居るはずのない人物
孤児院に関する運営責任を担う様になってから私もそれなりに忙しい。
各施設を直接運営している訳では無いが組織を掌握する身にも細かい仕事は沢山ある。
今回、私が王立学園に行って講演をするのもそういう形で増えた仕事の一つである。
『税金を使って平民・貧民に施しをするなど何事か』
身分意識が高い一部の貴族の中にはそう云って眉をしかめる者もいる。
だが、平民達も重要な国力である。
その人達に支えられた結果の貴族の豊かな生活であるというのが現実だ。
国の福祉政策によって救われる孤児達の中にも将来の我が国を担う有用な人材が埋もれているかもしれない。
『決して無駄じゃないよ。回り回って国が豊かになるし自分達の為にもなる事だよ。
実感しにくいかもしれないけどこの国にとっても必要な事だよ』
要するにそんな内容の事を将来の王国を担う学園生徒達へ理解してもらう為に行う地道な啓蒙活動である。
実際、王立学園には才能を認められて入学している平民も沢山いる。
講演が終わって講堂の舞台袖に下がると私は生徒会長のコンラートに冗談を言った。
「時々学園に来ているとまだ卒業していない気がしてくるわ」
「帰ってこられるなら歓迎致しますよ、殿下」
冗談に冗談で返したコンラートはラウラを呼んだ。
以前に会っているから今回もという事だろう。
「ではしばし控室でお待ちください。ラウラ嬢、ご案内してくれ」
「はい。ではこちらへどうぞ、妃殿下」
見覚えのある少女が傍に来て微笑んだ。
この可愛い侯爵令嬢がエルヴィンの婚約者にほぼ内定したとは聞いている。
少しだけ胸が痛むのを気のせいと片付けて私も微笑み返した。
「ありがとう。場所は分かっているのだけどね」
「ふふっ、ご存じですがお供させて下さい」
講演での私の役目はこれで終了あるが、この後もう一つ用事がある。
今日の全校集会が終わった後で学生達との交流の場が設けられていたのだ。
それまでの私の待合室として使われるのが生徒会室だった。
生徒会室には立派な応接用の席も給湯施設もある。
私自身も勝手知ったる場所だから文句はない。コンラートもそう思ったのだろう。
「鍵を持っていないだろう? 私も同行しよう」
そう云ってラウラに同行を申し出たのは私と多少因縁がある人物だった。
「え? ああ、じゃあそうしてもらえるかい」
ラウラ一人だけの同行は身分的にどうかと思ったかもしれない。
コンラートが副会長のゲルハルトにそう云った。
生徒会室は基本不在時には施錠していてその鍵は会長と副会長のみしか持たされていない。
なぜなら王立学園の運営に深く関わる生徒会には重要な書類が多々あるからだ。
部活動の部室レベルで気安くとはいかない。
ラウラに鍵を渡せば事足りるのではと思いつつ私はゲルハルトに口を開く。
「ゲルハルト……久しぶりね」
「ご壮健であられる様で何よりです、殿下」
殊勝に頭は下げているもののその瞳は柔和ではない。
そして三人と私の側近達で共に生徒会室へ向かった。
なぜか少し緊張感のある状態になっていた。ラウラもどこか委縮した様に黙ってしまった。
無言状態が続いたので目上の年長者として私が口を開く。
「ゲルハルト。剣技会見ていたわ。いい戦いぶりだったわね」
「妃殿下にそう云っていただけるとは光栄の至り」
それきりで話は続かない。年月も経っているし今は立場も違う。
今後接触する機会などまず無いからこの場だけ過ぎればいいのだが、もう一言私は伝えた。
いい加減プライドを潰した事を許してほしいという変な気持ちになったのかもしれない。
「貴方は強かったわ。正直今では私もあなたに勝てる気はしないわ」
「恐縮ですが、あなたが学生の内に勝たなければ意味が無かったので」
私に対しての敵愾心を消そうとしないし、取り付く島もない。
(付き合い切れないわ、もう)
ようやく生徒会室に着いた。
5分くらいだったのにやたらと遠くに感じた長い移動時間だった。
外部の人間は入室禁止なので側近を室外に待機させて入室した。
私も今や外部の人間だが知った顔が多いので例外だ。
ソファに腰かけるとラウラが私に紅茶を淹れてくれた。
すると早々にゲルハルトは言った。
「ではごゆっくり。君も忙しいだろう。会場に戻ろう」
「えっ? は、はい。では妃殿下、失礼致します」
何か無理やりラウラを連れてゲルハルトは生徒会室を出て行った。
話し相手として彼女をコンラートは指名してくれたと思うのだが。
もしや私にする嫌がらせなのだろうか。
(まぁ慣れ親しんだ場所だし、別に一人でもいいわ)
私は生徒会室に一人でぽつんと取り残された。
(もう一年以上経つのね……剣技会の時と違って感慨深いわ)
学園生活の半分近くはここを中心に過ぎていたから当然だ。
感慨に浸っていると何かの気配を感じたので振り返る。
そして私は心底驚いて固まった。居るはずのない人物がここにいたからだ。
「……スヴェン?」
「久しぶりだね、アニエス」
かつての婚約者はそう云って私に微笑んだ。