信じがたい思い
(そうあるべき状況に戻る、か……)
陛下からそう云われた翌日、私はその言葉を反芻した。
仕事をしている間は集中しているが、隙間時間の度にその言葉が浮かんでくる。
何故か私自身は思ったより衝撃を受けたらしかった。
王宮に来てからずっと当たり前の様にあった時間だからだろうか。
エルヴィンとはこれから王室の一員同士として接すればいいだけだ。
王太子と国王の側妃。よくよく考えれば普通ならほぼ接点はない関係だ。
『受け持ち時間』がなければ特に二人で会う事も無くなるのでせいぜい王室で偶々すれ違った時に軽く立ち話をする程度の関係だろうか。
陛下の云う通りお互いの立場に相応しい状態に戻るだけだ。
なのに……。
(この気持ちって一体何なのかしら……折角仲が良くなれたのに、単純に残念という感じなのかしら?)
そんな気持ちなのかもしれない。そうに決まっている。
それ以上深く考えない様にした。
♦
ヒルダ様とノーラ様と過ごすひと時は久しぶりだった。
今まで私がお二人のご都合に合わせれば良かったけれど私自身が忙しくなってきたからである。
でも、今の状況は望むところだ。
側妃の一人としてようやくお役に立てていると実感できる。
「久しぶりね、アニー!」
「あら、ロッテ!」
今日はノーラ様の所にお邪魔したのでロッテが居るのは意外だった。
私はロッテを抱き寄せて頭を撫でてからヒルダ様とノーラ様お二人にご挨拶した。
この三人のお茶会は王族として親睦を深めるだけでなく大事な情報共有の場でもある。
ロッテは私と居たがったけど、他のお姫様達と共に別室へ連れて行かれた。
三人だけになると早速話題に上がったのはやはりエルヴィンの事だった。
「聞いたわよ? お役御免だそうね」
「はい」
「仕事の負担になって来たの?」
「いえ、私からそういう事は言っていないのですが……」
私はお二人に先日の陛下の言葉を伝えた。
「わからなくはないけど……」
「大して負担になっていないのなら止める必要も無い気もするわね」
「となると、やっぱりなのかしら」
「そうね」
「何の事でしょうか」
「エルヴィンの婚約に関してよ」
「レッシュ侯爵の御令嬢とお話が進んでいるという話よ」
「えっ……?」
私は以前会った癖っ毛の可愛い少女の顔を思い浮かべた。
「まあ、王宮内の事なんて外に漏れる訳では無いけど、一応万が一の事を考えての事なのかしら」
「貴方達自身は別に何もなくても変な噂を立てる者が居ないとも限らないからでしょうね。
側妃と王太子なんてありえない組み合わせだけど」
「……ああ」
(成程、そういう事か)
私がエルヴィンに対して時間を取っていたのは元々陛下のご命令だからだけど、事情を知らない臣下も多い。
(婚約の前にくだらない醜聞を作らせない為でもあるという事ね)
「今までの王宮の歴史も踏まえると遅くとも18になる前には婚約者が居るのが普通だわね」
「ええ。陛下御自身はご入学前には既に王妃様とご婚約していたくらいだし。
そもそもそうでないと間に合わないわ」
「王妃教育に、ですね」
確かに未来の王妃になるには学生の内からその心構えで過ごす事が重要だと思える。
生徒会の役割が大きい王立学園は貴族社会の一種の縮図だ。
そして王室の細かい決まりや知識・立ち振る舞い等、婚約者は婚姻までに時間がいくらあっても足りないだろう。
成り行きで側妃に裏口王宮入りした私は参考外だ。
(エルヴィンはどう考えているのかしら)
二人で話している時も一度も婚約者の話題が出て来る事が無かった。
聞いた事もないから想像もできない。
(いずれにしても、もう私の手を離れた事だわ……)
ノーラ様が用意されたお菓子を頂いてそう思っていると話題は別の話に移った。
♦
自分の宮に戻ると侍女が告げた。
「アニエス様、ご実家からお手紙です」
「え、本当? 何かしら」
王宮入りしてから会う機会が無かった父母から来た物であるのは間違いない。
実家から遠い王都に居て心許せる存在から送られてきた物は何であれ嬉しい。
懐かしい気持ちになって心も弾む。
(いつか一度、お父様とお母様に会いにフェラー領へ帰りたいわ。
いろいろ王宮での事もお話ししたいし……。)
侍女から私が受け取ったものは手紙と云うより言付けだった。
封筒に入れられていて裏面に父の署名が書いてある。
実家から郵便で送られてきたものでは無いという事は領地ではなく直接城に来たという事だ。
(あら? 珍しい、お父様が王都に来ているの?)
特に社交シーズンでもなく領地を持っている貴族領主はこの時期大抵は領地に居る。
一体どういう訳だろうか。
不思議に思って封を開き中の文章を読むとそこには思いもかけない事が書いてあった。
(嘘でしょう? 一体、何の用で?)
信じがたい思いで思わず封筒と言付けの書類を握ってしまった。
その内容はかつて自分の婚約者であったスヴェンが伯爵邸にやって来たという内容だった。