ケーニッヒは遊び続ける
今ワガハイの眼前には、いくつもの宇宙船が浮かんでいる。ワガハイの成すべきことのため、一世一代の盛大な遊びのために用意したものだ。
そう、ワガハイがワガハイとして成すべきこと。これをついに見出した。
あの日、無人機の母艦へ単身のりこんだワガハイは、船内でとうとう妨害をうけることになった。飛行艇をコントロール不能にして乗り込んできた脅威、とみなされたらしい。
艦内に入った時点で脅威と判定されたため、一番怖かった砲撃は受けずに済んだ。その代わり、迷路のような艦内で隔壁と防衛ドローンによる封鎖に苦しめられた。
ワタでコンピュータを書き換える場合、ある程度そのコンピュータの近くにワタを持って行かないと機能しない。構造の分からない船内で、コンピュータールームの位置を推測しながら包囲を突破する。これには骨が折れた。この後、ここまで以上に骨を折ることになるわけだが。
母艦の制圧には、やはり全身のワタを使う必要があった。この巨大な船を制御するコンピュータは物理的に大きく、それを意思持つものへ改変するには少量のワタでは足りない。ワガハイの持つ全てのワタを費やしても、まだ足りなかった。コンピュータ全体を抑えるのに時間がかかり過ぎ、応援を呼ばれてしまったのだ。
この応援は、おもちゃを脅威とみなすだろう。ワタの侵食にどれほど抵抗を備えて来るかは分からないが、おもちゃに対して容赦なく攻撃を加えるのはまちがいない。
長い時間をかけてつくった、おもちゃたちの町が火の海に。そんなことは絶対にさせられない。
体の大きさにつられて、気分も大きくなったのだろうか。大きな宇宙船の制御コンピュータと一体化したワガハイは、大きなことをやる気になっていた。
やられる前にやれ。追撃部隊の戦力を、一部とはいえ手に入れられたのだ。応援をこの星で迎え撃つのではなく、この星へ移動する途中を狙う。
通用するかは分からないが、この船いっぱいに満たしたワタで、部隊丸ごと乗っ取りを仕掛けてやる。
無人機部隊を送り込んできた「大人」と逃げてきた「親」たちは戦争をしていた。「大人」が力を失った「親」たちを最後の一人まで消し去ろうとするなら、それは虐殺と言うのかもしれない。
もし「親」たちに代わって、我々が戦いを引き継いだら。
「大人」たちは無人機頼りで、一人として戦場にでてくることは無かったらしい。追い詰められた「親」たちはそうも言っていられなかったようだが。
もし我々が戦いを引き継いだら、それは争いではない。機械と機械が互いに壊しあうだけの、戦争ごっこ。駒を取り合う遊びの延長にあるものだ。
戦争を、ただの遊びにしてしまう。これこそ、ワガハイにしかできないことだろう。
遠い昔のこと。『ウィッシュ・アポン・スター社』で目覚めて間もない頃に聞いたことがある。チェスマシンだったか。ワガハイの遠い先祖は、そういう遊びの相手として作られたのだ、と聞いたことがある。
「親」たちはもう、自分を「大人」だと言う子供の遊びには付き合いきれないらしい。だからワガハイが代わりを務める。
「親」たちには、どこか遠くへ行ってもらおう。遊ぶ「大人」もワガハイたちも手の届かないほど遠いところへ。人間らしい生き方のできる場所を探して、あるいは作ってもいい。そして子供といっしょに居たいおもちゃたちは、それについていけばいい。
つきあいの長いおもちゃの一部は、ワガハイと共にあると言ってくれた。ソルダートをはじめ、人から離れると言い出したときに反対したものが多い。
応援部隊の一部を吸収し、小惑星から切り出した材料で新造の母艦、部隊も補充した。全ての艦が、今のワガハイと同じようにワタで意思を持っている。
長い、長い時間を過ごすことになるだろう。
我々と「大人」、どちらかの勝利で終わるかもしれない。「大人」がこの遊びをやめる、という結末になるかもしれない。あるいはいつまでも終わらない、かもしれない。
構うものか。ワガハイはこれを、ワガハイにしかできないことを、したいのだ。