
が、女はまだ足を突き出したまま動かない。
まだだと言わんばかりに、もう一度足を突き出して見せる。
女の脚は、ぴたっとした黒い布で太ももの辺りまで覆われていた。
これも脱がせということなのだろうか。
脱がせるべく、女の太ももまで手を伸ばそうとすると、脳が沸騰するように熱くなり、鼻から血が垂れ始める。
ひらひらとした腰布と黒い布の間から覗く、白い白い肌。
僕の知るどの女よりも白く滑らかで傷一つ、シミ一つない美しい肌に触れることが。
ぼーっとして、思考がうまくまとまらなくってきた。
床にこぼれたことで、自分がよだれを垂らしてしまっていたことに気が付く。
見れば血も床にこぼれてしまっている。
一瞬、叱責されるのではと怯えるが、女は変わらぬ様子でただじっとこちらを見つめている。
乾いて痛くなったことで、瞬きを忘れていたことにも気が付いた。
瞳孔が開いているのもわかる。
肌に触れた指先がぴりぴりと痛むようだった。
すぐに布を摘まみ上げ、また肌に触れぬようにそっとおろしていく。
脱がしやすいようにと、女が布から足を引き抜いたことが無性に心をかき乱し、吐き気さえ催した。
垂れる鼻血とともに口元を抑え俯いていると、再び女が命じた。
「舐めよ」
やはり、女は足を僕の眼前に突き出した。
足を、舐める?
足を、舐めるのか?
なぜ?
訳が分からない。
ここに来てから一切、すべてが分からない。
けれど震える体は言われるままに身をかがめ、舌を伸ばして女の足先に触れた。
ふっと声が漏れたのが聞こえた。
女の顔に深い笑みが浮かんでいるのが感じ取れた。
血が勢いを増し、頭がくらくらして今にも吐いてしまいそうだった。
だが、女はまだ満足しないようで、変わらず足を突き出し続けている。
「舐めよ」
再びの声に、血がついてしまう恐怖を置き去りにして人差し指を舐め上げた。
血が数的垂れたが、何も言われず、そのまま舐め続けた。
ただずっと女の右足の人差し指の先を舐め続けた。
永遠にも思えた数秒ののち、女が高笑いし始め、はっとして口を離した。
笑む女の顔を見た瞬間に抑えきれなくなり嘔吐した。
恐怖と震える体と沸騰する頭で視点が反転し、僕はそこで意識を失った。
目を覚ますといつもの小屋だった。
横には母が寝ている。
不思議と体が軽く、頭もスッキリしていた。
昨日のことは夢だったのだろうか、水瓶から桶に水を注いで顔と口を漱ぐ。
ごしごしと袖で拭って、小屋の外に出た。
水を汲みに行かなくてはいけない。
いつもの通り外の方でみんなを待っていたが、その日は全員がまた広場に集められた。
壇上には昨日の女が立っていた。
女は僕を見つけると薄く微笑む。
それだけで僕の頭には血が上り、ふらついた。
そして僕が壇上に呼ばれた。
「お前たちを一人ずつ逃がしてやる。こいつの頑張り次第でな。」
女の妖艶な微笑みにその場の全員が息をのんだ。
女はそれ以上何も言わずに壇上から降り、指をくいとやる。
何もつながれていないはずの僕の首輪が女の方に引っ張られるようで、僕は女に付いていく。
後ろでようやくざわざわという話し声が聞こえ始めるが、詳しい内容は聞き取れない。
僕の耳は女の声を拾うことで精一杯だった。
「私の言うことを聞け。そうすればお前のいいようにしてやる。私が鳴けと言えば鳴き、駆けろと言えば駆け、跪けと言えば跪け。お前の全てを私に捧げろ。これからのお前の生涯全ては私の物だ。」
緩やかに軽やかに歩く女の姿はまるで踊っているように見えた。
連れてこられたのはまたしても昨日の小屋だった。
昨日自分が吐いたはずの吐瀉物の跡も血の跡もなく、昨日のことは本当に夢だったのではないかと思えてくる。
実際夢だったのかもしれない。
そんなことはどうでもいいことなのだから。
女が僕の頬に触れるようにそっと手を伸ばし、寸前の空を撫でる。
「ふはは、ふはははははは」
くつくつと尚も笑い続ける女は何がおかしいのだろうか。
次第に呼吸が楽になってきた気がした。
息の仕方を思い出したように体中に空気が送り込まれ、視界がクリアに晴れていく。
昨日も香っていた女の独特ないい匂いに今更気が付いた。
唾を飲み込み、潤した喉で今度こそ言葉を発した。
「あの」
声はまだ震えていた。
声だけではない。
身体が震えているのだ。
体中を恐怖が覆っている。
女は僕の言葉を少し待ったが、何も言わない僕に目を細めて、首を傾げ見下ろした。
女は突然ベッドに飛び込むと、靴を脱ぎ捨てその下の布も脱ぎ捨てた。
「こっちへ来い」
昨日と同じように僕を呼ぶ。
僕はまた女の前に跪いた。
「舐めよ」
再び差し出された右足。
女の独特の香りが足からもしっかりと香っている。
僕はまた、舌先でちろちろと指先を舐めた。
「足を持て、もっと丹念に舐めよ」
僕が恐る恐る足に触れると、ふはっという女の笑い声が上から聞こえた。
びくりとする体を抑えつけ、ひたすらに足を舐め続ける。
かなり長い時間舐めていたように思う。
途中から女が嘆息し、機嫌を損ねたように感じていたが、それでも舐め続けた。
「もうよい」
唐突に終わりが告げられ、僕は帰された。
女の顔は不機嫌そうに歪んでいたが、伏せた目が印象に残った。
小屋から出ると、僕の仕事はなくなっていた。
僕がやるはずだった一切の作業は他の誰かの担当に変わっていて、僕は自分の小屋に帰ってただ母の世話をしてやるだけでよかった。
母の作業を手伝ったおかげで久しぶりに母の足をほぐして、休ませてやることができた。
母はたまった疲れから日も高いうちに眠ってしまった。
夕食のときに起こしてやればいいだろうとそのまま寝かせてやり、仕事をしているみんなに対する引け目から久しぶりにぼーっとしていると、小屋の入り口に誰かが立った。
周りを気にするようにそっと入ってきたのはハブリッドを含む幾人かの若い衆だった。
彼らは集落の決め事に関わっていた者たちだ。
「何があった。簡潔に話せ。」
声を潜め、ハブリッドがはやくと話を促した。
別段おかしなことではないはずだったが、不思議と少し腹が立った。
少し考えて、ぶっきらぼうに答えた。
「命令を聞けと言われて、小屋に連れていかれた。」
焦れて皆が少しイライラしているようだった。
「そんなの皆わかってるよ。小屋で何をされたんだ。」
他の男が責め立てるように問うてくる。
「なにって」
なぜだか言いたくなかった。
無性に恥ずかしいような気がした。
口を噤んでいたかったが、皆からの糾弾に負けて話した。
「足を、舐めてた。右足をこう、ぺろぺろとずっと。それだけだ」
しばらくの沈黙のあと。
みんなが口をぱくぱくと僕になにか言いたげで、でも何を言えばいいのか分からないようなそんな感じだった。
「僕だって何が何だか分からないよ」
泣きたくなりながらそう零すが、ハブリッドは取り合わない。
「そうかいそうかい、お前は仕事休んで美人の足を舐めまわしてたわけか」
幾人かから僕に非難がましい視線が向けられる。
どうして、僕はわるくないのに。
そう訴えるより先に、聞かれたくないことを聞かれた。
「そんなことより、逃げられるって件はどうなった?あの女はお前のその足を舐めるってので俺たちを逃がしてくれるのか?俺たちここから出られるのか?」
言葉に詰まった。
そうだ、女はそんなことを言っていた。
聞くべきことだった。
「ごめん、わからない。でも、あんまり満足そうじゃなかったから、たぶん、ダメだ。ごめん。」
切れ切れにそういうと、いよいよ非難は止まらなくなる。
耐えられなくなってきたころに、奴らの近づいてくる気配がして、皆慌てて小屋から出ていった。
翌日、僕は小屋に行くのが仕事だった。
責任の重い仕事だと思った。
これは皆を、母を開放してやれるかもしれない大事な仕事なんだ。
小屋に入ると、女は既にベッドに腰かけていた。
いつもの靴も布も履いておらず素足だ。
右足をベッドからぶらぶらと出し、また僕に命じた。
「舐めよ」
瞳が僕を射抜き、全て見透かしているようだった。
女が何か期待しているようにも見えた。
とにかく満足させなくては、焦りにも似た感情が僕の中を巡っていた。
女の足に触れると、また興奮したような吐息が漏れる音が聞こえた。
今までのように舌先を人差し指の先に這わせ、足の甲まで一気に舐め上げた。
「ふはっ」
今度こそはっきりと、喜色を帯びた声が女の口から漏れ出た。
同じように親指、薬指、中指、小指の先からも甲に向かって舐め上げる。
そのたびに女は口元に手をやり、吐息を漏らした。
上目遣いに見やると、頬を染め濡れた瞳でこちらを見ている。
目が合った瞬間に、いままでの高揚がさっと引いていくように頭が冷たく、顔が熱くなったが、それを振り払って、足全体をなぶった。
足の裏は、どうしても嫌悪感があったが、汚れ一つ見当たらず柔らかく美しい足と、その匂いを嗅いでいるうちに自然と舐めることができた。
女の足も、自分の口元も唾でべとべとになるくらい舐めた後、女の絞り出すような声で終わりが告げられた。
自分の唾液の匂いがして正直臭い。
顔をあげ女の顔を見やると、瞬く間に股間に血液が集まるのを感じた。
それを見てさらに目を細める女。
怯えているようにさえ感じるほどゆっくりと伸ばされた手が顎に触れた。
べちゃりと美しい指に自分の唾液が付いてしまう。
そして女の顔が近づいてくる。
顔が爆発しそうなのに、目が背けられない。
いつもの独特の物ともまた違う女のいい香りが自分の唾液の匂いをかき分けて香ってきて、さらに股間が熱くなる。
唇が触れそうなほど近づくと、女は鼻一杯に息を吸い込み、はーっと妖艶に吐いた。
くらくらする頭で、意識が途切れる前にこれだけは聞かなければと、女に自分の息がかからないよう口を半開きにして問うた。
「にげ、にげられるのでしょうか」
少し驚いたようにきょとんとしてから、女の凛とした美しい顔には似つかわしくないような、ニマニマというのが相応しい笑みを浮かべて。
「ああ、ひとりだけ選べ。逃がしてやる」
女の息がかかり、果てた。
女は別の小さいのを呼びつけ、僕を知らない建物へ案内させた。
中には水を張った大きな穴があった。
穴の横で服を脱がされ、上から暖かい水を掛けられる。
どうやら洗ってくれるらしい。
僕はここに来て、彼女と妙な精神的な繋がりのようなものを感じていた。
会話が通じただけではない。
分かりあえたような気がするのだ。
小さいのがまた上から暖かい水を掛ける。
それにしてもこんな水をどこから、明らかに僕らが朝運んでいる水の量を超えている。
小さいのが今度は泡を付けた布で体を拭いてくれる。
女からしていたのと同じ匂いがする。
股間まで洗おうとするものだから流石に拒否しようとしたが、問答無用で洗われた。
その後、水の入った穴に入れられる。
こちらの水も当然のように暖かい。
いつまで入っていればいいのか分からず、頭がくらくらしてくると、そばに控えていた小さいのが手を引いて、穴から上がらせた。
着替えると広場に向かわされ、壇上に立たされた。
心なしか、以前より隣に立つ女の距離が近いような気がする。
女がこちらを向いて微笑んだ。
「さあ、選べ」
すぐに何を言われているのか分かった。
逃がす人を選べと言われているのだ。
「かあさ——」
母を呼ぼうとすると、大きな声で遮られた。
「待て!俺を、選べ!」
母の後ろにいたハブリッドが立ち上がっていた。
その目が、脅すように僕を睨みつけていた。
雄弁に語っている。
足元の母がどうなってもいいのかと。
「足が悪い奴を逃がしてどうなる。一人で生きていけるわけないだろう。俺に任せろ。」
既に意見はまとまっていたのか、表情こそ様々あるが誰も異を唱えたりはしない。
僕が何も言えずにいると、女が小さく息を吐く音が聞こえた。
「やはりやめだ。逃がすものは私が選ぶ。」
理解するのに時間がかかったが、助けてくれたのだと分かった。
感謝の念を込めて見つめると、こちらを振り向かず。
「それと、そこのうるさいでかいの、あとで私のもとへ来い。可愛がってやる」
薄く笑って身を翻した。
途端に裏切られたような気持ちになった。
期待を浮かべるハブリッドの表情が余計に自分を惨めにさせた。
翌朝ハブリッドを見かけたが、こちらに気が付くと逃げるように去って行ってしまった。
どんなことを言われるか覚悟していただけに拍子抜けだった。
小屋に行くと、椅子に腰かけ机に向かっていた女が振り返った。
「来たな」
愛しさすら感じる微笑みを浮かべ瞳を覗き込むように目を合わせる。
「約束通り一人逃がしておいた。今日も期待しているぞ」
口を歪め笑う姿すら美しく見惚れてしまうが、彼女の言葉が少し引っかかった。
逃がしておいた。
僕の母は今朝も小屋にいた。
まさか、何の準備もしていない母を放り出したのだろうか。
「おまえの母君は逃がさんぞ」
女の表情に背筋が凍る。
みすかしているぞ、そう告げている。
笑っているのが怖い。
それ以上何も言えなかった。
女はくねくねと近づいて来て甘い声を出す。
「さあ、今日はおまえもベッドに横になれ」
女は手を僕の周りに泳がせるが触れてはこない。
女の吐息がかかると、途端に体に血が巡る。
女は着ていた服を脱ぎ、身体のラインが露わになった薄い布一枚と下着だけになってベッドに横になる。
「さあ、お前も来い」
身体が熱くなるのを感じながら、自然と服を脱いでベッドに上がった。
女の息が荒くなっているのを感じる。
そのたびに感じる女の吐息が、香りが、さらに熱を高めた。
向かい合って横になり、女が手をゆらゆらさせる。
逡巡したのち、僕に命じた。
「どこでもいい、私に触れ」
え。
と危うく声が出そうになるが、ぐっとこらえて女の顔を見つめる。
潤んだ瞳が上目遣いにこちらを見つめている。
下には豊満な体が横たわっていて、その先には細く長い扇情的な脚が伸びている。
下腹部にきゅーっと力が入り、また股間が硬くなっているのを感じる。
恐る恐る肩に触れた。
柔らかい。
触れた瞬間、んっ、と女が息を漏らした。
股間が跳ねる。
ぐっと力を入れて堪えると、女が自分と同じようにそっと肩に触れてきた。
思わず女の肩をしっかりと掴んでしまう。
思った以上に細く、しっとりとして、なんとも手触りの良い心地だろう。
すると女もまた同じようにしっかりと肩を掴む。
顔を見やるも、女はただこちらを見つめるばかり。
今度は腕にすっと手をおろしていく。
女の細腕の感触を味わっていると、案の定女も自分の腕に手をおろして。
部屋全体が熱くなったのか、むせかえるような甘い匂いが充満している。
股間の熱さは最高潮に達していた。
ここで自分が女のアソコを触ったらどうなるのだろう。
男はゆっくりとそこに手を伸ばした。
女がひと際嗤った気がした。
ヤンデレのつもり