発露する感情と変化する関係
ベンチでの邂逅以来、私とロイさんとの関係性に少し変化が生じた。ちなみにベンチからベッドに行った記憶が無くて、ロイさんに確認したところ「自分で歩いて戻ったこと覚えてないのか?」と言われてしまった。恥ずかしい限りである。話は戻してまず一つ目、これまでは治癒の時間になっても自分の怪我を包帯で巻いていたロイさんが、私の所へ来てくれるようになったのだ。騎士団長もそれには相当驚いていたようで。
「小さな破片で怪我した際に、俺達でも簡単な消毒ができる応急処置用の場所を設けているのだが、絶対にロイは使わないからな。まさか聖女様の治癒には来るなんて思ってもみなかった」
嬉しそうに笑みを浮かべて騎士団長が言っていることから、この人は面倒見が良い人なんだなと私のなかで騎士団長の株が上がった。私の予想通り、ロイさんは第一騎士団のなかでも飄々としているようだ。仲間からは「何を考えているかわからない」と思われているとか。
「少なくとも聖女様の治癒には参加する人間だとわかったわけだ」
「僕はロイのこと機械人形だと思ってたよ……」
ロイさんを治癒していると、周りで囁くように騎士達が話しているのが聞こえてくる。ロイさんはうんざりしたような顔をして、治癒が終わると私の頭をポンと触って去って行った。本当に何を考えているのかわからない。でも一歩前進したようで、嬉しいのも事実だ。
二つ目に大きな変化だったのは、晩御飯を共に食べてくれるようになったことだ。馬車から降りると自室に帰らずそのまま食事に出てくれるようになった。特に目立った会話が無いが、時間を共有してくれるのは大きな一歩だ。執事長も相当驚いたようで、ロイさんが部屋に戻ったのを確認すると私に伝えてくれた。
「あの方は誰かと食事をするのが好きではないので…両親のゲストが来た時でさえ自室で食べるほどの徹底ぶりでした。こうやって誰かと食べる姿を見るのが初めてなので私は感動しております。ワコ様、本当にありがとうございます」
深々と頭を下げる執事長に困っていると、ようやく顔を上げる。その執事長の表情があまりにも嬉しそうで、私も自然と笑顔になった。メアリーさんが、いきなり一緒に食事をするようになったロイさんに対して不気味がっていたのを思い出して、吹き出しそうになるのを何とか我慢する。食事が終わると特に会話もなく私たちは自室に戻った。
今日一日すべきことを終えて寝る前、窓から空を見上げると美しい満月が輝いていることに気づき私は庭へと向かった。寝間着のままで外に出たせいで少し肌寒いが、我慢できないほどでは無いためティータイムにいつも使っているテーブル席へ座る。姿かたちは日本で見るものと全く同じで、実は自分は帰って来ているのではないかと錯覚してしまいそうだ。
「はくしゅん」
「そんなに薄着だと体を壊すぞ」
ひんやりとした風が吹いて、寒さに耐えきれずくしゃみをすると、あの日の昼間のように声をかけられた。しかしあの時とは違って上着を肩に乗せられる。触り心地の良さから相当な逸品であると気づいた私は、急いで落ちないように掴んで声の主に感謝の言葉を述べる。
「ありがとう、ロイ……様?」
「ロイで良い」
「それは、ロイさんで勘弁してください」
正面に座ると、細く長い脚を組んで私の顔を見てきた。太陽の光を浴びている時よりも月の光のような青白い光の方がロイさんをより美しく輝かせる。瞬きをすると、長い睫毛がパチパチと動いているのが目視できるほどに今夜は明るい。ロイさんは月を見上げると言った。
「今夜は月が綺麗だな」
「……そうですね」
また空白の時間。ロイさんは何も言うことなく、私の次の言葉をじっと待ってくれている。自分が神妙な顔をして、相槌を上手に出来ていない自覚はあった。個人的に一番信頼しているメアリーさんにでさえ話したことが無かった、ある気持ちについて打ち明けることを決意した。
「私は聖女と言われて、気づけば数か月もこの世界で治癒をしていて。ふと、独りになった時にこの世界には身寄りがいないことを思い出すんです。この世界には両親も友人も…誰もいないのが……本当に……辛くて…」
視界がぼやける。顔を見られるのが嫌で下を向くと、目からポロポロと涙が零れ落ちる。どれだけ気丈に振舞ったとしても、心は寂しさを我慢することが出来ていなかったのだ。メアリーさんと一緒に服を決めて、この国に馴染もうと必死に勉強して、ティータイムを楽しんで、騎士たちの治癒をして、何事も全力で取り組むと自然に疲れてベッドで考える暇もなくぐっすり眠れるのだ。でも今日はダメだった。満月が寝室を照らし出すから目が冴えてしまうのだ。きっとベッドの上で孤独に押しつぶされてしまう。
「今この状態で部屋に戻るときっと……いえ何も。もう夜は深まってきましたから、ロイさんは自室に戻ってはいかがですか?上着もお返しします」
ただでさえ寝床を借りている恩人に迷惑を掛けるわけにいかない。零れそうになった言葉を飲み込むと、私はニコリと笑顔を浮かべた。そのまま立ち上がって羽織っていた上着を脱ぐと、ロイさんに返すために手を伸ばした瞬間。
引き込まれたのは私の腕だった。ロイさんの腕の中に閉じ込められている気づいて、顔に熱が集中するのがわかる。細身なはずのロイさんが想像以上に力強くて離れることが出来ない。だが同時に体温が心地よくて、全て委ねてしまいたくなる。
「俺は一人で気ままに生きるのが何よりの幸せだ。そうやって生きてきたから何も不思議に思わなかった。だがワコが屋敷にやって来て、人間の気配が増えたことで最初は不快だった。仕方がない、もし何か問題を起こしたら即刻追い出してやろう…とさえな」
一度言葉を止めると私の存在を確かめるように、優しく抱きしめた。
「でもワコは俺の生活に馴染んでいた。令嬢達のように邪魔をするわけでもない、香水を振りまいて歩き回るわけでもない。心配する必要はないと思っていたのだが、まさか心が弱っているとは……監督不行き届きだったな」
また言葉を止めると、私の頭を優しく撫でた。まるで愛しいものを大切に扱うような手つきに、心臓が口から出そうだ。鼓動はロイさんに聞こえていないか心配になるほど大きく鳴っている。
「この世界にワコの両親も友人も存在しない。それは事実で、誰にも曲げることはできない。だからせめて、その不安が無くなるまでは……俺がそばにいる」
まるで愛を囁くように、低くて甘い声が私の心を満たした。心臓が有り得ない速度で稼働している。顔が茹蛸のように真っ赤になるのを抑えることが出来ない。
「あ、ありがとう!」
それだけ言うと、私は本来の調子を取り戻すためロイさんの腕の中から飛び出した。いつの間にか落としていた上着を押し付けるようにしてロイさん渡すと、脱兎のごとく逃げ出す。
「おやすみなさい!良い夢を!」
呆気に取られた顔をしたロイさんを庭に放ったまま私は部屋に戻った。ベッドに飛び込むと布団に顔が隠れるまで潜る。目を閉じると先ほどの場面が鮮明に蘇ってくる。ロイさんは猫のように気まぐれな人だから、今の甘い言葉も気まぐれに違いないと自分に言い聞かせる。しかし身寄りのない私に対して「そばにいる」と言ってくれたロイさんは私の中で大きな存在となってしまった。これが恋心なのかわからないが、ロイさんはきっと好意を好ましく思わないタイプだろう。私はこの気持ちを大切に保管しようと決めたのだった。
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